白銀(ぎん)の魔女

中富虹輔

文字の大きさ
2 / 13
第1章

第1章 魔女を追う者

しおりを挟む
 白銀の魔女の残した土壁の魔法は、あとから集まってきた里の魔法使い十人あまりが協力してようやく打ち消すことができたが、オムニの宝珠を奪った魔法使いの姿は、当然のように消え去っていた。
 里の被害も甚大だった。宝珠を取り返そうと果敢に挑んだ者はことごとくが返り討ちにあい、六人は無惨な屍をさらすことになった。かろうじて生き残ることができた者でも、当分は動くこともできない重傷を負っている。
「やれやれ、やってくれおったなあ」
 ため息混じりに師が呟いた。被害の報告をまとめた羊皮紙が、二人の前にうずたかく積み上がっている。
「すみません。私が姉さんの言動にもっと注意を払っていれば……」
「白銀の魔法使いがあんなことをするなど、誰も予想はできんよ」
 羊皮紙の束を持ち上げながら、レイバーグはセルマの言葉を遮った。
「色々あって疲れたろう。今日はもう休みなさい」
 時刻は、すでに深夜を回っている。姉がしでかしたことの償いが少しでもできればと、この時間まで頑張っていたが、もうセルマにできることは多くはなさそうだった。
 自分を気遣ってくれているのだろう。師の表情はいつもと変わらずおだやかだった。いつもと変わらぬ師の姿を見ていると、この偉大な魔法使いに任せてしまえば、どれほど難しい問題であろうとたちどころに解決してしまうような気にさえなってくる。
 けれども。
「大丈夫です。まだ、なんでもできます。大変な時ですし。急がないと、姉さ……オムニの宝珠を取り返すこともできなくなってしまうでしょうし」
 セルマの強がりにレイバーグは微笑んだ。きみの考えていることはわかっている。師の目がそういっている。
「セシルのことなら心配ない。すぐに手は打つし、明日の早朝にはこの里からも追跡隊を出すつもりだからね」
「追跡隊ですか?」
 師の言葉に、セルマの気ははやった。追跡隊の一員に加わりたい。そして姉を諫め、できうることならばその愚行をやめさせたい。
 そこまで思いを馳せたところで、セルマは厳しい現実に目を向けざるを得なかった。
 白銀の称号を持つ姉を追い、その手から宝珠を奪い返す。それができるのは、多少なりともその魔力に抗しうる能力を持った者に限られる。
 それは相当に厳しい条件だった。自分がその条件を満たしているか、と問われれば、悩む間もなく「否」と応えなければならない。自分が三流の、並以下の魔法使いでしかないことは、自分自身が一番よくわかっていた。
 ――私は、やきもきしながらここで師匠と姉さんの帰りを待つことしかできないのだろう。
 セルマは落胆しながら、師が「そうだ」とうなずくのを聞いていた。
「できることならセルマ、君には私とともにセシルの追跡についてきてほしいのだよ。そのために、今日はなるべく早く休息をとって、英気を養っておいてもらいたいのだ」
 セルマはぽかんと師の顔を見つめた。
 師の言葉があまりにも予想とかけ離れていたため、にわかにはその言葉を信じることができなかった。
「本当、ですか?」
 ようやくそれだけの言葉を出すと、レイバーグは小さく笑った。
「危険な旅になるだろうしな。行きたくないのなら、無理に行かなくともよいのだぞ?」
 何もかもをわかっていて、彼女を焚きつけるかのように。師はいたずらっぽくいった。
「行きます。行かせてください」
 セルマは椅子を蹴倒して立ち上がった。レイバーグは、その答えに満足したように微笑む。
「そういってくれると思っていたよ。さあ、そういうわけだから、今日は早めにお休み。明日からは、たぶん長旅になるだろうからね」
「わかりました」
 セルマはうなずいて、その場を辞した。まだどこかから負傷者のうめき声が聞こえてきそうな里の中を、家へと向かう。
 里の被害は甚大だったが、幸いにも、セルマが姉とともに住んでいた家は無事だった。彼女は家を破壊された里の者のために部屋を開放すると、自室へと入った。
 師の言葉に従って、早く休もうと床についたが、彼女の頭の中を様々な思いが去来し、なかなか寝付くことができない。
 なぜ、姉さんはあんなことをしたのだろう。
 姉さんは、どこへ向かうのだろう。
 姉さんの追跡隊に入れてくれるという、師匠の言葉は本当なのだろうか。
 その言葉は方便で、追跡隊は彼女が目を覚ますずっと前……もしかしたら今夜にでも、出発してしまうのかもしれない。
 その可能性は大いに有り得たし、自分が同行を許されない理由も、いくらでも思いついた。
 そしてまた、横になって頭が冷めてくると、様々な不安も頭をもたげてくる。
 私は、姉さんを説得できるのだろうか。
 説得ができずに戦いになってしまったとき、私は、姉さんを相手にすることができるのだろうか。
 そして……私が姉さんの命を奪わなければならない状況になったとき、本当にそれができるのだろうか。
 自分の中で不安ばかりが大きくなっていくことに気付いて、セルマは少し慌てて、心を平静に保とうと努めた。
 心の動揺は、そのまま魔法の不安定化につながる。魔法使いとしての修行を始めたときに一番最初に教えられることで、心を平静に保つ訓練は、いついかなる時でも欠かしてはならないと厳命されている。
 それが重要なことであるというのは頭ではわかっていた。しかし、どうにもセルマはそれが苦手だった。
 ――こんなことじゃ、追跡隊のみんなに迷惑をかけてしまう。
 セルマは、自分を遠巻きにして見つめている不安な気持ちを視界の外に追い出すため、大きく深呼吸をした。
 一度、二度、三度。
 四度目の深呼吸で、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
 ――大丈夫。今は休もう。師匠もいっていた。「明日からは長旅になるだろう」って。
 セルマは目を閉じ、やがて静かな眠りへと落ちていった。

 眠りは浅く、セルマは明け方、陽の昇る前に目が覚めていた。部屋を出て、空いた部屋で雑魚寝をしている魔法使いたちを起こさぬように気を使いながら、家の外に出る。
 空は明るく白み、東の空には朝日が顔を出していた。
