雪の精 ~Snow Fairy~

中富虹輔

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雪の精

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「あーあー、寒いと思ったら……」
 窓の外を見て、私はため息まじりにつぶやいた。窓から見える隣の家の屋根、道路、そして私の家の庭。
 とにかく、私の目に見える限りの光景すべては、うっすらと降り積もった雪に覆われていた。
 その上……。雪は、静かに降り続いていた。
 また、憂鬱な冬が始まってしまった。このまま布団の中で眠っていたい、という抗いがたい誘惑になんとか抵抗し、私は布団から這いずり出た。
 ……うわっ、寒い。
 あわてて、布団の上のはんてんを羽織って、はたと思い出す。
 いけない。クルマのタイヤを履きかえていない。部屋を飛び出して、階段を駆け下りた。台所へ行って電子ジャーのスイッチを入れ、玄関に向かう。
 下駄箱の奧に詰め込んである長靴をひっぱり出して、家の裏にある車庫へと駆けていった。車庫のシャッターを開け、車のキーを忘れてきたことに気づいて、家まで駆け戻ってキーを持ってくる。車のトランクを開けて工具とジャッキを取り出して、手近なところに放り投げると、車庫の奧に積んである、つぶでかクルミが埋め込まれたスタッドレスタイヤを、車の近くまで転がしていく。
 よく冷えたタイヤのゴムが、素肌にいたい。
 右後輪をジャッキアップしてから、まだタイヤのネジをゆるめていないことに気づき、自分の間抜けさに毒づきながら、私は再びジャッキを操作した。
 タイヤと格闘することおよそ四十分。ようやくタイヤ交換を終えた私は、ジャッキと工具をトランクの中にぞんざいに放り込み、トランクを閉じた。こういうときには、やはり父さんがいたときを思い出してしまう。
 早くいい男を見つけて結婚して、タイヤの交換くらいはやってもらおう。
 同時に頭の中に浮かんできた男の顔を無理矢理に追い払うと、ふと冷静に、「私はタイヤ交換をしてもらうためだけに結婚をするのか?」と、あほらしい考えを抱いていたことに気づいてしまった。それだったら、雪の降らない地方に引っ越しをする方がよほど現実的……でもないか。
 いけない。すっかり遅くなってしまった。これじゃあ、弁当を作っている時間がない。あいつのぶうぶういう顔が目に浮かんだけれども、そうしたら、「気をきかせて、タイヤの交換くらいはしに来い」とでもいってやろう。
 すっかり冷えてしまった両手に息を吐きかけながら車庫を出て、私はどきりとした。
 ……なんだ、これは?
 車庫を出たすぐ目の前。降り続ける雪が積もってきている地面に、それが落ちていた。
 はじめ私は、それをよくできた人形か何かかと思ってしまった。三十センチほどの身長。半透明の二対の羽。背中の半ば、ちょうど羽の付け根のあたりまで伸びている純白の髪と、純白のワンピース。
 ……妖精、ってやつだ。
 私は何気なしにそれを手にとって。
「ひゃぁっ!」
 ぐにゃりとした感触に思わず悲鳴を上げ、それを取り落としてしまった。
 それはぽとりと、うっすらと降り積もった新雪の上に落ち、小さく、うめき声を上げた。
 うそっ? これ、生きてる?
 私はその場にかがみ込み、おそるおそる、それの頬をつついてみた。眠っている……のだろうか。それは、私の指を嫌がるかのように、首を動かした。
 ……いけない。こんなことをやっている場合ではない。
 いくらなんでも、こんなところに長く寝ていて、健康にいいはずはないだろう。ひとまず私は、それを両手で慎重に抱き抱え、家の中に入った。
 居間から台所へ石油ストーブを運んできて火をつけ、やかんに水を入れ……よかった。水道、凍っていない……火にかける。毛布とタオルを運んで、ぐしょぐしょになってしまっていた妖精の服を脱がす……うっ、私よりスタイルがいいじゃないか……と、その身体と髪を拭いて、毛布でくるんだ。
 妖精の着ていた物の処置にちょっと困ってしまったけれども、ひとまず手でもみ洗いして、ハンガーに洗濯ばさみで吊しておくことにした。
 げっ、もう七時二十分? これでは、弁当をつくるどころか自分の朝食も危うい。……いや、朝食がどうのこうのという以前に、私の目の前の、この非現実的な存在をいったいどうしろというんだ?
