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episode.6(2007/3/23)
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2007年3月23日
約束通りの時間に朝美の家に向かった。昨日と同じ道を通ったのだが、すべてが昨日と違っていた。間違いなく私の意識は若返っていたのだと思った。街の風景もそれを認識する私の価値観も確実に意識は過去に遡り、それが段々と定着していく感覚がある。何か失ってしまったものを手探りで探し当てる作業に似ている。それは間違いなく昨日朝美に会ったからであった。いや、言葉が足りない。それは「記憶を失くした」朝美と会ったからであった。記憶を失くした朝美はとても幼く見えた。お互いにもう23歳になると言うのに、彼女の姿は外見だけがそれで、初めて出会った時と同じか、それよりも幼い印象を受けた。僕は年齢というものが年月によって重なっていくものではないと言うことを悟った。重ねていくのは年月ではなく経験や体験や、それにまつわる記憶なのだ。その重なりが年齢であり、年月というのは、単にそうした体験や経験をしたという時間軸に過ぎなかった。そうでなければ朝美の幼さの説明がつかない。そして、昨日、再会した時点で、僕だけが記憶を持っていた。その差が年齢差となって現れていたのだと思う。だから僕と朝美の間には外見のギャップがあった。けれど、記憶を失くした朝美と1つ1つ記憶を辿っていくと、自分が追経験をしたような気分になる。起こったことを話しているのに、もう一度、自分が新たに朝美と目の前で経験していくような気分になるのだ。それは僕自身の経験を白紙に戻し、重ねたものを削ぎ落としていくようだった、朝美の部屋にいる限り、僕も朝美も出会った頃の中学生だったのだ。
そのせいか朝美の前ではやけに饒舌になった。今日も彼女は白い服を着て椅子に座って出迎えた。心地よい春の風が白いカーテンを揺らし、幻想的な世界を創り出している。それも僕の饒舌を手伝った。朝美は僕の話を聴きながら、時折相槌を打つように質問をしてくる。その時私はどんな顔をしていたか、なんと答えたか、周りの人はどんな反応をしたのか、それだけでなく、風景の色や匂いまで訊いてくることもあった。どうやら記憶とは総合記憶であり、目や耳で記憶する意外にも感触や匂いと共に記憶されていることが多いようだ。彼女なりに記憶が早く戻るように色々と調べてみたらしい。僕は出来る限りそれに答えるようにした。けれど、僕は知らないことは知らないと言うことにしていた。知ったつもりを話しても仕方ないからだ。それが万が一間違っていたとしたら、余計に記憶を乱しかねない。それは避けたかった。それと、僕が主観的に感じたことを表現することは避けるようにした。僕が楽しかったり、嬉しかったりしたことを伝えても、彼女は僕ではないし、彼女も同じように感じているとは限らないからだ。出来る限り、自分の主観ではなく、彼女の反応や表情を思い出しながら、「君は○○そうだった」という表現を使うようにした。饒舌になりながらも、細心の注意を払いながら、僕は彼女と会話をしたのだ。
だから僕は決して、彼女を好きだったとは言わなかった。それは主観の極みであるし、絶対に言ってはいけないと僕の中の何かが自制しているのがわかった。それを言うと全てが崩れ、全てを失うような気がしていたのだ。今日話す予定にしていたところを一通り話終えると、彼女は最後に自分の基本的なプロフィールを改めて訊いてきた。僕はその質問の答えとして「可憐そうで活発、芯が強い人」と表現した。朝美はへぇと何度か頷くと一言「その子に逢いたいなぁ」と呟いた。届くか届かない蚊ほどの声だった。僕はそれを聞き逃さなかった。僕は彼女に自分の姿を写真で見たかと尋ねた。朝美は卒業アルバムも含めて自分に関するものは横浜に残したままになっていた。それがなければ記憶なんて戻らないだろ、と怪訝に思いながらも、それなら僕が持ってこようか、と提案した。やった、約束だからね。と子供の様に彼女は喜んだ。その姿は僕の知っているあの朝美そのもので、僕が好きだった朝美そのものでもあった。僕は不意に照れてしまい、視線を外すことしかできなかった。
<3/23 20:53 ASAMI>
今日もありがとうございました。自分のことのはずなのに、私の話を聴くことはすごく新鮮な感じがします。卒業アルバムも楽しみです。
それとなんですけど、今日質問し忘れたことがあったんですけど、質問してもいいですか。
私は中村さんとはどうやって友達になったんですか?
