アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第一章】旅の途中

馬鹿と鋏は使いよう

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「ではまず。シリジウムをエネルギー化します。エマージェンシーキットごと転送台の上に置いて、コマンダーは大きく離れてくらさーい」
「言われんでも離れるワ。俺がここに飛ばされた原因を忘れたとは言わせんぞ。胸に手を当てて訊いてみろ」
 こっちは嫌味のつもりで言ったのに、マジであいつは手のひらを胸に当て首をかしげやがった。

「はて? 何も聞こえませんよ」

「こ……こら!」
 急いで腕を下ろさせ、
「さっさとやれ。今のは冗談だ」
「なーんだ。ジョークですか。もう紛らわしいですね。コマンダーは」
「マジであきれたバカだ」



「では、始めます」
 細い指がコンソールパネルの上で跳ねた。
 動きを見る限りは自信たっぷりで、いくらも不安は浮かばないのだが。

「元に戻ってる……」
 驚きを隠せなかった。
 ナナの折れた指が綺麗に元に戻って動いていた。
 こう言うところを目の当たりにすると、こいつは人間ではないと自信を持って思える。

「は──い。転送ぉー」
 青い光りが広がり、強烈な閃光が格納庫を満たしていく。光はますます強さを増し、ほとんど白色に近くなった頃、予告無しにふっと消えた。

「エマージェンシーキットも一緒に転送されたぜ?」
「大丈夫です。シリジウムだけを取り出しますから」
 いくつかの操作をした後、
「あ、はーい。レイコさん、今度はシロタマさんを置いてくらさい」
 恐る恐る近寄る玲子。巻き添えを喰らいたく無いのは誰しも同じで、シロタマを置くとさっさと逃げた。


 その素振りを横目で見るナナ。
「信用無いレすねー」
 ナナの独りゴチと一緒にシロタマも光りの中へ。

「平気なの?」
「だいじょぶレすよ。エネルギー化されて、今ごろあのへんを彷徨ってます」
 シロタマが消え去った少し上辺りを不安げに見守る玲子へ、焦点の定まらない目をして説明するが、
「それだと幽霊だぜ」
「ユウレイって何ですか?」
 ナナは小首を傾けて、俺に向かって目をぱちくり。
「何だよ、俺が説明するの? 面倒くせえなぁ」
 何でも疑問に思うと、すぐ俺に尋ねてくる。

「それがコマンらーの役目でもごじゃります。学習型のアンドロイドを教育するのはアナタなの。アナタ次第で賢くもおバカにもなりやんす」
 だんだんと言語品位が落ちてくるのは、俺のせいだとでも言いたいのか?

 仕方が無いので『幽霊』の説明をする。
「あのな……生命体が死んだ後、ボディから抜け出てだな……。えっと、何て説明したらいいだろ?」
「いや、一概に間違いとは言えんデ」と社長が言い出して、
「死んだあと、エネルギーとなって魂は宇宙に散るんとちゃうか?」

「この世に悔いが残るほどに強いパワーを持っていて、それが実体化するのが幽霊か」
「せや……」
「もう、そんな話はどうでもいいの。早くシロタマを実体化して。おねがい」

「あ、はい。ではさっそくこっちの世界に戻しますよー」
「あの世から呼び戻すみたいな言い方すんなよ」
 ナナはニタリと笑い返すと、逆転ボタンを押した。

 大きな起動音が響き渡り、再び転送台が青い光に埋もれた。光はすぐに色味を消し去ると白い閃光に変わり、丸い影が揺らぎだし、
「出てきたで。シロタマの輪郭や」
 影がゆらゆらと揺れ動く姿は陽炎のようだ。

「まさに幽霊だ。ああ、シロタマ成仏してくれ……」
「変なこと言わないで!」
「痛ってぇな!」
 後ろから玲子のゲンコツが飛んできたが、声に笑みが含まれおり優しげだった。なぜならば黒い影がはっきりと白色系に移り変わり、実体化への転送工程は終盤に差し掛かっていることを誰もが認め、ようやく事態が安穏な方向へ進みだしたからだ。

