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付章 十二月
~両手いっぱいの花束を~
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花束をおくろう
両手いっぱいの花束を
今のわたしから
昔のわたしへ
ほめてあげよう
たくさんのつらいことを
がんばって乗り越えた
昔のわたしを
いっぱいがんばった
昔のわたしへ
両手いっぱいの花束をおくろう
あなたのおかげで
いまのわたしがあるのだから
待ちに待っていた、冬休みの初日。これから二週間あまりの間、彼の顔を見ずにすむ、自分を偽る必要のない日々。
どんなに強がっていたって、辛いものは辛い。頭の上では納得して、割り切っていても、いつもだったら私がいた場所に、あの人がいるのを見るのは、やっぱり、それなりに、こたえる。
「わかってんの? あんたたち二人の目の前で、何気ない顔して笑うのって、大変なことなんだよ?」
口に出してつぶやき、目の前の、山と積まれた宿題をにらみつけて、私はため息をついた。
あーあ、まったく。楽しいはずの冬休みだってのに、どうして私は、こんなに憂鬱なんだろう。もう一つため息をつきたくなるのをこらえ、目的のページを開いたままになっていた古語辞典を手に取った。と、それと同時に。
「ねーちゃん、電話だぞぉ」
階下から弟の声が聞こえる。
「わかったぁ。すぐいく」
私は応え、辞書とシャープペンシルを机の上に投げ出すと、部屋を出た。階段を下り、居間のテレビでゲームをやっている弟を横目に、「誰から?」私は問うた。
「鈴木さんって、女の人」
鈴木? ……もしかして、香澄さん?
驚きと、とまどいとが、私の中を駆け抜けていく。私は受話器を手に取った。電話機の保留を解除して、
「もしもし? 由美香です」
『あ、久我さん? 鈴木……香澄です』
不覚にも、私は、その声にどう対応していいのかわからなくなってしまった。返す言葉に詰まってしまい、どんなことをいえばいいのか、考えれば考えるほどに、うまい言葉が見つからなくなってしまう。
何秒かの間を空けて、受話器の向こうから、香澄さんの不安げな声が届いた。
『……あの、久我さん?』
いけない。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼうっとしてて。何ですか?」私は、あわてて言葉を返した。
『あ、えーと、ね。今日、時間、あるかな?』
どきん。
心臓が一拍、大きく跳ねた。私は何とか平静をつくろいながら、「え? あ、大丈夫ですよ。どうせ暇人だから」私は応えた。
たぶん、「忙しい」とかの理由をつけることも、できたのだろう。けれども、なんだか、今、どんなうそをついても、そのすべてが香澄さんに見透かされるような気がして、私には、それができなかった。
「あ、それじゃあ、今日、あえるかな?」
まだ少し固い声で、香澄さんは問うてきた。
「いいですよ。……のろけ話を聞かされるんでなきゃ」
『そんなんじゃないってば』受話器の向こうで、香澄さんが苦笑する。「じゃ、一時半に、学校町のバス停で待ってるから」
「あ、はーい」
私は応え、香澄さんが電話を切ったのを確認して、受話器を置いた。……一時半、学校町のバス停、と。
たぶん、香澄さんはバスの時間を調べて「一時半」といったのだろう。一時二十五分にバス停に到着したバスから降りた私を、香澄さんは待っていてくれた。
かなわないよなぁ。こんなふうに、私にはできないことを、さらりとやってのけてくれて。何というか、「格」の違いを見せつけられてしまって、私はちょっと、悔しくなった。……あ、そういえば、初めて見た。香澄さんの、私服姿。
通学にも使っている黒いコートの下からのぞく、薄桃色のセーターと、ジーンズ。さして飾り気があるわけではないのだけれども、それがかえって、香澄さん本人を引き立たせるのに一役買っている。
「いいなぁ。……香澄さん、なにを着ても似合うなんて」
思わず口をついて出てしまった言葉に、「そんなことないよ」香澄さんは苦笑で応えた。「背が低いから、長いスカートをはいても、全然さまにならないし。……中学生の頃から、背の高い人って、すごく憧れてるの」
私の身長が百六十八センチ。ま、図抜けて、というほどではないにしても、背は高い方だ。
「でも、高けりゃいいってものでもないと思うけどなぁ」
ぽつりと漏らした私のつぶやきに、香澄さんはくすりと笑った。「久我さんも、久保くんと同じこと、いうのね」
無邪気にいう香澄さんの言葉が、私の胸を貫く。と、不意に、香澄さんは真摯な目を、私に向けてきた。
「……ごめんね、わざわざ呼び出しちゃって。……一度、久我さんと、ゆっくりと話し合ってみたかったの」
香澄さんは、じっと私を見つめ、静かにいった。
「……久保くんのことで」
少しの間、私たちの間を、沈黙が支配した。口を開けば、何かとんでもないことを口走ってしまいそうで、私はなにも言葉を返すことができなかった。……たぶん、この様子だと、香澄さんは、気づいているのだろう。私が……。
「……その、ひどいこといっている、っていうのは自分でもわかってるの。こんなことしちゃえば、久我さん、きっと怒っちゃうだろうけど……でも、でも私、久我さんのこと、好きだから……」
つっかえつっかえ、香澄さんは、これからもずっと、私と「友達」でいたいこと、だから、私の中にあるわだかまりを、どうにかして取り除きたいと思っていること、けれども、自分が怒られて……嫌われて当然のことをしているのだから、このまま私が怒って家に帰って……二度と香澄さんと顔を合わせなくなっても仕方がないと思っていること、そんなことを、まっすぐに、私に伝えてきた。
