アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第一章】旅の途中

お迎えでごんす

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 それから半時もして。

《社長……聞こえるダか?》

 テントのどこかで声がした。

「ほらみろ。玲子がくだらないこと言うから、田吾の声まで聞こえてきたじゃないか……」
「ほんまや。あの気の抜けた声は田吾やな」
「うんうん。いつも眠たそうな声な」
 声がする場所が特定できないので、誰もが幻聴だと思っていた。
 玲子は切れ長の目をキョロキョロさせて、俺と社長のやり取りを繰り返し見ている。

《社長。聞こえたら返事してくんろ?》

「ねえ? 幻聴ってみんなが聞けるものなの?」
「はれ? そうだよな。音がしてないのに聞こえるもんを幻聴って言うだろ……。全員って少しおかしいっすよね、社長?」

《なんだ……うんこ行ったダか?》
 と言う声に玲子は露骨に嫌な顔をし、ハゲオヤジはガバッと直立すると辺りを見渡すと、ポケットに戻していた無線機を思い出したらしく、急いで取り出してそれへとかぶりつく。
「マジでっか? いやいや何かの冗談やろ。何でここに……銀龍がおるんねん!」

 俺の両腕から背中にそって電気が走った。銀龍だ!
 間違いない、あの下品な喋り方──、
「田吾だぜ!」

《んダ。オラダすよ。裕輔、元気だか?》
「なんだか、お前! のんびりしてやがんな!」
 思わず無線機を持つ社長の後ろから抱き付き、
「暑苦しい。寄りぃな!」
 蹴り倒されたが、ちっとも痛くなかった。

《迎えに来たダヨ。全員が乗ってるし、今田もここにいるダ!》
「今田だと?」
 言葉の意味がいま一つ伝わらない。社長も同じだ。

「い、今田ぁ? 何で今田が銀龍に乗っとるんや! あいつは囚人医療センターでW3Cに繋がれたままやろ!」
 一拍おいて、流れてきた声に俺たちは驚愕する。

《人を飼い犬みたいに言うな。ここに、こうして存在しておる》
「そ、その声! い……今田!」
 玲子と揃って視線を交わす。尊大に構えて威圧的に喋る口調は今田のものだ。


《いいか、よく聞くんだゲイツ。W3Cは対ヒューマノイドインターフェースを介して、ちゃんとオマエらの行動をスキャンしておったようだ。そして不慮の事故が起きた。こっちにとっては幸運なことだが。で、この惑星に転送されてしまったことを知ったヤツが私に救助を要請してきたのだ》

 こいつは何を言いたいのか、よけいに疑問が増えた。

「なんで、おまはんが選ばれたんや!」
 社長は怒鳴り、
《知らぬわっ! こっちだって迷惑をこうむっておる。なぜそこまでしてオマエらを助けたいのかワケが解からん。私のほうがW3Cをより理解していおるのにもかかわらずだ》

 今田も喚いている。テントの布地が震える勢いだ。
 社長は一呼吸の思考作業の後、膝を打つ。

「せや、忘れてたデ。W3Cの指示が理解できるのはおまはんだけや……。ほんであのコンベンションセンターの開錠ウィザードを解いて中に入ったんか」

 マジかよ。あのウィザードを解ける奴がいたんだ。

《ご名答だ。ハイパートランスポーターを銀龍に積み込み、私が操作して……。いいかここを強調させるぞ。私でないと管理者製のハイパートランスポーターは操作できんだろ!》

「そういう事か……今田!」
 噛み潰した苦虫を確認するつもりか、社長は大いに顔を歪めた。

《なんだ? まだ文句あるのか?》

 必死でこらえる社長。歯を喰いしばり、
「い、いや。おまへん……とりあえず、おおきに……」
 これまでに最も言いたくない言葉だったのだろう。悔しげにひどく歪んだ顔で無線機を睨みつけた。