 ──と思われた時。

「何だ?」
 忽然と赤いインジケーターが点き、警報が鳴り響いた。
 口から心臓が飛び出す思いで、ナナの顔を窺う。

「えーっと。あーっと。何だっけこの警報?」
 折り曲げた指の角を唇に当て、不安を誘う態度。玲子が機器の操作に迷ったときにする仕草の完璧なコピーだった。

「んーっとぉ。この部分は何て訳せばいいのかな?」
 ディスプレイに次々と読めない文字が並んでいく。管理者製のマシンなのだから当然ナナにしか読めない。
 というより読めてんのか?
「読めていますよ、バカにしないでください。ただね。意味が解らないんれすよねー。ね、コマンダー、『ξφдΘ∝』ってどういう意味ですか?」

 ち……力の抜けるヤツだな!

「発音すらできねえもんの意味を訊くな!」
「ですよねー。そっかぁ……」
 天井と床の中間辺りへ焦点のボケた視線をやるナナ。その不安げな姿はコンベンションセンターで転送機を操る時に俺の前で披露したのと同じものだった。

「おいおい。またかよ。大丈夫か?」
「えっとぅ……。あー。解った。異物が含まれてるんですって……どうしますコマンダー?」
「お前、責任放棄してねえか?」

「ふぇ? ふつうは自動選別されるんですよ、おかしいなぁ?」
「おかしいのはお前の頭だ!」

 俺の叫びはヤツには届かない。
 ナナはぶつぶつ言うだけで、これといって対策は思いつかないらしくオロオロし続け、マシンの警報音は鳴り止まず。インジケーターの赤い警告灯が『たいへんなことになっていますよ』的な、忙しい点滅を繰り返していた。

「ち、ちょう。大丈夫でっか?」
 さすがに社長も不安になってきたようで、後ろから、か細い声をかけた。

「な、なんかおかしいですよぅ。これって異物混入の警告なんですが、異物は自動的に弾かれるはずなのに、どうしてですか? ねぇ、コマンダー?」
「だからいちいち俺に訊くなって言ってんだろ。読めねえし、書けねえし、意味も知らねえ」

 堪りかねた社長が横から口を出した。
「異物を手動で選別にする、になってまへんか?」
 こういうものを開発する会社の社長だけのことはある。

 だがナナは首を振った。
「なっていません。ほら、ここ」
 ミミズがのたうちまくったのとたいして変わらない文字列を指した。

「ワシらには読まれへんって。シロタマやったら読めたやろけどな」
 肝心のシロタマは閃光の中で幽霊状態である。

 ナナの瞳に明るみが増し、
「あぁぁ。『異物』ではなく、『異常』です。ん~、じゃ『ΦΨω』は同位体かぁ。なーんだ、同位体異常ですよ」
「同位体異常って何や?」
 尋ね返す社長へ、ナナはあっけらかんとして肩をすくめた。
「知りましぇーん」
 腹立つな、こいつ。後ろから張り倒してやろうか。

 社長はポンと膝を打った。
「同位体異常って、もしかしたらカップの中に残ってた水のことちゃいまっか?」

「み……ず……?」

「コロニーに流れる水の水素原子が多重水素やったやろ。中性子が普通より多いんや! おまはんが最初に言うたことやないかいな」
「あ、そうでしたね。じゃそれです。中性子がおかしなことになってるんです」

「お前、適当に言ってないか? さっきキットの中を覗いて水が付着してるのを知ってただろ?」
「だって水なんか当たり前の原子構造ですから、通常はこの機械が弾きますもの」

「あの惑星での水は当たり前の物質とちゃうねん。シロタマでも謎やゆうとったけどな。もしかして同位体異常は恒星が吐き出す強いガンマ線の影響ちゃうか。新たな素粒子の法則が見つかるかもな」

