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五章 一幕:お伽噺と魔王の正体
五章 一幕 3話-1
しおりを挟むゆっくりと瞼を開けると、レオンハルトは陽の光りが差し込む緑豊かな森の中に立っていた。
辺りを見回すと、苔が生した大小さまざまな岩や、蔦が巻き付いて空へと伸びる弧を描いく白い枯れ枝が、年老いた大樹と泉を守るかのように囲っている。
近づくと、岩や枯れ枝だと思っていたものは、崩れ残った骨だった。形から推測するに、大きな竜だろう。つまり。
「ウェテノージル……」
死してなお、守ろうとしているのか、世界樹を。彼が世界を壊そうとしてまでも愛したイグドラシエルを。
「やっと来たね、レオンハルト」
世界樹のほうから声がして、レオンハルトは振り返った。
長い銀の髪、漆黒の瞳と美しい顔立ちに白い肌。さっき見せられた記憶の中に出てきたイグドラシエルその人だ。
驚きはなかった。いずれ呼ばれるだろうと思っていたし、ウェテノージルを継ぐ者として会わなければならないもう一人の神の代理人だからだ。
イグドラシエルは泉を渡り、レオンハルトへと近づいてくる。その姿は、微かに透けていた。そのことにレオンハルトが眉根を寄せると、目の前まで近づいてきたイグドラシエルは苦笑した。
「もう実体はないんだ。私もウェテノージルも、魂と思念だけしかないんだよ。たくさん力を使ってしまったからね」
そう言ったあと、イグドラシエルは不思議そうに首を傾げた。
「ルヴィはどこにいるの?」
「ルゥは王国へ置いてきた」
「置いてきた? ジルは君に何も言わなかったの?」
イグドラシエルは驚いて目を見開いた。レオンハルトの眉間の皺がより深くなる。
「ルゥを解放し“普通”にしてやれとは言われた」
「それだけ?」
「諦めるなとも言っていたが、なんのことか分からない」
「相変わらずの口下手め……」
イグドラシエルは額を抑えてため息をついた。見せられた記憶の中の彼もそうだが、ずいぶんと人間らしい神の代理人だ。
「まぁいいや。それより、ルヴィに器を造れたかい?」
「造ってからこちらに来た。そろそろ目覚める頃だ」
「じゃあ、ルヴィの体から君の魔力が完全に消えるまで、まだかかるね。十ヶ月くらいかな。それまで君がもつかどうかのほうが問題だ」
「死なない体になった俺に、何の問題があるって言うんだ」
レオンハルトがそう言うと、エルは目を瞬かせた。
「君、そういう認識なの? 諦めが早い上に自分に無頓着ときたか。これじゃルヴィも苦労するよ」
「ルゥはもう俺の筥じゃない。普通の人になった。あなたには―――世界樹には関係ないはずだ」
「関係あるよ。彼には私の祝福を授けてあるし、一番大事なものを預けてあるからね。返してもらわなくちゃ」
「まさか…、ルゥの転移魔法を失敗させたのはあなたか?」
「そうだよ。クレア―――今はマイアンか。彼が生まれ変わる工程に私の欠片を埋め込んだんだ。ジルの欠片を管理人が受け取るように、筥は私の欠片を受け取れる。それを触媒にして引っ張った。お礼に祝福を与えたよ」
「なぜそんな余計なことを?」
「必要だったからだよ。君にも、ルヴィにも。もちろん私とジルにとってもね」
「なぜ? あなた達はいったい何がしたいんだ。ルゥはやっと俺から解放された。これ以上俺の運命に巻き込むことはやめてくれ」
イグドラシエルは少し哀しそうに微笑むと、ぱちん、と指を鳴らした。
宙に、ふわり、と七色に光る繊細なレース編みのヴェールが現れる。花嫁が身につけるような、丈の長いものだ。イグドラシエルはそれをレオンハルトに差し出す。
「古代竜のたてがみで編んだヴェールだよ。受け取って」
唐突な話題転換と行動をとるイグドラシエルの意図が分からず、レオンハルトは躊躇した。すると、彼は半ば無理やりレオンハルトにヴェールを受け取らせる。
「魔王の力が宿ったアーティファクトは、魔王の力を遮断するんだ。ルヴィと話す時に使うといいよ。だって、君と運命を伴にするかどうかを決めるのはルヴィでしょ」
「いや、俺は……」
ルヴィウスに会う資格はない、と続けようと思ったが、声にならなかった。
そんなレオンハルトを見つめながら、イグドラシエルは小さくため息をつく。その表情は、まったく仕方ない子だな、と言いたげだ。