……まったくもう。なんでこの人、こんなに優しいんだろう。二歳も年上の人に、こんなふうに下手に出られてしまえば、怒る気もなくなってしまう。
「……香澄さん、さ」口を開いた私に、香澄さんは不安げな視線を向けてくる。……だから、そんな顔しないでよ。こっちがなにか悪いことをしているような気になってしまうじゃないか。
「そーゆーふうに、気を使ってもらえるのはうれしいんだけど……。そっちの方が、よっぽど残酷だよ」
たぶん、私の顔が、自分で思っている以上にこわばって、「怒りをこらえている」表情になっていたのだろう。私の言葉に、香澄さんははっとしたように私の顔を見て……「そうね。ごめんなさい」しゅんとなって謝った。……いけない。笑顔、笑顔。
「ま、こんなところで立ち話もなんだし、どこか、いきませんか?」
私は、つとめて明るくいった。ちょっとの間、とまどい気味の視線を私に向けていた香澄さんは、「あ、うん。そうね」とうなずいた。
「駅裏にね、おいしい紅茶のお店があるの。そこでいい?」
問うてきた香澄さんに、「どこでもいいですよ」私は応えて、歩き始めた香澄さんの後をついていった。
歩きながら、私たちはいろいろな話をした。好きな音楽のこと、趣味のこと。テレビ番組のこと。
意外なことに、音楽の趣味は、ずいぶんと共通しているものを持っていた。好みのミュージシャンがずいぶんと共通していて、そのミュージシャンの中でも特に好きな曲も、一致しているものが多かったのだ。
「じゃ、久我さんさ、今度、鈴木祥子、聴いてみてよ。……私が文化祭で歌った歌、あったでしょう? あれがね、『Long Long Way Home』っていうアルバムに入ってるの」
へーえ、と、うなずきを返した私に、香澄さんは「あ、でも、マイナーな人だし、何年も前のアルバムだから、お店に行ってもCD、置いてないかもしれないなぁ」
小さくつぶやくと、私の方に目を向け、「今度、貸してあげるね」と、微笑んだ。
「うん。じゃ、今度聴かせてね」私はうなずきを返した。
ほどなくして私たちは、駅のすぐ手前の赤信号で、立ち止まることになった。
「ここの信号、長いのよねぇ」
私の言葉に、香澄さんは苦笑を返し、
「あのときも、ね。ここの信号で、久保くんと並んで、立ち止まったの」
静かに、ぽつりといった。
……あのとき。それはたぶん、今年の、文化祭。長路と香澄さんが……。
私は、ゆっくりと、香澄さんに目を向けた。香澄さんは、すでに私の方に目を向けていて、私と目が合うと、小さく、にこりと微笑んだ。
「これからいくお店がね、私が、久保くんに、つきあってくれ、っていわれたお店なの」
私は小さく唇をかんだ。さっきまでは忘れていた……忘れられていた事実を、目の前に突きつけられ、少しの間、思考力が失くなってしまう。
信号が、青になった。
横断歩道を渡りながら、私はことさら、陽気に問いかけた。
「きっ、キスとかは、もう、すんだの?」
小さく首を横に振る香澄さん。「ううん。まだ。大学、無理して高いところを選んじゃったから、それどころじゃなくって。……まだ、それらしいことって、なんにもしてないの」
意外な、といえば意外な。そうでない、といえばそうでない言葉。
「……じゃ、デートなんかも?」
香澄さんはうなずいた。
「そんなことしてる暇があったら、単語の一つも覚えなきゃ、って状況なんだ。正直、入れるかどうか、きわどいラインだから」
そして香澄さんは、「久保くんは欲求不満がたまってるだろうけど、受験生をカノジョにしちゃったんだから、そのくらいは我慢してもらわなきゃね」と、苦笑した。
そうか……。なんだか、その……。それなりに、大変なんだな。
二人が幸せな毎日を過ごしているものだとばかり思っていたので、香澄さんの言葉は、ちょっと、意表をつかれた。
押し黙ってしまった私に、なにかを感じたのだろう。「どうしたの、久我さん?」香澄さんが、私に問いかける。
「あ、えーと、何でも、ないです」
私は我に返って、あわてて言葉を返した。「そう? ……なら、いいんだけど」たぶん、私の沈黙を別の方向に……私が怒っているとでも……勘違いしたのだろう。香澄さんは、まだ少し不安そうな目を、私に向けていたけれども。
すぐに、私たちは目的の喫茶店に到着した。
長路が、香澄さんに告白した場所。
そこは、わりとこじんまりした、清潔な感じのするお店で、「紅茶専門店『風の丘』」という看板がかかっていた。
香澄さんが先にお店の中に入った。私もそのあとに続いてお店に入り、その一画に、香澄さんと向かい合うように、腰を下ろした。ほどなくして注文を取りに来たアルバイトの高校生に、私はお茶と食べるものを注文し、あらためて、香澄さんと向かい合った。
少しの間、気詰まりな沈黙が続いたけれども、やがて、香澄さんが、その沈黙をうちやぶった。
「えーっと、最初に、確認しておきたいんだけど」
少しいいにくそうに、香澄さんは一言ずつ、言葉を区切りながら、私に問うてきた。
「久我さんも、久保くんのこと、好きだったんだよね?」
私は、静かにうなずきを返した。
「じゃ、どうして、私に、久保くんをゆずってくれたの?」
くると思った、この質問。私は、唇をしめらせて、慎重に、口を開いた。
「『ゆずった』っていうふうには、思っていないんです。……その、なんだろ? 私にとって、長路っていうのは、友達とか、カレシとか、恋人とか、そんな一言でいってしまえるような人じゃないんですよね。だから……」
え? あれ? どうしたんだろう? ……目頭が……熱い。
「……だから、私は長路が好きだけど、……ううん。好きだから、長路が、誰か別の人を好きになっても笑って応援してあげられるし、その人が長路のカノジョになれば、笑って『おめでとう』っていってあげられるし……」
やだ? どうして? なんで私……泣いてるの?
