最後にいなくなった、君は

松山秋ノブ

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第3章「消失」⑥

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「それでね、最初少し冷たくしちゃったのよ、
    真奈ちゃんに。駄目よね、客商売でそんなこと」
振り返って自分を諫めるような口調だった。
「2人が帰った後で、良くないことしたな、もう来ないかもしれないなって反省したのもしかしたら事情があったのかもしれないのに、それも訊かずに冷たくしたから」
店内にはまだ他の客はやって来ない。彼女もそれを不思議がる様子が見られないところをみると、この感染症の影響がやはりあるのかもしれない。
「でもね、次の日、真奈ちゃん1人でここに来たの」
「真奈がですか?」
驚いた。少なくとも当時、そんな話はなかったはずだ。僕が忘れていれば話は別だが。
「それでね、私に言うのよ、『まだ恵美が亡くなったばかりなのに、無神経に見えますよね』って、私驚いて。見透かされてるんじゃないかって」
「それで」
「私、言葉に詰まってたらね。『当然ですよね、ごめんなさい。私、恵美の友人なんです』って神妙な顔で言うの。あの顔は今でも覚えてるわ」
僕の知らないことが次々と出てくる。真奈も恵美さんと仲が良かったというのか。必死に当時のことを思い出す。真奈は一言も恵美のことを話したことなんてなかったはずだ。それどころか名前すら出すことはなかった。僕が忘れっぽいといっても、それは断言できる。真奈と恵美さんに繋がりがあったとは思えなかった。僕が知らなかっただけなのか、それとも真奈が嘘をついているのかはわからない。それはまだわからなかった。
「『私も望月君も深く傷ついていて、まだ立ち直れないでいます。どうか、温かく、見てくださることはできますか』って深々とね、頭を下げるのよ。お店の前でもあったから、私、慌てて、私の方こそごめんなさい、って」
どこか遠い世界の違う人たちの物語を聞いているようだった。子どもの頃に母親から千夜一夜物語を聞いたような感覚だった。どこかの勇敢な冒険者が次々と困難を克服していくような爽快さはなかったけれど、聞きながら、自分とは関係のない人たちの話なんだ、という感覚は似ていた。それくらいにリアリティのないことだった。
「その時に2人で約束したの。『お互いに恵美ちゃんのことを君の前で話すのは止めよう』って」
話はそこまでだったけれど、それを聞いて、すぐに、そうですか、という気分ににはなれなかった。けれども彼女が嘘をつく理由もなく、また記憶もはっきりしていて、勘違いというわけではない以上、それを受け入れるしかなく、僕は黙ってクレープを口にした。話題を変えないといけない。僕はそう思った。
「やっぱりここ最近は厳しいんですか?」
僕が周囲を見渡しながら言うので、彼女はすぐにその意味が分かったようだった。
「えぇ、ここ1週間くらいは急にこんな感じに」
不躾ながら、大丈夫なんですか、と訊くと、
「大丈夫、ってわけじゃないけど、
    これが続くようなら厳しいかもしれないわね」
と寂しそうに言った。その寂しそうな顔が今日の僕には何より響いてきた。何故だかわからないけれど、無性にこの場所は守らないといけない気がしたのだ。母親のような人が悲しんでいたからだろうか。正直僕にそんな感情が残っていることも驚きだった。
「もし、通販とか、そうだな…冷凍パックで送ってもらえるなら、その分の費用も上乗せしていいんで、売れ残りでいいから売ってもらえませんか」
僕は思ったよりも大きな声を出しているようだった。彼女も目が点になって驚いているようだった。彼女は笑って、でも1人でそんなに食べ切れるほど長持ちはしないわよ、と笑った。僕は、ライブが再開されたら、そこで食べるから良い、と言った。だから、その時までなんとか持ち堪えてほしい、と。彼女は笑って、わかった、と言った。

 長居をしてしまったようである。外はもう橙色に染まってきている。僕はまた必ず来ること、そしてさっきした約束を確認して、彼女に別れを告げた。最後に彼女は、ありがとう、と言って、こう加えた。
「真奈ちゃんともう一度ちゃんと話した方がいいわよ」
僕はそれを了解して店を後にした。けれど、僕は真奈の連絡先を知らなかった。

 帰りの電車でスマートフォンの通知を確認すると、まだ柳町さんからの返信はなかった。代わりに芽以から連絡が来ていた。

  >緑芽以
   お疲れ様です。明日のライブですが、
   無観客の配信ライブになりました
  >緑芽以
   オンラインチケットで料金を取るので、
   出演料も出るそうです。
   岡村さんの主催ですし、
            そのまま出ていいですよね

僕は問題ない、と返信し、明日の夕方には帰れそうだけど、顔を出した方がいいか、と加えると、芽以から、どちらでも大丈夫です、と返信が来た。
 それから電車を降り、ホテルの前のコンビニで夕食の買い出しをした。けれども、お好み焼きとクレープでお腹が満たされていたこともあって、簡単なつまみとお酒で済ませることにした。今日はとても疲れた。頭の中が混乱し、その後で新しい情報で整列していくのは思った以上に気力を消耗した。明日はもう朝からしんかんせんで帰るのみだ。僕は強めの酒を選んで今度はつまみを選びに向かった。その時に通知音が鳴った。スマートフォンを見ると、柳町さんからの返信だった。

  >柳町さん
   わかってくれたなら良かった。
   それで今日は何処へ行ったの?

僕は今日行った場所を返信すると、また陳列棚へと目をやる。手ごろな惣菜とお菓子を手に取り、レジに向かおうとすると、また通知音が鳴った。柳町さんから今度はすぐに返信があった。僕はさっとそれを見ると、手に持っていた強い度数のお酒を軽めの酒に交換した。
まだ終わりではなかった。明日も行くべき場所があったのだ。

  >柳町さん
   ねぇ、どうして病院に行かないの?
   恵美が入院してた市立中央病院に

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