「そんなところで感心している場合じゃないっすよ」
 新発見よりも今の状況をどうしたらいいのか、そっちが先決だ。

「中止や! いったん元に戻しなはれ」
「えぇぇ…? もうできません。だって半実体化の状態で分離すれば完全にバラバラになってしまいますよ。スクランブルした玉子はもとの黄身と白身には戻せましぇーーん」

「このまま続行したらどうなるねん」

「緊急リファクタリングしかないです。ね? しますか?」
「なんやねん。リファクタリングって?」

「急いでくらさーい。緊急リファクタリングフィルターを通しますか?」
「わぁぁ。わからんがな。プログラムのメンテナンスのことでっか?」

「もう時間がありません。緊急リファクタリングしてぇぇ』
 切羽詰まってきたのか、ナナは泣き声になっていた。

「他に方法が無いなら、無いと言いなはれ!」
「社長さん。ワタシはコマンダーの命令しか受け付けられましぇーん。コマンダー! 緊急リファクタリングしますか?」
 ナナはバタバタと足踏みを繰り返し、時間がないと派手なジェスチャーつきで俺に訴えかけるが、
「お願い。してぇぇ、コマンダー」
 もはや何を懇願したいのかさえも分からなくなってきた。
「ま、待てよ、俺が決めるの? お前はいつも俺以外の命令を聞いてたじゃないか、何でこういうときだけ俺なんだよ!」
「こういうときだからこそ、コマンダーを頼るのレすよー」

 俺は都合のいい男か!

 しかし非常に緊迫した状態のようだった。赤い警告灯がそこらじゅうで点滅を始めるわ、新たな警報音が鳴り出すわ、ディスプレイには赤色の訳の解らない警告文字が滝のようにリストアップされるわ、騒然とした機械の様子に俺は焦りまくった。

「こまんだー! はやくぅ!」
「もう知らねぇからな。緊急リファクタリングをしろ!」
 ヤケッパだ。目をつむって、エーイさ。バンジージャンプよりもひどいぜ。

「あ、はぁーい」

 黄色い声で返事をすると、ナナは第三格納庫を飛び出して行った。
「お、おい、どこ行く気だ! こらナナ仕事を放棄するな!」
 俺の怒鳴り声に、
「すぐに戻りまーす」と答え、ヤツはとんでもない速度で駆け戻ってきた。


「はい、おまたせしました」
 手には玲子のお茶のボトル。フタに赤色マジックで『飲むと危険』のマーキングがあるので瞭然だった。飲んだら死ぬからな。
「何でそんな物を持って来たのよ?」
 玲子も自分のものだと言うのが解っているようで、口先を尖らせてブー垂れた。

「毒を以て、毒を制するです」
「失礼ねっ!」
 ナナの首根っこをひッ掴まえようとする玲子を社長は止め、

「玲子のお茶で何をしまんのや?」
「あ、はい。呼び水です。耳に入った水が取れないとき、逆に水を入れてやると、引き寄せられて簡単にとれるでしょ。あれとおんなじコトですよ」
「しょうもないこと知ってまんねんなぁ」
「ワタシの言語マトリックスは、コマンダーの脳から構成されています」

 社長は呆れた風な目をこっちに向けるが、俺には責任は無い。

「それをしたら同位体異常は止まるの?」
「わからないです。レイコさん。でも緊急リファクタリングフィルターを通すとはそういうことなんです」
 ナナはよく意味の解らない説明をしてから、持って来たお茶もエネルギーに変えて空中に飛散させると、ひとつのボタンを押した。

 変化はすぐに現れた。
 耳が痛くなるような静寂が訪れ、警報音も爆発的な駆動音も何もかもが瞬断された。
 いくらもしないうちに、点滅していた赤光インジケーターが順に消えていった。

