舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

文字の大きさ
17 / 53

episode.16(2007/4/10)

しおりを挟む
2007年4月10日

 春休みが終わり、塾でのアルバイトがまた週2回に戻ることになった。いつものように遠山鈴の指導を終えて、塾長と軽く話をし、着替えた後、さくらと後日やるアルバイトの算段をつけると、僕は塾を後にした。塾のある2階から1階へ降りる途中で、ガードレールにもたれかかる制服と脚が見えた、見慣れたそれは遠山鈴のものだった。
「遅いですよ、またあの女と話してたんでしょ」
そういえば今日もずっと不機嫌だった。どうやら相当さくらのことを敵視しているらしい。僕はそれには答えず、何故帰らないのかを訊いた。鈴は大きなため息をついて、本当に何も分かってないですね、と声を漏らした。
「いつも迎えにきてくれる父が急用で来られなくなったんです」
私がいつも帰る手段を知らないんですね、とあからさまに落胆した顔をされてる。そんな顔をされても知るはずがない。知らないものを責められても何も感じるものはない。僕が、そう、それじゃ気をつけて、と言いかける前に鈴は僕の横に並んでくる。
「というわけで送っていってください」
面倒だな、と正直に思ったけれど、確かにこんな夜に女子高生を1人で帰して何かがあったら余計に面倒だった。それに鈴の家は僕の方角と同じであるどころか、僕の家のちょっと先にあるくらいの近所である。断る手段もなければ理由もない。僕は何も言わずに歩き出した。鈴も並んでついてきた。
 僕から話しかけることなんて特になかった。指導中でさえ、暇があれば話しかけられ、それに答えているから、僕からあげられる話題なんて何もない。気の利いた話も浮かんでこないし、持ち合わせていない。それでも鈴はどこから話題が湧いてくるのか、僕に絶え間なく話しかけ続けた。そのほとんどが自分の学校で起こった話で、正直鈴が通う女子校の話は、僕の知らないことだらけで面白くないことはなかったのだけれど、僕は生産性のない女子高生の会話に惰性で付き合わされていた。話を聞いたとて僕から返してあげられるものもないし、そもそも相手もそれを望んでいない。聞いて、反応して、共感して、それで良いのだ。それを教わったのは理穂子との会話だった。理穂子のする話になり僕は的確な忠告と反論をしていると、理穂子が烈火のごとく怒り出した。そんなことは分かっている、私はわかりきった正論を言ってもらうために話しているんじゃない、と。それなら僕はどうすればいいんだ、と思ったけれど、喧嘩をするのも面倒なので、それから僕は学習して、共感することを覚えた。
「私、先週誕生日だったんですよ」
コンビニの前で鈴が僕に上目遣いをしてくる。そんなことをされても何も生まれないのだけれど、その言葉から僕は鈴が望んでいるであろう答えを導いて言う。
「なんか好きなもの買っていいよ」
鈴はやった、と言いながら一目散にコンビニへ入っていった。そのはしゃぎっぷりは有名私立の女子校の生徒とは思えないほどであり、小学生高学年のそれにも見える。普段は大人っぽく振る舞おうとしているぶん、余計にそう見えるのかもしれない。鈴はすぐにアイスキャンディーを手に持ってきた。大学生でなくても小学生でも難なく買えるほどの値段だった。それで良いのか、と訊くと、これが良いんだ、と鈴は答えた。遠慮している風ではなく、本当にこれが良いと思っているように見えた。手には2つ握られており、どうやら片方は僕のものであるらしかった。僕は特段アイスなんて食べたい気持ちではなかったけれど、ここは誕生日の人間の意向に沿うことにした。

