アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  次元と次元の狭間で  

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「俺が!?」
「ほんまや! なんで裕輔が時空修正なんかできまんねん。おまはんが何か手伝ったんやろ?」

 優衣は黒髪を空しく振った。
「ワタシはなにもしていません。そうなると残る当事者はユウスケさんだけになります」
「そんなアホな。裕輔、そうなんか? もっと詳しくゆうてみいや」

 俺の頭の中はとんでもなく混乱していた。いくつもの似たような事象が重なり合って……。
 重なると言えば。
「そうだ。世界が二重に見えていたんだ」

 そう口に出した途端、消えかけていた記憶が鮮明になった。
「俺はスーツ無しで宇宙空間に飛び出た玲子も見ているし、栗色の髪をした優衣が玲子に防護スーツを着せてくれたのも見た」

「なんっと!」
 何度目かの社長の絶句だ。

「ちょい待ちぃや。おまはんの話を聞いていると、玲子とユイがもう一組おるみたいなことをゆうてまへんか?」
「いるぜ。俺の頭の中に二つの記憶がある。だから猛烈に戸惑ってるんだ」

「どうゆこっちゃ、空間が分かれたんでっか?」

 訊かれて答えられるぐらいなら、こんなに狼狽なんかするものか、何がなんだかさっぱりなのだ。

「いろんな状況がごちゃ混ぜになって記憶してんだよ。さっきまでは玲子を救出したと思っていたんだけど……急激に疑問を感じたりと支離滅裂なんだ」

 深く息を吸う俺を優衣はじっと注視し続け、言った。
「記憶の二重化です。やはりユウスケさんが時空修正を起こした時間項になっています。となるとこのあと、書き換えが始まります。その被害を最小限にするには、この話題をすぐに中断するべきです」

「き、記憶の二重化? 記憶の書き換えって何やねん?」
「説明すれば、さらに記憶の書き換え項目が増加し、その分感情サージがひどくなります」

「か、かまわへん。それより知らんままのほうが気分悪いワ」
「ユウスケさんもそれでよろしいですか?」

「当たり前だ。俺が当事者なんだろ? 真実を知りたい。かまわないから説明してくれ」



 優衣は俺の目の奥を見て大きくうなずくと、
「ユウスケさんは二つの世界を体験していますが、ワタシには記憶がありません。つまりワタシが時間項ではないからです。となると……」
 妙な間が空いた。
「となると、何だよ?」


 優衣は確信を得たようにゆっくりとうなずくと、
「ユウスケさんは二つの世界を体験していますが、ワタシには記憶がありません。つまりワタシが時間項ではないからです。となると……」
 妙な間が空いた。
「となると、何だよ?」


 優衣は確信を得たようにゆっくりとうなずくと、



「ぬぁぁぁぁ! なんだ? いま時間が戻ったぞ!」

 社長はキョトンとし、優衣はじっと俺の顔を見て言った。
「それはマンハイム効果です。レコードの針飛び現象とも言われる時間異常です」
 と言ってから、
「これで確定です。時間項であるユウスケさんに今揺れ返しが来たのです。次元末梢の瞬間です」
 意味不明の現象は俺の背筋を凍らし、気を失いそうになるほどめまいを覚えた。

 だが優衣は淡々と説明する。
「これではっきりしました。レイコさんを救助しに現れたワタシは異次元同一体です」
「異次元同一体?」

「異時間とはちゃうの?」

「別次元です。簡単に説明すると、メッセンジャーを宇宙空間に放り出した瞬間を歴史のジャンクションとして、レイコさんが死亡するという歴史に次元が分岐したのをユウスケさんが元に戻したのです」

「あっ!」
 今度は全く異なる光景が不意に甦った。

「ナナが来たんだ!」
 唐突に思い出したのだから仕方がない。

「お……おまはん。ほんまに支離滅裂やで。ナナって、何をゆうとんねん? やっぱ低酸素症や。脳障害が出とる」

「そのあとにユイにも会った……」
「だいじょうぶか、裕輔?」
 マジで不安げに覗き込む社長の顔を見て、
「社長。俺は正気だ。真面目に聞いてほしいんだ」
 と釘を刺してから続ける。

「俺は異時間同一体のユイだと思っていたんだ。で、その時のユイから、次元が違うと言う話を聞いたんだ。なんだか難しい話で、直接交渉ができないからナナを利用したって……」

「向こうのワタシがそう言ったんですね?」
 優衣が身を乗り出して真剣に訊いてきた。

「ああ。そう言った。間違いない」
「この次元の異時間同一体なら同期処理が求められますが、そのような事実がないところを見ると。現れたのは間違いなく異次元同一体です。次元が分岐した後のほんの短い時間を利用して知らせに来たんです」

