上 下
14 / 21
【2】ものすごく残念で、あまり頼りたく…

用法・用量を守れないトランス系大魔法。

しおりを挟む


 木々や葉っぱは触れるとどこか柔らかい。
 周囲の森に見えているものも、土に見えているものも、全て本物ではなかった。

「この森そのものがモンスターなんだ!」

 3人は慌てて来た道を引き返そうとする。しかし街道はなく、森の入り口も見えない。
 そのうち頭上が暗くなり、小雨が降り始めた。

「ブランケットで体を覆え! 消化液だ!」
「体内を森に擬態? こんなモンスター聞いたことがない!」
「太陽だと思ったものも、俺達を惑わす罠だったのか」

 靴底もすでに半分が溶けている。
 まだ出口がどこか分からない。このままでは明日には消化されてしまう。

「マァー、マァーォ」
「ネッコ?」

 ニースの胸元でネッコが鳴き始めた。
 首輪が痒いのか、必死に外そうとする。

「どうした、苦しいのか」
「ムァーー」

 ニースはブランケットを羽織りながら、ネッコの首輪を少し緩めてやった。
 飼い主の責任の証として、首輪は絶対に外すなと言われている。
 ニースももちろん首輪を外すつもりはない。
 だが、誰もニースに「緩めてはいけない」とは言わなかった。

「あっ、ネッコ!」
「ムァァァー」
「待てネッコ!」

 ネッコがニースの胸元から飛び出し、前方へと駆けて行く。
 足元も全て消化液が染み出している。裸足のネッコなどひとたまりもない。

「どうしよう、ネッコが!」
「ニース! さては君、防具を洗って寝なかったんだね! きっとネッコはニオイに耐えられず……」
「ごめんネッコ! ちゃんと次の町で防具洗うから! つかネッコもまあまあくせえぞ」
「お願いだ! 洗った後は防具より先に緊張感を身に着けてくれ!」

 ニースの泣きそう……どころかもう泣いている声を気にも留めず、ネッコはどんどん先へ行く。

 襲い掛かる消化器官を剣で斬り払いつつ、ニースは必死にネッコを追いかける。
 ふいにネッコが立ち止まって振り向いた。

「ネッコ! ああお利口さんだ、こっちに来い!」
「ムァー……」

 ニースに続き、ジェインとアイゼンも全速力だ。
 そんな3人に対し、ネッコが急に大きな口を開いた。

「えっ」

 ネッコのおぞましい口は、3人を丸呑み出来そうな程大きい。
 全速力の3人は速度を落としきれず、ネッコの口の中へとなだれ込んでしまった。

「食べられた!?」
「まさかこいつ俺達を食うために……」
「ネッコはそんな事しない!」
「現状を把握して言ってくれ、今俺達はネッコの口の中だぞ」

 このままではネッコに消化されるのが先か、森のモンスターに消化されるのが先か。

「こいつ……しっかり口を閉じやが……おっと!」

 ふいにニース達の体が揺れた。
 ネッコがニース達を飲み込んだまま歩き始めたのだ。

「ボク達を食べたのだとして、噛んだり舐めたりするような仕草はないね」
「口の中に入れただけじゃ、消化はできないよな」

 ネッコは顔を引き摺りながら、ニース達を飲み込む事もなく歩き続けている。

「ネッコ、もしかして君……ボク達を守ろうとしているのかい?」
「えっ」
「ボク達を食べたんじゃないよ、消化液から守ってくれているんだ!」

 ジェインがネッコの思惑を考察した途端、ニースの目から涙が溢れた。
 飼い始めてまだ1日だというのに、もう飼い主バカに成り果てたようだ。

「ネッコ、お前……」
「だってそうだろう? ニースの防具が逃げ出したくなるほど臭いと分かっていながら、それを口に入れるなんて余程の覚悟が必要だ」
「ああぁネッコ、お前オレのためにいぃぃぃ……!」

