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一人じゃない日々
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「けんにいちゃーん!」
朝の空気を切り裂くような声が、川沿いに響いた。
賢が「にいちゃんはやめろ」と何度言っても、良二はまったく気にしていない。
むしろ、その呼び方を気に入っているようだった。
「今日はね、網、ふたつ持ってきた!」
「……なんで」
「昨日、けんにいちゃんがカブトムシとる言いよったじゃろ?」
「……言ってないけど」
「言いよったもん。顔が言いよった」
賢はあきれたようにため息をつきながらも、笑いをこらえた。
本当に、うるさいやつだ――
でも、悪くない。
最初は面倒だったはずのこの少年との時間が、いつの間にか、自然と日常に溶け込んでいた。
*
良二は、驚くほどよく喋った。
川のカニがどこに潜んでいるか、誰それのおばあちゃんが作る梅干しがどれだけしょっぱいか、夜の神社の奥には絶対に何かがいるとかいないとか――
賢が相槌を打とうが打つまいが、そんなことはおかまいなしに、言葉が滝のようにあふれてくる。
でも、たまにふと黙ることがあった。
それはたいてい、サクラが姿を現すときだった。
ある日、川辺でふたり並んで腰を下ろしていると、サクラが音もなく姿を見せた。
「……あ、白ねこさんだ」
「知ってるのか?」
「うん。ときどき見るよ。前におばあちゃんが“この子は長生きしてる猫だねぇ”って言ってた」
「長生き、か……」
サクラは、良二にも賢にも同じ距離感で接した。
寄り添うわけでも、逃げるわけでもなく、ただそこにいる。
それが、なぜか心強かった。
「この子、名前あるの?」
「……サクラ」
「さくら?」
「桜の木の下で出会ったから」
「ふーん……似合うねぇ」
良二がぽつりと言ったそのひと言に、賢は少し驚いた。
からかうでもなく、茶化すでもなく、ただまっすぐにそう言ったその目が、不思議と印象に残った。
*
――夏祭りの日。
村の小さな神社には、色とりどりの提灯がぶら下がり、太鼓の音が山にこだましていた。
賢は人混みが苦手だったが、良二が「絶対来てよ!」としつこく誘ってきたので、しぶしぶ浴衣を借りて足を運んだ。
「けんにいちゃん、似合ってるよ。あ、でも髪がボサボサだから、直してあげる」
「いじるな」
良二は、金魚すくいで一匹も取れなかったくせに、「でも、気持ちはとれたけぇ、ええんじゃ」と真顔で言った。
賢はつい、吹き出してしまった。
「……お前って、ほんと変なやつ」
「変なやつって言ったー!」
「あーあ、かわいそうな金魚たち」
「くっそー、じゃあ今度、もっとでっかい金魚すくっちゃる!」
提灯の灯りが、良二の顔を柔らかく照らしていた。
その笑顔は、どこかまぶしくて、少し切なくもあった。
この時間が、永遠に続けばいい――
そう思う自分がいることに、賢は気づいていた。
――数日後。
ふたりは、サクラと一緒に川辺の桜の木の下にいた。
「けんにいちゃんは、また学校行くの?」
良二が突然そう訊いてきたとき、賢は答えに詰まった。
「……さあ。わかんない」
「そっか。でも、行けるときが来たら、行ってもええ思うよ」
「……お前に何がわかるんだよ」
「わからんけど。けんにいちゃん、ちゃんと怒ったり笑うたりするけぇ、大丈夫思うただけ」
良二の声は、驚くほど静かだった。
いつもより少しだけ背伸びしたような言葉に、賢は何も言えなくなった。
そのとき、サクラがふと立ち上がり、ゆっくりとふたりの間に入って座った。
「サクラも、そう思う?」
サクラは答えない。けれど、その瞳が、まるで優しく頷いているように見えた。
「……ありがとう」
賢は、ぽつりとそう言った。
言葉にしたのは、きっと初めてだった。
誰かに感謝するなんて、ずっと遠ざけてきた感情だったはずなのに――
今は、自然と口をついて出た。
風が、草の海を撫でていく。
夏はまだ終わっていない。
けれど、サクラのその瞳の輝きのなかに、なにかを予感させるような、かすかな影が落ち始めていた。