 明け方の里は、静寂に包まれている。陽の光の下で見ると、姉が魔法使いの里に残していった傷痕が、生々しく浮かび上がってくる。木っ端微塵に破壊された建物。折れた木。地面に穿たれた穴。
 里が元の状態に戻るには、相当な時間が必要だろう。
 大きく息をついてもう一度周囲を見回すと、右手から、人影が歩いてくるのが見えた。歩き方や背格好で、彼女はすぐに、それが師であることに気付いた。師はゆったりとした足取りで、こちらへ向かっている。
 昨夜の心配が杞憂だったことに、少しだけ安堵した。師の姿から目を離し、八割方姿を現した朝日へと目を向け直す。
「あまり眠れなかったのかね? そろそろ、迎えに行こうと思っていたところだ」
 師が彼女のすぐ隣で立ち止まって声をかけてくるのと、太陽が昇りきるのは同時だった。セルマは老魔法使いの方へ向き直り、「はい」とうなずいた。
「色々と考えていたら、なかなか寝付けませんでした」
「無理もなかろうな」
 老魔法使いは小さく微笑むと、先ほどまでセルマが見ていた方へ、顔を向けた。
「それで、色々と考えても、決意は揺るいでいないかね?」
 長いつきあいである。師は、セルマの心の揺れを、敏感に見抜いているようだった。
「……はい」
 わずかな間をおいて、セルマは応えた。
「よろしい」
 レイバーグは、目を細めてうなずいた。
「一応、確認しておこうかね。君は今後兄弟子であり、実の姉でもある魔法使い、セシルと事を構えることになっても、ためらうことなく、彼女に魔法の刃を向けることができるね?」
 はっとして、師の顔に目を向ける。
 それは、遅かれ早かれ、第三者に対して明確にしなければならない宣言だった。その問いに対して要求されている答えはたったの一つ。そして、そこに躊躇があってはならない。
 迷いや躊躇いは、自分自身のみならず、自分と行動をともにする者の生死にまでかかわってくる。
 今彼女に求められているのは、いざというときに肉親の情に流されることなく、冷徹に為すべきことを為す、集団の中の一員という立場を貫くことだった。
「はい」
 もう一度、セルマがうなずくと。
「よろしい」と、レイバーグは破顔した。
「だがもちろん、それは最悪の事態が起きたときのことだ。私としてもあたら優秀な魔法使いを失うのは本意ではないし、できうるなら、ことを穏便に済ませたいと思っているのだよ。そのために、危険を承知で君を連れていくのだからね」
 自分の実力は重々承知している。だから、師が望んでいる自分の役割については、なんとなく予想はできていた。
「全力を尽くします」
 セルマは、こわばった表情でうなずいた。師は「それでいい」と微笑んで、
「早速で悪いが、そう時間も多くはない。身支度をして、里の門に集合ということにしたいが、大丈夫だね?」
 セルマは「はい」と応え、「では後ほど」という師の背中を見送った。
 家に戻って旅装を整え、杖を手に取る。特殊な金属に特別な魔力を込めて作られる、魔法使いの杖。その製法は限られた者にのみ伝えられる、秘中の秘とされている。それ故に決してその数は多くはなく、能力に劣る者、独り立ちしたばかりの者は、他の魔法使いが使っていたものを譲ってもらうことも多い。
 セルマの杖も、姉が白銀の称号を得た際に、それまで使っていたものを譲り受けたものだった。姉以外にも相当数の魔法使いがこれを握ったのだろう。杖には、大小無数の傷が刻まれている。
「姉さん……」
 セルマは、杖を見つめて呟いた。
 脳裏に、姉と過ごした日々が去来する。
 落ちこぼれていた彼女に、わかりやすく魔法の手ほどきをしてくれた時のこと。どうやってもできなかった魔法を完成させるために、姉が辛抱強く、何日もつき合ってくれた時のこと。
 なぜ、姉があのようなことをしたのか。
 結局、問題は最後にはそこに行きついた。
 ――姉さんに追いつけば、その答えは出るのだろうか。
 大きく息を吸い、そして吐き出す。
 ――姉さん。私は姉さんを追います。
 セルマは杖から目を離すと、ゆっくりと、最初の一歩を踏み出した。

 里の入口には、レイバーグともう一人、こちらも主に若手の指導に当たっているモリーという魔法使いが立っていた。里の実力者の大半が重傷を負っている中、被害を受けていない者に、彼ほどの魔法使いが残っていたのは僥倖といえよう。
 それから少し遅れて、若手の中でも力の強い魔法使いが二人やってきた。一人はアイクという名の魔法使いで、セルマと年齢も近く、何度か言葉を交わしたこともあった。がっしりとした体格で、どこか遠方の国のものらしい、セルマの美的センスからはかけ離れた、ひどく派手な柄の服を着ているのが印象的な男だった。
 もう一人は、名前こそ知らなかったが、姉の補佐役として、よく一緒に行動しているところを見たことがあった。イルンと名乗ったその男は、同期の魔法使いの中では、姉に次ぐ実力の持ち主だという。
「といっても、セシルにはとても遠く及ばないけどね」
 端整な顔立ちの金髪の魔法使いは、涼やかに笑った。
 挨拶を交わしたところで、レイバーグが「さて」と口を開く。
「これから我々は白銀の魔法使いを追うわけだが……」
「ちょっと待ってください」
 セルマは、慌てて師の言葉を遮った。レイバーグは怪訝な顔で彼女へと目を向ける。
「あの……こういうのは失礼かもしれませんが、姉を……白銀の魔法使いを追うのに、これだけの人数ではあまりに少なすぎるのではないのですか?」
 無尽蔵の魔力を秘める宝珠を手にしたセシルを相手に、いかに優秀な人材が揃っているとはいえ、わずか五人ではさすがに心許ない。
「君の危惧はもっともだね、セルマ」
 レイバーグは、小さな微笑みを浮かべた。
「確かに、セシルの魔力は強大だし、それに対抗するには、ここに集まってもらった者だけでは、人員が不足していることも、残念だけれども認めなければならない」
 なにしろ、夕べさんざんにやられてしまったからね、と、レイバーグは苦笑しながら付け足した。
「だからといって、打つ手は何もない、というわけではないのだよ。この国には、あと三つの魔法使いの里があるのだし、私たちが組織だって動くことは禁止されているとはいえ、国の政治に関わるな、という決まりはないのだからね」
