アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第一章】旅の途中

飛んでイクト

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「看守! いないのか、看守? いたら顔を出せ!」

 本日はすこぶる調子が良い。頭の中が冴え渡っておるのだ。
「急げ、看守! 今から私が大切な話をしてやる。急ぐんだ!」
 鍵を開けた金属音が異様に鳴り響く空間に、高らかに連打する靴音が近寄ると、やがて鉄格子の向こうから看守の顔がぬんと出る。

「静かにしろ、騒ぐな!」

 ──そうか。今日は水曜日か。
 この若ハゲの看守を見ると今日が水曜日だというのと、もうひとつ、あの芸津を思い出して胸糞悪くなる。
 久しぶりに爽快な気分なのに──。

「看守。私はエライのだからこれでよい。」
「何っ言ってやがる、ジジイ」
「ジジイとは失礼な。私はまだ初老だ。ジジイではない」
「いま初老だと宣言したじゃないか、今田のジイサンよ」

 若ハゲの看守が先に言ってしまったが、そう、私の名は今田薄荷(いまだはっか)。世界一聡明な量子物理学者、いや。今や世界でただ一人、W3Cをも理解した情報物理学の権威である。専攻は量子コンピューターだ。

「はいはい。存じておりますよ今田博士。W3CのBMI(Brain Machine Interface)監獄に入っていたんだ。さぞかし立派なお考えをお持ちでしょうな」
「ふん。慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度をとるでない、この若ハゲめ。ウソだと思ってバカにしておるだろ。おい、すぐにここを開けろ。今日はすこぶる調子が良い。所長のところへ連れて行くのだ」

「あのな。お前は囚人なんだ。言われるとおりに動く看守は世界広しとも言え、どこにもいないワ!」
「オマエがその先覚者だ。素晴らしいことだぞ。よかったら私が証明してやろう」
「あんたが証明してくれる前に、オレの首が吹っ飛ぶんだ。静かにしろ!」

 背を向けて離れようとするので引き止める。
「ちょっと待て、看守! これからとんでもないことを発表する。W3Cからのお告げが出たのだ。私が代わりに施行せよと、仰せつかったのだ」
「わかった、わかった。ヒマなら日課にしている訳の解らない計算の続きでもしてろ。暴れたり、くだらないことを考えたりした途端、バーチャル空間に放り込まれるぞ。そしたらまた寂しい日々が続くんだ」
 憎たらしいことを言いおる、この小童が。

「あれはもう遠慮させてもらう。誰もいないパラダイスなど地獄そのものだ。それよりせっかくW3Cが完璧なサイバースペースを作っておるのに、オマエらの監視モニターはオモチャではないか。ジオメトリ処理が未熟すぎるぞ。画像が歪んでおるし、パースがずれるにもほどがある」

「また難しい話を始めやがって……しかしバーチャル空間へ放り込まれて、その程度で戻って来れたとは、オマエサンもすごいな。大体の囚人は精神異常になるんだ」
「ふんっ、科学者は常に孤独なのだ。問題を解いておるときは誰も近寄らせない。むしろ心地よかったワ。W3Cと意気投合したのは私ぐらいだろう」

「おかげで、今じゃサイバー囚人だ。時代も変わったもんだな、オッサン」
 看守は私の話を聞く気が無い。溜め息まで吐いて手首から先を前後に振った。
「悪いけどオレは一介の看守さ。オマエさんの話には付いて行けないよ」
 二歩ほど下がろうとするので、
「ちょっと待て、だから言っておろうが、所長を呼べとな!」


「──どうしたんだ。今日はやけに27番が騒がしいな」
「あ、所長。部屋まで聞こえましたか。申し訳ありません」

 三十代にして所長になったばかりの若造だ。刑務所なのにスーツなんぞ着よって。ちょこざいな。
「おい、私を番号で呼ぶな。不届き者め。ちゃんと名前で呼べ、若造。私には」
「あーわかったよ。今田くん。静かにしてくれ」
「くん……だと? 私はオマエの友達ではないぞ。まぁよい。今日は大事な話がある」

「先ほどからずっとこの調子なんです。うるさくって」
「W3CとBMIで繋がれているんだ。平気なヤツはいないさ。普通はおかしくなるそうだ」

「おかしくなどなるか! オマエらもBMIに繋がれて見ろ。もう少しは世間が広がるぞ」

「BMIってW3Cと脳を接続されるんですよね。脳波計みたいなものなんですか?」
 看守は程度の低い質問を所長にし、
「いや。だいぶ違うらしい。何とかと言う装置をインプラントして、W3Cからマインドコントロールされるんだと」
 所長は知能の低そうな説明をした。

