魔法ゲーセン

やご

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旅立ちと落とし穴

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道端に吐瀉物がぶちまけられている。

俺は、このゲロと同じだ。

人間は誰でもゲロを吐く。

風邪をひいて具合が悪い時、酒を飲み過ぎた時、或いは泣き過ぎてゲロを吐く事もある。

しかし、同じ条件でも、いつも吐く訳ではないし、毎日吐いてる訳でもない。

いくつかの条件が重なり、たまたま、誰かが運悪く吐いたゲロ。

それが、悪臭を振り撒き、見ることすら憚られる吐瀉物の正体だ。

そんなものが、周囲に悪影響を与えないようにするには、綺麗さっぱり洗い流すか、蓋を閉めて漏れ出ないようにするしかない。

そして俺は、後者を選んだだけだった。


途中、見慣れないゲーセンを見た。

魔法ゲーセンとかいう、星やら何やら、無駄にポップな装飾が付けられた看板が目にとまった。

ゲームは好きだが、ゲーセンは嫌いだ。

うるさいし、周囲に人がいるのも好きじゃない。

だが、このゲーセンは、まだ出来たばかりなのか、それとも初日のピーク以降、客足が途絶えてしまったのか、外装が新しいにも関わらず、人が見当たらない。

従って、ゲーセンらしい喧騒もない。

だから俺は、好奇心で店を訪れてみた。

「お客さん、運が良いね」
「は?」

店内に入った俺の真後ろから声がする。

振り返ると、青い業務用のエプロンを付けた髭面の男が、薄暗闇から、ニヤリと笑みを浮かべていた。

「何がですか?」
「実は当店、新作のフルダイブ型のバーチャルリアリティゲームを世界初、導入した画期的なゲームセンターなんです」

バーチャルリアリティゲーム、略すとVRGだろうか。

ライトノベルでは、そういうゲームがある世界で、という設定はそれなりにある。

だが、現時点ではそんなものは存在しない。

専用のゴーグルを付けて、没入感があるみたいなものなら想像も出来るが、自分の感覚ごと仮想空間に没入させるなんて、理解し難い。

何か、トンチのような落とし所があるのだろうか。

謳い文句が何であれ、実際にやってみるのが一番早い。

折角来たことだし、やってみてもいいだろう。

そう考えた俺は、店員に促されるままに店の奥へ奥へと進んでいった。

店内は不必要に暗く、中を照らすのは、筐体ゲーム機を彩る、電光掲示板の光だけだった。

やがて、ポツリと現れた座席。

周りには、木の根のように張り巡らされたケーブル。プレイヤーに装着するであろうヘッドギアが座席の上に置かれていた。

「さあ、どうぞ」

俺は、訝しみながらも席に着き、置かれていたヘッドギアを装着する。

意外な重さにくらりとするが、座席の背もたれに体重を預けると、意外にもしっくりとくる。

「では、そのままお待ち下さい」

暗い事もあって、薄く目を閉じた。

時間にして、凡そ10秒といったところだろうか。

その10秒で、世界は変わった。

頬をそよぐ風、爽やかな草の香り。

目を開けると、見果てぬ大草原と、それを覆う、何処までも広がり続ける青空が俺を待ち受けていた。

「なんだ、これ…」

最近のゲームは、何処かで実際に撮影してきたものを使ったかのように、鮮明なグラフィクスを誇るものも少なくない。

だが、草の匂い、風に揺すられ、日に照らされる感覚は、体験することは出来ない。

暫し言葉を失う俺の前に、ある人型の生物が姿を現した。

ぴょこんと伸びた二つの耳、揺れる小さな尻尾。そして、大胆に曝け出された太もも。

小柄な体躯に見合わぬ長さの脚が、その魅力を強調していた。

これは…

[ウサミミ族-草食-]
草原最弱の種族。耳の良さと、強い脚力を活かして、生き延びている。美味しい。

頭の中に響くような、妙な感覚があった。

鑑定か?便利だけど、人型の生物を食い物判定するなよ。

とはいえ、距離は十分にあるし、万が一戦闘になろうとも、最弱の生物なら負ける心配もない。

そのまま観察していると、向こうも気が付いたらしく、少し垂れていた耳をピンと立たせて、こちらをじっと見つめてくる。

互いに無言で見つめ合う。

そんな奇妙な沈黙が数秒続いた後、不意にその姿が消えた。

どこに消えたんだ?

そう思って、向こう側へと歩いて行く。

平坦に見えた草原にも、小さな石ころや、草の根による凹凸があり、意外と歩き難かった。

少しでも歩きやすそうな、平地を探して歩を進めて行く。

そして、最初にウサミミ族を見かけたところに足を踏み入れた瞬間、何かが崩れる音と共に、足を踏み外した。

次いで、尻に強い衝撃を受ける。

突然のことで、何が起きたのか分からなかったが、どうやら落とし穴に落ちたらしい。

予想以上に穴は深いらしく、見上げた青空は、月のように小さかった。

あんな高さから落ちて、よく無事だったものだ。

そんなことを思っていたが、どうやら下は柔らかい草のクッションになっているみたいだ。

「こんな所に、何の用ですか?」

少女の声が聞こえた。

怯えが混じっているのか、か細く震えている。

何の用と聞かれても困るが、旅人と答えておけば良いだろうか?

あながち間違いでもあるまい。

「ここには、旅の途中で立ち寄っただけだ。他意はない」

どこから話しかけられているのか、音が反響してよく分からなかった俺は、上の方に向けて声を出した。

警戒しているのか、返事がない。

どうすれば良いものかと、手をこまねいていると、上からロープが垂れ下がってきた。

「これを伝って登って下さい」

ロープを登攀なんて、したことがない。

したことがない、というよりは、出来たことがない。

これはゲームだから、肉体に補正が掛かって、どうにかなるだろうか。

そんなことを考えていたが、どうやら甘かったようだ。登れない。

「あの、何してるんですか?」

純粋な疑問なのか、苛立ちが含まれているのか、判断が付かない。

「その、登れなくて」

我ながら情けない気持ち一杯であった。
ゲームでのロープの上り下りは、階段やハシゴと大して変わらない。

しかし、俺は、それが出来ずに詰みかけている。

「あの、手伝いますか?」

申し出をありがたく受け取った俺は、無事に落とし穴から抜け出した。

「ありがとうございました」
「あ、いえいえ」

穴から引き上げてもらった俺は、横穴から続く地下道を歩いていた。地下道は所々に光る石が設置され、中は仄かに明るく照らされていた。

「あの、さっき草原にいた人ですよね?」
「はい」

彼女は、穴に落ちる前、ここで初めて見つけた他の人だった。

「あの時は、怖い人なんじゃないかって思ったんです。あまり、他所の人が近寄らない場所だし」
「いや、こっちこそ、じっと見つめちゃって…あの、この先はどこに繋がってるんですか?」

自然な流れで着いてきてしまったから、どこに繋がっているのか分からない。

よもや監獄という訳でも無いだろうが、多少、気構えもしてしまう。

「この先は、私たちの街に繋がってるんです。どういう所かは、実際に見てもらった方が早いですね」

行き止まりの壁に手を付けると、壁が動き、ゆっくりと視界が広がっていく。

すり鉢状に並び、段々と連なる家の壁。一つ一つの建物が組み合わさって、街は一つの巨大なホールを形成していた。

「ようこそ、私たちの街ラビットホールへ」

現実と見紛うばかりの世界。

しかし、飽くまで全てが人の作為によって模られ、自身の感覚さえも錯覚だとするならば、この感動もまた、偽物なのだろうか。
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