「ど、どうしたんでっか?」
 逃げ腰で観察していた社長がナナの顔色を窺う。

「え? 緊急リファクタリングのフィルターを通したんですよ」
 平然と言い放つナナの先、しーんと静まり返った転送台で銀白色の球体が寝そべっていた。

「シロタマ……なの?」
 不安げな玲子の白い顔がそれを見つめる。

「うまいこといったみたいやな」
「すげえな」
「ですねぇ。リファクタリングのおかげですね。エネルギー化されたエレメントの範囲内で最適化されて再構築されたんです」
「それってなんでっか?」
「転送時にはゴミやイロイロな余分な気体なども一緒にエネルギー化されます。通常はみんな元のとおりに実体化されるんですが、何かの事故などで実体化されなかった場合、その部分を補うために、不必要な物質の原子を利用して再構築するんです。こういう事故を予測して、ワタシ、エマージェンシーキットのケースも一緒にエネルギー化しておいたんですよー」

「うそつけ、たまたま上手いこと行っただけだろ」
「いいじゃないですか。リファクタリングのおかげなんですから」

「もし、あそこで中断したらシロタマはどうなってましたんや?」

 社長の問いに、ナナはあっけらかんと言う。
「たぶん実体化が強制終了されて、シロタマさんは宇宙に散って行ったでしょうねぇ」
「怖い台詞やな。おいそれと口にするもんやおまへんで」
 咎める社長にナナは肩をすくめて赤い舌をちょろっと出した。

 それ──玲子の真似。
 ちょうど、玲子も舌を引っ込めるところだった。

「せやけど。シロタマは動かへんし、なんや形がおかしおまっせ」

 なるほど完全な球(たま)とは言えないな。
 俺の前に横たわる物体。球形では無かった。上から圧力を掛けて緩く偏平させたような物体だった。

 ナナは、たたたっ、と転送台に駆け登り、しゃがんで銀白色の球体を拾い上げると、そっと手に載せて優しく撫で始める。
「まずはブートストラップを動かします」

 すぐにブルッと震えた。もちろんシロタマがだぜ。
 続いて甲高い始動音が響き、ふんわりと宙へ浮かんだ。

「シロタマ。平気なの?」
 玲子の問いにナナが応える。
「まだBIOS部分しかインポートされていません。もう少しお持ちください。今から怖いオジサンのBMIからプログラムをリロードしまーす」
 ここまでくれば問題ない、てな様子だが、こいつのことだ、まだ安心はできない。

「なんかいつものタマじゃないよな。まず色がおかしいぜ」
「そうよ。シロタマは白なの。だから『シロタマ』なのに……」

「これだと銀タマだぜ」
 連呼すると、どこかからクレームが来そうなネーミングだな。

「なんか知らんけど、助かりましたな。リファクタリングでっか? ようは……」
 安堵の吐息を吐いた社長。いつものスキンヘッドをぺしゃりと平手打ちしてから、
「不純物の吸着やな」

「あのぉ……」
「なんや? どないしたんでっか?」
 社長は目尻を下げて穏和に首をかしげ、ナナは救いを求めて肩をすくめた。
「リファクタリングフィルターに通ったはずのものが実体化されていません」
 蚊の羽音みたいな小声だった。

「本来ゴミとして振り分けられる物が無いちゅうことでっか?」
 こくこく、と小さな顎を前後させる。

「ま、まさか、シロタマのボディが実体化する時に融合されたんでっか?」

「そうそう」
「そうそう、じゃねえって。じゃ、じゃあ、この色とかぷにょぷにょした感触とか、ゴミが混ざって変質したのか?」
 まともな状態に戻ったんじゃないんだ。

「マジかよ。それって……。コショーを振ろうとしたら、フタが取れて全部料理にぶっ掛けたのと同じじゃないか」
「よくあることだわ」と玲子は腕を組んでうなずき、
「ねぇよ!」俺は否定する。

