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三章 二幕:呪いと時の神の翼
三章 二幕 1話-1
しおりを挟む年が明けた一月八日。王国には、吐く息も白くなる冬が訪れていた。
雪が降ることは稀だが、他の季節と比べるとやはり気温が低い。しかし、魔道具の暖房があるおかげで室内は春の陽気だ。そのため、この時期の王国では、外出が減り、茶会やパーティーも屋内で執り行われることが増える。
冬晴れの午後、ルヴィウスは藍玉宮のレオンハルトの自室で、椅子に座ってお茶を飲みながら、彼を待っていた。
あと二日もすれば、エスタシオから“聖女御一行”が王国へやってくる。表向きは彼らを歓待する必要があり、滞在五日目に小規模の舞踏会を開く予定ではあるが、招待客リストは見せてもらっていない。
今日はその舞踏会とは別の夜会にレオンハルトと共に出席する際に着る衣装の最終チェックに来ていて、先ほど終えたばかりだ。
窓の外に目を向けると、暖かな日差しが降り注いでいる。今日は風もなく、室内の暖房が控え目な設定でも十分に暖かい。
不意に、右手首のバングルが小さく震えた。ルヴィウスはカップをソーサーへ戻し、ソファから立ち上がる。その直後、バルコニーへと続く窓扉の前に、レオンハルトが姿を現した。
「ごめん、ルゥ、待たせた?」
「大丈夫。お茶飲んで待ってた。陛下たちは?」
「無事にアクセラーダ公爵家の別荘に送り届けたよ。念のため結界も張ってきた」
言いながら、レオンハルトはフードコートを脱いで、フックに掛ける。
聖女―――闇烏の影響を受けないよう、ヒースクリフ、イーリス、そしてエドヴァルドは、アクセラーダ公爵家の別荘に避難してもらった。今朝、レオンハルトが三人を転移魔法で送り届け、いま戻ってきたところなのだ。
「公爵がいろいろ準備してくれたみたいで退屈させずに済みそうだ。ノアール嬢にも来てもらったから、兄上は上機嫌だよ」
ルヴィウスが「そうなんだ」と苦笑いする。
最近のエドヴァルドは、身内の前ではノアールへの恋慕を隠そうともしない。
父であるグラヴィスは渋い顔をしているが、母のエレオノーラはどこか満足そうに微笑むことが多く、当のノアールにいたっては嬉しそうにしている。
そのため、ルヴィウスもレオンハルトも、改まって報告があるまでは、二人を見守ることに決めていた。
レオンハルトは流れるような仕草でルヴィウスを抱き寄せると、右の首筋にキスをした。
「まだ消えてなくてよかった」
口づけた場所には赤い所有の痕。レオンハルトは満足げに微笑んだ。
「あんまり痕を残さないで。今日だって衣装のチェックでバレないかドキドキしたんだから」
「もしかして自分で着なかったの?」
少し不満そうな顔のレオンハルトが可愛くて、ルヴィウスは小さく笑った。こんなことに嫉妬してどうするのか。
「自分で着たよ。でも細かいところを詰めたりする時、お針子に近づかれるでしょ?」
そうだけど、と唇を尖らせる可愛い婚約者に、ルヴィウスはキスを贈った。
「機嫌なおして」
「もう一回キスしてくれたら良くなるかも」
しかたないな、と苦笑いしながら、ルヴィウスはレオンハルトの首に腕を回し、背伸びした。
吐息が混ざり、唇が重なる、まさにその時だった。
「殿下ぁ、入りまぁす」
ノックと共にハロルドが入ってきた。ルヴィウスの体が、びくり、と硬直する。ノックの意味とはいったい……。
「お前っ、絶対わざとだろっ!」
レオンハルトがルヴィウスを背に隠して声を上げる。頬を赤らめたルヴィウスを見られたくないようだ。
「だって時間が押してるんですよぉ」
「申し訳ありません、殿下……、本当に時間が押してまして……」
ハロルドの後ろから、ガイルが顔を出した。
どうやら、時間が押していることは、本当らしい。
留守のあいだ執務が滞らないよう、一週間分を前倒しで色々と処理して王宮を発ったヒースクリフたちだが、日常業務までは致し方ない。
大抵のことは流れ作業のように進むものだが、どうしても王族のチェックが必要な業務も幾つかは存在する。いま王宮にいる王族はレオンハルトのみ。それらの業務が彼に回ってくるのだから、普段よりも忙しくなるのは仕方ないことだ。
「レオ、衣裳部屋に行ってきて。戻ったら僕も執務を手伝うし、聖女たちが来る日までは王宮に泊っていく約束したでしょう?」
駄々っ子に言い聞かせるように話すルヴィウスに、レオンハルトは渋々といった顔で答える。
「……わかった」
どこか不貞腐れているレオンハルトの頬を両手で包み込んだルヴィウスは、そっと唇を重ねた。