 ……かくなる上は。
 私は決断した。
 会社、休もう。

 会社に「体調が悪いから」と休む旨を連絡し、スマホの通話を切断する。
 ……おっと、そうだ。あいつにも連絡しておかなければ。でないと、あいつのことだ。いつまでも来ない弁当を待って、駅前にたたずんでいるに違いない。
 私は、あいつの携帯を呼び出した。
「もしもし? 香摘です」
『おう、どうした、香摘? 風邪でもひいたか?』
 電話に出たあいつの声は、いつも通り気さくだった。
「……うん。ちょっと熱っぽくて。大したことないんだけど、大事をとって休むことにしたから。悪いんだけど、お昼、どこかで食べてもらえるかな?」
 さすがに「妖精を拾って、どうしたらいいかわからなくなったから休む」なんていっても、信じやしないだろう。
『ん。わかった。……じゃあ、車のタイヤ交換、してないだろ? 会社が終わったらそっちに行くから』
 一応、気にはかけてくれていたわけね。内心くすりと小さく笑い、「朝、変えちゃったんだ。最初は、会社に行くつもりだったから」
『そうか。じゃあ、暖かくして休めよ』
「うん。わかってる。ごめんね」
『今度の日曜、デートしてくれるなら勘弁してやろう』
「ばーか、なにいってんの? じゃ、切るからね」
 私は軽口で返して、スマホの通話を終了した。……デート、か。そういえば、最近はしていないな。
 子機をこたつの上に置いて、私は毛布の中の妖精に目を向けた。
 相変わらずこんこんと眠り続けている妖精。私は頬杖をついて、その姿をじっと見つめた。純白のストレートヘア。その髪の毛の間からはみ出している、ちょっととがった耳。髪の毛と同じ、純白の眉毛とまつげ……それから濡れた服を脱がせたときに見えてしまった下の毛も、やっぱり純白だった……。
 そしてほど良く整った卵形の顔と、かわいらしい、小さな鼻と口。
「かわいいなあ」
 思わずつぶやいてしまったのと、妖精の目がぱちりと開くのとは、同時だった。人間では、決して見ることのできない、緑色の瞳。私と妖精と、もろに目が合ってしまい、私たちは少しの間、そのまま硬直してしまった。
 先に反応したのは、妖精だった。
「ここ……は?」
 流暢な日本語。ひとまず、言葉の壁はクリアできたわけだ。
「ここは……」
 応えようとしてはたと気付く。この質問に対して、私はなんと応えればいいのだろう?『ここは日本だよ』? それとも……ええいっ、うまい言葉が見つからないじゃないか。
「サリュの丘じゃないよね?」
「とりあえず、そういう場所は、このあたりにはないけど……」
 応えると、妖精は、心からほっとした、というような様子の笑顔を見せた。
「よかったぁ……」
 ふむ。察するに、この妖精はその「サリュの丘」という場所から逃げてきた、のだろう。
「なんか、わけありみたいね」
 私は口を開いた。
「お腹、すいてない? あなたの口に合うかどうかは保証できないけど、食べるものならあるよ」
 妖精は小さくうなずいた。
「うん。お腹、ぺこぺこ」
「じゃ、ちょっと待っててね。あなたの服も、そろそろ乾く頃だと思うし」
 いいながら、私は立ち上がった。私の言葉で、ようやく妖精は、自分が裸で毛布にくるまれている、という事実に気付いたようだった。「きゃっ」と悲鳴を上げ、妖精は毛布を引っ張り上げた。
「見たの?」
 毛布の中に顔を半分かくして私に問うたその仕草の、またかわいいこと! にやにや笑いが漏れそうになるのをこらえながら、
「安心しなさいって。あなたの裸を見て欲情するようなシュミはないから」