「また失敗レす……」
 しょんぼりと肩を落としているナナを社長は慰める。
「やるだけのことはやったんや。気を落としなはんな。今は今田薄荷の手術さえできたらエエ」

 救いを求める眼差しを注いでくるナナへ、社長は続ける。
「とりあえず起動させてみなはれ。メモリの内容さえ無事なら、ボディはアルトオーネに帰った時にW3Cに作り替えさせたらエエんや」

 ナナはさらりとした銀髪を揺らしてうなずき、
「承認コード、3345。プロパティ、ネーム『シロタマ』に対し、リストアの開始を要求しまーす」

 シロタマが激しく反応する。ボヨンボヨンと上下に揺れ、これまでにあり得ない動きを見せた。金属球というよりまるで水風船だ。

 揺れが収まると、今度は表面で繊細なさざ波を起こした。底部から頂点へ向かって何度も広がる。金属ではありえない軟らかく揺れる振動だった。

「平気なのシロタマ?」
 銀白色の表面に緩い振動を残していたが、小さな声が漏れた。

「レイコ…………」
 ふわふわと宙を漂い玲子に近寄り、迷うことなく、とんっと彼女の肩に不時着した。

「シロタマ……」
 優しく肩を持ち上げ、ヤツはもの柔らかい変形を繰り返して応える。まるでセーターの上で跳ねるシャボン玉だ。

「だいじょうぶ……そうやな」
「よかったぁ。色とカタチが少し変わったけど、これはシロタマだわ。ちゃんと元に戻ってる」
 肩の上に乗った銀白色の球体に手のひらを添え、玲子はまるで自分ちのペットみたいな感想を述べた。

 ペット野郎が冷やっこい口調で告げる。
『リロード完了しました。自己診断モードに入ります』
「どれぐらい掛かりまんの?」

『終了まで3時間です』
「あかんあかん。今田が死んでしまいまっせ」

『ステージ3のみの自己診断モードなら10分でコンプリート可能です』

「なんか雑じゃね?」

「だったらオメーがやれ!」
「な、何だこのヤロウ。さっそくケンカ売る気か!」
「あほか! どっちもやめなはれ。とにかくシロタマはステージ3の自己診断モードを開始しや。ほんで裕輔は黙っときなはれ!」

「へいへい」
 タマ野郎は俺の頭上で偉そうにぷよんと揺れて見せ、玲子は満足げな笑みをナナに浮かべる。
「どうやらシロタマは問題無さそうだわ。ありがとう。あなたのアイデアのおかげね」
「あ、いえ。ワタシも咄嗟に思いついたんです。お役に立てて嬉しいです……。えへ」

 それにしたって、はにかんで銀髪を手で梳く仕草。咄嗟に新たなものを思いつくという思考行為。まさに生命体と言っても過言じゃない。すげえもんを拵えたな、管理者め。

「アンドロイドが『思いつく』なんてことは無いやろ。プログラムされた動きでっせ」
「誰にですか?」
 こういう疑問をもたげるのは、いつも玲子さ。
「もちろん製造主や、つまり管理者や。せやろ?」
 社長はナナに尋ね返すが、しばらく彼女は沈黙。答えを出せず、逆に俺へと疑問をぶつけて来た。

「ねえコマンダー。ワタシって何でしょうか?」

 むおう。ぬあんと哲学的な質問をよこすんだ──しかも俺に。

 ナナは問いたげな潤んだ瞳で俺に訴える。
「あらかじめ入力された基本的な情報や体のコントロールはプログラムされた物かも知れませんが、意識はできません。だからワタシは自分の思うとおりに動いているに過ぎません。ワタシって誰かに作られたのですよね?」

 言い返せなくなった。
 俺たちの体だってミミズよりも下等生物から派生して、悠久の進化を経てここまで来た。これは今ナナが言ったデバッグを繰り返してプログラムが完成形に近づいたと言うことではないのか。

