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第四巻・反乱VR

 ラブジェットシステム

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「よっしゃ。準備でけたで。ラブジェットシステムに移動しよか」
「そう言えば我輩はラブジェットシステムなる物は初めてであるが、どれがそうなのだ」
「これや……」
 とギアに誘われて二度見をしてしまった。

「これはキャザーンの脱出ポッドではないか。確かアキラの勉強部屋になっていたヤツだろ?」

「ああ、あの話しな。あれはキヨ子はんからの攻撃を逃れるために一時的にシェルター代りにしとっただけや。鍵を壊されてから使うてないねん。せやけどよう考えたら、これって脱出ポッドや。捨てるに捨てられへん。こんなもん大型ごみとして出せる範疇を越えとるやろ」

「そうだろうな。キャザーンの宇宙船の一部だから地球には無い代物だ。産業廃棄物として扱ってもいい物か、悩むところだ」

「せや。ほんで使い道を探ってたら、実体化のジャマをする電磁波や諸々の宇宙線が浸透せえへん酸化シルチタニウム製の隔壁やと気付いたんや。しかも気密性が高くて外部と完全遮断できるがな。これならラブジェットシステムの筐体(きょうたい)にちょうどええとなったんや」

 ギアは長々と説明してから、
「まぁ立ち話も何やから、早(は)よ入ろうや」
 まるで開店したての銭湯にでも誘うような気軽さで、ギアはラブジェットシステムの内部へと我輩を誘導した。

「何にも無いな?」
「当たり前や。番台(ばんだい)でもあると思ってたんか?」
「思っちゃおらんが、もしあったらその奥を期待してしまうではないか」
「奥って?」
「女風呂だ」
「ひゃぁひゃひゃ。ホンマやな」
「変な笑い方するな」

 我輩たちの会話とは無関係に、内部は椅子も無くがらんどうの状態だった。

 宇宙船備え付けの脱出ポッドだと言っても、元は数席の座席と操舵計のパーツがあったはずなのだ。それらがすべて取り外された内部はドーム型の空間がポツリとあるだけだった。

 そして――。
「そこらの物に帯電するなや」
 と言い残してギアは装置の奥へと消えた。

 そこの青年。帯電とは意味わかるな?
 我々は電磁生命体だ。電荷(でんか)を帯びているのである。それが周囲の物体に影響を与えて、荷電(かでん)することを帯電と呼ぶのだ。

 また一つ賢くなったな。


 しかし……。
「帯電するなと言ったって、何も無いではないか」
 誰もいなくなった部屋で我輩が引き起こす電磁風が舞うだけである。

「あー。おー」
 電磁波(こえ)が反射して、いい感じであった。
 で、しばらくやることもなく、ぼーっとしていると退屈になってきたので、
「あー。あー。ワレワレはー、ウチュウジンだー。抵抗は無意味であるー」
 ふむ。いい声だ。

「アホか。今さら確認しとんか?」
 ギアが戻って来て呆れておった。
「ち、ちがう。電磁波の反射具合を楽しんでおったのだ」
「まあぁ、ええ。さ。おまっとーさん。ゆうとった(言っていた)プロセスを起動してきたデ」

「ふむ……それで? どうしたらいいのだ?」

「それがな。ワテもよう解らんのや。念じるだけのことやねんけどな。ほしたらラブマシンの方へ思考波が通じて、それが3Dデータになって、ラブジェットシステムにフィードバックされるんや」

「オマエにしては賢そうなことを言うのだな?」
「アホな。全部NAOMIはんとキヨ子はんの受け売りや。意味なんかさっぱりや。せやけど起動方法は柱の陰からこっそり見てたから間違いないデ」
 オマエは家政婦さんか……。

 などという、くだらん冗談が過去の遺物みたいに感じるほどに時間が経過したのに、
「どうした? 何も変わらないぞ?」
 我輩の辛抱が切れた。
 ラブジェットシステムの中は入って来た時のまま、何も無いがらんどう状態であったからだ。

「ほんまやな、なーんも変化無いがな。おかしいで、装置は駆動状態やのに、何でや?」
 と訝しげに体を捻ったギアの気配が風を起こして我輩の頭髪をなびかせたのだ。

 ええっ!
「頭髪を――って? なんだ!」
 我輩は慌てた。あー慌てたさ。

「待て、ギア。オマエなんだその格好!」
「格好って、何のことや……あ、あ――――っ!」

 頭には白地に縦黒縞模様の野球帽。大阪では絶対的支配を誇る球団の物だ。そして当然のように同じ球団のハッピを羽織い。下半身は腹巻に白色のステテコ。どこからどう見ても、ナニワの下町でよく見かけるその容姿は――。

 いったい何なんだ、オマエ?