「オマエらに教えておいておこう。脳にインプラントされるのは、スピリチュアルインターフェースと呼ばれるものだ。常にW3Cからメンタリティのモニターをされており、エモーショナルアップセットを検知すると、つまり、よからぬ感情を湧かす、という意味じゃ。それを検知されると脳神経にサージを喰らうか、世間と隔離される。解るか? 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、人間が持ち得るすべての感覚が遮断され、サイバースペース内で操作される。完璧なアイソレーションの世界に閉じ込められ、世間と隔離されるのだ。例えそこがトロピカルビーチであったとしても、地獄と言い切れる。どうだ理解したか?」

 せっかく私が高説を垂れてやったというのに、所長と看守は鉄格子のあっちで、ぽかんとしておるだけだ。
「解らぬのか? リアルオンラインRPGの世界だ。VRMMOと謳っているのに参加者ゼロの状態だ。毎日、モンスターどもとたった一人で戦う日々だぞ。うんざりするだろ?」

「………………」
 二人はさらに固まった。

「オマエらゲームもしないのか……。呆れた原始人だな」

「………………」
 だめだ。
 でも私はここで鉄格子を掴んでおる場合ではないのだ。

「おい。所長。いいか。今から言うことを藩主に伝えろ。イクトの裏側に現れた謎の建造物へ銀龍が調査に出かけておるはずだ。そして現時点では芸津のハゲらが行方不明になって、パニックになっておる。銀龍の乗組員だけでは対処できない事態が起きたのだ」

「今度はSF小説でも書き出したのか? このあいだは何かの設計図を描いていたよな。W3Cの、何だっけ? Qビット演算なんとかだっけ?」
「並列Qビット分岐予測演算処理だ! 基礎中の基礎だぞ。いいかげんに覚えろ!」
「あいにく我々は量子情報物理学を勉強していなくてな。わるいね、今田くん」

 友達かっ!

「とにかく藩主が無理なら、宇宙科学局に連絡してみろ。今ごろテンヤワンヤの大騒ぎになっておる。あのハゲオヤジらが行方不明なのだぞ」

 ようやく二人は顔を見合わせて、湿気た吐息をした。
「ん。どうした? まだ私を疑っているのか?」
「宇宙科学局になんかに電話をしたこと無いんだよ。27番!」
「また番号で呼びよって。よし、待ってろ。こっちから向こうの所長を呼び出すから」

 まったく世話の焼ける若造だ。

 今日は頭の中が晴れ渡っておるのだ。W3Cがすべての権限を私に与えており、道から逸れない限り何でも許可すると言っておったのだ。

「よし。繋がったぞ」

 私の言葉が唐突過ぎたのか、看守と所長はポカンだった。
 しばらくしてそこへ別の看守がワイヤレスホンを握って走って来た。
「所長! どういう理由(わけ)か、宇宙科学局のオーコーチ研究所からお電話です。何かえらく怒っていますよ」
「は?」
 こっちの所長が目を剥いて固まったので、一喝してやる。

「早く出ろ! 若造」

 感電したようにびくっとして、所長は私に視線を当てたまま、受話器を耳に当てた。
「はい。電脳刑務所の所長、ミヤギシです。……は? え? 局長! マジ! あ、いや。あの。えー? ウソでしょ。ちょ、ちょっとお待ちください」

 さっと受話器の口を手で押さえ、
「誰か宇宙科学局へ電話した奴がいるのか? 相手は科学局長だぞ!」

 二人の看守はそろって首を振る。
「番号すら知りませんよ」

「愚か者め。私が電話をしたのだ!」
「お前らこいつに携帯電話を渡したのか!」
「携帯なんか無い。W3Cのネットワークを使えば電話ぐらい掛けられる。だがビットレートが異なるから直接会話ができぬのだ」
「しょ、所長。科学局の人、怒ってますよ。ほら……」
 看守が指差す先、片手で握りしめた受話器から大きな怒鳴り声が漏れている。