「それでは、今後何かしらの支援がある、と考えてよろしいのですね?」
 アイクの野太い声がレイバーグに向けられる。老魔法使いは「もちろんだとも。それについては、あとで説明しよう」とうなずいて、もう一度場の全員を見回した。
「他に質問はないかね? なければ、これからのことを説明したいと思うが」
 レイバーグの問いには、沈黙で応えられた。少しの間、老魔法使いはその場にいる者の発言を待つように皆を見回していたが、やがて「それでは」と、奇抜な着衣の魔法使いへと目を向けた。
「アイク。オムニの宝珠を奪ったセシルが、次に目指すのはどこだと思うかね?」
 唐突な質問に、アイクはいささか面食らった様子を見せたが、数秒ほど、何かを考えるかのように沈黙したあと、
「白銀の魔法使いは、魔人サイフェルトの復活を目論んでいると聞きました。とすれば、彼女が次に目指すのは、西の魔法使いの里だと思います」
 ふむ、とうなずいて、レイバーグは再びアイクに問うた。
「その根拠は?」
「魔人サイフェルトの復活には、この里に保管されていたオムニの宝珠ともう一つ、西の里に保管されているジアスの宝珠を必要とするからです」
「大変よろしい」
 レイバーグは満足げにうなずいた。続けて、その隣に立つ金髪の魔法使いに目を向ける。
「ではイルン。白銀の魔法使いは、ここから西の里まで、どのような道を使うと思うかね?」
 イルンが「そうですね……」と思案顔を浮かべるのを見て、セルマも自分なりの解答を思い描いてみた。
 このアルクフェルトの国は、国土のほぼ中央にフェルト山をいただき、その周辺に都市や町村が点在している。セルマたちの住む東の魔法使いの里は、文字通り国の東端に位置し、西の魔法使いの里も、同様に国土の西のはずれにひっそりと存在している。
 単純な距離であれば、東の里から西の里へ一直線に向かうのが最も短いが、そのためにはフェルト山と、その裾野に広がる広大な森を抜けなければならない。それは時間がかかるばかりでなく、森で迷ってしまえば自身の生命さえも危うくなる。
 安全に西の里へ行こうと思えば、フェルト山の北か南を迂回する道を選ぶことになるわけだが、そのいずれも距離、安全度ともにさして変わりばえはしないはずである。
 結局セルマは結論を出すことができなかったが、金髪の魔法使いには、彼女とは違う考えがあるようだった。
「セシルは、フェルト山を南回りに進むと思います」
 イルンはまっすぐにレイバーグを見つめ、自信たっぷりにいった。その声にはわずかな迷いも含まれてない。セルマには、姉と同年代の魔法使いがそういい切るだけの根拠は一体何なのか、想像もつかなかった。
「ほほう。では、その根拠は何かね?」
 おもしろそうに、レイバーグは問うた。
「はい。セシルは、まずは南の魔法使いの里を目指すでしょう。あそこには、旧代の魔法使いたちが遺した転移魔法装置があったはずです。それを使えば、西の里へわずかな時間で行くことができますし、南の里の魔法使いたちは、直接的な攻撃や防御の魔法はあまり得手でない人が多いですから、彼女一人の力で里を制圧するのも容易だと思われます」
 イルンの言葉は淀みなく、理にかなっており、なんの疑問を挟む余地もないように思われた。
 魔法使いの里のことを考慮に入れなかったのは盲点だった。セルマは北の里にも思いを巡らせた。
 東西の魔法使いの里が、魔人サイフェルトの封印に関わる宝珠を保管し、南の里が旧代の魔法使いの遺産である転移魔法装置を管理している。それと同様に、北の里にも、やはり旧代の魔法使いの遺産が遺されていた。
 魔導の籠手。
 かつて魔法使いたちは、魔法を発現させるための媒体として、杖以外の様々なものを用いていた。その中でも籠手は「腕が自由になる」などの理由から多くの魔法使いが用い、広く出回っていたという。
 また当時は、現在では考えられないほどに強力な魔法を発現させることのできる媒体も研究されていた。
 北の里に保管されている籠手は、その研究の成果の一つだった。それを使えば、同じだけの魔力でより強力な魔法を発現させることができるという。
 ――姉さんが、それを目当てに北の里へ行く必要はあるだろうか。
 確かに、籠手によって得られる強大な魔力は魅力的である。姉が本気で魔人の復活を目論み、自分の制御下におこうというのなら、その魔力は強力な武器となるだろう。
 しかし、籠手は北の里の魔法使いたちの監視下にある。そして彼らは、レイバーグからの連絡を受け、籠手の警備を強化しているはずである。そのような危険を冒さずとも、姉は白銀の名を与えられるほどの魔力を、すでに持っているのだ。
 ――姉さんは、南へ向かう。
 セルマはイルンの意見が正しいと確信した。しかし、
「私とモリーは、白銀は北へ向かうと思っているのだよ」
 師の言葉は、それを軽々とひっくり返した。師へと目を向けたセルマは、老魔法使いが、状況を楽しんでいるかのように、小さな笑みを浮かべていることに気付いた。金髪の魔法使いはよほど自信があったのだろう。大きく目を見開き、声にこそ出さなかったものの、口が「え」の形に開いてしまっている。
「どどどどういうことですか、それは?」
 口もまわらなくなってしまうほどの勢いでイルンは問うた。レイバーグは金髪の魔法使いの顔をにやにやと見つめ、
「まあそう慌てんでもよろしい。根拠はな、北の里にある魔導の籠手だ」
 セルマは師の言葉を少々意外に思い、「よろしいですか?」と、自分の意見を口にした。レイバーグは、セルマの言葉をうんうんとうなずきながら聞き、白銀の魔法使いの実の妹からの援護射撃を、イルンもまた真剣な表情で聞いていた。
 セルマが説明を終えると、レイバーグは最後にもう一度、大きくうなずいた。
「二人とも、大変いい推測だ。だが、我々の推測にも根拠があってね。まず一つ目に、セルマの考えたとおり、魔人サイフェルトを服従させるためには、強力な魔力を得る必要があること。そして二つ目だが、私たちは、彼女がオムニの宝珠の魔力を利用しようと考えているのではないか、と思っているのだよ」