私はあわてて涙を払ったけれども、私の意志に反して、涙は、止まってはくれなかった。間の悪いことに、私の視界の外から「お待たせしました」なんて声が聞こえてきてしまう。……やだ。絶対に私、変な目で見られてる。
ティーカップが受け皿にふれる音を聞きながら、私は涙を拭こうと、上着のポケットをまさぐった。
あれ? うそっ? ハンカチが……ない? あわてて他のポケットも確認したけれども、やっぱり、ハンカチはなかった。
と。
「これ、よかったら使って」
聞き覚えのない声とともに、私の目の前にハンカチが差し出された。
「……あ、どうも」応えながら、そのハンカチを受け取り、その差し出された手から、順番に視線を上へと向けていくと。
ハンカチを差し出してくれたのは、さっき、私たちから注文を取った、お店のアルバイトの高校生だった。その人は、にこりと私に微笑みかけると、今度はふざけ半分、本気半分の視線を香澄さんに向けた。
「だめじゃない、香澄。こんなかわいい子、泣かしちゃ」
「……だって」
応えようとした香澄さんを制し、アルバイトの高校生……どうやら香澄さんとは知り合いらしい……は、「だってじゃないでしょ? 約束、忘れたわけじゃないんでしょ?」ぴしゃりといった。
香澄さんは、少しすねたような目をその人に向け……初めて見た、香澄さんのこんな顔……「忘れてなんかいないわよ」小さな声で応えた。
「じゃあ、ほら、さっさと謝る」
その人の命令口調に、香澄さんはちょっとむっとしたような表情を浮かべたけれども、すぐに、私に目を向け直した。
「ごめんね、久我さん。変なこと、訊いちゃって」
そんな……そんな、だめだよ、香澄さん。香澄さんは、全然悪くないのに。謝るのなら……謝るのなら、私の方なのに。
私はそのことを伝えようとして、口を開いたけれども。
口から出てきたのは、言葉にならない嗚咽。そして私は、また、涙を流してしまった。
どのくらい……そうしていたのだろう。
香澄さんたちは、私の涙が止まるのを、じっと、待っていてくれた。私が二人に目を向けると、香澄さんの友達は、私に微笑みかけ、「ほら、涙、ふいて。いい女が台無しじゃない」
やっぱり、ふざけ半分、本気半分な口調で、いった。私は一つうなずき、手に持っていたままになっていたハンカチで涙をふくと、その人にハンカチを返した。
「ごめ……んなさい。汚しちゃった」
「気にしないで」
香澄さんの友達はそのハンカチを、そのままエプロンのポケットにつっこんだ。そして彼女は、もう一度にこりと微笑み、「私は、土屋、っていうの。……あなたは?」
「あ……久我、です」
一拍の間をおいて、土屋さんは、私に問うた。「久我さん、香澄に、好きな人とられちゃったんだって?」
身も蓋もない物いいに、私は少し、呆気にとられてしまった。呆然とうなずきを返すと、土屋さんは小さく笑い、
「私もね、香澄の好きな人、香澄からとっちゃったんだ」
え?
今……なんて、いったの?
私のとまどいをよそに、土屋さんの言葉は続く。
「中三の時だったかな? 香澄、久我さんほど立派な考えの持ち主じゃなかったからね。泣くはわめくはで、しばらく、口もきいてもらえなかったの」
……香澄さんが、そんなことを?