 私の言葉に、妖精は、少しすねたような目を、私に向けてきた。私はくすくす笑いながら、台所へと足を向けた。ふと、この朝のどたばたのおかげで、私も朝食を取ることをすっかり忘れていたことを思い出した。
 みそ汁を温めなおし、スイッチの入りっぱなしだった電子ジャーのスイッチを切る。冷蔵庫の中を引っかき回して夕べの残りのおかずを見つくろい……しまった、夕べは外食したんだ。
 どうしようか迷って、結局私は残っていた卵で目玉焼きを焼いて、弁当のおかず用の冷凍惣菜を電子レンジで暖めた。あとは、冷蔵庫の中にかろうじて残っていた浅漬けを出してお盆に載せ……おっと、忘れるところだった。
 妖精の服と下着が乾いていることを確認して、私はそれを持って、居間へ向かった。

「おいしい?」
 私を見て、満足げにうなずいた妖精に、私は不覚にも、少しばかりの感動を覚えずにはいられなかった。……真一のやつ、最近はちっともうれしそうな顔してくれないんだもんなぁ……。
 だから、というわけでもないのだけれども。こんなふうに全身を使って感情をあらわすこの小さな、奇妙なお客に、私は、不思議な親近感を持ってしまっている自分に気付いていた。
 食事を終え、後かたづけを終えた私たちは、テレビもつけずに、静かに降り続く雪を外に見ながら、こたつの中でみかんを食べていた。
「ところでさ、あなた、名前は?」
 みかんの房の白いところをきれいにとってやり、それを妖精に手渡しながら、私は問うた。
 すると。
 妖精はあからさまに暗い顔をして、私からぷいと目を背けてしまった。
「……名前をいえない、事情でもあるの?」
 私が問うと、妖精はこくりとうなずき、小さな声でいった。
「名前を呼ばれると、私の居場所が知られちゃうから」
 ……さっきの、「サリュの丘」とかいう土地と関係していることなんだろう。
 何かわけありらしい、この妖精のその「わけ」を尋ねるのは簡単だけれども、私はあえてそうしなかった。かわりに私は、ことさら陽気に声を出した。
「じゃあ、さ。かわりに私が、あなたに名前を付けていいかな? あなたの名前を呼ぶと、あなたの居場所が誰かにわかっちゃうなら、ほかの名前なら、大丈夫なんでしょ?」
 私の申し出に、妖精は少しとまどったように私に顔を向けた。私はちょっと小首を傾げて、妖精に微笑みかける。「大丈夫」という意図をこめてのものだったけれども、それが彼女に伝わってくれればいいのだけれど。
「……たぶん、大丈夫だと思う」
 妖精は、少し自身なさそうにうなずいた。
「じゃ、決まりね」
 私の意図は伝わってくれたようだ。
 うなずいて、ちらりと窓の外に目を向けた。雪は相変わらず降り続いている。その雪の中に倒れていた、純白のワンピースを着て、純白の髪を持った妖精。私には、これ以外の名前は考えられなかった。
「スノウ、なんてどう?」
「スノウ?」
 そう。私はうなずいた。
「雪、っていう意味。あなた、朝、雪の中に倒れてたでしょ? だから、スノウ」
「雪?」
 初めて、妖精……スノウ……は、その事実に気付いたかのように、外に目を向けた。水滴の張り付いている窓ガラスの向こうで降り続く雪。
「これが……雪?」
 初めて、それを見るのだろうか。スノウは、呆然と、窓の外を眺め続けていた。
 それからどのくらいたっただろう。突然スノウは、
「雪に触りたい」
 といい出した。
「雪遊びだったら、もうちょっと積もってからの方が面白いんじゃない?」
 私はそう提案したのだけれども、スノウは「少なくてもいいから。雪、触ってみたい」と、まるで何かにつかれたかのように、じっと窓の外の雪を見ながらいった。
 ……何か、雪に特別な思い入れでもあるんだろうか?