 ジェインの悪気のない毒も、今のニースには全く効かない。
 ニースは大粒の涙を流し、有難う有難うと繰り返す。

 ニースの涙が、ネッコの大きな舌にポタリと落ちる。その瞬間。

「ぶぇー」

 ネッコが思わず3人を吐き出した。

「うわっ、なんだ、どうした!」
「ぶぇーっ、ペッ! ぶぇ……」

 涙の味がお気に召さなかったようだ。3人は渋い顔で舌を回すネッコを振り返りつつ、周囲の状況を確認する。

「おい、あっちだ! あっち……森の奥に見えるけど、ただの模様だ」
「えっ」
「って事は、そこを破れば外に出られる!」

 ニースはネッコを抱き上げてよく拭いてやり、急いで胸元に隠した。
 そのまま剣を両手に持ち、消化液など気にもせず臓器の壁に斬りかかる。

「おのれネッコの仇!」
「「いやネッコは死んでないが」」

 ジェインとアイゼンの発言が思わず被る。

 ニースは大きく跳び上がり、剣を高く構えた。限界まで体を逸らせ、反動をつけて剣を振り下ろす。

「ギェェェェ!」

 モンスターが痛みで叫ぶ。まだ穴は開かないが、効いているのは間違いない。

「俺も加勢する! ジェイン、魔法を放て!」
「えっ、でも……」
「消化されるよりはマシだ! 俺達がいない方向へ放ってくれ!」
「わ、分かった!」

 ニースが大きく斬り裂き、アイゼンが細かな傷を無数に付けていく。
 傷みに耐えられなくなったのか、モンスターが大きく口を開いた。

「風だ……出口があるぞ!」
「どっちだよ!」
「光のある方……右手だ! 右の方がほんのり明るかった!」
「さすが勇者! あざとい!」
「……もしかして、めざといと言いたかったのかい?」
「あ? ちょっと意味分かんないすね」

 ニースとアイゼンが攻撃を止め、口側へ向かおうとする。

「ジェイン! 口の方へ!」
「え、えええっ、ああぁぁごめん無理!」

 ジェインが一瞬迷った後、体を淡く光らせた。魔法が発動するという事だ。

「えっ、今発動!?」

 火炎旋風か、それとも大地震か。

「ちょ、ちょっとジェイン! この状況で今一番駄目なやつ!」
「そんな事を言ったって、ボクが決めた訳じゃな……」
「いいから逃げろ!」

 どこからともなく大きな水の流れが押し寄せてきた。

「うわぁぁぁ!」

 広い広い空間がどんどん水で満たされていく。
 しまいには高いと思っていた天上にまで達してしまった。

「やべえ、溺れる!」
「泳げ……ブグブグ……」

 3人がとうとう水に呑み込まれた。このままでは消化どころか溺死だ。

 ただ、モンスターにとっても状況は同じだった。
 腹の中でどんどん水が湧き出せば、いつかは限界が訪れる。
 直後、周囲の水が急流となって口へと向かい始めた。

 モンスターが水を吐いたのだ。

「うわーっ!」
「出口だ!」

 急に周囲が明るくなったかと思うと、3人は礫砂漠の地面に叩きつけられた。
 水の流れは礫砂漠の地面にどんどん吸収されていく。

「ゲホッ、ゲホ……ネッコ、ああよかった、大丈夫だな」
「今のうちに逃げるぞ!」

 3人はずぶ濡れの状態で立ち上がり、すぐにモンスターとおぼしき森から距離を取る。

「こんなモンスター、報告された事、ないぞ」
「報告がないって事は、助かった奴がいないという事かもしれない」
「……何だって?」

 アイゼンの言葉に、ジェインが足を止めた。
 その表情は怒りに満ちている。

「ジェイン、早く離れないと!」
「……つまり、大切な国民を、こいつが食べた、という事だね」
「そうだ! 早くみんなに知らせ……」
「許せない!」

 ジェインが強い風を纏って森を睨む。
 手をかざし、普段の穏やかな彼とは思えない憎悪を練り上げていく。

「お、おい」
「おのれ、国民の仇!」

 ジェインが魔法を暴発させた。急に上空を厚い雲が覆い始める。

「天の裁きを!」

 ジェインが高々と叫んだ瞬間、空が裂けたかのような雷が森を撃った。

「ギエェェェッ!」

 森全体が耳をつんざくような悲鳴を上げる。その間、雷は何十と森へ落ちていく。

「わはは! 悔いてももう遅い! 裁きのいかずちが血に飢えておるわ!」

 ジェインは豹変し、まるでトランス状態だ。
 ニースとアイゼンは開いた口を塞げずに顔を見合わせる。

「魔法の才能がないと信じ込ませた城の人達の苦労、今なら分かる気がする」
「オレが言うんだから間違いねえ、ジェインはやべえ」
しおりを挟む

処理中です...