 コンビニを出ると、僕らは並んでアイスを食べながら再び歩き出した。4月の夜はまだ少し肌寒いけれど、アイスが嫌になる喉ではなかった。アルバイトで使った喉を潤すにはちょうど良かった。ソーダ味が鼻の奥にまで届いて春風と混じり合う。僕は氷を口の中で溶かしながら、その香りが身体に溶け合うのを楽しんだ。
「こうやって学校帰りに買い食いするのって夢だったの」
鈴は嬉しそうにアイスを頬張っている。鈴もこの香りを感じているのだろうか。
「家は小さい時から買い食い禁止だったの。中学校に入ってからは校則でもダメになって」
今の時代にそんな家庭や校則が残っていることに驚いた。どうやら鈴は根っからの箱入り娘らしい。良かった。1人で帰して何かあったら、責任レベルの話では終わらなかった。安堵していると、
「学校の帰り道に、友達とかカップルとか、こうして歩きながらアイス食べてるのを見て羨ましかったの。いつか私もやってみたい、って」
鈴から見える他の学生の世界のことを考えた。鈴はことあるごとに今の生活や両親に不満はないと言った、自分には反抗期が来なかった、といつも笑っている。だから本当にそうなのだろう、けれど、それでも鈴はもしも自分が自由になんでも出来る学生だったら、と思うことがあるのだろう。その時に鈴は自分の境遇をどう思うのだろうか。
「佑矢さんも学生時代にそういうことしてたの」
僕は今でも学生なのだが、というのは野暮だから止めた中学時代や高校時代を指しているのは明確だからだ。僕は記憶を辿る。多分中学時代はあったろう。ダブルデートも然り、帰り道も然り。けれど朝美と2でそんなことがあっただろうか。多分、それはない。あったら覚えているはずなのだ。高校時代は・・・思い出すの止めた。
「まぁ・・・それなりには」
僕の答えに少しだけ鈴は不満そうだった。けれど、すぐに笑顔を取り戻して、
「私は今日が初めて。そして多分、今日が終わり。佑矢さんが隣で良かった」
と言った。アイスを手にもつあどけなさと、春の香りと、急にそんなことを言った鈴の顔の大人っぽさが僕の頭を混乱させた、そんなことを誰かに言われるなんて思いもしなかった。誰かの大切な思い出になれる日が来るなんて思わなかった。不意に目頭が熱くなる。僕はそれを必死で抑え、飲み込むためにアイスを口に入れた。慌てて頬張ったから頭には響いたけれど、幸い鈴には気づかれずに済んだ。

 家の前の急な坂道を登りきり、鈴の家が近づく。
「今日のことは家族に内緒ね」
と鈴は笑い、僕は証拠隠滅のために、食べ終わったアイスの棒と包装紙を受け取った。
「あのさ」
鈴の家の前まで来た時、僕は自然に声を出していた。お礼を言って門をくぐろうとした鈴が振り向く。
「最後なんて言わずにさ、また機会があったら買ってやるよ」
鈴は驚いた表情で僕を見た。そして見開いた目を、今度はすぼめて言った
「誕生日じゃなくても」
「もちろん」
「佑矢さんが大学を卒業しても」
「出来る限り」
えへへ、と笑う鈴はアイスを買ってはしゃいださっきの姿そのままだった。
「冬は肉まんね」
そう言うと、笑みを隠しきれない背中を見せて、鈴は家の中へと消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

#秒恋9 初めてのキスは、甘い別れと、確かな希望

ReN
恋愛
春休みが明け、それぞれに、新しい生活に足を踏み入れた悠里と剛士。 学校に向かう悠里の目の前に、1つ年下の幼なじみ アキラが現れる。 小学校時代に引っ越した彼だったが、高校受験をし、近隣の北高校に入学したのだ。 戻ってきたアキラの目的はもちろん、悠里と再会することだった。 悠里とアキラが再会し、仲良く話している とき、運悪く、剛士と拓真が鉢合わせ。 「俺には関係ない」 緊張感漂う空気の中、剛士の言い放った冷たい言葉。 絶望感に包まれる悠里に対し、拓真は剛士に激怒。 拗れていく友情をよそに、アキラは剛士をライバルと認識し、暴走していく―― 悠里から離れていく、剛士の本心は? アキラから猛烈なアピールを受ける悠里は、何を思う? いまは、傍にいられない。 でも本当は、気持ちは、変わらない。 いつか――迎えに来てくれる? 約束は、お互いを縛りつけてしまうから、口にはできない。 それでも、好きでいたい。 いつか、を信じて。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

処理中です...