私は、香澄さんに目を向けた。たぶん、そのときのことを思い出しているのだろう。香澄さんは、照れくさそうに苦笑いしていた。
「……でもね、私、香澄のこと、好きだったし。これからもずっと、私と香澄の……なんだろな? その、ばか話をいいあって笑い転げたり、たまにはまじめに人生について語りあったりとか、そういう関係は、壊したくなかったんだ」
土屋さんは、それから先は言葉にはしなかった。けれどもたぶん、土屋さんが、香澄さんと、今の関係を取り戻すのに、大変な苦労をしたのだろう、ということは、私にも想像ができた。
少しの間を空けて、土屋さんは微笑んだ。
「だからね。この間、香澄が、私のところに相談しにきたときは、ほんとにびっくりしたわ。……まさか、香澄が、私と同じことするなんて、思ってもいなかったから。……その、見ず知らずの私がこんなこといえる義理じゃないのはわかってるんだけどさ。香澄も、あなたと同じ経験をしているから、相当に苦しんだんだし……。苦しんだ上で、香澄があなたと友達でいたい、っていう選択をしたってことは、わかってほしいの」
いいたいことは、全部いってしまったのだろう。土屋さんは「じゃ、お茶、さめないうちに飲んでね」私たちに声をかけ、お盆を抱えると、厨房の方へ引っ込んでいった。
あとに残ったのは、私たちが注文したお茶と食べ物と、少しばかり気まずい沈黙。
その沈黙を振り払うかのように、香澄さんはティーポットのお茶をカップに注ぎ、その中に、ママレードを落とした。私も、カップにお茶を注ぎ、そこにミルクを注いだ。透き通っていた紅茶がミルク色に染まるのと同じ早さで、私の頭の中で、次にいうべき言葉が組みあがっていく。
「ねえ、香澄さん」
「あの、久我さん」
はからずも、私と香澄さんの声がシンクロした。私たちは互いに目配せを交わしあい……発言権は、私がもらった。
「香澄さん、さ。……長路の、どこを好きになったの?」
「まっすぐで、自分に正直なところ、かな」
間髪入れずに香澄さんは応えた。
「久我さん、覚えてるかな? 久保くんが、風邪を引いて学校を休んだ日、あったでしょう?」
「私が、香澄さんに長路の家、教えたときですよね?」
「うん」香澄さんはうなずいた。「あの日ね、久保くんにいわれたの。『夢、見るのはただだから』って」
あいつらしい物いいだ。知らず知らずのうちに、私は苦笑を漏らしていた。
「……たぶん、その一言じゃないかな。私が、久保くんに、特別な物を感じはじめたのって。……そのおかげで、ずいぶんと苦労もしてるけど」
香澄さんは苦笑混じりに付け加えた。……そうか。香澄さん、「夢を叶えるために、努力する」って、いってたっけ。それが、長路の影響だったなんて。
そういえば、香澄さんにそんな大層なことをいってのけた当の長路自身は、そういう、大きな夢を持っているのだろうか? ……今度顔を合わせたら、訊いてみよう。
「久我さんは、それだけ?」
私の物思いは、香澄さんの問いで遮られた。「あ、うん。香澄さん、どうぞ」私は応え、香澄さんの言葉を待った。
「えっと、ね。久我さん、私と、友達でいてくれるかな?」
私は、香澄さんに笑みを返した。
「もちろんですよ。私も、香澄さんのこと、好きだから」
それから私たちは、いろいろなことを話した。……特に、長路のことを。小学生の時の長路。中学生の時の長路。香澄さんの知らない、私だけが知っている長路のことを。
そして、香澄さんも。
初めて、香澄さんと長路が出会った、雨降りのバス停のこと。
そして、雨降りの図書室。長路が香澄さんに問うた言葉。
進路のことで、仲のよかった友達とけんか別れしてしまった日。気を紛らすためにピアノを弾いていたら、突然、どうしようもなく泣けてきて、涙があふれてしまって。……その現場を、長路に目撃され、そして……。
文化祭のライブの練習中。幼なじみの男の人と、ふざけて接近しすぎてしまったその現場を、長路に目撃されてしまったこと。
どれも、私の知らない、香澄さんだけの長路だった。
なんだか、いくら話しても、話したいことは尽きなかった。香澄さんに聞いてもらいたいこと、香澄さんに訊きたいことが次から次へとあふれてきて、とにかく私は、話さずにはいられなかった。
ふと気づくと、外は真っ暗だった。お茶を何杯もお代わりしてしまい、お店を出るときに、お小遣いのほとんどが、お茶の代金で消えてしまった。
「あーん、たったこんだけで、どうやって冬休みすごせっていうのよぉ?」
外にでて、財布を確認してぼやく私に、くすくすと笑いながら、「下着でも売る?」香澄さんは、冗談めかして問うた。
「本気でそうしたい気分」
私はため息混じりに応えた。ううっ、お年玉まで、お小遣い、持つかなぁ?
そんな私を見て、香澄さんはくすくすと笑いながら、「じゃ、金欠病の由美香ちゃんに、アルバイト、紹介してあげようか?」
「ほんとに?」
「うん」香澄さんはうなずいた。「このお店ね、わりと人気があるから、クリスマスの時期とか、けっこう込むの。二十三日から二十五日までだから、ちょっと短いけど、臨時のアルバイト、しない? 去年までは私がいっていたんだけど、今年は勉強しなきゃいけないから、代わりの人、探してたんだ。よかったら、あとで声をかけておくけど?」
「するする! ぜひ、やらせてください!」
私は一も二もなく、香澄さんの話に飛びついた。どうせ、クリスマスの予定なんて入っていないんだ。稼げるときに稼いでおかなくちゃ。……あれ?