「とにかく、その電話を私に貸すのだ」

 鉄格子から腕を伸ばして、茫然自失に陥り凝固してしまった若造の手から受話器をひったくり、
「もしもし……電話をしたのは私だ」

 すぐに受話器から怒鳴り声がした。

『何の用だ! いま大変な事が起きたんだ。どこの誰だか知らないが、電話なんかしているヒマはないのだ。それよりなぜこの緊急回線の番号を知っているんだ!』

「今田薄荷だと言えば通じるかね。大河内寅之助(おおこうちとらのすけ)くん」
『…………っ!』
「ふっ。覚えておるようだな。オマエを科学局の所長にまで育て上げたのは私だぞ。あー。今は局長だったな」

『い、今田……薄荷……』

「あまりの感激で挨拶も出ぬようだが、今日はすこぶる調子がよいのだ。大目に見てやる」

『な、なぜお前が電話など掛けられるんだ。監獄に入ったはずだろ?』
「大人しくしておったもんでな。電話付きの部屋に代わったのだ……って、愚か者めが。こんな時にくだらん世間話をしておる場合ではなかろう。芸津が行方不明なんだろ!」

『なんでっ!』
 ふん。相変わらず鈍い奴だな。

『どこでその情報を……。まっ、またお前が何かやったのか!』
「たわけ者! 少しは落ち着いたらどうだ。昔と何ら変わっとらんな、大河内よ」

「ちょ、ちょっと代われ」
 こっちの所長が私の受話器を取り上げた。

「本当にあの科学局の局長さんでおられるところの、大河内さんで……え? そうだ? こ、これは申し訳ありません。くだらないイタズラ電話みたいなものを差しあげてしまい……あ? は? すぐ代われ? いや、しかし今田は囚人でして、え? 舞黒屋の芸津社長さんら一行三名が行方不明? ほ、本当の話なんですか? は、はい。すぐに代わります」

 若造は血相を変えて私に受話器を突き出した。
「お前と代わって欲しいそうだ」

「だから最初から言っておろうが───!!」





 刑務所の囚人専用出入り口に停車するにはあまりに不釣り合いな黒塗りの高級車が、城郭にも匹敵した高い壁に沿って、どひゃぁーと並べば、何事だ、と慌ててて門番が飛び出てくるのは当然で。列の中ほどに停車したクルマのドアがドンと開けられ、黒服の男が二列にバリケードを拵える騒動に気付いて、集まって来た大勢の職員が度肝を抜かれたからと言っても、私のせいではない。

「今田薄荷様。お迎えにあがりました。宇宙科学局オーコーチ研究所の使いの者です」
 パリッとした黒スーツにぴしっと折り目の付いた黒ズボン、上から下まで黒一色の男が二列になり深々と頭を下げるあいだを、よれよれの囚人服の私がふんぞり返って歩む。

「おそかったのぉ」
「申し訳ありません」
 先頭の黒サングラスの男が会釈をし、
「道路を封鎖するために、局長が非常事態宣言を出されましたので、少々手間取りました」

 晴れ晴れしい情景を眼前にして、泡を吹かんばかりに慄く門番と職員。その後ろ、刑務所長を先頭に、ずらりと並んだ看守の面々に向かって手を掲げる。
「ちょっと研究所へ行ってくる。留守を頼むぞ」

 所長はどうしていいか解らない顔をし、看守どもはそろって頭を下げた。

 はは。いい気分だ。
「よし。行ってくれ」
「はっ」

 ドムッ
 高級感あふれる重厚な音を放して、ぶ厚い扉が閉まった。

 大河内が道路を封鎖したというのは本当で、刑務所から研究所までの道程がノンストップだった。信号機はすべて青。前も後ろも黒塗りの車のみ、いつもは渋滞でごった返す幹線道路から一般車両が完全に消えていた。
 アルトオーネの住民はみんな穏やかだから、閉鎖された道路へ様子を覗きに出てくる者は誰もいない。完全にゴーストタウン化した町並みが続いていた。
 静かなる大都会を黒塗りの集団が私だけのために疾走する。
 ふむ。気分は悪くない。

「大河内は元気にしとるか?」
 車内は無言だった。

 にしても、あまりに空気が硬く、肌荒れを起こしそうだったので、
「そこのコンビニ、今日はナゲットが大安売りって書いてあるぞ。寄ってく?」

「……………………」

 せっかく私が発案した緩和な言葉なのに、頬を緩める男はいなかった。
「カタイいのぉ」
  
  
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