《ふん。無理せんでいい。私もエラそうなことは言えん》
 今田は意外と弛緩した言葉を吐き、田吾が続く。

《んダすよ。こっちに転送された途端、態度を反転させて銀龍を乗っ取ったんダすよ。でもさっきシロタマにやっつけられたダ》

 続いて、爽やかな声音が割り込んだ。
《それで社長。これからどうします? すぐにこちらに戻られますか?》

「パーサーの声よ」
 両手の指を重ね合わせ胸の前で絡める玲子へ、ほんのちょっぴり向けた嫉妬心に赤面する。勘違いしないでくれよ。そんな明るい顔を俺に見せたことが無いから。うっかりだ。

「今な。ドロイドを翻弄させるパルス発生器を作ってる最中なんや。完成するまでは待機でエエ。……さぁ。銀龍が来たからには、こっちは無敵でっせ。ほんでから、田吾! お人形さんと喋っとらんと無線機の番をしときなはれや。また連絡しまっさかいな! ええか!」

《わ。分かってるダ。フィギュアなんか触ってないダよ》

「触っとんかい! ワシは『喋って』としかゆうてないやろ! あほっ!」
 声は怒鳴り散らしていたが、満面の笑みを浮かべており、
「しゃあない奴っちゃなぁ……」
 と言ってポケットに無線機をしまい込むその面立ちは満面の喜びにまみれていた。




 それから小一時間。
 玲子と草の上に寝ころび、ナナの帰還を心待ちにしているシーンへ戻る。


「──ステーキなんか銀龍になかったわよ」
 手のひらを枕に、スフィアの高い天井、ほとんど空(そら)と言ってもいい空間を見上げる玲子の言葉に問い返す。
「ギャレーに何があったっけ?」
 空腹が極限まで来たのがよく分かる。食べ物の会話ばかりだ。

「ギャレーの冷蔵庫には、パンとかハムとか……ピザもあったわ」
「ピザは田吾の私物だ。進呈してくれるかな?」
「あたしの冷蔵庫にワインがあるんだけどな」
「おいおい。酒の持ち込みってありなの?」

 玲子の美麗な鼻筋がこちらに倒れる。
「だって。これって社員旅行でしょ」
 思わず二人して笑った。

 そうこうしているところへ、緑の転送光線が広がり、辺りが濃い緑色の光に染まった。
「帰ってきたわ!」
 玲子が跳ね起き、俺も続く。

「みなさん、お待ちどう様でした。ごはんですよー」
「うおぉぉう。待ちくたびれたぜ」

「くぉらーっ!! 近づくな!」
 ナナに飛びつこうとした俺を太い杖の先が制した。

「何をするんじゃ! 白神様に触れるのではない!」

 例のバアさんだ。ファンクラブの仕切り屋的な行為を進んでやる老婆だ。たぶんナナが持って来た荷物を俺が奪おうとした、とでも映ったのか、えらい剣幕だ。

「白神様に直接触れるなど、やっちゃなんねえ!」
「あ、あのさ。おばあちゃん。俺はだな。白神様の従者だろ。神様の荷物を持つのが仕事なんだ」
 村人は転送技術を理解済みなので、忽然と宙からナナが登場したことには驚く様子もなく。彼女に恭しく近寄って来た。

「どこかへ行かれていたのかな?」
 中年の男性が農工具を地面に下ろして尋ね。
「何かをお持ちだぞ?」
「どうしたんだろ?」
 どやどやと集まってきた。

「こらそこ! 列を乱すな! 触れるのでないぞ!」
 バアさんはヤラカシ狩りの首領みたいな目つきで近寄る村人を蹴散らし、ナナをテントへと誘う。
「ささ。しばらくお休みくださいませ。白神様」
 曲がった腰をさらに折り曲げ、丁寧に頭を下げ、ナナも同じぐらい腰を折ろうとするので急いで体を引き起こして小声で告げる。
「神様がバカ丁寧な挨拶をするんじゃない。威厳もへったくれもねえな。出張販売の売り子さんじゃないんだぜ」

