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三章 一幕:聖なる乙女という名の闇烏
三章 一幕 3話-3
しおりを挟むアルフレドが秘密の通路を使ってレオンハルトを連れてきた場所は、神聖国エスタシオの首座、教皇マイアン・グリフィードが住まうエスタシオ宮殿だった。議事堂のアルフレドの執務室と、宮殿にある彼の執務室は繋がっていたのだ。
宮殿と言っても、大聖堂や迎賓館、議事堂のような、繊細で芸術的な建造物と比べると、実に質素なものだ。
華美な装飾品はなく、品の良い調度品が揃えられ、布製品に至っては絹もあるが綿や麻が多い。人として、民の、そして信徒の模範となるべく、清廉とした暮らしを心掛けているのが見てわかる。
「ヴィクトリア王国第二王子殿下をお連れした。グリフィード聖下にお目通りを」
ひときわ重厚な扉の前で、アルフレドが警備にあたっていた二名の聖騎士に言づける。そのうちの一人がノックをすると、扉が開き、中から初老の男性が顔を出した。神官服のストラが黄金色だ。かなり高位の神官だと分かる。
「マイスナー卿、お連れくださいましたか」
「はい、テアトル猊下」
アルフレドが男性神官をそう呼んだ。
エスタシオで猊下と呼ばれるのは、枢機卿だ。聖剣がアルフレドを選んでいなければ、教皇の名代は猊下と呼ばれたテアトルが務めたことだろう。
簡易的な挨拶を済ませた後、レオンハルトは室内に招き入れられた。
窓に近い位置に置かれた天蓋付きのベッドは、紗のカーテンが引かれている。ベッドには、体を起こして座っている人物がいた。カーテンでシルエットしか分からないが、当代の教皇、マイアン・グリフィードその人だろう。
アルフレドに招かれ、レオンハルトはベッドの傍へと立った。カーテンを開いたアルフレドは、マイアンの左手を両手にすくいあげ、自身の額につける。挨拶の様式は教皇とその僕ではあるが、二人が纏う雰囲気はまるで伴侶のように甘い。
「聖下、ご下命に従い、殿下をお連れいたしました」
「ありがとう、マイスナー卿」
マイアンの透きとおるような声音に、レオンハルトは背筋が伸びる思いがした。
国王たる父も、為政者として、国の首長として、堂々たるオーラがある。が、マイアンはまた別の種の威厳を兼ね備えている。
整った顔立ちに、染み一つない白い肌と金色の瞳、そして、白く長い癖のない髪。まるで神を具現化したような、人とは思えない美しさだ。先代の教皇が崩御し、二十五で在位してから二十年は経っているはずだ。それなのに三十歳くらいに見える。これも神聖力の強さがもたらす恩恵だろうか。
「ご足労ありがとう存じます、レオンハルト・ルース・ヴィクトリア第二王子殿下」
マイアンに視線を縫い留められていたレオンハルトは、我に返り、右手を胸に当て頭を少し下げた。国王であるヒースクリフが教皇の挨拶を受けるのであれば頭を下げず手を差し伸べる場面であろうが、自身は名代とはいえ若輩者だ。
「お会いできて光栄です、グリフィード聖下」
「そう畏まらずに気楽にお話ください。マイスナー卿、王子に椅子を」
マイアンの指示にアルフレドがすぐに椅子を用意する。レオンハルトは「ありがとうございます」と好意を受けて腰を下ろした。
「王子殿下、この度は我が国のことでご迷惑をお掛けいたしました」
「謝罪は受け入れます。ですが、説明をお願いします。私がここへ連れてこられた理由も」
レオンハルトは臆することなく主張した。
エスタシオには、国を代表して来ている。助言をくれる大人はいないのだ。王子だからと甘く見られれば足元を掬われる。その重責が肩に圧し掛かっているようだった。
「警戒されるのも無理はないでしょう。ですが、要求ではなく、極秘にお願いしたいことがありお呼びいたしました」
「闇烏のことですね」
「マイスナー卿から聞かれましたか」
「はい。聖下は闇烏にどう対処されるおつもりですか」
レオンハルトの率直な問いに、マイアンは表情を強張らせて答える。
「聖女の顔をしているあの闇を、元の世界へ返さねばなりません」
「その手伝いをしろと?」
「端的に言えばそうです。まず、こちらをご覧ください」