 二つの宝珠に封じ込められている莫大な魔力。その魔力を有効に使うには、……たとえそれが白銀のものだったとしても……現在の魔法使いたちが持つ杖では、能力が不足している。
 仮に魔人の封印を解くことに失敗したとしても、宝珠の魔力と、その魔力を強力な魔法へと現出させることのできる魔導の籠手とがあれば……。
 純粋な魔力であれば、白銀の名を持つ魔法使いならば制御することは容易だろう。むしろ制御できるかどうかもわからない魔人などよりも、よほど扱いやすいともいえる。
 それを考えれば、厳重に警備されている魔法使いの里を強襲し、籠手を奪うというのも、決して悪くはない選択だった。
 ――結局、姉さんがどっちに行ったかを決める確実な手がかりはない、ということね。
 セルマは師の顔を見つめながらもう一度、姉ならばどうするか考えてみたが、その決め手になるような材料を思いつくことはできなかった。
「それで、結局我々はどうするのですか?」
 わずかな沈黙の後、奇抜な衣服の魔法使いが口を開いた。
「このまま議論を続けていても、白銀の魔法使いとの差はどんどん開いていくだけのように思えるのですが」
 レイバーグはアイクに目を向けた。
「それもまた正しい意見だな。では、そろそろ私たちの行動について説明しよう」
 前置きして、老魔法使いはその場に立つ魔法使いたちをぐるりと見回した。
「我々の方針だが、白銀の魔法使いと真っ向から事を構えるつもりはない。まず第一に、我々だけでは戦力が不足していること、そして可能ならば、白銀の翻意を促したいからだ」
 ――そのために、私はここにいるのだから。
 師の言葉を聞いて、セルマの表情はこわばった。レイバーグが息をつき、もう一度、一同を見回す。その目がセルマの方を向いたとき、師が小さく微笑んだような気がした。セルマははっと師を見つめ返したが、その目はすぐに彼女を通り過ぎてしまった。
「そして、白銀の魔法使いがどの道を通って西の里を目指すかわからない以上、少々危険ではあるが、我々は二手に分かれて、彼女を追おうと思っている」
 二手に分かれる。
 ただでさえ少ない人数をさらに二つに分けてしまって大丈夫なのか。不安が頭をよぎり、セルマはすぐ隣りに立っていたイルンと目を見合わせた。
「無論、君たちの不安は私もモリーも感じている。だが、現状ではそれが一番だろう、という結論に達したのだよ」
 君たちの考えている事はわかっている。師の声と表情はそういっていた。
「それに、あまり不安がる必要もない。他の魔法使いの里からも支援は受けられる手はずになっているし、全軍というわけにはいかないが、国でも軍を動かして白銀の捜索に当たってくれることになった。また、その一部が、我々に合流してくれることになっている」
 ひゅう。
 口笛を吹いたのは、金髪の魔法使いだった。
「たかだか一人の魔法使いを相手に、ずいぶんと大事になってしまいましたね」
 レイバーグは、イルンの言葉にため息交じりに苦笑した。
「まったく、その通りだよ。さて、組分けだが私とセルマが南の里へ、モリーとアイク、そしてイルンの三人は、北の里へ向かってもらいたい」
 順当で無難な組分けだ。セルマは思った。魔力ではレイバーグに劣るモリー師の元に、若手の優秀な魔法使いを補佐としてつけることで総合力を均等にし、白銀の魔法使いの説得役として、実妹のセルマと、同期のイルンとをそれぞれの組に配する。あとから合流するという援軍を含めれば、事態がどういう方向に進むにせよ、それなりに対応はできるだろう。
「何か、異論はあるかね?」
 レイバーグはぐるりとその場を見回したが、セルマを含めて、異議を唱える者はなかった。
「よし、それでは出発するとしよう。長い旅になるやもしれぬし、非常な困難が伴うことは予測できる。気を引き締めてかかってくれたまえ」

 すぐに姉の姿を見つけることができる、などと期待していたわけではなかった。
 けれども、なんの手がかりもないまま無為に日数ばかりが過ぎていくのは、やはり気分のいいものではない。
 自然、歩みは速くなりがちだった。ふと気づくと、師を何十メートルも先行している、といったことも度々で、またもセルマは、うっかり師を置いてきぼりにしてしまっていた。
 立ち止まってレイバーグを待っていたセルマだったが、ふと、師が周囲を窺うように、あちこちに顔を向けていることに気づいた。
 周囲を窺うというよりは、何かを探しているようにも見える。そのためか、師の歩みはいつにも増して遅い。
 ようやく師が彼女の元にたどり着いた。
「おかしいな」
 首を捻る師の呟きを聞いて、セルマは「どうかなさったのですか」と問うた。レイバーグは「うむ」と渋い顔をして、
「実はな、このあたりで軍から派遣された部隊と合流する予定だったのだが……」
 いいながら、老魔法使いはもう一度周囲を見回した。
「まさか約束をすっぽかすような連中でもないだろうしな」
「本当にこのあたりなのですか? もう少し先で待っているとか、そういうことでは」
「まあ、その可能性もないとはいえんがな」
 まさか道に迷っているわけではあるまいな。レイバーグは呟いたが、さすがにいくらなんでもそれはないだろう。有事には国の防衛に当たらなければならない軍人が、道を間違うなどということがあったら、それこそ大問題である。
「まあいい。もう少し先へ進んで……」
「待ってください。何か来ます」
 セルマは師の言葉を遮った。
 街道を西から、小勢の集団が一つ、こちらへ向かってきている。その身なりなどから、付近の農村の住民や旅の商人などではないのは明らかだったが、だからといってその集団が本当に国からの援軍なのか、セルマは確信が持てなかった。
 レイバーグも、すぐにその集団に気付いたようだった。
「なんとまあ。あれではまるで敗残兵ではないか」
 集団の様相は、レイバーグの呆れ半分、驚き半分の言葉が端的に物語っていた。まだいくらかの距離があるものの、寄り添うように歩いている小集団の足取りが重く、力無いのは見て取れる。
 やがて集団が近づいてきて、その姿をより鮮明に捉えることができるようになった。