「オマはんこそなんや! そのチョビ髭と白衣姿は!」
「いやいやいや。これはどうしたことだ? 実体化されたのか? 我輩たちはヒューマノイドになれたのか?」

「いや、おかしいデ。実体化は難しいちゅうてキヨ子はんがゆうとったがな。こんな簡単に、しかも二人そろって実体化できまっかいな」
「しかし見ろ。この身体。本物でなくして何だと言うのだ。もしかして博士が手を出して実用化させていたのかもしれんぞ」

 これはすごいぞ。ラブジェットシステム。
 そうか。実体化できたんだ。完成したんだなー。

 改めてギアの容姿を注視する。
 完璧な実体化であった。疑似的に作られた映像ではないと思えるのは、とても細かいところまでディティールが仕上がっているのを見れば納得だ。

「しかしまぁオマエにピッタリの容姿だな。白のステテコなんて、テレビで見たのが最後だが……」
 ゆっくりとヤツの周りを見回りつつ吐息する。
「にしても……完ぺきな大阪人ではないか。しかし我輩の白衣姿には何の意味があるのだろうな……だあぁっ!」

「ど……どないしたんや、ゴア?」

「我輩……白衣の下に何も着ていないぞ。どうりで、すーすーすると思った」
「うひゃひゃぁひゃひゃ。それやったらヘンタイのチカンやんけ……どぎゃぁっ!」
「どうした、ゴア!」
「野球帽を外したら、ワテってハゲ頭や」
「がははは。テッペンハゲだぞ、ギア。でもそのステテコ姿には申し分ない」
「どないなっとんやこれ?」

「実体化のデータに誤りがあるんだろ?」
「いやこりゃおかしい。キヨ子はんやNAOMIはんがウソを言うかいな。容姿こそタマゲタボーイやけど。こんな簡単に実体化せえへんって」

「だから北野博士が手を出したのだ。さすが天才物理学博士であるな。朝までハシゴ酒をしていても、やることはやるんだ。よし。ギア!」
「なんや?」
「我輩も博士を師匠と呼ばしてくれ。やっぱなー。キヨ子どのはなんだかんだ言ってまだ子供だよなー」

「ワテは腑に落ちんデ」
 疑り深いヤツだ。

「もしここが疑似世界(バーチャルリアリティー)なら全体から変化するだろ? でも見てみろ。我々以外何も変わって無い。変わったのは我々だけなのだ。それはつまり。実体化した証拠ではないか」
「まあ、それがほんまやったらそのほうが好都合や。実体化のまま外へ出てみようや。上手くいけば首相官邸で記者団に囲まれるのも夢やないデ」

「この格好でか?」
 これで記者会見をしたら、犯罪者の吊し上げみたいになるな。

 まぁ。衣服の問題は着替えればいいだけのことで、
「すごいな。この感覚……」
 初めて受けた手の平から伝わる扉の冷たく固い感触にビビリながら、ラブジェットシステムの外へと出てみた。装置の低い唸り音がするだけで何もおかしなところは無かった。

「どないや? 体に異常はおまへんか?」
 平手で胸の辺りを叩いてみるが、白衣がパサパサと波打つだけだ。
「ゴア。あんまりはたきなや。下半身が丸見えやデ」
「あう」
 慌ててはだけた前を閉じて姿勢を正す。

「何で我輩はハダカに白衣だけなのだ。辱(はずかし)めを受けてるのか?」
「ワテに言うても知らんで、ワテかてステテコいっちょうや」
「大阪の下町にでも行けば、同じような人種がわんさかいるからいいだろ。でも我輩はチカンではないぞ。このままでは勘違いされるのが目に見えている」

 研究室の中も先ほど見ていたとおりの状態で、NAOMIさんの女体パーツや、薄い桜色の皮膚が輝く煽情的なおっぱい。いや、ラブマシンが鎮座するだけであった。

 その姿があまりに魅惑的で、そっと触れてみた。
 ヒューマノイド化した手の平で扉を開ける行為の次にしたのが、おっぱいに触れるとは……バチが当たるかな?
「おおおおおおおお。すごいなラブマシン」
「ほんまや。どないなっとんねん、この柔らかさ」
 およそコンピューターを目の当たりにしてする会話ではないのは重々承知しているが、どうしてもそこに引っかかってしまうのだ。何度も言おう。北野博士は天才である。

「ところで今、朝の6時半だろ。そろそろアキラの母上が起き出すぞ。この姿まずく無いか?」
「めっちゃマズイやろ。白衣のチカンと、定職も無く昼酒を煽るおっさんの二人連れや。そんなんが家の中でウロウロしてるはず無いやろ」
「そらそうだな。とにかく事情がはっきりするまで外に出ていよう」
「せやな」

 ステテコ男と白衣の下がまっぱの男が、このおっぱい型のマシンの前でウロウロするのはあまりに犯罪的な色が濃厚になるので、早々に研究室から引きあげることにした。


「どないや? 誰かおるか?」
 半開きになった扉から顔だけを出し、
「大丈夫そうだ。誰もおらん」

 これまた生まれて初めての行為である。扉越しに様子を窺う振る舞いは、これまでに感じたことのない緊張感を味わい一人で吃驚(びっくり)した。
「これが緊迫するという感情であるか。冷気を感じるんだな」