「これが……雪……」
 もう一度つぶやいたスノウの声に、私は小さく苦笑した。
「じゃ、外にでてみようか」
 スノウは私の方に向き直り、なにやら奇妙に強ばった表情で、けれどもしっかりと、うなずいた。
 私は外に出られる格好に着替えて、スノウを伴って玄関を出た。
 ここが、昼間は人気の少なくなる住宅街で助かった。人通りの多い場所だったら、スノウが、どんなパニックを引き起こすのか、知れたものじゃない。
 私はスノウを肩にのせて、玄関を出た。
「寒くない?」
 スノウは、私が乾かした薄手の布地のワンピース姿のままだった。けれれども、寒さを感じないのか、それともこの程度の寒さ(「この程度」というには私には寒すぎるのだけれど)に耐性があるのか、スノウは首を横に振った。「うん、平気。こっちの方が、気持ちいい」
 ……この寒いのが、気持ちいい?
 妖精だから、少し、感じ方が違うのだろうか。
 私は、スノウを肩にのせたまま、家の裏手に回った。裏には、ちょっとした庭のようなものがあったからだし、それに……私の家の裏の夫婦は、共稼ぎで、少なくとも人目はさらに少なくなるはずだから。
 スノウは、私の言葉に応えてからずっと、雪の降り続く空に目を向けていた。
 裏庭に到着した私は、スノウがいったいなにを見ているのか、それが私にも見えるものなのかどうかを確かめるために、空を見上げた。
 と、そのとき。
 不意にスノウは、私の肩から飛び上がった。そして彼女は、空へ向かって大きく両腕を伸ばし、そのまましばし、空中で静止した。
 呆然とそれを見ていた私を意識してかそうでないのか、スノウは、宙に向けて差し上げられた手を、ゆっくりと身体の前へ伸ばし、その手を大きく左右に広げた。
 なに? これ?
 スノウは、両手を左右に広げたまま、自分の身体を軸に、くるくると何度か回転し、体を回すのをやめた彼女は、さらに宙高くへ舞い上がった。
 ……これ、もしかして……?
 ……何かの、踊り?
 踊り……で正しいのだろうか? それとも、舞、といった方がいいのだろうか? とにかく、スノウは妖精にしかできない、「宙を舞う」という動作を最大限に活用した、私たち人間では表現のしようのない、舞を舞い続けていた。
 その舞が表現するものは……踊りだのなんだの、そんな高尚な趣味を持ち合わせていない私にも、それはわかった……雪。
 はるか空から降り積もり、そしてはかなく消えてゆく雪。
 スノウが、その小さな身体すべてを使って表現しているのは、まさに私がつけた名前そのままに……雪だった。

 どのくらい続いたのだろう。
 とにかく、スノウの舞が終わったとき、私は、自分の身体が激しく暖を要求していることに気付き、それほど長い時間、自分が雪の中に立っていたことに、初めて気付かされた。
 私が大きく身震いするのと同時に。
 不意に、私の身体に、後ろから男物のコートが投げつけられた。コートは私の背中を覆うように直撃し、驚いた私は後ろを振り返り……
「しっ、真一っ? なんであんたがこんなとこにいるわけ?」
 私のすぐ真後ろ。足を踏み出してしまえばぶつかってしまいそうな距離にいた男に、私はほとんど条件反射的に、声をかけてしまっていた。
