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プロローグ
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夜の闇の中、セルマは眼前に立つ姉を見つめていた。月の灯りが、二人の黒髪を静かに照らす。
白銀の魔法使い。その称号を得た姉の実力は、長年ともに暮らしてきた妹として、そして同じ師を持つ魔法使いとして、十分すぎるほどに知っている。
右手の杖を身体の前で構え、いつでも魔法を発動できる姿勢を取っているセルマに対し、姉はその称号の証である白銀の杖を構えようともせず、ただじっと、彼女を見つめていた。
身動きができない。
自分よりも優秀な魔法使いたちが束になってかかっても姉を止めることができなかったのだ。自分一人で、そんなことができるわけがない。
心の中の冷静な部分がそう告げていた。
けれども。
姉の暴挙を未然に防ぐことができなかったのは、未然に気付くことができなかったのは自分なのだ。だからせめてその責任は……。
――たとえ、差し違えてでも。
自分の中の弱気な部分を心の隅から無理矢理に追い出し、セルマは決意を固めた。たとえ白銀の魔法使いであろうとも、自分の持つ魔力すべてをぶつければ、なんとかなるのではないか。
セルマは息を吐いた。
杖を握る手に力を込め、身体の中の魔力を杖へと集中させようとした、その時。
「そこをどいて、セルマ」
静かに、姉が口を開いた。
いつもと変わらぬ、おだやかな口調で。
いつもと変わらぬ、おだやかな表情で。
「姉さん!」
杖を構えたまま、セルマは姉を呼んだ。
「まだ間に合うわ、姉さん。姉さんが奪ったものを返して、やったことを悔い改めてくれれば……」
「もう、間に合わないのよ」
白銀の魔女はおだやかに、セルマの言葉を遮った。
「私はもう、里の人たちを何人も殺めてしまった。今さらこれを元に戻したところで、私の罪が許されることはないでしょう?」
「姉さん!」
セルマはもう一度、姉を呼んだ。
「お願い。もうこんなことはやめにして。そんなものがなくたって、姉さんが優秀な魔法使いだって、みんな認めているじゃない。それ以上、いったい何をしたいっていうの?」
セルマの必死の訴えは、けれども姉の心を揺さぶった形跡はなかった。白銀の魔女は、小さく首を横に振る。
「みんなに認められればいいとか、そんなことじゃないのよ、セルマ。あなただって魔法使いの端くれなら、そのくらいのことはわかるでしょう?」
「だからって……」
セルマの言葉は、横から割り込んできた声によって途切れた。年老いた、けれどもその老いには飲み込まれていない男の声。
「だからといって、禁忌にまで手を出してよいと教えたつもりはなかったのだがな、セシル」
セルマとセシル、二人の視線が声の方へ向く。二人は同時に「師匠」と声を出していた。
「この期に及んでも、私のことを師匠と呼んでくれるのかね?」
闇をかき分けて、その声にふさわしい容姿を持った男が現れた。真っ白になった髪を短く刈り込み、背筋を伸ばして直立しているその姿は、とても齢七十を越えた老人には見えない。
老人は目を細めて、セルマを見た。
「セルマ、白銀の魔法使い相手に、よく頑張ったね。あとは私に任せておきなさい」
ねぎらうようにいって、ゆっくりと、白銀の魔女へと目を向ける。
「セシル。君が奪ったその石がなんであるかは、もちろん知っているね?」
その声は、あくまでも穏やかだった。
セシルは杖を握っていない左手を使い、掌で包み隠せるほどの大きさの球体を懐から取り出した。球体は、淡い青色の光を放っている。
「オムニの宝珠。強力な魔力を秘めた珠。そしてフェルト山の麓、封魔殿に封印された魔人の封印の鍵、でしたね」
応える声は落ち着いている。自身の師であり、そして同等以上の力を持つ魔法使いを目の前にしてもなお、その表情に動揺の色は見えなかった。
「では、君はその宝珠を手にして、何を為そうというのかね?」
ごくわずかな間をおいて、白銀の魔女は口を開いた。
「おわかりでしょう。師匠なら」
「魔人サイフェルトの復活、かね?」
老人の言葉は静かだった。
「魔人を復活させてどうしようというのだね? 二千年前のように使役しようというのか、それとも魔人の力を我がものにしようとでも?」
数瞬。何かをためらうような沈黙があり、やがてセシルは静かに口を開いた。
「師匠には、関係のないことです」
「ないことはないぞ。魔人の封印を守るのは、この国の魔法使いに課せられた使命なのだからな。それを破ろうというからには、相応の覚悟をしてもらわねばならん」
「承知の上です」