「ジルが言葉足らずだったのは、もともと口下手だし、時間がなかったからだと思うんだ。さっきも言ったけど、それを抜きにしたとしても君は諦めるのが早すぎる。なんでそういうところは成長しないのかな。置いてくるとかあり得ないよ、まったく」
「それは、俺とルゥのことを言ってるのか?」
「他に何があるの?」
エルはとことんあきれ顔だ。
「二人揃ってここへ来てくれないと困るんだ。用意して持ってきてほしい物もあるけど、それは向こうがなんとかするとして、君はまず自分の気持ちに正直になることだね。ちゃんとルヴィと話をしなよ」
「話すことなんてない」
「頑固だな、もう。まぁ、君が動かないなら、ルヴィが動くよ。彼は頼もしいから」
ぐぅ、とレオンハルトは押し黙った。
確かに、ルヴィウスは可憐な容姿に反し頼もしいところがある。それにどれほど助けられたことか。
「ねぇ、レオンハルト」
イグドラシエルが柔らかな声音でレオンハルトを呼ぶ。
「君はルヴィが居なければ、きっと魔王になってた。ジルみたいにね。君が人らしくいられるのは、彼が楔になっているからだよ。だから、自分のためにも、彼を何より大切にするといい。それがひいては世界のためになる」
「俺のエゴが世界のためになるとは思えないが……」
そう言うレオンハルトの眉間の皺を、イグドラシエルが人差し指でぐりぐりと押す。
レオンハルトは「やめろ」と不機嫌に彼の手を払いのけた。
「あのね、レオンハルト。私たち神の代理人だって、一人では立っていられないんだよ。とにかく、まずは話し合うこと。ルヴィと話して、君たちがハネムーンに出ても大丈夫になった頃、もう一度ここに来てよ。それまで責任もって君は私が守る。そのくらいの力はまだ残っているから。とは言っても、王国側までは力が及ばないんだけど。だから、あっちにいる時は気をつけてね。特に、亡者には要注意だよ」
一気に捲したてるかのように言いたいことだけを言い、イグドラシエルはレオンハルトの肩を、とん、と押した。
その小さな反動にレオンハルトが一歩後ずさった直後、強い風が吹いた。反射的に、目を閉じる。
―――そうそう、これ、預かっておいてね。大事なものだから、なくさないで。
そう聞こえたような気がしたあと、再び目を開けた時には、姿を大きく変えた、暴虐のドラゴンがいた谷の入口に立っていた。
あんなに空気が淀み、瘴気が満ち、濃度の高い毒のような魔素が漂っていた谷が、カーペットのように蒼く美しい小さな花が咲き誇る花畑になっている。そこには竜の亡骸も、世界樹も存在しなかった。
ふと違和感を覚え、自分の右手を見る。いつの間か、赤い実を握りしめていた。イグドラシエルが預かってくれと言っていたのは、この実のことだろうか。
左手には、竜のたてがみで編んだというロングヴェール。
これをルヴィウスに纏わせたら、抱きしめることが出来るだろうか。このヴェール越しであれば、口づけを交わすことができるだろうか。
レオンハルトは顔を上げ、谷を埋めつくすほどの蒼い花を見つめた。
柔らかく風が吹き、花びらが舞う。
しばらくその光景に見惚れたあと、レオンハルトは転移魔法を展開し、黒曜門へと戻った。そして、意外な事実を知ることになる。
その日の黒曜門の警備担当だった2名の騎士は、突然現れたレオンハルトの姿を確認するや否や、宮殿中に伝令を放ち、大騒ぎした。
大げさな、と呆れるレオンハルトを出迎えたのは、憔悴した表情のカトレアとエルゾーイたちだった。
話を聞くと、レオンハルトは一週間も行方不明だったらしい。しかも、指揮権を委ねられたカトレアが全軍の出陣を指示した直後、レオンハルトの魔力が消失したというのだ。
当然、討伐は中止となり、騎士らはレオンハルトの捜索にあたることになった。
暴虐のドラゴンの谷へも捜索に向かったはいいが、中に入ることが出来ず、手前で引き返すしかなくなった。しかし、じっとしていられず魔の森のあちこちを探索することになったらしい。
そして、討伐を取りやめたのに、日に日に減っていく魔物の数を疑問に思いながら、今日まで捜索隊を組んで行動していたのだという。
その話を聞き、レオンハルトはさすがに反省した。
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