「なんだ、おまえ? 人が心配して見舞いに来てやったのに、そのいいぐさはないだろ?」
「見舞いって……あんた、会社はどうしたのよ?」
「免許の更新するから、有給取った」
「免許……あんた、今年からゴールドだって、この間自慢してなかった?」
 無事故無違反なら、免許証の更新なんてそうたいした時間もかからずに終わってしまうはずだ。仕事だって半休も取れば充分間に合うだろうに。
「たまには口実作って仕事さぼったっていいだろ?」
「そりゃ、そうだけど……」
 くそっ。弁当の心配して損したじゃないか。場違いなことで腹が立ってしまい、私は何かいってやろうと口を開いたけれども。
「おい、どうでもいいけど。はやく体を温めないと、ほんとに風邪ひいちまうぞ」
 私の言葉を制して真一はいって、すたすたと、宙に浮いたまま荒い息をついているスノウまで近づき、彼女を無造作に掴むと、その胸に抱き寄せた。
「とりあえず、このかわいい女の子、おれにも紹介してくれるんだろ?」
 にこりと微笑んだ真一に、私は返す言葉を失った。

 朝、目覚めてからスノウと出会うまで。そしてスノウが「雪に触りたい」といい出して、外に出たこと。私は一通りのことをかいつまんで話した。
 当のスノウは、雪の中での舞に相当な体力を使ったのだろう。くうくうとかわいい寝息をたてて、真一の腕の中で眠っている。
「へーえ」真一は、さして驚いた、という様子も見せずにうなずいた。
「さしずめ、雪の精、ってとこか?」
 私はぽかんとして、真一を見た。雪の精。いわれてみれば、その通りだ。雪の中に倒れていた純白の妖精。雪の降る中で、雪をあらわす舞を舞った妖精。これを「雪の精」といわずしてなんといおう。
 思わずまじまじと真一の顔を見つめてしまい、「どうした? おれの顔に、何かついてるか?」真一に問われ、ようやく私は我に返った。
「えっ? あ、あの……」
 返す言葉に詰まってしまった私に、真一はいたずらな笑みを向けた。
「やっと、おれの男前に気がついたんだろ?」
 ……。
 暖かいはずの室内に、木枯らしが吹いていったような気がした。
 私は、盛大にため息をついた。まったく、このくだらない冗談をいう癖さえどうにかしてくれれば、こいつも友人たちに見せびらかしたくなるくらいの男になっているだろうに……。ちょっとでも感心してしまった私が馬鹿だった。
 すっかり気力の萎えてしまった私に頓着した様子もなく、
「ああ、そうだ」
 真一は何かを思いだしたらしく、こたつから出て、腕の中のスノウを私に手渡した。「ちょっと待ってろ。見舞い持ってきたの、すっかり忘れてた」
 いい置いて居間を出て行った真一と入れ替わるように、スノウが目を開け、あまり焦点の定まっていない視線を、私に向けてきた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
 私の言葉に、スノウは首を横に振り……ここでようやく頭がはっきりしてきたようで、驚きの表情を私に向けてきた。
「……私……?」
 続けて口を開きかけたスノウだったけれども、がらりと開いた居間の障子に、その言葉は遮られてしまった。
 やってきたのはもちろん真一で……な、なんだぁ?