そう言ったマイアンは、左腕の袖を引き上げた。そこには黒い蔦模様のような線がびっしりと刻まれていた。レオンハルトはそれに息を飲み、目を凝らす。
「古代語……とは違う……?」
「呪いです」
マイアンの言葉に、レオンハルトは顔を上げた。頷きが返ってきたため、もう一度模様に視線を落とす。
「“我”……“願”……、えぇっと……“苦”、“神”……“封”……?」
「さすが、魔法の天才と名高い方ですね。これは、神聖力を封じられ苦しめばいい、という呪詛です」
「では、聖下はいま……」
「はい、呪われた状態にあります。神の救いにより抑え込んでいますが。その分、生命維持に苦労しておりまして、寝台から動けません。とは言え、命にかかわるようなことはありませんので、ご心配なく」
「命にかかわらずとも苦痛は伴います。解呪は? 解呪用の陣を用意できれば、俺の魔力量なら解呪できるかもしれません」
「準備が整うまでは彼女に悟られたくはありません。いま解呪するのは愚策でしょう」
「では、荒っぽい手でいくしかありません。呪術者が死ねば解呪できますよね?」
要は、切って捨てればいい。残酷なようだが、自業自得というものだ。しかし、マイアンは首を横に振った。
「呪術者であればそれでいいかもしれませんが、彼女は闇烏です。闇烏を処分すれば、その呪いは解けても、その躯がこの世界に残れば、それが次の闇を呼びます。ですから、闇烏は闇に返す―――今回の場合は、彼女を元の世界へ返すことが世界の安寧のためにも必要なことです」
「すぐに送り返せなかった理由をお聞きしても?」
「二つあります。一つは彼女をこの国に留めていること。本人は自分の意志で教会やその周辺に留まっていると思っているでしょうが、疫病を流行らせる恐れもあり、自由に歩き回らせるわけにはいかないので、神官や聖騎士らの神聖力で教会に繋いでいるのです。その所為で帰還させる神聖力を充分に集約できません」
「二つ目は?」
「彼女が自ら帰りたいと願っていないこと」
「つまり、闇烏を送り返すためには、帰還に必要な神聖力を集め、本人が帰りたいと思うことが条件になるんですね。二つ目がとんでもなく難しそうですが……」
「はい。そこで王子殿下にご協力いただきたいのです」
マイアンが真っ直ぐに見据えてくる。レオンハルトは溜息を尽きながら額に手をあて、項垂れた。清廉潔白な教皇聖下は、どうやらとんでもなく腹黒いらしい。
「聖下たちの準備が整うまで、闇烏を国外に出し、問題を起こさせてほしい、そういうことですか」
議会で百々華が王国へ行くと言い出した件を、アルフレドが“保留”した理由はこれか。
レオンハルトは、つくづく自分は政治的やり取りに向いてないな、と内心自嘲した。こういうことは兄のエドヴァルドのほうが得意だ。
「他国で王族や高位貴族に害を為したとなれば、殺生を悪とする我が国でも、特例で極刑とすることが可能です。死か帰還かの選択を迫られれば、我が身が可愛い闇烏のこと、帰還を選ぶのは目に見えています」
「その“王族や高位貴族に害を為した”ことは、でっち上げでも構いませんか?」
「実際に傷をつけずとも、殿下にしつこく付きまとう時点で充分に害を為しております」
「確かに。では、協力したことで我が国に実害が及ぶ恐れは?」
「無害とは言えません。しかし、エスタシオに現れる闇烏は、エスタシオの神聖力を食って力にします。離れれば弱体化します。ごく身近な数人に術を掛けるのが精いっぱいになるでしょう」
「実害は限定的、そう思っていいと? あの女の力は呪いと魅了、それと軽い念力でしょうか」
「こちらに来て三ヶ月ですが、力に慣れていないうえに誰も使い方を教えていませんから、今できること以上の術は使えません」
「来て三ヶ月ということは、真っ先に聖下に呪いをかけたんですね?」
マイアンがレオンハルトの言葉を肯定するため、ゆったりと頷いた。
レオンハルトは、今回の会談場所が国境からエスタシオの中央都市に変更された本当の理由はこれか、と小さく溜息をつく。争いごとがないとは言え、やはり諜報活動は必要なようだ。
