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ダブルベッドも買ふ(ともかく4話)

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「よく平気な顔して歩けるよな……」
 素直な感想さ。両足が右足という前代未聞の生物を引き連れて歩く俺の不気味な気分、理解してくれ。
「歩きにくいよー」

「そりゃそうだ」

「ね。これちょっと持ってて」
 路地の隅に立つ電柱によりかかった小ノ葉は、持っていたお袋のサンダルを俺に待たせると、穿いていたサンダルを一つ脱いで手に載せた。

 しばらく澄んだ目で見つめていたが、
「左右対象にすればいいのよ」
「なるほどな」
 観察してそう言いのける小ノ葉と、言われて気付く俺の脳ミソ。この違いが情けないぜ。

「こんなの簡単よ」
「どうすんだよ?」
「どちらかのサンダルを分子化して、左右対称にした物体に再構成するの」
「そりゃあ、材料的にはそろってるけど、構造が複雑だぜ?」
「大丈夫。あたしは可変種。どんな複雑なモノにだって変身できる能力があるのよそれを使えば同じこと」
 言われれば、あの時の手鏡はどこからどう見ても本物だと言える。あり得ない能力があるのは確実なのだ。

「やって見るわね」
 すぐに小ノ葉の手の上で虹色の霧が立ち上がり、煙のようにサンダルが消えるが、すぐに薄ぼんやりした影が発生したかと思うと、間髪入れずに新たなサンダルが現れた。ほんの少しデザインが異なるが、片足に履いた物を左右対象にした素人目には左足用だった。

「すげえな。分子の再構成って……」
 自分で吐いた言葉に首を捻るのも何だが、まあそういうことだ。小ノ葉がこっちの世界に来て開花した特殊能力だそうだ。原因はよく解からない。キヨッペはマナがどうたらって説明していたが、途中から偏頭痛が起きたのでちゃんと聞いていない。

「これでいいわ」
「ぴったりだ……」
 こうなると500円では安い買い物になる。

 それにしても――。
 俺は感慨深い息を吐(は)きつつ、しばし見惚れる。

 お袋のサンダルを摘まんで背中に担ぐようにして路地を歩く小ノ葉。新品の履き心地を試しているのか、嬉しげに美脚をクロスさせる姿は均整の取れた美形スタイルで、ファッションショーのキャットウォークを歩くモデルと比べても見劣りしない。
 小の葉は目を細めて後ろを歩く俺に振り返ると、嫣然としてこう言った。
「こんないいもの買ってくれて、どうもありがとう。イッチ↑」

 これですべてが許せるよな。夜にスライムに戻ろうと、花とおしゃべりしようと、
〔おうよ。この微笑みを俺だけに捧げてくれる、これがすべてじゃねえか。異世界人同士の恋愛ってありだぜ。なあ、相棒?〕
《だなー》
〔オレっちも感動しちまったぜ〕
 うむ。悪魔も天使も同意見だった。


 ところで……。
 俺の人格を総動員しても気付かなかった問題を伝えておかなければならない。
 サンダル履きでブラジルから飛行機に乗って来た、ってよく考えたらおかしさ満杯だろ? けれど我が家ではそれが通じてしまったから不思議だ。すげえだろ俺んちって……。




「ん?」
 家の裏口に中型のトラックが横付けにされていた。大型でも軽トラでももない。
 ボディに描かれた立花家具の文字と、運び込まれて行く荷物を見てつぶやいた。
「まるで新婚さんを迎い入れる家みたいじゃねえか……」

 次々と従業員の手によって、二階へ運ばれて行くところをすがめながら、
「親父のヤツ、滞在期間も知らないくせに張り切りやがって……」
 言わずもがな、小ノ葉のために買ってやったんだ。

「まいど、おおきにぃ~」
 方言丸出しの礼を言うスキンヘッドのオヤジは家具屋の店長で間違いない。ナデシコの花とオーバーラップするが、こっちは正真正銘の人間だから問題は無い。

 おやっさんは俺に気づくと流暢な関西弁で語りかけてくる。
「ボン。ええ娘(こ)見つけたんやってな? おぉ、この子か? うぉ、ほんまやなぁ。こりゃべっぴんさんや」
 声が異なるので違いはあるが、あのナデシコと全く同じ口調で語られると無性に気になる。あいつはまだ俺の部屋に滞在中だろうか。誰かに捨てられていたら嬉しんだが、それは考えられないな。


 おやっさんは、ポケットに折り畳んでいた灰色の帽子を広げつつ、俺にしがみつく小ノ葉をじっくり観察。
「こないな子はめったにおらへんで。マサやん。孫が楽しみやなぁ、何ヶ月やって?」
 思わず眉をひそめそうな言葉を綴って、家具屋のおやっさんは視線を親父に戻した。