「あ、はーい」
 ナナはニコニコと朗らかにうなずき、テントの中に入ると荷物を広げた。



「うれしい。まずはお茶からもらうわ」
 すぐに飛びついたのは言うまでもない。砂漠にオアシスさ。乾き切った喉に滲み渡るパーサーの淹れたお茶は、これまで当たり前に飲んできた物とは格段の差があった。寿命が百年は延びたな。

「美味(うま)いぞ! これもパーサーが作ってくれたのか?」
 サンドイッチを握りしめる俺の手も震えていた。

「とんでもありません。ワタシですよ」
「すごいわね……モグモグ。あなた……モグモグ」
「ほんまや。メイドとしてやっていけるデ。ワシの子供時代におったメイドさんもサンドイッチを作らせたら天下一品やった」
「社長んちって、メイドさんいたんすか?」
「あら。あなたのお宅はいないの?」
「んぐっ」
 喉を詰まらせる発言だぜ。社長は苦笑いのようなものを浮かべて玲子を見遣り、当の本人は自分の発言に気付いていない。

「あいにくメイドさんがいるほど裕福じゃなかったんでな」
 嫌味を滲ます俺に、玲子は丸い目を向けてキョトン顔。
「あら、そうなの……モグモグ?」
 どうも本物の金持ちはどこか一本、世間とズレてやがるぜ。

「ほんで今田はどないや。シロタマはどんな作戦を立てとんや?」
「あ、はい。イマダさんは第四研究室に閉じ込められています。そこでシロタマさんと癌細胞の研究中です」
「モグモグ……あ? はぁ?」
 意味が解からない。
「銀龍に第四研究室なんか無いで?」
「あ、そっか。第四格納庫です」
「せや。あそこはただの倉庫やったんや。落ち着いたら片付けなあかんと思ってたんや。ほんで癌の研究って何や?」
「え? さぁ何でしょう? ワタシはよく聞いてないんです」
 ナナはキュートな仕草で小首を傾け、社長は鼻息を吹っ掛ける。
「アホか。おまはんは立ち聞きの神様とちゃうんかい」

 俺も社長の意見に賛同する。
「お前は管理者の研究内容を立ち聞きしただけで、ここの神様にまで仕立て上げられたくせに、こっちの話は何も聞いていないのかよ」
「だってぇ。ワタシはギャレーに転送されてましたし……」
「転送って……ちょい待ちぃや。シロタマはドアツードアまでやっとんかい!」

「あ、はい」

 社長はサンドイッチを片手にむくりと立ち上がり、無線機を取り出すとそれに向かって怒鳴りつけた。
「こら、タマ! 無線に出んかい」

 一拍ほど空いて、

《何でしゅか?》
「おまはん。なんやら自由奔放に動き回ってるみたいやけど、何しとんや! 勝手な行動は許しまへんで!」

《イマダは拘束したでしゅ。それといい考えがあるのでシロタマも協力する》
「どういうことや。今田と手を組んで何する気や。話によっては許可せえへんからな」

《ぶぅぅぅぅ──。ガンコおやじぃ!》
「ガンコもヘンコもあるかいな! 今田は悪人や。協力なんかしなはんな!」

《ギンリュウをここまで連れてきたのはイマダのおかげだよ》
「そ……それとこれとは別の話しや。何をする気や?」

《『ドロイドのELF帯通信のネットワークを利用してコンピューターウイルスを撒く計画です』》

「ドロイドの知能はかなり高いいんやデ。コンピューターウイルス? アホか。そんなもん誰でも考える使い古した手段や、上手いこといきまっかいな」

《『正式にはロジカルボンバーワームと呼んでおり、通常のウイルスとは概念が異なる機能を有しています。イマダのクラッカーとしての技術は評価に値し、必ず成功すると確信が有ります』》

