健全なる社会

荒深小五郎

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机上のマイクを調整してから、銀縁の眼鏡をかけた男は木製の椅子に腰掛けた。

男の後方には、警備員らしき背の高い男二人が制服を着込み、無表情のまま立っている。

銀縁眼鏡の男は首を左右に振り、細い目で、同じく腰掛けた男女を見渡す。

男からみて、左に男性が一人、右に女性が二人、並んで座っていた。

互いに目配せをし、皆の同意を得られたようで、男はマイクのスイッチを入れ、背筋を伸ばして声を出した。

「これより、尋問を始める」

宣言すると、男は正面に対峙して座る東風平凪彦に視線を向けた。

「参考人――トウフウヒラ……うん? なんと読むのだね、これは?」

「コチヒラナギヒコと読むのですが」

東風平はうんざりとした表情で答えた。

「なんて読みにくいペンネームだ。不親切極まりない」

男の方はなぜか東風平以上にうんざりという表情であった。

「それ、本名なんですがね」

「だったら改名したまえ」

(なんだと……)

東風平は思わず拳を握りしめていた。

本名がまともに読まれないのは慣れっこであったが、改名しろと言われたのは初めてだった。

第一、半ば脅迫的に人を呼びつけて起きながら、名前の読み方さえまともに知らないのはどういうことかと怒りを覚える。

脅迫的――そう、東風平は半ば拉致されるような形でこの場に引き出された。

拉致された理由は、青少年に有害な出版物を発表したというものであった。

東風平凪彦は漫画家を職業としている。

幼い頃から、多くの漫画を読み、夢を与えられた東風平は、絵が得意だったこともあり、いつか自分も同じように夢を与えたいと、その道へと進んだ。

東風平の作品は主に小学校高学年から、中学生くらいをターゲットにしたものであったが、幸い、子供たちに高い評価を受け、単行本の売り上げも良く、アニメ化、映画化までされた。

しかし……

二十世紀末より、青少年の犯罪が重大な社会問題と化していた。

恐喝や傷害といった事件にとどまらず、放火、殺人、誘拐といった凶悪犯罪まで起こり、政府も本腰で対策を練ることになった。

頭の堅い有識者連中が、一番問題視したのは、ゲーム、漫画、アニメ、インターネットなどが子供に与える悪影響であった。

確かに爆発的に拡大したこれらのメディアが、子供に対して与える影響は計り知れないものがあり、一部の過激な表現に対して批判の声が多いことも事実であった。

何よりも即効性のある対策を求められていたこともあり、結果として、国会に提案されたのが『青少年を有害情報より保護し、健全な育成を行う法案』、通称『すこやか法』であった。

如何にも官僚的な通称が付けられたこの法案の主旨は、青少年向きに作られたあらゆるメディアの表現方法について、政府任命の委員によって審査を行い、内容が有害と見なされた場合、出版社、テレビ局などに発売中止、放送中止、あるいは、内容の改訂を行うよう命令を下せることにあった。

当初、この法案が発表された際には、表現の自由を規制すると大きな抗議があり、また、マスコミも大々的にキャンペーンを張ったために一度は闇へと葬られた。

しかし、その後、当時の保守政権が増税と不況対策の失敗により崩壊した。

マスコミの世論誘導によって作られた第二次マドンナブームによる市民派を標榜する女性議員の大量当選、日本初の女性首相の誕生が、再び闇の中からこの法案を目覚めさせた。

また、折りしも15歳の少女が同級生30人に毒入りのジュースを飲ませて殺害するという未曾有の大事件が起こり、犯人の少女が「漫画から犯行を思いつき、インターネットから毒の作り方を学んだ」と供述したことが世論を後押しした。

潔癖で、それでいて偏狭的なマドンナ議員たちによる数の暴力によって、不幸にも成立の憂き目を見てしまったのである。

    
    
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