二人のやりとりを見守りながら、セルマは里の他の魔法使いたちに思いを馳せた。
姉や師に及ばずとも、里にはセルマよりも優秀な魔法使いは何人でもいる。そういった者たちがここで援護に来てくれれば、姉の愚挙を押しとどめることができるのではないか。
セルマは対峙している二人の魔法使いを見つめながら、それとなく周囲を探った。しかし、期待しているものが、こちらに近づいてくる気配はない。
そして、援軍を待つ時間もないままに、姉と師の交渉は、決裂した。
「セルマ、下がっていなさい」
師の言葉は穏やかだった。その言葉に従うべきか迷っていると、白銀の魔法使いの杖から青みを帯びた光が放たれた。光は魔法使いの杖の動きに合わせてその方向を変え、師とセルマの両者へと襲いかかる。すんでの所でその一撃を躱し、セルマは師へと目を向けた。
老魔法使いが、杖を構えている。その後方、セシルの魔法を受けた木が一本、真っ二つに裂けていた。裂け目は炭化し、ぶすぶすといやな音を立てている。
「やりおるのう。白銀の称号は、さすがに伊達ではないか」
老魔法使いはにやりと笑った。対するセシルの表情は変わらない。
「師匠、もう一度いいます。このまま、私を通してください」
「何度いわれても答えは同じだぞ、セシル。ここを通りたければ宝珠を置いて……ぬおっ」
師の言葉が終わらぬうちに、セシルが動いた。老魔法使いの足下、地面がぼこりと盛り上がる。老魔法使いはよろめきながらも二、三歩後ずさったが、そこを中心に、周囲の地面が地響きとともに数十メートルの距離に渡ってせり上がってゆく。
それはセルマの足下にまで達し、彼女もまた慌てて後方に跳び退いた。セルマの鼻先、ほんの数センチのところをかすめ、猛烈な勢いで土の壁が出来上がっていく。
壁は瞬く間に数メートルの高さにまで達し、その向こうにいるはずの姉の姿を隠してしまった。一瞬、魔法の規模の大きさに呆気にとられたセルマだったが、彼女はすぐに姉の意図に気付いた。
「師匠!」
大声で呼ばわり、師へと目を向ける。
「わかっておる!」
返事はすぐに返ってきた。その声に、珍しく苛立ちの色が混じっている。
「セルマ、こっちに来て力を貸してくれ。私一人ではどうにもならん」
老魔法使いは、壁に向かって躍起になって杖を振っていた。どのような魔法を使っているのかは判然としなかったが、その魔法が、そそり立つ土壁に対してはさして効果を上げていないのは明白だった。
セルマは返事をして、師の元へ駆け寄った。
白銀の魔法使い。その称号を得た姉の実力は、長年ともに暮らしてきた妹として、そして同じ師を持つ魔法使いとして、十分すぎるほどに知っている。
右手の杖を身体の前で構え、いつでも魔法を発動できる姿勢を取っているセルマに対し、姉はその称号の証である白銀の杖を構えようともせず、ただじっと、彼女を見つめていた。
身動きができない。
自分よりも優秀な魔法使いたちが束になってかかっても姉を止めることができなかったのだ。自分一人で、そんなことができるわけがない。
心の中の冷静な部分がそう告げていた。
けれども。
姉の暴挙を未然に防ぐことができなかったのは、未然に気付くことができなかったのは自分なのだ。だからせめてその責任は……。
――たとえ、差し違えてでも。
自分の中の弱気な部分を心の隅から無理矢理に追い出し、セルマは決意を固めた。たとえ白銀の魔法使いであろうとも、自分の持つ魔力すべてをぶつければ、なんとかなるのではないか。
セルマは息を吐いた。
杖を握る手に力を込め、身体の中の魔力を杖へと集中させようとした、その時。
「そこをどいて、セルマ」
静かに、姉が口を開いた。
いつもと変わらぬ、おだやかな口調で。
いつもと変わらぬ、おだやかな表情で。
「姉さん!」
杖を構えたまま、セルマは姉を呼んだ。
「まだ間に合うわ、姉さん。姉さんが奪ったものを返して、やったことを悔い改めてくれれば……」
「もう、間に合わないのよ」
白銀の魔女はおだやかに、セルマの言葉を遮った。
「私はもう、里の人たちを何人も殺めてしまった。今さらこれを元に戻したところで、私の罪が許されることはないでしょう?」
「姉さん!」
セルマはもう一度、姉を呼んだ。
「お願い。もうこんなことはやめにして。そんなものがなくたって、姉さんが優秀な魔法使いだって、みんな認めているじゃない。それ以上、いったい何をしたいっていうの?」
セルマの必死の訴えは、けれども姉の心を揺さぶった形跡はなかった。白銀の魔女は、小さく首を横に振る。
「みんなに認められればいいとか、そんなことじゃないのよ、セルマ。あなただって魔法使いの端くれなら、そのくらいのことはわかるでしょう?」