 真一は、一抱えもあるような花束を持っていた。……それも、真っ赤なバラの。
「あっ……あんた……」
 絶句してしまった私に、
「どーだ、すごいだろ?」
 真一は自慢げに微笑んだ。すごい……確かにある意味ではすごいことだ。けれども。
「なんでたかだか『軽い熱』に、そんなご大層な見舞いが出てくるわけ?」
「え? バラは好みじゃなかったか?」
「そういう問題じゃなくて……」
「いやー、ボーナスが思ったよりもいっぱい出たからな。ちょっと奮発してみたんだ」
 うれしそうに話す真一に、私はそれ以上何かをいうのをあきらめた。
「ありがと。心からのお見舞い、ありがたく受け取っておくわ」
 真一は満足げにうんうんとうなずき、「喜んでもらえて、おれもうれしいよ」応えて、私の腕の中で、目を覚ましたスノウに気付いたようだった。
「お、お姫様のお目覚めだな」
 真一の言葉に、スノウが、ぎゅっと身体をかたくしたと思ったのは、私の気のせいだったのだろうか。その真偽を確かめる間もなく、真一は花束からバラを一本抜き取ると、スノウの目の前に差し出した。
「初めまして、スノウ。ぼくのお近づきの印、受け取っていただけますか?」
 スノウはぽかんと真一に目を向けていたけれども、やがてくすりと笑うと、そのバラを受け取った。
「ありがとう。……それから、初めまして」
 丁寧にお辞儀を返したスノウは、私の顔を見上げた。
「……あの、ええと……」
 何かいいよどんでいたスノウは、けれどもすぐに、意を決したようだった。
「香摘、私の舞、どうだった?」
 どう……って……。私は返答に窮し、けれども、どうやらスノウが、心の底から私の評価を待っているらしいことはわかったので、私は、正直に思ったことをいうことにした。
「すてきだったよ。すごく。私は、踊りとか、あんまりそういうのに詳しくないから、あんまり上手に評価はできないけど、スノウの踊りは……なんていうのかな……その、感動した」
「ほんとに?」
「ほんとに」
 私はうなずきを返した。
「もしかして、サリュの丘からは、その踊りが原因で、逃げてきたのかな?」
 続けて問うた私に、スノウの表情は一瞬強ばったけれども、スノウはその強ばった表情のまま、うなずきを返した。
「あの……あの、私ね……」

 スノウは、サリュの丘というところに住んでいる。そこは、いってしまえば海と大地の間にある世界だの、空に月と地球が浮かぶ世界だの、そんなところと同類の……いわゆる「別世界」というやつだ。
 サリュの丘では、雪は特別な存在。
 なぜなら、サリュの丘の住人たちは、皆、この雪から生まれ、そして雪にかえってゆくから。
 その特別な存在である雪の中でも、初雪というものは特に重要なのだそうで、その時期が訪れると、サリュの丘の住人たちは、初雪を呼ぶ儀式を行うのだ。
 その儀式のクライマックスで用いられるのが、私たちの目の前でスノウが踊って見せた舞で、これを踊る資格があるのは、去年の初雪の時、一番はじめに生まれた妖精だけ。
 スノウは、その資格を持っている……これを舞姫と呼ぶとのこと……のだ。
 もちろん、サリュの丘に生を受けてから、スノウはこの日のために厳しい練習を積んできた。けれどもスノウは、土壇場になって、自分にそんな大役が務まるはずがない、と、サリュの丘を逃げ出してしまったのだ。

 このことを話しながら、スノウは次第に重要な役目から逃げ出してしまった、という罪悪感にとらわれてしまったのか、ぼろぼろと涙をこぼしはじめてしまい、最後にはべしょべしょと泣きながら、「サリュの丘を逃げ出した」と、私に告げた。
「ふーん、じゃ、スノウはこっちに来て大正解だったわけだ」
 さっきまで黙ってスノウの話を聞いていた真一が、唐突に口を開いた。言葉の意味が理解できなかったのか、スノウは涙で腫れぼったくなった目を、ぽかんと真一に向けた。
「こっちに来なきゃ、スノウは、自分の舞に自信のないまま、雪呼びの舞を舞わなきゃいけなかった、ってことだろ? おれは途中からしか見てないから、まあ、何ともいえないけど、スノウの舞が上手で、本当に真剣だ、っていうことは伝わったよ。
 ……ほら、ここに、二人もスノウの舞はすばらしい、っていっている人間がいるんだから。きっと、そのサリュの丘の他の人も、スノウの舞を見てきれいだ、とかって思うんじゃないかな?」
