舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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final episode(2007/5/18)

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2007年5月18日

 この1週間で全てのことが始まり、全てのことが終わった。竹下はその後、覚醒剤の所持と使用で逮捕されたと新聞の小さな記事に載っていた。全国紙ではなく、地方欄の小さな記事なので、気をつけて見なければ分からない、恐らくこのことが福岡にいる朝美のところまで届くことはないだろう。僕は少し安堵した。それと同時に竹下に対する猛烈な怒りが蘇ってくる。朝美を変えられるのは竹下しかいなかった。「過去の強い恋愛の記憶」という時点でそれはもう竹下に頼るしかなかった。そのこと自体が既にもう自尊心をめちゃくちゃにした。僕が朝美に抱いた記憶の積み重ねと年月は竹下とのあの短い記憶に何も勝りはしていなかったのだ。悔しかった。朝美は自分が何とかできると思っていた。けれどできなかった。それなら朝美と新たな関係を構築したいと思った。それも竹下との記憶が障壁となって叶わなくなった。僕は過去も今も竹下に敵わなかった。

 竹下という切り札を失った今、これからどうしようかと思った。どちらにせよもう朝美とは関係を構築できない。その術を僕は持っていない。僕には何ができるのだろうか、何かできることがあるのだろうか。そんなことを考えているうちにメールの着信音が鳴った。登録していないアドレスだった。


「佑矢さん、Happy Birthday! お祝いを言おうと思って塾に行ったのに、いないから、塾長に無理を言ってアドレスを訊きました。誕生日プレゼントは何が良いですか?  遠山鈴」


そうか僕は今日誕生日だったことを思い出した。僕は23歳になったのだ。そんな感慨よりも、未だに僕に誕生日の祝いのメッセージをくれる人がいることに感嘆してしまう。塾長が僕の個人情報を流出させたことは如何なものかと思うけれど、鈴ならまぁそれも仕方ない。きっと塾長もそう思って教えたのだろう。ふと先週の鈴の言葉が蘇ってきた。

「好きな人のために行動するなんて当たり前じゃないですか」

僕はこの言葉の後に佐藤さんからメールをもらった。躊躇いなく伊勢崎町に向かったのは、単に竹下の居所がわかったからではない。竹下を見つけることが朝美のためになると思ったからだった。朝美のために行動することは僕にとって当たり前だった。そんなことを忘れていて、鈴の言葉に背中を押されたような気がしたのだ。そして今、僕は再び鈴に背中を押されようとしている。朝美のために何ができるのか、何ができることなのか。僕は精一杯考えて、そして結論を出した。

 僕は竹下のフリをして朝美に手紙を書くことにした。僕の知る限りの竹下と朝美のことを事細かに書いて、何通もの手紙にすることにした。その手紙を朝美が読み、そして全て読み終わる頃には朝美の記憶は戻るだろう。篠塚先生の説が正しければ、きっとそうなるはずだ。それでなくても朝美は竹下とのことで心を乱した。何かしらのアクションは起こるに違いない。僕は一心不乱に筆を動かした。この筆を止めると自分の決意が揺らぐ気さえしていた。鈴に押された背中のままで書かなくてはいけないと思った。流れるような速さで筆を動かし、それをいくつかに分けて封筒に入れていく。全てを一度に送るわけではないが、一度送ってしまえばもう後戻りはできない。僕はそのまま封筒の1つを持ち、郵便ポストに向かった。
 歩いて5分のポストに向かって歩きながら、僕は何度もこれで良いんだ、と繰り返した。これが朝美に出来ることだった。そしてそれは竹下へ一矢報いることでもあった。竹下のフリであるとはいえ、これで記憶が戻れば、朝美の記憶は僕が戻したことになる。僕は朝美の人生に於いて大きな意味を持つことができたのだ。たとえそれを朝美が自覚していなくても、他の誰が知らなくても、そんなことはどうでも良かった。好きな人のために行動することに、そんなことは意味のないことだった。

 封筒を投函する瞬間、一瞬たじろぎはしたけれども、僕はもう迷うことなくそれを放った。

    これで僕は朝美の人生の一部になった。僕は再会した時の朝美の顔をもう一度だけ思い出すことにした。きっと記憶が戻ってしまえば、僕たちの関係は記憶を無くす前の冷ややかなものになってしまうだろう。それは悲しいことかもしれない。もしかするともう二度と会うことがないのかもしれない。その時は、僕は再会したあの朝美の顔を思い出そうとするだろう。けれどあれは僕に訪れた初恋の終わりまでの猶予期間だったのだと思う。再会した朝美と別れた時に、僕の初恋は本当の意味で終わる。終わったものを何度も思い出すことはできない。それはしてはいけない。たとえ今の朝美を僕が知れなくても、終わったものにすがるべきではない。僕は朝美に話しかける。それは記憶の中の朝美に対してなのか、再会した朝美に対してなのか、これからの朝美に対してなのか、それはもう分からない。ねぇ朝美、僕は頑張ったよ、最後に君のためになることができたよ。いつも自分のことばかりで、君のことなんて少しも理解しようとしていなかった。ごめんね。でも、僕は君が好きだったんだ。本当に好きだったんだ。だから、これでお別れだね、さようなら。

 歩く世界が歪んでいく。夕日がただの色彩になり、僕の視界を光だけにしていく。あぁそうか、僕は今泣いているのだ。

 
    思い出すに、僕が朝美のことで初めて流す涙だった。

 
    流した涙で視界は遮られ、僕は立ち止まる。視界が戻るまでは僕はもう歩けない。横浜の道の上で僕は1人で泣いたまま立ち止まっていた。立ち止まった僕はどうしようもなく1人だった。

   
    やがて色彩だけの世界は輪郭を成し、僕は再び歩き出せるようになれる。そして僕はまだ自分が朝美に出来ることがあることを思い出した。これが最後、最後の仕上げとして、僕に出来ることはあった。帰り道に僕は小さなノートを買った。ノートを買い終えた頃には、僕の世界は完全に正常に戻っていた。
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