朝の空気を切り裂くような声が、川沿いに響いた。
賢が「にいちゃんはやめろ」と何度言っても、良二はまったく気にしていない。
むしろ、その呼び方を気に入っているようだった。
「今日はね、網、ふたつ持ってきた!」
「……なんで」
「昨日、けんにいちゃんがカブトムシとる言いよったじゃろ?」
「……言ってないけど」
「言いよったもん。顔が言いよった」
賢はあきれたようにため息をつきながらも、笑いをこらえた。
本当に、うるさいやつだ――
でも、悪くない。
最初は面倒だったはずのこの少年との時間が、いつの間にか、自然と日常に溶け込んでいた。
*
良二は、驚くほどよく喋った。
川のカニがどこに潜んでいるか、誰それのおばあちゃんが作る梅干しがどれだけしょっぱいか、夜の神社の奥には絶対に何かがいるとかいないとか――
賢が相槌を打とうが打つまいが、そんなことはおかまいなしに、言葉が滝のようにあふれてくる。
でも、たまにふと黙ることがあった。
それはたいてい、サクラが姿を現すときだった。
ある日、川辺でふたり並んで腰を下ろしていると、サクラが音もなく姿を見せた。
「……あ、白ねこさんだ」
「知ってるのか?」
「うん。ときどき見るよ。前におばあちゃんが“この子は長生きしてる猫だねぇ”って言ってた」
「長生き、か……」
サクラは、良二にも賢にも同じ距離感で接した。
寄り添うわけでも、逃げるわけでもなく、ただそこにいる。
それが、なぜか心強かった。
「この子、名前あるの?」
「……サクラ」
「さくら?」
「桜の木の下で出会ったから」
「ふーん……似合うねぇ」
良二がぽつりと言ったそのひと言に、賢は少し驚いた。
からかうでもなく、茶化すでもなく、ただまっすぐにそう言ったその目が、不思議と印象に残った。
*
――夏祭りの日。
村の小さな神社には、色とりどりの提灯がぶら下がり、太鼓の音が山にこだましていた。
賢は人混みが苦手だったが、良二が「絶対来てよ!」としつこく誘ってきたので、しぶしぶ浴衣を借りて足を運んだ。
「けんにいちゃん、似合ってるよ。あ、でも髪がボサボサだから、直してあげる」
「いじるな」
良二は、金魚すくいで一匹も取れなかったくせに、「でも、気持ちはとれたけぇ、ええんじゃ」と真顔で言った。
賢はつい、吹き出してしまった。
「……お前って、ほんと変なやつ」
「変なやつって言ったー!」
「あーあ、かわいそうな金魚たち」
「くっそー、じゃあ今度、もっとでっかい金魚すくっちゃる!」
提灯の灯りが、良二の顔を柔らかく照らしていた。
その笑顔は、どこかまぶしくて、少し切なくもあった。
この時間が、永遠に続けばいい――
そう思う自分がいることに、賢は気づいていた。
――数日後。
ふたりは、サクラと一緒に川辺の桜の木の下にいた。
「けんにいちゃんは、また学校行くの?」
良二が突然そう訊いてきたとき、賢は答えに詰まった。
「……さあ。わかんない」
「そっか。でも、行けるときが来たら、行ってもええ思うよ」
「……お前に何がわかるんだよ」
「わからんけど。けんにいちゃん、ちゃんと怒ったり笑うたりするけぇ、大丈夫思うただけ」
良二の声は、驚くほど静かだった。
いつもより少しだけ背伸びしたような言葉に、賢は何も言えなくなった。
そのとき、サクラがふと立ち上がり、ゆっくりとふたりの間に入って座った。
「サクラも、そう思う?」
サクラは答えない。けれど、その瞳が、まるで優しく頷いているように見えた。
「……ありがとう」
賢は、ぽつりとそう言った。
言葉にしたのは、きっと初めてだった。
誰かに感謝するなんて、ずっと遠ざけてきた感情だったはずなのに――
今は、自然と口をついて出た。
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夏はまだ終わっていない。
けれど、サクラのその瞳の輝きのなかに、なにかを予感させるような、かすかな影が落ち始めていた。
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