 これまでになく決然と語る報告モードに、社長は返す言葉を失っていた。
「……もうちょい具体的にゆうてみいな」

 このあと、頭が痛くなるような専門的な説明があった。実際玲子と頭痛を覚えて、俺たちは見つめ合ったまま、サンドイッチを頬張り、お茶のボトルを傾けた。

 ただ──、

「そないに玲子の作ったオムライスは不可思議なもんでっか?」
 無線機にはそう問いかけ、視線を玲子に振る社長。彼女は恥じるように目を伏せ、サンドイッチを飲み下すと沈黙した。

《『何度作っても完成すること無く。すべて謎の物体Xと化します』》

「ぶふぁっ!」
 俺が口に頬張ったモノを噴き出すのは、避けられない事実である。
「ドロイドやのうても、えらい興味が湧きまんな。謎の物体でっか」
 溜め息と共に肩を落とした社長はちらりと玲子の様子を窺い、さっと視線を外した。
「解った。そっちはそっちで任せます」

「なぁ玲子。俺にも謎の物体を食わしてくれないか?」
 ごくごくと、白い喉を上下に動かしてボトルの中の茶を飲み干している玲子を願意のこもる眼差しで見た。

 ヤツは俺をすがめて言う。
「自殺志願する気なら作ってあげるわよ」と漏らすと、プイと首を九十度捻じり、ついでに俺の尻を抓(つ)ねってその場を離れた。

「なるほど……」
 怒っていないところを察すると、とんでもないものだという自覚はあるんだ。

 アサガオの発芽を観察するような目で玲子の振る舞いを眺めていたナナが、立ち去る玲子に声をかけた。
「レイコさん。ワタシにもオムライスの作り方教えてくらさーい」
 後を追うナナの背中を見つめて俺は思う。こいつなら忠実に再現できるかもしれない……と。


「にしても……痛ぇぇな! まさかナナのヤツ、俺のケツを捻ることを覚えたんじゃないだろうな。今のニンマリ笑いは何を意味すんだ?」
 俺は尻をさすりつつ、ナナと同じように薄ら笑いを浮かべているハゲオヤジに尋ねる。

「ちょっと笑ってないで。こっちの準備はどうなんすか?」
「お? おうぅ。こっちも完璧や」

 社長はごまかしがてら咳払いをして、
「まずこれがパルスレーダーや」
 平たい板状のディスプレイに白いシミが点在していた。

「ええ感じやろ。急ごしらえやからカッコは悪いけど、白い部分がドロイドの潜んどる位置や。ほれ。だいたいが田んぼの周辺におるやろ」
 ディスプレイを指差した。

「ほんとだ!」
 ひと塊で何体なのかまでは分からないが、確実にいない地域も存在することが明確になる。これなら潜んでいない場所を選んで移動することが可能だ。

「ほんでこれが、撹拌(かくはん)装置や」
 こちらは部品や接続コードが剥き出しになった物だ。急ごしらえなのがよく分かる。俺たちはこういう物をバラック配線と呼んでいて、簡単に言えば、とりあえず動く程度の仮作りの物だ。

「パルスレーダーを見ときなはれや。中心がワシらのおる場所やで……」
 ディスプレイに表示された最も近くの白い模様を示した後、攪拌装置の電源を入れた。

 連中の慌てぶりが手に取って見えるようだった。部分部分に集合していた白点が、装置起動と共に散り散りに拡散していく。
「どや、統制が乱れて散らばって行くやろ。自分の放つスキャンの反射データがおかしな値になって戻って来るから方向感覚が狂っとんのや」

「チャフとは違うんだ」
「ああ。あれは偽の囮を作り出すもんやろ。これは目つぶしとでも言うたらエエんちゃうか」

 レーダーの表面を指で示し、
「到達距離に限界があるけどな。ほらな、この辺の連中にまでは効果が無いやろ」
 ピクリとも動かないエリアもあるにはあるが、
「こりゃあいい武器になるっすよ。主宰のジイさんも喜ぶだろな」
「報告済みや。そろそろ来はるやろ」

 社長は、パーサーの淹れたお茶で何度も喉を潤し、満腹感を味わい、俺は残ったサンドイッチを口の中に片付け、ナナが持ち込んだ食器類を一か所に重ねていた。
  
  
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