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第四巻・反乱VR

 図書館へ行こう

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 場所は変わって、まーた。駅前広場である。
「ここではゆっくりと相談できないわ」
 人形姿のNAOMIさんは人の流れを避けながら、ピョコピョコ逃げ回っており、とても落ち着けないのだ。
「駅構内にある人工池に行きましょうよ。あそこならベンチもあるし」
 で我々はスタスタと、NAOMIさんはピョコピョコと移動。

 最初に訪れた喫茶『マロン』の真横である。アキラがいないかと、暗っぽいガラスドア越しに中を覗くが、見当たらなかった。もっともアキラが一人で喫茶店などに入れるわけがない。

 四畳半ほどの水溜りに金魚が数匹泳ぎ、中央に小さな噴水がある人工の池である。それに沿って置かれた一つのベンチに全員が横に並んで座った。
 その中でNAOMIさんだけは、ベンチの背もたれの後ろから人形劇風に動き回っているのだが、ベンチの裏には正体不明の人物の存在は無く、地面から生えた操り棒がそのままNAOMIさんに繋がるだけ。どうやって動くのか、さっぱりわからない。

「はぁしんど……」
 ステテコ姿のギアは、ベンチの上でだらしなく胡坐(あぐら)をかいて、脱いだ野球帽を扇いで首筋に風を送っていた。


 そこへ二人の人影が差し込まれた。
「これはディレクターさん。ご苦労様であります」
 見上げると、二人はそろって背筋を伸ばして右手でバシッと敬礼をし、我輩は白衣の裾(すそ)をそろえる。

「こちらの聡明そうな少女と、お綺麗な女性はもしかして有名なタレントさんでありますか?」
 人形劇のNAOMIさんとキヨ子どのにトンチンカンな質問をしたのは、巡回中の例の警察官たちであった。

 我輩は咄嗟に返事の言葉を探したのだが、アドリブを得意とするギアは動じることもなく、
「そーでんねん。ヒット間違いなしのタレントさんや。今な、演技指導をしとったとこやねん」
 二人の警官は急激に色めき立ち、帽子を取ると45度の角度に上半身を傾ける。一人は短いチリ毛。一人は普通にスポーツ刈り。

「私どものは駅前交番の者です。この町の治安を守るべく、日夜巡回を続ける所存であります」
 聞いてもないのに、初心表明みたいな言葉を吐いて、NAOMIさんたちをポカンとさせた。

「パトロールご苦労はんでんな。巡査部長はん」
「いえ、本管たちはただの巡査であります……それよりディレクターさん。カメラはどこでしょうか?」

「ドキュメンタリーやゆうてまっしゃろ。でもあんたらには教えたるワ。そこの観葉植物の上辺りに隠してあるんや」
 聞いた途端。警官は植木に向かってピースサイン。キヨ子の荒い鼻息が聞こえたところで、我に返り、
「や、これは失敬。撮影のジャマをしてしまいました。では演技指導の続きを……」
 再びびしっと背筋を伸ばすとカメラ目線で、
「地域住民の安全と安心のために、我々は警らを続行いたします。不審者等(ふしんしゃとう)など見かけられましたら。ご遠慮なく交番までお知らせください」
 不審者ならあんたの目の前におるぞ……。

 足音も高らかに構内の奥へと消える二人の警官をキヨ子どのは横目ですがめる。
「ドキュメンタリーなのにタレントを出演させて演技指導……そういうのはフィクションと言うのです。それに気付かないあの警官たちも情けない……」
 大きく溜め息を吐くと、尖った目で我輩たちを見た。
「どうやらあなたたちは警察のお世話になりかけたわけですね」

「すごい。6才にしてその洞察力。やはりキヨ子どのはタダ者では無い。我輩、感服し申したぞ」
「関西電力のセリフとあなたの慌てぶりから察すれば、おのずと分かるものです」

「まあ、ええやんか。ここはシミュレーターの中や。それより……」

 ギアはキヨ子どのとNAOMIさんが語り合うあいだに、こっそりと耳打ちをしてきた。
「ゴア。ワテに思い当たる場所があるんや。二人だけでアキラを探し出してこの世界の陰の支配者になろうデ」

 悪役宣言みたいなことをつぶやき、キヨ子の肩をつつく。
「ほなキヨ子はん、二手に分かれて探しまへんか? そのほうが効率的やろ?」

「そうね……」
 NAOMIさんはチラリとキヨコどのと目でうなずき合った。
 一瞬不穏な意味合いを感じたが、
「それならこのケイタイを持って行くといいわ」
「なんとっ!」
 人形が着ているグレーのレディーススーツのポケットからスマホが取り出され吃驚仰天。

「そのポケットは本物なのか? しかもそのスマホも本物」
 我輩のポケットも摩訶不思議なのだが、NAOMIさんのポケットも謎なのだ。もしかして猫型ロボットと同じ機能を有するのか?