「おいおい……」
 どこまで不気味な噂が広まってんだ。俺はまだ高二だし、結婚だってしていない。いやそれよりちゃんとした女性と結婚したい。

「おっちゃん。孫はまだなんだ」
 裏庭から出て来た親父はおやっさんに家具の代金を支払い、くだらない言葉を付け足した。
「こいつオレに似てオクテだからな……」
 ウソこけー。お袋と式を挙げる時には俺が腹の中にいたって言ったじゃないか。

「何がオクテや。おまはん翔子ちゃんとデキ婚やったやんか」
 ほらみろ。さすが親父をガキの頃から見ているおやっさんだぜ。

「ねぇ。デキコンって何?」
「えっ!?」
 親父のヤロウ、でっかい声で恥ずい会話をするから、小ノ葉に聞こえたじゃやないか。何て説明すればいいんだよ。
 必死で思考を巡らせ、
「でっかいコンニャクのことだ」
「コンニャクって?」
「はい?」

 勘弁してくださいよー。


 そんなこんなで、家具を運び終えたのを確認すると、おやっさんは営業スマイルではない本物の笑みを浮かべて手を挙げた。
「まいどおおきにぃ。ほなマサやん。来週ぐらいにベビーベッド用意しとくさかいに~」
 熱帯魚じゃねえんだ。そんなすぐにいらね。


「まぁ。まぁ。まぁー。カミ電さん。なんだか景気のいいことで……」
 けったいな関西弁と排気ガスを撒き散らしてトラックが消えた空間に、一人のオバさんが取り残されていた。

 クルマの陰にいたようだが、少々丸みを帯びたこの女の人こそ。
《出たぁぁぁぁ。吉沢放送局だぜ》
 もとい、キヨッペのお袋さんだ。
〔さっき大木文具にいたんじゃねえのか?〕

 神出鬼没という言葉の見本みたいな人だ。きっと俺たちがサンダルを買っているあいだに先回りしたんだ。

 声に振り返った親父も、一瞬身構える。
「やぁアキちゃん。こんな路地をウロウロしてどうしたんだい? そろそろ店を開ける時間だろう?」
「立花家具のトラックが止まっていたもんで、何事かと思ったのよぉ」

 パトカーや救急車なら気持ちは分かるが、家具屋のトラックが止まるだけで、わざわざ自分の家とは逆方向の路地までやって来るかな。
《たぶん噂話を探して歩き回ってんだぜ》
〔だな……〕

「新品のダブルベッドに、ドレッサー、整理ダンス。豪勢なことで」
 よく見てやがるなぁ。敏腕刑事さながらの洞察力じゃね?

「いやぁ~」
 親父は頭を掻き掻き、
「いずれ我が家に嫁ぐ可愛い娘のために、ちょっと奮発しただけなんだ」

 誰が嫁ぐんだって?
 小ノ葉か?
 人間じゃねえし……。

 キヨッペのオバさんから、ネチャネチャした視線が俺たちに放たれてくる。まるで納豆の糸みたいに気色悪い。
「ほんとにお似合いのカップル。ほら今もぺったりくっ付いて。まぁまぁ。熱々だこと」

 急いで小ノ葉の腕を解いて、半歩ほど距離を開けた。
 小ノ葉は瞬間、戸惑い、再び腕にしがみつこうとするので小声で命じる。

「ちょっと離れろ。人前であまりくっ付くと要らぬ誤解を受けるんだ」

「だってぇ。離れたらイッチの心が読めないもん」
 哀願する目で小の葉は上目に俺を見た。

「――あらぁまぁ。お熱いことで一心同体と宣言してるじゃない。最近の子は、おマセさんなんだねえ」
 口をまん丸にして、吉沢放送局は電波を放出続ける。
「まるで、カズくんの心を読んで行動を取るみたいじゃない」

 すげえ。洞察力も刑事並だ。
「そうじゃなくて、まだ日本に来たばかりで、地に足が付いてないんすよ、オバさん」
 もう一度、小ノ葉を引き離す。

「それにしても、まぁ。ラテンの女性は均整の取れた体してるわねぇ。そのオレンジのソックス。まあ足が長いこと」
 オバさんは視線に鋭さを増すと、スキャン装置並みの丁寧さで小ノ葉の腰辺りからゆっくりと下げていく。
「あー、それね。高田さんのところで買った格安のサンダル」

 どあぁぁぁ。この人なんなんだ。まだ十数分前の出来事だぞ。

 俺は焦りを必死で隠し、小ノ葉は恥ずかしそうに、そして俺から離れると孤立感をいっそう顕にしたが、
「こんにちワ」
 蛍光オレンジの長い足を膝でほんの少し曲げて会釈した。

「あら、こんにちワ。日本語お上手ね」
 よし、オーケー。問題なし。

 しかしオバさんの視線が再び上昇したかと思うと、太股辺りで止まって指を差す。
「このミニ。ルリさんちのマネキンが着ていたヤツね」
 すげえぇ、どこまで記憶してんだろう?
「あんらぁ~、お人形さんより似合ってるワ。すごいじゃない……あれ?」

 なんだ、どうしたんだ?
 レプリカだと見抜いたのか?