 負傷していない者はない。集団の人員のほとんどが、腕や足、頭などに包帯を巻いた痛々しい姿をさらしていた。それよりも少し遅れて、数人の人間が荷車を押しているのが見えたが、その荷車に乗せられている人物はさらに悲惨な状態だった。頭から足先まで包帯が巻かれ、その包帯も広い面積にわたって赤黒い模様が浮き上がっている。見ているだけで、こちらまであちこちが痛くなってしまう。セルマは思わず顔をしかめた。
 ほどなくして、集団もこちらに気付いたようだった。男たちは何かを話し合い、やがてその中から、比較的負傷の小さい一人の男が前に出てきた。大柄で、日に焼けた肌。真四角な顔に短く刈り込んだ髪。鎧の類は身につけておらず、短衣からむき出しになっている太い腕は、しっかりとした筋肉で引き締まっている。しかし、その左腕と左の太ももに巻かれている包帯が痛々しい。
 男は小走りにセルマたちのところへ駆け寄り、二人の近くで立ち止まった。
「あんたが、魔法使いのレイバーグさんかい?」
 男の声には、思っていたよりも覇気があった。
「いかにも」
 レイバーグは鷹揚にうなずいた。
「では、君たちが国から派遣された援軍ということでいいのかな?」
「ざまぁねえけどな」
 男は自嘲気味に応え、ちらりと後ろを振り返った。
「大の男が十人がかりで、細っこい女となまっちろい男を相手にこのざまだ」
 相手が悪かったのだよ。レイバーグは男を慰めるともなくそういって、小さく首をかしげた。
「いま、生白い男といったな?」
 ああ、と男はうなずいた。
「女の方は、連絡のあった白銀の魔法使いだろう。白銀の杖を持っていたからな。男の方は、めっぽう腕の立つ棒術使いでな。白銀の奴の魔法とそいつの棒術で、正規の訓練を受けてる軍人十人がきりきり舞いだぜ」
 その時のことを思い出しでもしたのか、男は「畜生」と毒づいて、後方の負傷者たちを手招きした。男たちがのろのろとやってくるのを視界の端にとらえながら、セルマは師へ目を向けた。
「姉さんはこちらの道を選んだ、ということでしょうか」
「彼の話によれば、そういうことになるかな」
 レイバーグは何かを考えている様子でうなずいた。
「ちいと急がんと、手遅れになる可能性もあるな。それに、彼のいっていた棒術使いというのも気になる。セシルがどこかでそのような者を仲間に引き入れたのだとしたら、これはますます、油断がならなんぞ」
 そうですね。セルマはうなずいて、目線を師から目の前の男へと移した。男は、こちらに向かってくる負傷兵たちへ目を向けている。
 この男も相当な手練れなのだろうし、彼のいうとおり、その仲間たちも十分に訓練か実戦を積んだ戦いのプロフェッショナルのはずだ。そのような兵士たちが、……その片方が白銀の魔法使いとはいえ……たった二人を相手に手玉に取られてしまったというのは、相当に衝撃的なことだろう。男たちの足取りが重くなるのも無理はない。
 やがて兵士たちが到着すると、男はセルマたちの方へ向き直った。
「俺はハーディ。この部隊の隊長代理だ。一応、あんたらの支援を命令されてはいるが」
 そこまでいって、ハーディは後方を顎でしゃくった。
「ご覧の通りの惨状だ。士気はがたがただし、まともに動けるのは俺一人って有り様でね」
「相手が悪かったのだよ。仕方あるまい」
 レイバーグは、同じ言葉を繰り返した。
「それで、どうするね? そのような部隊では、私たちを支援するどころか、逆に支援が必要なのではないかね?」
 そうなんだよ。ハーディは唸った。
「まあ、さすがにあんたらの支援を受けるのは、こっちも職業軍人の矜持ってもんがあるからな。そっちの方はてめぇらでなんとかするにしても、とてもじゃないがあんたらの支援まではな」
 だからといって、今から別の部隊に支援を要請しても、対応は遅くなっちまうだろうし、と続けて、ハーディは真顔で、
「で、一つ提案があるんだがな」
「伺おう」
 レイバーグは即答した。
「ま、難しいことじゃねえよ。見ての通り、この部隊でまともに動けるのは俺一人だ。だからといってこれから別の援軍を呼んでいる時間もない。で、だ。あんたらを支援するのは、俺一人でもかまわないか?」
 なるほど、そういうことか。レイバーグは納得した様子でうなずいた。
「自分でこういうのもなんだが、俺は役に立つぜ。棒術野郎には後れはとっちまったが、それだって白銀の奴がいなけりゃ、どうとでもなってたさ」
「それはまた頼もしいな」
 レイバーグは楽しそうに笑い、唐突にセルマへと目を向けた。
「セルマ、君はどう思うね?」
「私、ですか?」
 セルマは困惑して師を見つめた。
 師の意図がつかめない。自分が意見したところで、それが何かの判断材料になるとも思えなかった。返答に困ってハーディに目を向けると、戦士はこちらに向けて片目を閉じてみせた。その仕草の意味がわからず、セルマは慌ててハーディから目をそらした。
 とりあえず、師の問いに応えなければ。セルマは目の前の戦士に同行してもらうことの利益と不利益とを秤にかけた。
「私は、ハーディさんにだけでも、ついてきてもらったほうがいいと思います。ねえ……白銀の魔法使いが、武術の達人を仲間に加えたというのであれば、私たちだけでは、手に余ってしまうでしょうから」
「こんなじいさんと若い娘だけでは、屈強な兵隊十人をこてんぱんにした棒術使いなんぞにかかれば、一捻りだろうからなあ」
 レイバーグは呵々と笑い、ハーディに目を向けた。
「そういうわけだ。ハーディどの。よろしく頼むぞ」
「ハーディでいいぜ、じいさん。それじゃあ、報告してくるから、ちょっと待っててくれ」
 仮にも魔法使いの里の長を「じいさん」呼ばわりするハーディの態度に、セルマは一言文句をいってやろうと思った。しかし、ハーディはさっさと彼女に背を向け、荷車に横たえられている重傷の男の元へと歩み寄ってしまった。感情の持って行き場をなくしたセルマは師へ顔を向けたが、じいさん呼ばわりされた当の本人は気分を害した様子もなく、ハーディの様子を見ている。
 すぐに師は、セルマの視線に気付いたようだった。彼女へと目を向け、小さく微笑みを浮かべる。
「あまり細かいことに目くじらを立てていては、大成できんぞ」
 自分の考えていることなどお見通しなのだろう。セルマは毒気を抜かれて「はあ」とうなずき、ハーディへと目を向け直した。