 そして今さらながらだが、大きく嘆息する。
「すごいな。実体化するとは単に身体を持つということだけでなく、空気の動きや温度の変化まで肌が感じるんだな」
「ほんまやな。想像を越える世界や。せやけどこれは温度の変化とちゃうで、感情の変化で周囲の温度が変わることは無いやろ。これは体温が微妙に変化しとんのちゃうか?」

「いつになく、今日はオマエが賢そうに見えるな」
 ギアはキャップ帽がズレるほど勢いよく首を捻じった。
「オマはん。普段どんな目でワテを見てまんねん」

「え? ただのおとぼけおっさんだ」

「アホか。真面目な時かってあるわい。それよりもこんな話をしとる場合とちゃう。ワテらヘンタイの上に不法侵入者や。誰かに見つかったら即行で警察に突き出されるデ」

「そ、そうだったな。では行くぞギア」
「ホイきた、ゴアはん」
 なんだかその相(あい)の手が気になるが……まあいいか。



 キョロキョロあたりを窺いつつ、食堂へと続く廊下を我輩たちは背を丸くして進んだ。
「背中を丸めたのもそうだが、二本足で歩いたのも生まれて初めてだ」
「ワテかてや」

 しんと静まり返った北野家の屋敷を抜け出すために下宿人たち専用の玄関へと向かった。何しろ、我々には靴など必要ないので持っていない。クララたちの下駄箱を物色すれば履けそうなサンダルぐらいはあるだろうとギアが言いだしたので、我々は足早に移動したのだ。

 小さな軋み音を奏でる廊下を気にしながら、
「しかし、歩くという行為は意外と面白いものだな。足を交互に動かした分だけ進むなんて、はぁすごい。物理の法則どうりなんだ。歩幅と回数で移動距離を調整できる」
「何を大げさなことゆうとんね。はよ外に出なマズイがな」

「我々のサイズに合うシューズはあるのかな?」
「オンナ物ばっかりやろうけど、このさいなんでもええ」

「我輩。シューズを履くのは初めてであるぞ」
「ワテかてや。足なんて無かったもんな」

 期待半分戸惑い半分で玄関までやって来た。

 ところがだ。
 下駄箱を開けて、我輩たちは石化したのである。
「クララやキャロラインがこんなん履きまんのか?」
「むぅぅぅ」
 異様な光景であった。
「どうしたことだ……」
 下駄箱の引き戸を開けてずらっと並ぶ青い安物のサンダルに息の根が止められたのだ。

 今回は正真正銘息をしているのである。すごいな地球人。ただ呼吸をしているだけかと思っていたが、感情の浮き沈みで微妙に呼吸の仕方が変わるのであるな。いやはや感服いたしたぞ。

 ま、呼吸の話は後程(のちほど)として、
「これって。通称便所サンダルと言われる物ではないのか?」
「せやな。足の指でツルを挟んで突っかけるサンダル。ようするにビーサンの激安のヤツや」

 我輩もうなずきつつ。
「これしか無いってどういうことだ? クララはレディーススーツで出かけるときこんなサンダル履きで行くのか?」
「いや。尻と太股(ふともも)と胸しか見ぃひんから、履物までは気ぃつかへんかった」
「興味の無いところは、完全無視なんだな、オマエ」

 そう言う我輩も足下はよく見ていなかったので強くは言えんが。

 とは言うものの。これはおかしいだろ。クララはKTNプロダクションの社長であるし、キャロラインやイレッサはテレビに顔を出すアイドルである。こんな便所サンダルで放送局へは行くまい。

 下駄箱の中をガタガタ言わせて物色していた手を引き抜くと、ギアは我輩に向かって言う。
「あかん。全部の棚を見たけどこれしかないないワ。しかも全部同じサイズ。でっかい男用や。色は青しかないし」
「仕方が無い。我輩たちには都合がいい。これを履いて行くぞ」

 ギアは某球団の黄色と黒の縦縞ハッピとステテコにブルーの便所サンダル。我輩は白衣姿で、中は真裸(まっぱ)の状態で便所サンダル。Yの字を逆さにした部分に指を突っ込んで履くときの、なんともこそば痒い感触がたまらない。

 そうだ。くだらん感想は後回しだ。

 いつもならがっちりと施錠された玄関と、庭先にあるセキュリティ万全の大門扉(だいもんぴ)がフルオープンになっていたことに、一抹の不審感を覚えつつ、とにかく我輩たちは道路へと石の階段を下りた。

 先陣を切って駆け下りたギアがすぐに立ち止まったので、その背中へ我輩が追突。
「どうした。ギア?」
「コレ……なんや?」
 再び襲ってくる不穏な空気を浴びて、我輩はギアとそろって立ち尽くしたのである。
  
  
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