「だからって……」
セルマの言葉は、横から割り込んできた声によって途切れた。年老いた、けれどもその老いには飲み込まれていない男の声。
「だからといって、禁忌にまで手を出してよいと教えたつもりはなかったのだがな、セシル」
セルマとセシル、二人の視線が声の方へ向く。二人は同時に「師匠」と声を出していた。
「この期に及んでも、私のことを師匠と呼んでくれるのかね?」
闇をかき分けて、その声にふさわしい容姿を持った男が現れた。真っ白になった髪を短く刈り込み、背筋を伸ばして直立しているその姿は、とても齢七十を越えた老人には見えない。
老人は目を細めて、セルマを見た。
「セルマ、白銀の魔法使い相手に、よく頑張ったね。あとは私に任せておきなさい」
ねぎらうようにいって、ゆっくりと、白銀の魔女へと目を向ける。
「セシル。君が奪ったその石がなんであるかは、もちろん知っているね?」
その声は、あくまでも穏やかだった。
セシルは杖を握っていない左手を使い、掌で包み隠せるほどの大きさの球体を懐から取り出した。球体は、淡い青色の光を放っている。
「オムニの宝珠。強力な魔力を秘めた珠。そしてフェルト山の麓、封魔殿に封印された魔人の封印の鍵、でしたね」
応える声は落ち着いている。自身の師であり、そして同等以上の力を持つ魔法使いを目の前にしてもなお、その表情に動揺の色は見えなかった。
「では、君はその宝珠を手にして、何を為そうというのかね?」
ごくわずかな間をおいて、白銀の魔女は口を開いた。
「おわかりでしょう。師匠なら」
「魔人サイフェルトの復活、かね?」
老人の言葉は静かだった。
「魔人を復活させてどうしようというのだね? 二千年前のように使役しようというのか、それとも魔人の力を我がものにしようとでも?」
数瞬。何かをためらうような沈黙があり、やがてセシルは静かに口を開いた。
「師匠には、関係のないことです」
「ないことはないぞ。魔人の封印を守るのは、この国の魔法使いに課せられた使命なのだからな。それを破ろうというからには、相応の覚悟をしてもらわねばならん」
「承知の上です」
二人のやりとりを見守りながら、セルマは里の他の魔法使いたちに思いを馳せた。
姉や師に及ばずとも、里にはセルマよりも優秀な魔法使いは何人でもいる。そういった者たちがここで援護に来てくれれば、姉の愚挙を押しとどめることができるのではないか。
セルマは対峙している二人の魔法使いを見つめながら、それとなく周囲を探った。しかし、期待しているものが、こちらに近づいてくる気配はない。
そして、援軍を待つ時間もないままに、姉と師の交渉は、決裂した。
「セルマ、下がっていなさい」
師の言葉は穏やかだった。その言葉に従うべきか迷っていると、白銀の魔法使いの杖から青みを帯びた光が放たれた。光は魔法使いの杖の動きに合わせてその方向を変え、師とセルマの両者へと襲いかかる。すんでの所でその一撃を躱し、セルマは師へと目を向けた。
老魔法使いが、杖を構えている。その後方、セシルの魔法を受けた木が一本、真っ二つに裂けていた。裂け目は炭化し、ぶすぶすといやな音を立てている。
「やりおるのう。白銀の称号は、さすがに伊達ではないか」
老魔法使いはにやりと笑った。対するセシルの表情は変わらない。
「師匠、もう一度いいます。このまま、私を通してください」
「何度いわれても答えは同じだぞ、セシル。ここを通りたければ宝珠を置いて……ぬおっ」
師の言葉が終わらぬうちに、セシルが動いた。老魔法使いの足下、地面がぼこりと盛り上がる。老魔法使いはよろめきながらも二、三歩後ずさったが、そこを中心に、周囲の地面が地響きとともに数十メートルの距離に渡ってせり上がってゆく。
それはセルマの足下にまで達し、彼女もまた慌てて後方に跳び退いた。セルマの鼻先、ほんの数センチのところをかすめ、猛烈な勢いで土の壁が出来上がっていく。
壁は瞬く間に数メートルの高さにまで達し、その向こうにいるはずの姉の姿を隠してしまった。一瞬、魔法の規模の大きさに呆気にとられたセルマだったが、彼女はすぐに姉の意図に気付いた。
「師匠!」
大声で呼ばわり、師へと目を向ける。
「わかっておる!」
返事はすぐに返ってきた。その声に、珍しく苛立ちの色が混じっている。
「セルマ、こっちに来て力を貸してくれ。私一人ではどうにもならん」
老魔法使いは、壁に向かって躍起になって杖を振っていた。どのような魔法を使っているのかは判然としなかったが、その魔法が、そそり立つ土壁に対してはさして効果を上げていないのは明白だった。
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