「香澄さん、うちの学校、『原則としてアルバイトは禁止』ってこと、知ってるよね?」
香澄さんは、いたずらな笑みを浮かべた。
「それをいったら、私が今、免許証を持ってるのだって、校則違反なんだけどね。ほんとは、免許とったら、免許証は学校に預けないといけないから」
「あー、いけないんだー」
私はにやりと笑った。「『風の丘』のチーズケーキセットで勘弁してあげる」
「そんなこといっていいの? あそこでアルバイトするんなら、久我さんも同罪なんだよ?」
「私はいいの。そんな立派な心構えで学校に通ってるわけじゃないから」
屁理屈を返して、私たちは顔を見合わせ、くすくすと笑いあった。
「久我さん、どうする? 私の運転でよかったら、家まで送ってあげるけど?」
香澄さんの言葉に、私はうなずいた。「うん。じゃ、お願いしようかな」
アルバイトのお金が入ったら、花束を買おう。私から、私へあてて。がんばった私へ、両手いっぱいの花束を。
久我由美香、十六歳。
今日は、こんなに元気です。
(両手いっぱいの花束を 了)
両手いっぱいの花束を
今のわたしから
昔のわたしへ
ほめてあげよう
たくさんのつらいことを
がんばって乗り越えた
昔のわたしを
いっぱいがんばった
昔のわたしへ
両手いっぱいの花束をおくろう
あなたのおかげで
いまのわたしがあるのだから
待ちに待っていた、冬休みの初日。これから二週間あまりの間、彼の顔を見ずにすむ、自分を偽る必要のない日々。
どんなに強がっていたって、辛いものは辛い。頭の上では納得して、割り切っていても、いつもだったら私がいた場所に、あの人がいるのを見るのは、やっぱり、それなりに、こたえる。
「わかってんの? あんたたち二人の目の前で、何気ない顔して笑うのって、大変なことなんだよ?」
口に出してつぶやき、目の前の、山と積まれた宿題をにらみつけて、私はため息をついた。
あーあ、まったく。楽しいはずの冬休みだってのに、どうして私は、こんなに憂鬱なんだろう。もう一つため息をつきたくなるのをこらえ、目的のページを開いたままになっていた古語辞典を手に取った。と、それと同時に。
「ねーちゃん、電話だぞぉ」
階下から弟の声が聞こえる。
「わかったぁ。すぐいく」
私は応え、辞書とシャープペンシルを机の上に投げ出すと、部屋を出た。階段を下り、居間のテレビでゲームをやっている弟を横目に、「誰から?」私は問うた。
「鈴木さんって、女の人」
鈴木? ……もしかして、香澄さん?
驚きと、とまどいとが、私の中を駆け抜けていく。私は受話器を手に取った。電話機の保留を解除して、
「もしもし? 由美香です」
『あ、久我さん? 鈴木……香澄です』
不覚にも、私は、その声にどう対応していいのかわからなくなってしまった。返す言葉に詰まってしまい、どんなことをいえばいいのか、考えれば考えるほどに、うまい言葉が見つからなくなってしまう。
何秒かの間を空けて、受話器の向こうから、香澄さんの不安げな声が届いた。
『……あの、久我さん?』
いけない。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼうっとしてて。何ですか?」私は、あわてて言葉を返した。
『あ、えーと、ね。今日、時間、あるかな?』
どきん。
心臓が一拍、大きく跳ねた。私は何とか平静をつくろいながら、「え? あ、大丈夫ですよ。どうせ暇人だから」私は応えた。
たぶん、「忙しい」とかの理由をつけることも、できたのだろう。けれども、なんだか、今、どんなうそをついても、そのすべてが香澄さんに見透かされるような気がして、私には、それができなかった。
「あ、それじゃあ、今日、あえるかな?」
まだ少し固い声で、香澄さんは問うてきた。
「いいですよ。……のろけ話を聞かされるんでなきゃ」
『そんなんじゃないってば』受話器の向こうで、香澄さんが苦笑する。「じゃ、一時半に、学校町のバス停で待ってるから」
「あ、はーい」
私は応え、香澄さんが電話を切ったのを確認して、受話器を置いた。……一時半、学校町のバス停、と。
たぶん、香澄さんはバスの時間を調べて「一時半」といったのだろう。一時二十五分にバス停に到着したバスから降りた私を、香澄さんは待っていてくれた。
かなわないよなぁ。こんなふうに、私にはできないことを、さらりとやってのけてくれて。何というか、「格」の違いを見せつけられてしまって、私はちょっと、悔しくなった。……あ、そういえば、初めて見た。香澄さんの、私服姿。
通学にも使っている黒いコートの下からのぞく、薄桃色のセーターと、ジーンズ。さして飾り気があるわけではないのだけれども、それがかえって、香澄さん本人を引き立たせるのに一役買っている。
「いいなぁ。……香澄さん、なにを着ても似合うなんて」
思わず口をついて出てしまった言葉に、「そんなことないよ」香澄さんは苦笑で応えた。「背が低いから、長いスカートをはいても、全然さまにならないし。……中学生の頃から、背の高い人って、すごく憧れてるの」
私の身長が百六十八センチ。ま、図抜けて、というほどではないにしても、背は高い方だ。
「でも、高けりゃいいってものでもないと思うけどなぁ」
ぽつりと漏らした私のつぶやきに、香澄さんはくすりと笑った。「久我さんも、久保くんと同じこと、いうのね」
無邪気にいう香澄さんの言葉が、私の胸を貫く。と、不意に、香澄さんは真摯な目を、私に向けてきた。
「……ごめんね、わざわざ呼び出しちゃって。……一度、久我さんと、ゆっくりと話し合ってみたかったの」
香澄さんは、じっと私を見つめ、静かにいった。
「……久保くんのことで」
少しの間、私たちの間を、沈黙が支配した。口を開けば、何かとんでもないことを口走ってしまいそうで、私はなにも言葉を返すことができなかった。……たぶん、この様子だと、香澄さんは、気づいているのだろう。私が……。
「……その、ひどいこといっている、っていうのは自分でもわかってるの。こんなことしちゃえば、久我さん、きっと怒っちゃうだろうけど……でも、でも私、久我さんのこと、好きだから……」