「聖下ほどの神聖力の持ち主を呪うのは大変だと思うのですが、どういう状況だったのかお聞きしても?」
マイアンは一つ頷き、当時の状況を淡々と話した。
「彼女が現われて三日後の祝祭日のことでした。ミサで今年五つになる子どもの代表に祝福を授ける儀式を終えた直後に、自分も祝福をあげたいと言い出して子どもに呪いを掛けようとしたのです。それを咄嗟に庇ったため隙が出来、このような有様に。来たばかりの頃はまだ皆が彼女を聖女かもしれないと思い込んでおりましたので……」
「マイスナー卿が剣を抜けない場面で、聖下が子どもを庇うと分かってて呪ったんですね」
「まぁ、私が露ほどにも靡かなかった腹いせでもあるのでしょうが」
「え、それはどういう……?」
レオンハルトの眉間に皺が寄る。
「私も聖剣が無ければ魅了されていたか呪われていたでしょうね」
「まさか、手あたり次第ってことですかっ? あの女、タチが悪すぎだろ!」
驚いた拍子に本音が出たレオンハルトは、はっとして口を閉じた。自分だけでなくアルフレドやマイアンも毒牙にかけようとしていたと知り、つい普段通りの口調になってしまった。これは王子がやっていい態度ではない。
「ふふっ、大丈夫ですよ。公式の場ではないのですから。それに、年齢からしたら私はあなたの父親でもおかしくないですしね」
「寛大なお心に感謝いたします……」
そう返したレオンハルトは、気恥ずかしさを隠すために小さく咳払いした。
「お話はだいたい分かりました。隣国の危機は自国の危機につながります。他人事でないことも理解しています。ですが、自分一人では決めかねますので、一度国王陛下へ相談させてください。悠長に構えているわけにもいきませんから、お返事はすぐにでも。明日は市井の視察の予定でしたが、私だけ帰国させていただけないでしょうか」
「それはもちろんです。―――マイスナー卿、そのように手配を」
「はい。では、殿下とルヴィウス様には明日、帰国の途についていただき、明後日の調印式は外交官で代理を立てましょう」
「いえ、その必要はありません。明日の午前中に帰国して、午後には戻ります。ルゥには関わってほしくないので、こちらに置いていきます」
「それは、一体、どういう……?」
アルフレドが不思議そうに聞いてくる。マイアンも目を瞬かせていた。
レオンハルトは苦笑いで答える。
「あぁ、すいません、説明不足でしたね。えぇっと、どこかに転移陣を置かせてください。転移魔法で俺だけ帰ります」
「この中央都市からヴィクトリア王国の王宮まで転移なさるのですかっ?」
アルフレドが目を丸くして驚く。
レオンハルトは「はい、できます」と事も無げに言った。
転移魔法は距離に応じて必要な魔力量が多くなる。半日程度の距離の転移であれば上級魔法使いでも術を展開することは可能だが、レオンハルトは八日間をかけてきた距離を一気に飛ぶと言っているのだ。
「あの、殿下……王国側にある転移陣に魔法使いをお呼びになって転移するのですよね?」
アルフレドは可能性がありそうな方法を思い浮かべ、レオンハルトに問いかけた。転移陣のどちらかに魔法使いがいれば、魔力を補助できるため、距離が遠くても転移は可能になるはずだ。
「いえ、一人で飛びます。マイスナー卿もご一緒されますか? そのほうが、説明が早くて助かるかも」
「まさか誰かを連れて飛べるのですかっ?」
再び、アルフレドが驚く。
「そうですね、さすがに遠いので二人が限度ですけど」
「……殿下が平和な時代にお生まれになって本当に良かったです」
「それはー……よく言われます……」
レオンハルトは苦笑いするしかなかった。そして気づかれないよう、小さなため息をついて、内心落胆した。
初めての外交、初めての国外。初めてルヴィウスと長い時間を過ごすことを許されたのに、ただ楽しいだけでは終わりそうもない。
―――いや、そもそも遊びに来たわけじゃない。気を引き締めなくては。
そう思い直し、気持ちを切り替える。
何があろうと、ルヴィウスには傷一つつけさせたりしない。レオンハルトは強く心に誓い、拳を握りしめた。
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