「……でも……でも、舞姫の舞は、きれいなだけじゃだめなんです。舞姫の舞は、雪呼びの舞だから……」
「なあ、香摘?」
 不意に話を振られ、私はどきりとして真一の方に目を向けた。「な、なに?」
「ばーか、なにそんなに驚いてんだ?」真一は、私をちゃかすように微笑み、「今年の冬は暖冬だって、予報、いってたよな?」
「……え? あ、そうだっけ?」
 そういえば、天気予報で初雪は遅れるとか遅れないとかいっていたような……。
「あ、うん、そうだ。確か、そんなこと、いってたね。初雪も、年内は無理じゃないか、とかって」
「それなのにさ、まだ十一月だってのに初雪が降った、ってのは……スノウ、おまえがこっちに来たからじゃないのか?」
 ……またむちゃくちゃな。そんな理屈が通るのなら……いや、それならそれで、そう思った方が楽しいんじゃないか? 妖精が運んできた初雪、なんて。ちょっとロマンティックじゃないか。
「そうだね。きっと、スノウが来なかったら、こっちの初雪も、ちょっと遅れたかもね」
 たぶん、私たちがなにをしているのかに気付いたのだろう。スノウは、不安げな視線を私たちに向けてきた。
「……香摘、私……」
「もっと自信を持ちな。自信を持ってまっすぐに進めば、ちゃんと結果は出てくれるよ」
 私に変わって、真一が応えてくれた。スノウは、私から真一へ視線を動かし……そして力強くうなずいた。
「ありがとう、香摘。私の舞を見てくれて」
 まだ少し自信なげな、けれどもどこか力強い笑みを浮かべ、スノウはいった。私はスノウに微笑みかけ、何か励ましの言葉をかけてやろうと思ったけれども、適当なのが思いつかなかったので、力強く彼女にうなずきかけてあげた。
 スノウもまたうなずき、そして私の目をじっと見つめて、
「あのね、私の名前は……エリィ、っていうの」
 私は、もう一つうなずいた。
「そっか。本当の名前を教えてもらって、嬉しいよ。エリィ。がんばってね」
 次の瞬間。
 スノウ……エリィのまわりを、いくつもの光が取り囲んだ。その光の一つ一つの中心に、エリィと同じ姿をして妖精たちがいて……なるほど、本当の名前を呼ばれると、居場所が知られちゃう、か。
 妙なことに感心している私の目の前で、いくつもの光に包まれた雪の精は、その姿を消した。

「意外だったなぁ。真一も、まともなこともいえるんだね」
「おまえ、人のことをなんだと思ってんだ?」
「……腐れ縁の幼なじみ。父さんが死んだことを知って、わざわざ慰めに来てくれたお節介焼き。それから……」
 私は、思いつく限りの、真一に関することを並べ立てた。
「……そーか、おまえはおれのことをそんなふうに思っていたのか」
「全部事実じゃない」嘘泣きをする真一に、私は冷たくいい放った。
 ……ま、「自信を持ってまっすぐに進んだ結果」を、出してあげてもいい頃だろう。私は不思議と、おおらかな気分になっていた。
「ところでさ、真一?」
「なんだよ? これ以上、おれをいじめようってのか?」
 私は苦笑を返した。
「違うってば。どうせあんたも一人暮らしでしょ? お昼と晩御飯くらい、私のとこで食べてけば?」
 しばしの沈黙。
「……どういう風の吹き回しだ? 香摘がそんなことをいうなんて?」
「とりあえず、花束のお礼と……」
 いおうかどうかさんざん迷った末に、私は決断した。どうせこいつのことだ。こっちからいい出さなければ、ほんとに昼御飯と夕御飯だけ食べて、さっさと家に帰ってしまうだろう。
「たまには私だって、男の胸の中で眠りたくなることだってあるってこと」
 いうだけいって、私は立ち上がった。このままここにいたら、私の頬が少し火照っていることを、感づかれてしまうだろう。
「さーてと、お昼の支度でもしようかな」
 わざとらしく声を上げて、顔を見られないように注意しながら台所を出る。
 私は、来年は、あいつにタイヤ交換をしてもらえるのかな、と、妙に場違いなことを考えていた。

 その夜。
 私のお腹の中に新しい命が宿ったのだけれども、もしかしたらそれは、スノウが、雪とともに運んできた子供だったのかもしれない。

 それから三ヶ月後、私の妊娠を知った真一が大騒ぎしたことは、また、別の話だ。
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