つっかえつっかえ、香澄さんは、これからもずっと、私と「友達」でいたいこと、だから、私の中にあるわだかまりを、どうにかして取り除きたいと思っていること、けれども、自分が怒られて……嫌われて当然のことをしているのだから、このまま私が怒って家に帰って……二度と香澄さんと顔を合わせなくなっても仕方がないと思っていること、そんなことを、まっすぐに、私に伝えてきた。
……まったくもう。なんでこの人、こんなに優しいんだろう。二歳も年上の人に、こんなふうに下手に出られてしまえば、怒る気もなくなってしまう。
「……香澄さん、さ」口を開いた私に、香澄さんは不安げな視線を向けてくる。……だから、そんな顔しないでよ。こっちがなにか悪いことをしているような気になってしまうじゃないか。
「そーゆーふうに、気を使ってもらえるのはうれしいんだけど……。そっちの方が、よっぽど残酷だよ」
たぶん、私の顔が、自分で思っている以上にこわばって、「怒りをこらえている」表情になっていたのだろう。私の言葉に、香澄さんははっとしたように私の顔を見て……「そうね。ごめんなさい」しゅんとなって謝った。……いけない。笑顔、笑顔。
「ま、こんなところで立ち話もなんだし、どこか、いきませんか?」
私は、つとめて明るくいった。ちょっとの間、とまどい気味の視線を私に向けていた香澄さんは、「あ、うん。そうね」とうなずいた。
「駅裏にね、おいしい紅茶のお店があるの。そこでいい?」
問うてきた香澄さんに、「どこでもいいですよ」私は応えて、歩き始めた香澄さんの後をついていった。
歩きながら、私たちはいろいろな話をした。好きな音楽のこと、趣味のこと。テレビ番組のこと。
意外なことに、音楽の趣味は、ずいぶんと共通しているものを持っていた。好みのミュージシャンがずいぶんと共通していて、そのミュージシャンの中でも特に好きな曲も、一致しているものが多かったのだ。
「じゃ、久我さんさ、今度、鈴木祥子、聴いてみてよ。……私が文化祭で歌った歌、あったでしょう? あれがね、『Long Long Way Home』っていうアルバムに入ってるの」
へーえ、と、うなずきを返した私に、香澄さんは「あ、でも、マイナーな人だし、何年も前のアルバムだから、お店に行ってもCD、置いてないかもしれないなぁ」
小さくつぶやくと、私の方に目を向け、「今度、貸してあげるね」と、微笑んだ。
「うん。じゃ、今度聴かせてね」私はうなずきを返した。
ほどなくして私たちは、駅のすぐ手前の赤信号で、立ち止まることになった。
「ここの信号、長いのよねぇ」
私の言葉に、香澄さんは苦笑を返し、
「あのときも、ね。ここの信号で、久保くんと並んで、立ち止まったの」
静かに、ぽつりといった。
……あのとき。それはたぶん、今年の、文化祭。長路と香澄さんが……。
私は、ゆっくりと、香澄さんに目を向けた。香澄さんは、すでに私の方に目を向けていて、私と目が合うと、小さく、にこりと微笑んだ。
「これからいくお店がね、私が、久保くんに、つきあってくれ、っていわれたお店なの」
私は小さく唇をかんだ。さっきまでは忘れていた……忘れられていた事実を、目の前に突きつけられ、少しの間、思考力が失くなってしまう。
信号が、青になった。
横断歩道を渡りながら、私はことさら、陽気に問いかけた。
「きっ、キスとかは、もう、すんだの?」
小さく首を横に振る香澄さん。「ううん。まだ。大学、無理して高いところを選んじゃったから、それどころじゃなくって。……まだ、それらしいことって、なんにもしてないの」
意外な、といえば意外な。そうでない、といえばそうでない言葉。
「……じゃ、デートなんかも?」
香澄さんはうなずいた。
「そんなことしてる暇があったら、単語の一つも覚えなきゃ、って状況なんだ。正直、入れるかどうか、きわどいラインだから」
そして香澄さんは、「久保くんは欲求不満がたまってるだろうけど、受験生をカノジョにしちゃったんだから、そのくらいは我慢してもらわなきゃね」と、苦笑した。
そうか……。なんだか、その……。それなりに、大変なんだな。
二人が幸せな毎日を過ごしているものだとばかり思っていたので、香澄さんの言葉は、ちょっと、意表をつかれた。
押し黙ってしまった私に、なにかを感じたのだろう。「どうしたの、久我さん?」香澄さんが、私に問いかける。
「あ、えーと、何でも、ないです」
私は我に返って、あわてて言葉を返した。「そう? ……なら、いいんだけど」たぶん、私の沈黙を別の方向に……私が怒っているとでも……勘違いしたのだろう。香澄さんは、まだ少し不安そうな目を、私に向けていたけれども。
すぐに、私たちは目的の喫茶店に到着した。
長路が、香澄さんに告白した場所。
そこは、わりとこじんまりした、清潔な感じのするお店で、「紅茶専門店『風の丘』」という看板がかかっていた。
香澄さんが先にお店の中に入った。私もそのあとに続いてお店に入り、その一画に、香澄さんと向かい合うように、腰を下ろした。ほどなくして注文を取りに来たアルバイトの高校生に、私はお茶と食べるものを注文し、あらためて、香澄さんと向かい合った。
少しの間、気詰まりな沈黙が続いたけれども、やがて、香澄さんが、その沈黙をうちやぶった。
「えーっと、最初に、確認しておきたいんだけど」
少しいいにくそうに、香澄さんは一言ずつ、言葉を区切りながら、私に問うてきた。
「久我さんも、久保くんのこと、好きだったんだよね?」
私は、静かにうなずきを返した。
「じゃ、どうして、私に、久保くんをゆずってくれたの?」
くると思った、この質問。私は、唇をしめらせて、慎重に、口を開いた。
「『ゆずった』っていうふうには、思っていないんです。……その、なんだろ? 私にとって、長路っていうのは、友達とか、カレシとか、恋人とか、そんな一言でいってしまえるような人じゃないんですよね。だから……」
え? あれ? どうしたんだろう? ……目頭が……熱い。
「……だから、私は長路が好きだけど、……ううん。好きだから、長路が、誰か別の人を好きになっても笑って応援してあげられるし、その人が長路のカノジョになれば、笑って『おめでとう』っていってあげられるし……」
やだ? どうして? なんで私……泣いてるの?