 ちょうど荷車の上の男と話しを終えたハーディと、視線がぶつかってしまう。戦士はにやりと笑い、セルマは慌てて視線をそらした。
「隊長が、話しをしたいそうだ。ちょっと来てくれ」
 ハーディが手招きをする。その言葉に応えてレイバーグが歩を進め、セルマもその後に従った。
 間近で見る隊長の痛々しい姿をセルマは正視することができなかったが、レイバーグは動じた様子もみせず、荷車を見下ろしている。
「このような醜態を見せてしまい、申し訳ない」
 隊長は、ようやく聞き取ることができるほどの、かすかな、かすれた声でいった。
「お気になさらずに。相手が悪かったのですよ」
 レイバーグは応えると、隊長に目線を会わせるように、その場に膝を落とした。
「このような形の支援しかできなくて申し訳ないが、ハーディは我々の部隊でも一番の戦士です。きっと、レイバーグ様の力になってくれることでしょう。タフな男ですから、少々荒っぽく使っていただいても構いません」
 ひでえなあ、隊長。ハーディが横から茶々を入れてきたが、荷車の上の男は、それに応えている余裕はなさそうだった。
「どうか、目的を完遂されますことを、お祈りしております」
「お心遣い、痛み入ります。我々の起こした不始末、必ずや解決いたします」
 レイバーグの言葉が終わる前に、隊長は意識を手放してしまっていた。レイバーグは少しの間、片膝をついた姿勢で重傷を負った男を見つめていたが、やがてゆっくりとハーディへと目を向けると、彼を見つめたまま立ち上がった。
「急いで設備の整ったところへ運んでやらんと、手遅れになるぞ」
「わかっている」
 ハーディは短く応えると、思い思いの姿で休憩をしている兵士たちに向かって声をかけた。
「そういうわけだ。俺はこのじいさんたちと一緒に白銀野郎を追うから、お前たちは予定通り、エルン砦へ向かってくれ。隊長のことは、よろしく頼むぞ」
 比較的余力のある人員から、「わかりました。ご武運を」と返事が返ってきた。ハーディは少しの間、のろのろと出発準備を始める部隊の様子を見ていたが、やがてそこから目を離し、レイバーグへと目を向けた。
「時間もあんまりないんだろう? ぐずぐずしてねえで、さっさと出発しようぜ」
 それが賢明だな。老魔法使いはうなずいた。
「では、出発しようか」
 セルマは「はい」と応え、兵士たちの視線を感じながら、ハーディらの後を追った。

 ――こんな男の同行を認めるんじゃなかった。
 歩き始めて数時間で、セルマは自分の思考を激しく後悔することになった。
 後方に見えていた部隊の姿が小さくなったあたりで、ハーディは「よろしくな」とセルマに声をかけ、それから延々と――。
 彼女を質問攻めにしたのである。
 生まれはどこか。なぜ魔法使いになろうと思ったのか。魔法使いの修行は厳しくないのか。
 初めのうちは、「旅の仲間のことを知ることも必要だろうから」と律儀に質問に応えていたセルマだったが、やがて質問の内容が髪の手入れの方法……それでも、「きれいな髪だな」などといわれれば、悪い気がしなかったのは事実だったが……や服の好みなどに言及しはじめたあたりから「何かがおかしい」と感じ始め、それが「恋人はいるのか?」「なら惚れてる男はいないのか?」という質問に至ったところで、ついに彼女の我慢も限界に達した。
「いい加減にしてください! 恋人や好きな人のあるなしが、ねえ……白銀の魔法使いを追うのに何か関係があるっていうんですか?」
「そんなに怒るなよ。美人が台無しだぜ」
 大声を出したものの、ハーディは平然とそれを受け流す。その飄々とした態度がますます癇にさわって、セルマは少し後ろを歩いている師を振り返った。
「師匠も何かいってやってください。いくら腕が立っても、こんなに緊張感に欠けているのなら、姉さんたちに返り討ちにあうのも当然です」
「まあ、そうかりかりするな、セルマ」
 苦笑混じりにレイバーグはいった。セルマは立ち止まって、師が自分の隣に並ぶのを待つ。数瞬遅れて、ハーディもまた足を止めた。
「戦士というものはな、いざ事が起きれば、常に死と隣り合わせという、極限の状態を強いられる。そのような中、弛められるところで弛めておくというのも、彼らにとっては必要なことなのだよ」
 師の言葉を聞きながら、セルマはハーディとは目を合わせないようにして歩き始めた。ハーディもまた、二人が並ぶのに合わせ、再び足を進める。
「わかってるじゃねえか、じいさん」
「だてに七十年も人間をやっておらんよ」
 呵々と笑う師の声を聞きながら、セルマは口をとがらせて歩いていた。確かに師のいうことももっともだろう。だからといって、他人のことを根ほり葉ほり尋いてもいい、などということにはならないはずだ。
 ひどく歳の離れているはずの二人の男は、妙に馬が合うようで、そんなセルマに気付いているのかいないのか、無駄話が弾んでいる。
 それがハーディの戦歴や、戦場で得た武勲といった話であれば、多少なりともセルマも何か感じるものもあったのだろう。しかしその内容といえば、あそこの町のどの料理がうまいだの、あっちの町のこの宿の看板娘がべっぴんだ、だのといった、本当にどうでもいい話ばかりだった。
 聞き耳を立てずとも耳に入ってくる埒もない言葉の応酬に、セルマは次第にハーディばかりでなく、師に対しても苛々が募ってきた。
 ――師匠も師匠だ。緊張感がなさ過ぎる。
 一度火がついてしまうと、今度は思い出される師の言動のあれこれにも不満がわき上がってくる。セルマは二人の言葉をなるべく耳に入れないように努めながら、大股で歩き続けた。
 真横から聞こえてきていた声が少しずつ後方へと下がっていっても、意識的にそれを聞かないようにしている彼女は、それに気付くことはなかった。
 やがて。
「おうい、ちょっと待てや」
 声をかけられて、ようやくセルマは自分がずいぶんと二人から先行してしまっていることに気付いた。立ち止まってふり返り、二人が歩みを早めてこちらへやってくるのを待つ。
「気がはやるのはわかるけどよ、あんまり焦っても、意味はねえぜ」
「わかっていますっ」