<3/23 21:15 YUYA>
今机の奥からアルバムを出したよ。楽しみにしててね
朝美からのメールを見て、僕は凍り付いてしまった。質問の答えは返さないでおいた。
その日も夢を見た。
それは昨日見た夢からちょうど1年経った頃の夢-初めて朝美と会話らしい会話をした時の夢だった。
僕は中学生の頃は英語が得意だった。中1で英検3級を取って学校で評判になった。しかしそれから中3まで準2級に落ち続けた。3度目の試験。英検実施は土曜の放課後の教室。準2級を受けるのは僕だけだった。一人教室に向かうと朝美がいた。驚いて教室を確認したが間違っていなかった。意中の人が傍にいるにも関わらず、私は無言で席に着いた。沈黙が流れる。朝美は窓の外を眺めていた。じっと何かを追って見ているようだった。耐えきれなくなったのか僕が話しかける。朝美はそれに笑顔で返す。
そういえば朝美は今日、総合記憶の話をしていた。僕は必死になってその時のことを思い出す。風景は鮮明に浮かんでくる。そして彼女の笑った顔も浮かんでくる。けれどもその時の匂いも感触も思い出せない。
それどころか、僕は朝美と何を話したのかも覚えていない。
何も思い出せない。
約束通りの時間に朝美の家に向かった。昨日と同じ道を通ったのだが、すべてが昨日と違っていた。間違いなく私の意識は若返っていたのだと思った。街の風景もそれを認識する私の価値観も確実に意識は過去に遡り、それが段々と定着していく感覚がある。何か失ってしまったものを手探りで探し当てる作業に似ている。それは間違いなく昨日朝美に会ったからであった。いや、言葉が足りない。それは「記憶を失くした」朝美と会ったからであった。記憶を失くした朝美はとても幼く見えた。お互いにもう23歳になると言うのに、彼女の姿は外見だけがそれで、初めて出会った時と同じか、それよりも幼い印象を受けた。僕は年齢というものが年月によって重なっていくものではないと言うことを悟った。重ねていくのは年月ではなく経験や体験や、それにまつわる記憶なのだ。その重なりが年齢であり、年月というのは、単にそうした体験や経験をしたという時間軸に過ぎなかった。そうでなければ朝美の幼さの説明がつかない。そして、昨日、再会した時点で、僕だけが記憶を持っていた。その差が年齢差となって現れていたのだと思う。だから僕と朝美の間には外見のギャップがあった。けれど、記憶を失くした朝美と1つ1つ記憶を辿っていくと、自分が追経験をしたような気分になる。起こったことを話しているのに、もう一度、自分が新たに朝美と目の前で経験していくような気分になるのだ。それは僕自身の経験を白紙に戻し、重ねたものを削ぎ落としていくようだった、朝美の部屋にいる限り、僕も朝美も出会った頃の中学生だったのだ。
そのせいか朝美の前ではやけに饒舌になった。今日も彼女は白い服を着て椅子に座って出迎えた。心地よい春の風が白いカーテンを揺らし、幻想的な世界を創り出している。それも僕の饒舌を手伝った。朝美は僕の話を聴きながら、時折相槌を打つように質問をしてくる。その時私はどんな顔をしていたか、なんと答えたか、周りの人はどんな反応をしたのか、それだけでなく、風景の色や匂いまで訊いてくることもあった。どうやら記憶とは総合記憶であり、目や耳で記憶する意外にも感触や匂いと共に記憶されていることが多いようだ。彼女なりに記憶が早く戻るように色々と調べてみたらしい。僕は出来る限りそれに答えるようにした。けれど、僕は知らないことは知らないと言うことにしていた。知ったつもりを話しても仕方ないからだ。それが万が一間違っていたとしたら、余計に記憶を乱しかねない。それは避けたかった。それと、僕が主観的に感じたことを表現することは避けるようにした。僕が楽しかったり、嬉しかったりしたことを伝えても、彼女は僕ではないし、彼女も同じように感じているとは限らないからだ。出来る限り、自分の主観ではなく、彼女の反応や表情を思い出しながら、「君は○○そうだった」という表現を使うようにした。饒舌になりながらも、細心の注意を払いながら、僕は彼女と会話をしたのだ。
だから僕は決して、彼女を好きだったとは言わなかった。それは主観の極みであるし、絶対に言ってはいけないと僕の中の何かが自制しているのがわかった。それを言うと全てが崩れ、全てを失うような気がしていたのだ。今日話す予定にしていたところを一通り話終えると、彼女は最後に自分の基本的なプロフィールを改めて訊いてきた。僕はその質問の答えとして「可憐そうで活発、芯が強い人」と表現した。朝美はへぇと何度か頷くと一言「その子に逢いたいなぁ」と呟いた。届くか届かない蚊ほどの声だった。僕はそれを聞き逃さなかった。僕は彼女に自分の姿を写真で見たかと尋ねた。朝美は卒業アルバムも含めて自分に関するものは横浜に残したままになっていた。それがなければ記憶なんて戻らないだろ、と怪訝に思いながらも、それなら僕が持ってこようか、と提案した。やった、約束だからね。と子供の様に彼女は喜んだ。その姿は僕の知っているあの朝美そのもので、僕が好きだった朝美そのものでもあった。僕は不意に照れてしまい、視線を外すことしかできなかった。
<3/23 20:53 ASAMI>
今日もありがとうございました。自分のことのはずなのに、私の話を聴くことはすごく新鮮な感じがします。卒業アルバムも楽しみです。
それとなんですけど、今日質問し忘れたことがあったんですけど、質問してもいいですか。
私は中村さんとはどうやって友達になったんですか?
<3/23 21:15 YUYA>
今机の奥からアルバムを出したよ。楽しみにしててね
朝美からのメールを見て、僕は凍り付いてしまった。質問の答えは返さないでおいた。
その日も夢を見た。
それは昨日見た夢からちょうど1年経った頃の夢-初めて朝美と会話らしい会話をした時の夢だった。
僕は中学生の頃は英語が得意だった。中1で英検3級を取って学校で評判になった。しかしそれから中3まで準2級に落ち続けた。3度目の試験。英検実施は土曜の放課後の教室。準2級を受けるのは僕だけだった。一人教室に向かうと朝美がいた。驚いて教室を確認したが間違っていなかった。意中の人が傍にいるにも関わらず、私は無言で席に着いた。沈黙が流れる。朝美は窓の外を眺めていた。じっと何かを追って見ているようだった。耐えきれなくなったのか僕が話しかける。朝美はそれに笑顔で返す。
そういえば朝美は今日、総合記憶の話をしていた。僕は必死になってその時のことを思い出す。風景は鮮明に浮かんでくる。そして彼女の笑った顔も浮かんでくる。けれどもその時の匂いも感触も思い出せない。
それどころか、僕は朝美と何を話したのかも覚えていない。
何も思い出せない。
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