私はあわてて涙を払ったけれども、私の意志に反して、涙は、止まってはくれなかった。間の悪いことに、私の視界の外から「お待たせしました」なんて声が聞こえてきてしまう。……やだ。絶対に私、変な目で見られてる。
ティーカップが受け皿にふれる音を聞きながら、私は涙を拭こうと、上着のポケットをまさぐった。
あれ? うそっ? ハンカチが……ない? あわてて他のポケットも確認したけれども、やっぱり、ハンカチはなかった。
と。
「これ、よかったら使って」
聞き覚えのない声とともに、私の目の前にハンカチが差し出された。
「……あ、どうも」応えながら、そのハンカチを受け取り、その差し出された手から、順番に視線を上へと向けていくと。
ハンカチを差し出してくれたのは、さっき、私たちから注文を取った、お店のアルバイトの高校生だった。その人は、にこりと私に微笑みかけると、今度はふざけ半分、本気半分の視線を香澄さんに向けた。
「だめじゃない、香澄。こんなかわいい子、泣かしちゃ」
「……だって」
応えようとした香澄さんを制し、アルバイトの高校生……どうやら香澄さんとは知り合いらしい……は、「だってじゃないでしょ? 約束、忘れたわけじゃないんでしょ?」ぴしゃりといった。
香澄さんは、少しすねたような目をその人に向け……初めて見た、香澄さんのこんな顔……「忘れてなんかいないわよ」小さな声で応えた。
「じゃあ、ほら、さっさと謝る」
その人の命令口調に、香澄さんはちょっとむっとしたような表情を浮かべたけれども、すぐに、私に目を向け直した。
「ごめんね、久我さん。変なこと、訊いちゃって」
そんな……そんな、だめだよ、香澄さん。香澄さんは、全然悪くないのに。謝るのなら……謝るのなら、私の方なのに。
私はそのことを伝えようとして、口を開いたけれども。
口から出てきたのは、言葉にならない嗚咽。そして私は、また、涙を流してしまった。
どのくらい……そうしていたのだろう。
香澄さんたちは、私の涙が止まるのを、じっと、待っていてくれた。私が二人に目を向けると、香澄さんの友達は、私に微笑みかけ、「ほら、涙、ふいて。いい女が台無しじゃない」
やっぱり、ふざけ半分、本気半分な口調で、いった。私は一つうなずき、手に持っていたままになっていたハンカチで涙をふくと、その人にハンカチを返した。
「ごめ……んなさい。汚しちゃった」
「気にしないで」
香澄さんの友達はそのハンカチを、そのままエプロンのポケットにつっこんだ。そして彼女は、もう一度にこりと微笑み、「私は、土屋、っていうの。……あなたは?」
「あ……久我、です」
一拍の間をおいて、土屋さんは、私に問うた。「久我さん、香澄に、好きな人とられちゃったんだって?」
身も蓋もない物いいに、私は少し、呆気にとられてしまった。呆然とうなずきを返すと、土屋さんは小さく笑い、
「私もね、香澄の好きな人、香澄からとっちゃったんだ」
え?
今……なんて、いったの?
私のとまどいをよそに、土屋さんの言葉は続く。
「中三の時だったかな? 香澄、久我さんほど立派な考えの持ち主じゃなかったからね。泣くはわめくはで、しばらく、口もきいてもらえなかったの」
……香澄さんが、そんなことを?