「……自分の思うとおりに動くアンドロイドの思考動作。俺の思考パターンはプログラムされた物ではない、とはどうやって認識すればいいんだろ」
「自我や……」
 と社長が口から漏らし、
「もしかしてこの子は自我の目覚めを果たしたんかも知れんデ。人間なら誰しも通る過程やろ。この子はたった今、技術的特異点をこえたんや」
「まさか……」とは玲子。

 ロボットが自我に目覚める。今の俺の知識からは考えられないことだ。

 でも前人未到の土地に住む未開の原住民にスマホを見せたとしたら、彼らの受けた衝撃と、自我に目覚めたロボットと出会った俺が受ける衝撃とは、相対的に同じなのかもしれない──と思うと強く否定できなくなった。

 しかし頭(かぶり)を振る。
 こいつはただのバカに過ぎない。

 ひとまずの答えはこれでいいだろう。真実はいつか明かされる。

「お前は管理者製のアンドロイドで名前はナナさ。生命体ではない。ましてや白神様でもない」
「……ナナ……ですか……ですよね」

「あたしは、そうとも思えなくなってきたわ」
「思ってくれよ。頭が痛くなってきたんだからよ」

 玲子は澄んだ目でナナをじっと見つめて言う。
「この子が伝説の神様だって気がしてきたの……。だって、やることがすべて、あらかじめレールが引かれていたみたいに感じるの」
 玲子はぴょんと社長へ向き直り、
「それってあたしだけの思いでしょうか?」

「伝説でっか? そういうのは信仰の対象としては否定しまへんけどな……。ここにワシらが飛ばされたのは偶然や。コンピューターウイルスの起動コードを知ってたのも、裕輔の言うとおりに偶然立ち聞きでもしたか、今田が緊急時のために教えておったか、やろな」

 俺たちの会話を追って動き回っていたナナの視線が玲子に固着される。困り顔ではあるが無垢な光を帯びた目は真剣だった。

 玲子はもう一度ナナと向き合い、
「偶然? 全部が偶然ですか?」
「せや。必然の流れの中にこの子が偶然おっただけや。主宰はその辺りをちゃんと計算して、古(いにしえ)の言い伝えを利用して民衆を導いたんや。偉いのはあの人のほうやろな」

「そうですか…………ですよね。……でも」
 玲子の言葉の片鱗からは、結論に達せず戸惑う姿がありありと窺えたので、補足しといてやる。

「生命体は自ら創った神様に救いを求めるもんなのさ。そこにたまたまこの子が現れて、期待通りに動いた……それだけなんだよ」
 沈黙したまま俺を見つめてくるナナ。その揺れ動く瞳の奥に煌めく不可思議な光を観察しながら思案を繰り返す。

 ──もしそれが仕組まれた物なら、未来を知っている奴がこの子をプログララムしたことになる。ま、そんなヤツはいないけどな。もし神様を定義するとしたらそいつさ。それでも俺は神とは思わねえ。未来を知っていりゃあ誰だってできるさ。


 不意に──シロタマが俺の鼻先に下りてきた。

『自己診断モード終了しました。ステージ3に機能不全の部分はありません。ユースケを助手に任命し、直ちに治療へ入ります』
「また俺が借り出されるの? やだよな。今回は大手術だろ? 途中でシロタマがおかしくなったらどうすんの。俺は医者じゃねえぞ」

『確かにシロタマの輪郭維持力が異常ですが、手術に影響が出る様子は今のところありません』
「輪郭維持力って……マジ大丈夫かよ?」

「もう、ガタガタにゅかすな! オメエがこの中で一番器用だから使ってやるんだよ」
「なんかこいつ。輪を掛けて口悪くなってませんか、社長?」
 ぶつかる勢いで俺の顔面に迫ってくるタマから体を逸らしながら、後ろに立った社長に訊く。

「まあ。色々あったから、しゃあないんちゃうか。とにかく今田を救うのが先や。黙って付き合(お)うて来なはれ」

 やれやれだぜ…………。
  
  
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