「素材こんなに立派だったかしら?」
 ちょっと摘まんで首を捻った。小ノ葉もどうしていいか分からず、じっとしている。

「やっぱ着る人が着ると、安物でも立派な衣装になるもんだぜ、アキちゃん」
 親父の助け舟に――本人はその気は無いと思うが――とりあえず、
「そうよね。杏もこれぐらいのを着てくれたら少しは女らしくなるのにね」

「アンちゃんはけっこう可愛いんだ。ちゃんと女らしくすればこの商店街で一番美人だと言ってもいいぜ」
「あら。まぁ。嬉しいことをカミ電さんたら。ああ気持ちい言葉だこと。ねぇも一回しっかり言ってくださらない?」

 キヨッペのオバさんをさっさと追い返したかったのだろう。あろうことか、親父は小の葉の真横で人差し指をおっ立てた。
「この商店街で、一番の、」
「ありがとうおにいさん……」

「「あ?」」

 親父とキヨッペのお袋さんが小ノ葉に首を捻じって凝固。こっちは急速冷凍されて氷結状態だ。

 バカやろ。親父の人差し指に反応するやつがあるか!
 心の中で小ノ葉を咎めてから、表向きの言い訳を放つ。

「それを言うなら『御父(おとう)さん』だ! それより今は杏の話しをしてんだぞ」

 そして硬直している二人に向かって必死で言い繕う。
「外人だから関係ないところで割り込むんすよ。日本式の礼儀もまだまだで……ほんとゴメン――ほらこっち来い!」
 小ノ葉の腕を引っ掴んでぐいっとこちらに寄せた。

(だって、人差し指立てたらそう言えって……)
 忽然と頭の中に小ノ葉の声が響き渡り、またもや唖然として見つめる。
(お前の声が聞こえるぞ)
 動けなかった。読むだけでなく向こうからのメッセージも伝わってくるんだ。
(だいぶ慣れてきたもん。これで体のどこかに触れていると会話できるね)

「あらあら見つめ合っちゃって……。お熱いことで。若いっていいわね。うちの恭平にお嫁さんが来るのはいつになることやら……」
 このまま行くと妹の杏に『嫁さん』が来ちまうほうが早いぞ。

「それよりアキちゃん。店ほっといていいのかよ。ケンちゃん一人だとオデンの出汁(だし)に何入れるかわかんねぞ」

 また放ってくれた親父の助け舟にようやく乗り込んだキヨッペのお袋さんは、
「え? もうそんな時間なの? それなら急いで仕込みしなきゃダメだわ。ほんとうちのケンちゃん何もできないからね」

 ぱたぱたとサンダルの音を上げて遠ざかるラジオ吉沢を見送ってから、親父が振り返る。
「お前らイチャイチャすんのは家の中だけにしておけ。アキちゃんに捕まったら、あっという間にプライバシー剥き出しにされるからな」
 大いに賛成だ。まったく恐ろしいオバさんなのだ。マジで小ノ葉の正体がバレたら、えれーことになる。


「ところで……」と、親父はポケットから一枚の紙切れを取り出して言う。
「お前らどこ行ってたんだよ。待ちきれないからオレ、小ノ葉ちゃんの生活道具買っちまったぜ」
 領収書と書かれた部分を俺の前に突きつけた。

「立花家具のだけど……」
 金額を見せられて戸惑う俺に、さらにとんでもないことをぬかしやがった。

「ほら。立て替えといてやったからな」

「ぬぁ? 誰が買ってくれって言ったんだ? なんだよこの7万2千円って」
 親父は鼻の下を伸ばして、ちらりと覗きこみ、
「化粧台と整理ダンス。それからベッドだ。それも喜べ。ダブルだぜ」
 と言ってから、ニヘラとやらしい笑みを小ノ葉にやった。

「どう使うかはお前らに任せた。それより全部ほとんど原価で売ってくれたんだぜ。あそこのオヤジとうちの爺さんは友達だからな。助かるぜこういう時は……」

 どういう時だよ。まったく。

「俺、金ねえぜ」
 と言い返す息子に向かって、
「バイトでもして返しゃいいんだ」
 なんと、むごたらしいお言葉を……。
  
  
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