 ハーディの言葉につんけんと返し、セルマは再び歩き始めた。
 おおこわ。ハーディはそのようなことはまるで思ってもいないような口調でいうと、
「白銀の魔法使いって、お前の姉貴なんだってな」
 セルマははっと戦士の顔を見た。ハーディは、意を得たとばかりににっと笑った。
「どうなんだ? 姉貴が極悪人で、それを追っかける気分ってのは?」
 セルマは目をそらし、顔を伏せた。
「私は……姉さんがあんな事をしたのは、何か理由があってのことだと思っています」
「そりゃ、なんの理由もなしに魔人の封印を解こうなんざ思いやしねえよな、普通」
 ハーディの指摘に、セルマは返す言葉を持たなかった。沈黙を続けていると、
「お前から見て、その姉貴ってのは、そんなことはしそうにない奴だったんだな?」
 セルマは「はい」と断定した。
「セシルは、白銀の名に恥じない、優秀な生徒だったよ」
 彼女の言葉を引き継ぐように、レイバーグが口を開く。
「性格は、そうだな。物静か、というのが一番しっくりくるかな。魔法使いとして優秀なのはいうまでもないことだが、面倒見もよかったから、若い連中……まあ、あいつも相当に若い部類ではあるがな……には慕われていたよ」
「やさしい仮面の下に、悪魔の顔を隠してました……」
「姉さんはそんな人じゃありません!」
 セルマは語気も荒く、ハーディの言葉を遮った。その勢いに驚いたのか、ハーディは目を丸くして彼女を見つめていたが、やがて小さく息をついて肩をすくめ、
「わかったよ。お前さんがそういうんなら、そうなんだろうさ」
 それだけをいって、口を閉ざした。
 それまで延々としゃべり続けていた男が唐突に無口になってしまうと、それはそれで奇妙な気がする。少し歩いてから、セルマはちらりと戦士に目を向けてみたが、その表情からは、なんの感情も読みとることはできなかった。
 周りが静かになってしまうと、苛々や怒りの感情が、少しずつ落ち着いてくる。
 ――だから私はだめなんだ。
 ハーディに対して感情の制御ができなかったことを、ようやく反省できるだけの余裕が出てきた。
 ――師匠はきっと、私のことを呆れて見ていたのだろう。
 内心でため息をつき、歩を進める。
 そのまま三人は、しばらく無言のまま歩き続けていたが、やがて唐突にハーディが口を開いた。
「なんだかえらく姉貴にご執心みたいだけど、そんなに姉貴が大切なのか?」
「それは……もちろんです」
 ハーディの方は見ずに応える。
「私が幼い頃に、姉妹二人で魔法使いの里に来てからずっと、姉さんと二人だけで生活していたんです」
「姉貴が親代わり、ってことか。そりゃ執着も湧くわな」
 でもよ。ハーディは少しの間をおいて続けた。
「いつまでも姉さん姉さんじゃ、いつになっても独り立ちはできねえぜ。子供はいつかは親元を離れていくんだ。お前だって、もう立派な大人じゃねえか。どこかで、親離れしなきゃいけない時は来るぜ」
「わかっています」
 セルマは短く応えた。
 そんなことは、今さらいわれるまでもなく、もうとっくにわかっている。
 ハーディの視線がこちらに向いていたが、セルマはそれに気づかないふりをしてうつむいた。
「そのくらいのことは、わかっています」
 セルマはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「なら、いいんだけどよ」
 ハーディは小さく息をついて、「ところでよ、セルマ」
 その声はひどく真剣で、セルマは思わず顔を上げ、ハーディの方へと目を向けた。ハーディが我が意を得たとばかりににやりと笑い、
「お前さんはそんなにべっぴんなんだ。お前の姉貴も、かなりもてたんじゃないのか?」
 真面目な話を振っておいて、本当に聞きたかったのはそんなくだらないことだったのか。
 セルマの中で、何かが切れる音が聞こえたような気がした。
「そんなこと、私が知っているわけないでしょう!」
 セルマは大声で怒鳴り、そして金輪際、この男と何か話をするのはやめてやる、と心に誓った。

 セルマの誓いは破られることのないまま数日が過ぎた。
 道中は順調でこれといった障害もなかったが、それは同時に、白銀の魔法使いセシルの影もまったく感じられない、ということでもあった。
 三人の足取りも自然と速くなってはいたが、先行するセシルとの距離が詰まったという手応えもなければ、逆に広がったという気配もない。
 セルマは、焦燥感にじりじりしている自分を、どうしても抑えることができなかった。
 そんな焦りをわかっているのかいないのか、「腕が立つ」と自称する戦士の無駄口はいっこうに減らず、それもまた彼女を苛立たせる原因にもなっていた。この男を怒鳴りつけてやろうと思い、そのたびになんとか自制する、ということを、もう何度も繰り返している。
 結局この日もなんの収穫もないまま陽が沈み、三人は野営の準備を始めた。道沿いに適当な開けた場所を見つけ、火をおこし、簡素な夕食を取る。
 このまま道のりが順調なら、明日の昼過ぎには南の魔法使いの里へ到着するだろう。
 ――私は、こんなところでのんびりと休憩していていいんだろうか。
 セルマは焚き火を見つめながら、姿の見えぬ姉へと思いを馳せた。
 出発時点で、姉との間にはほぼ半日の差があった。その差が詰まりも開きもしていないとして、単純に考えれば、白銀の魔法使い一行は、明日の朝には南の里に到着しているということになる。
 無論、南の里でも備えはしているだろうが、相手が相手である。さらに、めっぽう強いという棒術使いまでが加わっているのだ。里の魔法使いが力を合わせればセシルの魔法に対抗することはできるかもしれないが、彼らの中に武術の心得がある者がいることを期待するのは、あまりにも都合がよすぎるだろう。
 考えれば考えるほどに状況の悪さばかりが浮かび上がってくる。
 こんなところで休憩をしているくらいなら、今は多少無理をしてでも、道を先に行くべきではないのか。
「師匠」
 セルマは意を決して、師へと顔を向けた。自分でも思っていた以上に深刻な声が出る。その声に感じるものがあったのか、レイバーグもまた真面目な視線をセルマへと返した。