「スマホに見えるけど。これはケイタイ無線機よ。キヨ子さんがスマホを改造したの」
 どう違うのだろうか?
「電話会社を通さずに会話ができるので通話料が掛かりません」
「そんな物をキヨ子どのは作れるのか?」
「当たり前でしょ。量子デバイスから見ればお子様のおもちゃ以下です」
 あんたはそのお子様なのだが……まぁ。この際どうでもいいのである。

 ギアはその装置をマジマジと見て。
「通話料無料でっか……」
「バカだなオマエ。どこに引っかかっておるのだ」

「アキラさんを見つけたら、それで呼び出してね。こっちも急行するから」
「了解したのだ」




 ということで、我輩たちは二人と別れた。
「ほな行こか……」と言って歩き出すギアのハッピの袖を引き留める。
「アキラが行きそうなところを知ってると言うが、どこなのだ?」
「図書館や」
「あ……なるほど」
 あのアキラが行きそうもない施設のランキング、トップだ。
 NAOMIさんたちには思いもつかない場所なのだ。だがアキラと塚本氏はよく連れ立って出掛けるのを我輩たちは知っておる。

 もちろん間違っても勉強をしに行くのではない。可愛い子を見つけて、それとなく隣に座ってナンパするのだ。ま、成功例はゼロだが、アキラたちはめげずに続けるのである。ああぁ。虚しい青春であるな。

「せや。虚しい青春の場、図書館や」
 別に図書館が虚しいのではないから、誤解をしないでくれ。

「しかしそこに気付くとは、オマエ天才な、ギア」
「当たり前やろ」
 ギアはハッピの襟を両手でパンと張り、ステテコ姿のガニマタを一歩前に出した。

「ちょっと待ってくれ」

「あがっ!」
 出だしを我輩にくじかれ、ギアは膝を折ってコケを表現する大阪ならではの振る舞いを披露した。
 まったくもって感心するのだ。大阪人の骨格は反射的そうなるようになっておるのだろう。

「なんやねん?」
「その前にパンツを買って行こうと思う」

「はぁ?」
 ギアはちょっと気の抜けた顔をして、
「パンツなんかいらんやろ」
「あ、いや。歩くたびにすーすーするのだ」

「くだらんもんに銭使うんやな。ワテは一銭たりとも出しまへんで」
「守銭奴なんかに頼ってはおらんワ。我輩の所持金は540円もある。そこらの洋品店か百円ショップにいけば買えるだろ?」
「オマはんの銭や。ワテは文句言える筋合いはない。せやけどそのうち240円はワテの協力で得てることを忘れるなや」
 こ……細かいなぁ。ほんと。



 で、近くの洋品店に入ってみた。

「すまぬが、店員さん。この店には男物の……えっと、あの……」
 えらく可愛い店員さんが出て来てちょっと躊躇する。『パンツ』が欲しいとは言い出しにくい可愛いさを醸し出していた。

「ネーちゃん。このおっさんな、パンツ穿いてないねん。ほんでスース―するねんて、せやからパンツ売ってくれへんか?」
 んのヤロウ。ぞんざいにかつ詳しく説明するな。我輩の人格がこの可愛い店員さんの前で完全崩壊したぞ。

 妙齢の女店員さんが、さっと白衣の下から視線を逸らし、瞬時に真っ赤になって首を振った。
「すみません。男性の下着は置いていないんです」
「せやろなー。こんな綺麗なベベ(洋服)ばっかり売ってるお店に、小汚い男物(おとこもん)のパンツは売ってないよなー」
「新品のパンツなんだから汚くはないぞ」

 それよりでかい声でそんなことを言うもんだから、服を買いに来ていた数人のお嬢さんが店から逃げ出してしまった。

「営業妨害をして悪かったね、お嬢さん。別の店に行くから……通報しないでくれ」
 ゲラゲラ笑うギアを店から引き摺り出して、今度は百円ショップへ。


「なぜ、ここにも置いてないのだ?」
 しかたがないので、紳士モノを売る店にも入ったが、
「どういうことだ。パンツが無いわけあるまい」
 でかい声でそう男性店員に訴えても、彼の責任ではない。でも我輩の疑問は爆発しそうである。

