舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.41(2007/5/9~5/10②)

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    見間違いではないかと思って何度も瞬きをしてみたが、やはりそれは朝美だった。朝美は確かにそこにいた。けれど、朝美からは何も意志を感じなかった。ただそこに立っているだけだった。
「噂をすりゃ来やがった」
2人組のどちらかが不気味な口調で笑う。僕は朝美に声をかけたい。逃げろ、そう叫ぼうとしたけれど、Jの手首がそれを許さない。
「ちょうど良い、話もあるだろう、相手しろよ」
Jの言葉に2人は振り返る。気持ちの悪い笑顔。クスリのせいだけじゃない。本質的に受け付けない。締められた首の嫌悪感とともに吐き気が襲う。2人が近づいても朝美はそこから動こうとしない。その不気味な笑顔が自分に向けられていると理解していないのだろうか。表情1つ変えないまま朝美はそこにいた。2人が確実に朝美に近づいていく、初めてそこにいるはずの僕はデジャヴを感じていた。朝美の記憶がなくなった日にここに来ていたかはわからない。けれど、朝美は竹下を探してこの街に出入りしていた。そしてこの店にたどり着いた。この街で何があったかはわからない。けれど、やはり何か恐ろしいことに巻き込まれていたことには間違いなさそうだ。その場面を目の前で見せられているようだった。竹下に勝てなかった、和解しないまま高校を卒業した、気がついたら朝美は記憶を無くしていた、記憶を無くした朝美にも僕は何もできなかった。僕はいつも何もできなかった。

「オ・・・レ・・・」
絞り出すように声が心の奥から響く、その声に驚いたJの手が一瞬緩んだ。僕は思いきりJを突き飛ばすと、壁に背中を打ち付けて悶える。僕は無我夢中で2人に向かって突進して行った。
「オレの朝美に触んな!!!!」
後ろから急に膝蹴りをされた1人は糸の切れた操り人形のようにその場にへたり込んだ。僕はそのまま朝美の手を引き、暗闇の中を必死で出口に向かって走り出した。視界が狭い上に所々に人がいて何度もぶつかるが、僕は知りうる限りの最短距離で向かう。もう1人が声を上げて追ってくるのがわかる。僕は途中で詰んであったビンケースをひっくり返すと、空になったビンが派手にフロアに飛び散った。その音に悲鳴を上げた客の言葉で僕らに視線が集まる。僕はそんなことお構いなしにそのまま階段を駆け上がり地上に出る。幸いまだ追ってきていないけれど、まだ予断は許さない。階段下では何人もの男の叫び声のような音がこだましている。僕はいつの間にか人通りのまばらになった通りを走り、佐藤さんと待ち合わせた場所に急いだ。角を曲がると予定通りの場所にバンが停まっており、佐藤さんが待っていた。
「早くここに」
バンの扉は開かれており、僕と朝美はそこに飛び乗った。
「今、扉を閉めたら音で怪しまれます、シート下に身体を隠してください」
佐藤さんの言う通りに僕たちは身を潜める。朝美の表情はわからないけれど、荒くなった息遣いが幽かに聴こえてきた。もしかするとこんなに近くで朝美の音を聴いたことなどないのかもしれない。それどころか夢中になって忘れていたけれど、僕は朝美に触れたことさえなかったと思う。僕は初めて朝美と手を繋いでいた。僕の心臓の音は夢中で逃げたからだけじゃなかった。
 佐藤さんは外から僕らが見えないように器用にダンボールを載せていった。開いたバンの扉から外の音が聴こえてくる。先程の男たちと思われる声が遠くから響き、その足音が急速に近づく。一瞬の緊張が走るが、その音はすぐに遠くに消えていった。
「佐藤さんじゃないですか」
佐藤さんが誰かと会話をしている。
「どうしたんですか、こんな時間に」
「おう、ちょっと機材を返しにな」
騒がしいけど、どうかしたのか、と佐藤さんが訊いているのでいるので、おそらく男の一味なのだろう。再び緊張が走る。
「店で暴れた連中がいましてね」
「さっきのはそれで追っかけてたのか」
「男と女なんですけど、どこいったか見ませんでした?」
あー、と少し考えるふりをして
「なんか通ったかもしんないな、でもここら辺ホテル多いし、早くしないと隠れられるんじゃねーの」
と答えると、そうですね、と言い、それきりその男の声は聞こえなかった。

「さくらちゃんが来たら出発します、もうしばらくそのままでいてください」
佐藤さんが囁く。一応はまだ用心が必要なようだ。僕はそれに素直に従った。

しばらくしないうちにさくらが合流し、助手席に乗り込むと出発した。5分くらい走っただろうか、佐藤さんからOKが出て、ようやく僕らは身体を起こした。少し目眩がして、ネオンで視界がぼやけたけれど、車は既に新宿を脱出したようだった。隣の朝美は相変わらず表情がなかった。
「隣の女性は」
とさくらが聞いても朝美は何も反応しないので、僕が彼女が朝美だと答える。2人はやはりそうか、という反応をしながらも驚いてみせ、朝美に挨拶をする。しかし、朝美は幽かに頭を動かすだけだった。僕は朝美に訊きたいことがたくさんあった。1人でここに来たとはどうにも思えない。様子を見る限り記憶が戻ったようにも見えない。僕は矢継ぎ早に朝美に質問をした。どうしてあの場所に来たのか、東京へはどうやってきたのか、誰か協力者がいるのか、朝美は何も答えなかった。答えられない、というより拒絶のようなものを感じた。僕はまだ朝美に許されてはいないようだった。ただ記憶が戻ったのか、という質問にだけは首を横に振った。空気を打破するかのように佐藤さんが会話に助け舟を出した。
「にしても連中かなり怒っていましたよ、何したんですか?」
せっかく佐藤さんが話してくれたのに、僕はそれどころではなくて、苦笑いをするしかなかった。会話はまた途絶えた。
「朝美さん、泊まるところはあるの?」
今度はさくらが話しかける。言葉を発しない朝美に身を乗り出すようにさくらが訊く。朝美は首を横に振ると、
「じゃあ今夜は家に泊まりなよ、私1人暮らしだし、中村さん家よりは良いでしょ」
と笑いかけた。朝美は、えっ、と戸惑いを初めて表情として見せたけれど、その勢いに押されたように小さく、はい、と答えた。
「それじゃ決まり」
とさくらは笑ったまま身体を戻した。少しだけ車内の空気が柔らかくなった気がした。その柔らかさを皆が感じ、心地よくなったのかそのままそれ以上は会話をすることなく車は進んでいった。知らないFMの音だけが響く。ジャズ調の落ち着いた音楽は僕がジュークボックスでリクエストしたくらいに車内に自然と満ちていく。とりあえずはこれでいい。僕は隣にいる朝美を刺激しないようにそのまま窓の外を眺めていた。

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