無論、優秀な側近二名は、背を向けて見ないフリをしてくれている。
何度か唇を食むと、レオンハルトがルヴィウスの腰を抱き寄せた。
「ん……っ」
深めのキスをされて、甘い声が漏れてしまう。唇が離れると、吐息の温度が上がっていた。
「終わりましたぁ?」
雰囲気をぶち壊すのはハロルドの役目である。
「お前っ、消し炭にするぞっ!」
「そんな気ないくせにぃ」
「うるさいっ」
「ほらほら殿下、愛しのルヴィウス様はボクに任せて、ちゃっちゃと衣装合わせしてきてください。ガイル、殿下を頼むね~」
ハロルドが遠慮なくレオンハルトの背中を押して、部屋から追い出しにかかる。
「なんでお前がルゥの相手をしようとしているんだ」
「ご褒美?」
「なんの褒美だ!」
「言っていいならいいますけどぉ。例のひに―――ぐぇ」
すかさず、レオンハルトがハロルドの顎を掴む。
「言ったら燃やす」
レオンハルトの怒気に、ハロルドはにこやかに二度頷いた。ちっ、と舌打ちしたレオンハルトは、少々乱暴にハロルドを離すと、ドアの手前で念を押すため彼を振り向いた。
「余計なこと言うなよ」
「もちろんですよぉ」
いってらっしゃ~い、と手を振るハロルドは、ぶつぶつ文句を言うレオンハルトと、護衛としてついて行ったガイルの背中を、とてもいい笑顔で見送っていた。
まるで嵐が過ぎ去ったあとのように、室内は静まり返る。
毎日こんなやり取りなのか。ガイルは大変そうだな。それがルヴィウスの率直な感想だった。
「ハロルド、こっちに座ってお茶でもどう?」
そう誘うと、ハロルドは「ぜひ」と満面の笑みで答える。
ガラスの天板のティー・テーブルを挟んで、一人掛け用のソファにハロルドを座らせる。
ルヴィウスは、いつもレオンハルトとくっついて過ごしている三人掛けソファに腰を下ろした。
ルヴィウスが手ずから入れた紅茶を前にしたハロルドは、なんだかとてもテンションが高い。
「ハロルドって、そっちが素なんだね」
「そうなんですよー。今まで猫被っててすみません。ちょっとカッコつけてました」
「いいよ、気にしてない」
「殿下、ボクのこと何も言わなかったんですか? あいつには関わるな、とか」
「変な奴だとは言ってたかな」
「あははー、そうですかぁ。でも、それだけです?」
「そうだよ。レオはね、懐に入れた人は大事にするんだ。レオが大事にする人は、僕も大事にしたい」
「そうですか、なんかのフラグが立っちゃったみたいな展開ですねぇ」
「ふらぐ、が何かわかんないけど」
「独り言です」
「ふふっ、レオが言う通り、変わってるね。ところでハロルド」
「はい、なんですか?」
「子猫たちは元気?」
ルヴィウスがそう聞いた瞬間、ハロルドは笑顔のまま硬直した。彼をよく知るレオンハルトやガイル、そしてルヴィウスでなければ、その小さな変化に気づくことはできなかっただろう。
「分からないフリしてもダメだよ。王妃陛下のところの子猫と仲良くしてるでしょ? あぁ、ガイルのことじゃないよ。彼は国王陛下の犬だし。今はレオの護衛だけど、本当は近衛の諜報部配属の予定だったんだってね。寡黙だからお似合いだ」
「へぇ、ルヴィウス様って、そっちにも頭が働くんですねぇ。それで、ルヴィウス様は何をお知りになりたいんです?」
笑みを崩そうとしないハロルドに、ルヴィウスは内心満足していた。
レオンハルトは彼を気に入りながらも、“ちゃらんぽらん”だと言う。だがしかし、いやいやどうして。王妃イーリスの信頼を勝ち得ているだけでなく、頭が切れ、立場が上の者にも怯まない。こんな側近、探してもそうそう見つかるものではない。
カマを掛けたり、試そうとしたりすれば、のらりくらり逃げられるだろう。そう判断したルヴィウスは、正直に打ち明けることにした。
「先月の交流茶会―――レオとエスタシオに行く直前の茶会の日、王妃陛下に偶然会ってね、こう言われたんだ。急に横やりを入れてくる得体のしれない異世界から来た女の子が現われたら、ハロルドに話を聞くといいって」
「それ、王妃陛下が仰っていたのですか?」
ルヴィウスはその問いかけに頷いて答えた。ハロルドは「そうですか」と呟く。
カップを手に取ったハロルドは、紅茶を口に含み、しばらくその味を楽しんだ。
ルヴィウスから見ると、迷っているようにも、“誤魔化してしまおうか”と考えているようにも見える。
「ルヴィウス様」ハロルドがカップを置いて顔を上げた。「荒唐無稽な話ですけど、聞く気、あります?」
ルヴィウスを見るハロルドの瞳には、どこか覚悟を決めたかのような色が浮かんでいた。
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