 ぽつりとギアが言う。
「こりゃぁ、作為的やな」
「作為的? 誰かの仕業だと? あっ!」
 ピンときた。
「リョウコくんか……。我輩の下半身をむき出しにするほうが面白いと踏んでおるのだな」

「せや。やっぱりこの世界はあの子の胸三寸なんや」

「だがアキラを見つければ、この苦行から逃れられるワケだ」
「そういうこっちゃ。すべてはアキラ次第なんや。北野博士の孫を思う気持ちは熱いんやろな。キヨ子がゆうとったやろ、アキラはブレーカーやと」
 ようするにアキラは安全弁、いや電流制限器と呼ぶべきかな。



 てなわけで――。
 パンツを諦めた我輩と、ステテコとトラ縞(しま)のハッピがお気に入りのギアは桜園田駅を離れたのである。

 天気はほぼ快晴。白い雲が一つだけぽっかりと浮かび、乾燥した涼しげな風が街路樹を撫でて抜けるのどかな景色。行き交う自動車の騒音ですら爽やかに聞こえる午後であった。

「これが作られた世界だとは到底感じさせられないな」
 ひたすら図書館へ向かって歩道を行く我輩とギア。
「マジで歩いてまんな。歩道に落ちてる小石を踏んだ感触が伝わってきまっせ」
「安物のビーサンならではの感触までシミュレートしてるんだな」

 それにしても腹が減っていた。
「アイスコーヒーとタコヤキ1個、あとプリンやからな……プリンって腹持ち悪いでんな」
 そしてギアは空に向かって叫ぶ。
「あ――っ。ちゃんとしたもんが食いたい」
 ステテコ姿でその言葉である。すれ違うおばさんが吃驚(びっくり)して逃げるのは当然で、我輩は振り返っておばさんの様子を窺う。近所の交番に飛び込まぬことを祈った。


「ところでギア。図書館までは遠いのか?」
「え? 知らんで。オマはんが知っとるのかと思ってた」
「バカな! 我輩はオマエが行くから後をついておるだけだぞ」
「ホンマ他力本願やな。しゃあない。その辺の人に訊いてみるワ」

 歩道の隅っこを自分ちの花壇代わりにしているおバアさんを見つけて、ギアは後ろから声を掛けた。
「バアちゃん。昼間から草むしりでっか? 精が出まんな」
「へぇおおきに。せやけど夜中に背中丸めとったら、ドロボーか行き倒れや思われまっしゃろ」
 はは。言い返されておるのだ。

 ギアは片眉をピクピクさせ、
「ちょっと道を訊きたいんやけどな?」
「はぁ? スンマヘン。ワタイ耳が遠ぉくてなぁ。よう聞こえまへんねん」
 腰を曲げたまま片方の耳を手で囲って訊き直すバアさん。

「さっき聞こえとったやんか」

「はぁぁ? なんでっか?」

「あ、いや何でもおまへん。あんな。図書館へ行く道を教えてほしいねん」
「へぇ? ドジョウ缶? はぁ。珍しいもん探してまんねんな。ワタイはシャケ缶が好きでんねん」

「バアちゃんの好みなんか訊いてへんがな。としょ、や。図書」
「へぇ。ワタイ97です」

「年とちゃうがな。最前(さいぜん)から訊いてるのは……」
「はぁ。賽銭(さいせん)でっか? せやな、だいたいは5円でんな。ご縁がおますようにって」
「そんなん訊いてへんがな。それよりその年で誰とご縁がほしいねん。閻魔大王でっか?」

「ほっときなはれ。まだ元気や!」

「よー聞こえとるやんか、バアちゃん」
 はは。さすが大阪のバアさんだ。あのギアを手玉に取っておる。



 少々時間は経過して。ようやくギアが戻ってきた。
「ひぃ。図書館の道を尋ねたのにバアさんの人生を語られてもうたがな。20年前に亡くなった旦那はんの生い立ちまで聞かされたデ」
 野球帽を脱いでハッピの中に風を送りながら、
「とにかくこの道をまっすぐや。ほんで高速道路の高架が見えたら右に折れて、ひたすら歩いたら左手に見えてくるらしい」

 言われた方向を遠望する。
「なるほど。高速道路の高架というのはあれだな」
 遥か彼方にそれらしいものは見えるが……。
「タクシーとは言わぬ、バスにでも乗らぬか?」

「アホかっ! ボケっ!!」

 ガラ悪く一蹴するのではない。ハーレムクラスオブジェクトは胸の痛みまでシミュレートしてくるのだ。
  
  
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