私は、香澄さんに目を向けた。たぶん、そのときのことを思い出しているのだろう。香澄さんは、照れくさそうに苦笑いしていた。
「……でもね、私、香澄のこと、好きだったし。これからもずっと、私と香澄の……なんだろな? その、ばか話をいいあって笑い転げたり、たまにはまじめに人生について語りあったりとか、そういう関係は、壊したくなかったんだ」
土屋さんは、それから先は言葉にはしなかった。けれどもたぶん、土屋さんが、香澄さんと、今の関係を取り戻すのに、大変な苦労をしたのだろう、ということは、私にも想像ができた。
少しの間を空けて、土屋さんは微笑んだ。
「だからね。この間、香澄が、私のところに相談しにきたときは、ほんとにびっくりしたわ。……まさか、香澄が、私と同じことするなんて、思ってもいなかったから。……その、見ず知らずの私がこんなこといえる義理じゃないのはわかってるんだけどさ。香澄も、あなたと同じ経験をしているから、相当に苦しんだんだし……。苦しんだ上で、香澄があなたと友達でいたい、っていう選択をしたってことは、わかってほしいの」
いいたいことは、全部いってしまったのだろう。土屋さんは「じゃ、お茶、さめないうちに飲んでね」私たちに声をかけ、お盆を抱えると、厨房の方へ引っ込んでいった。
あとに残ったのは、私たちが注文したお茶と食べ物と、少しばかり気まずい沈黙。
その沈黙を振り払うかのように、香澄さんはティーポットのお茶をカップに注ぎ、その中に、ママレードを落とした。私も、カップにお茶を注ぎ、そこにミルクを注いだ。透き通っていた紅茶がミルク色に染まるのと同じ早さで、私の頭の中で、次にいうべき言葉が組みあがっていく。
「ねえ、香澄さん」
「あの、久我さん」
はからずも、私と香澄さんの声がシンクロした。私たちは互いに目配せを交わしあい……発言権は、私がもらった。
「香澄さん、さ。……長路の、どこを好きになったの?」
「まっすぐで、自分に正直なところ、かな」
間髪入れずに香澄さんは応えた。
「久我さん、覚えてるかな? 久保くんが、風邪を引いて学校を休んだ日、あったでしょう?」
「私が、香澄さんに長路の家、教えたときですよね?」
「うん」香澄さんはうなずいた。「あの日ね、久保くんにいわれたの。『夢、見るのはただだから』って」
あいつらしい物いいだ。知らず知らずのうちに、私は苦笑を漏らしていた。
「……たぶん、その一言じゃないかな。私が、久保くんに、特別な物を感じはじめたのって。……そのおかげで、ずいぶんと苦労もしてるけど」
香澄さんは苦笑混じりに付け加えた。……そうか。香澄さん、「夢を叶えるために、努力する」って、いってたっけ。それが、長路の影響だったなんて。
そういえば、香澄さんにそんな大層なことをいってのけた当の長路自身は、そういう、大きな夢を持っているのだろうか? ……今度顔を合わせたら、訊いてみよう。
「久我さんは、それだけ?」
私の物思いは、香澄さんの問いで遮られた。「あ、うん。香澄さん、どうぞ」私は応え、香澄さんの言葉を待った。
「えっと、ね。久我さん、私と、友達でいてくれるかな?」
私は、香澄さんに笑みを返した。
「もちろんですよ。私も、香澄さんのこと、好きだから」
それから私たちは、いろいろなことを話した。……特に、長路のことを。小学生の時の長路。中学生の時の長路。香澄さんの知らない、私だけが知っている長路のことを。
そして、香澄さんも。
初めて、香澄さんと長路が出会った、雨降りのバス停のこと。
そして、雨降りの図書室。長路が香澄さんに問うた言葉。
進路のことで、仲のよかった友達とけんか別れしてしまった日。気を紛らすためにピアノを弾いていたら、突然、どうしようもなく泣けてきて、涙があふれてしまって。……その現場を、長路に目撃され、そして……。
文化祭のライブの練習中。幼なじみの男の人と、ふざけて接近しすぎてしまったその現場を、長路に目撃されてしまったこと。
どれも、私の知らない、香澄さんだけの長路だった。
なんだか、いくら話しても、話したいことは尽きなかった。香澄さんに聞いてもらいたいこと、香澄さんに訊きたいことが次から次へとあふれてきて、とにかく私は、話さずにはいられなかった。
ふと気づくと、外は真っ暗だった。お茶を何杯もお代わりしてしまい、お店を出るときに、お小遣いのほとんどが、お茶の代金で消えてしまった。
「あーん、たったこんだけで、どうやって冬休みすごせっていうのよぉ?」
外にでて、財布を確認してぼやく私に、くすくすと笑いながら、「下着でも売る?」香澄さんは、冗談めかして問うた。
「本気でそうしたい気分」
私はため息混じりに応えた。ううっ、お年玉まで、お小遣い、持つかなぁ?
そんな私を見て、香澄さんはくすくすと笑いながら、「じゃ、金欠病の由美香ちゃんに、アルバイト、紹介してあげようか?」
「ほんとに?」
「うん」香澄さんはうなずいた。「このお店ね、わりと人気があるから、クリスマスの時期とか、けっこう込むの。二十三日から二十五日までだから、ちょっと短いけど、臨時のアルバイト、しない? 去年までは私がいっていたんだけど、今年は勉強しなきゃいけないから、代わりの人、探してたんだ。よかったら、あとで声をかけておくけど?」
「するする! ぜひ、やらせてください!」
私は一も二もなく、香澄さんの話に飛びついた。どうせ、クリスマスの予定なんて入っていないんだ。稼げるときに稼いでおかなくちゃ。……あれ?
「香澄さん、うちの学校、『原則としてアルバイトは禁止』ってこと、知ってるよね?」
香澄さんは、いたずらな笑みを浮かべた。
「それをいったら、私が今、免許証を持ってるのだって、校則違反なんだけどね。ほんとは、免許とったら、免許証は学校に預けないといけないから」
「あー、いけないんだー」
私はにやりと笑った。「『風の丘』のチーズケーキセットで勘弁してあげる」
「そんなこといっていいの? あそこでアルバイトするんなら、久我さんも同罪なんだよ?」
「私はいいの。そんな立派な心構えで学校に通ってるわけじゃないから」
屁理屈を返して、私たちは顔を見合わせ、くすくすと笑いあった。
「久我さん、どうする? 私の運転でよかったら、家まで送ってあげるけど?」
香澄さんの言葉に、私はうなずいた。「うん。じゃ、お願いしようかな」
アルバイトのお金が入ったら、花束を買おう。私から、私へあてて。がんばった私へ、両手いっぱいの花束を。
久我由美香、十六歳。
今日は、こんなに元気です。
(両手いっぱいの花束を 了)
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