「南の里も近いことですし、ここでこうしているよりも、道を先へ進んだ方がいいのではないですか?」
「俺も、嬢ちゃんの意見に賛成だな」
 炎の脇で剣の手入れをしていたハーディが口を開いた。
「当座の目的地は近いんだ。ちっと強行軍になるが、対応が遅れるよりはましだと思うぜ」
 ふむ、と声を返して、レイバーグはハーディ、そしてセルマへと目を向けていった。
「私としては、このまま無理をして先に進んで、全力を出すことができないような状態でセシルと事を構えるのは得策ではないと思っているのだがね」
「それも一理あるけどな」
 ハーディは応えて、剣から目を離した。
「知ってるか、じいさん。戦いってのはな、早い方が有利なんだよ。戦争をのんびりやって勝てた国は、世界中探してもどこにもねえんだぜ」
「そのくらい、私だってわかっとるわい」
 馬鹿にするな、といった調子で、老魔法使いは鼻を鳴らした。
「南の里にだって有能な者はいる。確かに魔力ではセシルに劣るかもしれんが、私たちが到着するまで、あいつを押さえておけないことはないはずだ」
「でも姉さんには、腕の立つ棒術使いが仲間になっているんですよね? 里の魔法使いは、姉さんの魔法を防ぐことはできても、棒で殴られたらひとたまりもないのでは」
 セルマの指摘に、珍しく老魔法使いは黙り込んだ。
 炎がはぜる音だけが響く中、ややあってから、レイバーグはゆっくりと口を開いた。
「私も、それは考えていないわけではないのだよ、セルマ。……ただね。ハーディには『甘い』といわれるかもしれんが、私は、信じたいのだよ」
「信じるって、何を?」
 問うたのは、老魔法使いの言葉で引き合いに出された当人だった。
「セシルは、何かやむにやまれぬ事情があって宝珠を奪わざるを得なくなってしまっただけで、本当は、なんとかして私たちに止めてもらいたいと思っているのではないか、とね」
「それで、俺たちが里に着くまで、白銀は里に近づくことはないだろうってか? 甘えな」
 ハーディはレイバーグの予想を裏切らない言葉で締めくくった。老魔法使いは「確かに、自分でも大甘だと思っておるよ」と小さな苦笑を返し、大きく息をついた。
「今回は、君たちの意見に従うとしよう。出発の準備を」
「はい」
 セルマはうなずき、立ち上がった。
 準備といったところで、さしてすることもない。火を消して、それほど多くはない荷物をまとめ、三人は夜の街道へ戻った。
 空を見上げれば月は明るく、整備された道を歩くだけならば不便はない。しかし、それでは不十分と感じたのだろう。レイバーグの指示で、セルマは杖に明かりを灯し、先頭に立って歩き始めた。
 一行の足は、自然、速くなっていった。そうして、一時間ほども歩いた頃。
「おい、ありゃなんだ?」
 最初にそれに気づいたのは、ハーディだった。セルマの脇をすり抜け、魔法使いの里へと通じる道の向こうを凝視する。セルマは手元の明かりをそちらの方へ向けてみたが、ハーディが発見したものを見つけることはできなかった。
「嬢ちゃん、その光を落とすことはできねえか? 明るすぎてわからねえ」
 ハーディが道の先を見つめながらいった。その意図を察して、セルマは魔法の光量を落とした。周囲を煌々と照らしていた白い光は、申し訳程度に彼女の周辺に影を落とすだけになる。
 セルマはもう一度ハーディが見ている方に目を向け、ようやく、戦士がいっていた何かの姿を確認した。
 恐らくは、今、彼女が杖に灯している光と同じ種類のものだろう。松明やカンテラの炎とはまったく違う白い光が一つ、道の向こうからこちらへとやってきている。
 南からやってくる魔法の光。
 それが意味するものに気づいて、セルマは師を呼んで振り返った。
「どうやら、私の考えが甘かったようだな」
 レイバーグはため息混じりにうなずくと、「行こう。君たちの予想通りなら、緊急事態のはずだ」
 師の言葉を待たずに、セルマは駆け出した。すぐにハーディがそれに続き、それから少し遅れて老魔法使いも走る。
 南からやってくる光もまた、セルマたちに気づいたようだった。こちらへ向かってくる速度が上がり、二人はほどなくして、光の持ち主と合流した。
 セルマとそう歳の変わらない男。相当に急いでいたのだろう。着衣は乱れ、呼吸は荒く、表情には疲労が色濃くにじんでいる。
「白銀……の……魔法使い……が……」
 男はやっとの事で、といった様子で切れ切れに声を出した。
「お前らの里を襲っているんだな?」
 後を引き継ぐようにハーディが問うと、男はぜいぜいといいながらうなずいた。
「白銀の奴は、他に誰か連れていたか? 奴一人か、もう一人か、もっといたのか?」
 男は切れ切れに、もう一人、棒を武器に使う男がいた、と応えた。
 少し遅れて、ようやくレイバーグが到着した。セルマが南の里の魔法使いの言葉をそのまま伝えると、師は大きく舌打ちした。
「やはり、私の考えが甘かった、ということか」
「今さら後悔したって仕方がねえさ。とりあえず、今できることをやる以外にねえだろ」
 呟きを聞きつけたのか、ハーディがレイバーグを見る。
「じいさんの体力じゃ、里に着くまで時間がかかるだろう。とりあえず俺だけでも、先に行こう」
「そうしてくれるか」
 レイバーグがうなずく。ハーディは、今度はセルマへと目を向けた。
「嬢ちゃんは……」
「私も行きます」
 セルマはハーディの言葉を遮った。体力的に明らかに劣る自分がいては、戦士の足を引っ張ってしまうことは明白である。けれども、ここで師と共に押っ取り刀で南の里へ向かえば、白銀の魔法使い……姉とまみえる機会を失ってしまう可能性もある。
 もう一度姉と直接会って話をして、その真意を問いたかった。
 じっとハーディを見つめる。
 ハーディは目を丸くしてセルマを見ていたが、やがてにやりと笑った。
「ついてこれなかったら置いてくぜ。あとで泣き言をいっても知らねえからな」
「わかっています」
 セルマは決然とうなずいた。
「よし、よくいった。急ぐぞ、遅れるなよ」
 ハーディはそれだけをいうと、月明かりの照らす道を南へと駆け出し、セルマもそれに続いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...