「やはりネブラがからんどるんや」

「せっかく知らせてくれていたのに、俺のせいで……向こうのユイはこんなことになって」
 とてつもなく後ろめたいものを感じて息が詰まりそうになった。

「何をゆうとんのや、裕輔。べつに悪い結果になっとらんがな」
「だけど玲子が死ぬという世界ができてしまった」

「ううん、違います」
 優衣はむしろ嬉しそうに言う。
「何度も言います。その次元は幻として終わったのですよ。ユウスケさんが後悔する必要はありません。むしろ誇りにしてください」

「どういう意味だよ?」

「それがネブラの狙いなんです。人が持つ最も悲しい感情である『後悔』を武器にしてくるんです」
「後悔を武器に? 感情だぜ?」

 優衣はこくりとうなずき、
「もしユウスケさんが時空修正を行わなければ、玲子さんが死亡すると言う史実に書き換えられます。そうすると後悔したユウスケさんは戦意を喪失し、悲観した社長さんはミッション中止を求め、プロトタイプ破壊の計画が消えることになります。そのためにネブラはメッセンジャーを利用したんです」

「ネブラはワシらの感情を操作するほど進化してまんのか?」
「ま……マジかよ」

「これまでに何十億、何百億というヒューマノイドを傷つけて得たデータですから、それぐらいは楽々とやってのけます」
「良心に恥じるやましい気持ちを逆手に取るわけか……」
 薄ら寒いものを感じたぜ。ネブラめ。

 悔し紛れに地団駄を踏みたいところだが、まだ喉の奥にしこりが残る。
「じゃ、じゃあ。さっき宇宙空間に放り出された栗色の髪のユイはどうなる?」

『次元は時間と共に消滅します』
 やにわに声のした天井へと力強く頭を振り上げると、そこにはシロタマがいた。

「それは死んだ、と言うことか? タマ!」

『死亡と言う表現は正しくありません』
「それはアンドロイドやからか? 今そんな言葉尻にこだわっとる場合とちゃうやろ!」
 語気を強める社長へ優衣が諭すように言う。

「その歴史そのものが無かった、という意味です。つまり時間修正された異次元は瞬く間に消滅する運命です。修正の結果によって、存在し得ない世界となったのですから、異次元同一体どうしが顔を合わすことができないんです。そのことを知っているから、ネブラはこんな卑怯な手を使ってきたんだと思います」

「ちょい待ち!」
 社長は手と頭を同時に振って話しを中断させた。
「あんたらの話を聞いていて、背筋に寒いもんが走りましたデ」                            

「なんでしょう?」

『質問は随時受け付けています』
 優衣とシロタマから尋ねられて、社長はたじろぎながら、
「時空修正をすると次元が分極化して修正前の世界が消えるんやろ?」

「はい、そうです」

「ほな。ワシらのやってるこのミッションが成功したら、今の次元、この銀龍の、この部屋」
 格納庫の壁やデスクを平手で叩きながら、社長は興奮した声を小刻みに出して、
「これら全部が消えて別の世界と入れ替りまんの?」

 目を丸く見開いた社長に、シロタマはこともなげに応える。

『それが時空修正と言うものです』

 優衣も追従し、
「記憶も何もすべて無かったことになります」

「アホな……」
「バカな……」
 俺たちは互いに息を飲んで顔を見合わせた。

 何だかとても無駄なことをしているような気になって、無力感が押し寄せてきた。
 水宮の城の一件や、楓(かえで)との出会い、これまでの長い道程がすべてが白紙に戻るなんて考えられないのだ。

 社長は大声で話を遮断する。
「あ──やめや、やめや! それよりもや。話しが偏り過ぎでっせ! ユイの主張は推測に過ぎんのやろ? 信憑性の高い話やけど、何かで立証できまへんのか?」
 と言われて黙考する。すると頭の中にあるもう一つの記憶、その最も奥深い部分がさらに鮮明になってきた。

 玲子が着用していた防護スーツは、ミカンが組み立ててたものだ。

 唐突に新たな言葉が湧いて出た。
「そうだ。俺がスーツの組み立て方をミカンに教えたんだ!」

 玲子が脱ぎ捨てて行った防護スーツのマスクを引っ掴み。
「重要なことを思い出した。この防護スーツは、向こうの世界でミカンが組み立てて、第三格納庫に置いてあったスーツなんだ」

 はっと顔を上げ、
「「じゃあこっちのは!」」
 社長とそろって声を合わせ、俺たちは息せき切って向いの格納庫へ飛び込んだ。

 俺の記憶ではデスクの上に組み立てられたスーツが横たわっている――が。そこはきれいに片づけられており、白い平面が剥き出しになっていた。

「おかしい……。何もない」

「ここにおましたんか?」
「確かにあった。ミカンが組み立ててここに置いといてくれて……。だから玲子を助けることができたんだ」

「やっぱり。おまはんの思い違いか?」
「自信が無くなってきた……」
 口ではそう答えたが、どうにも腑に落ちない。

 腹の底からこみあげてくる自責の念は勘違いなんてものでは無い。俺がメンテナンスを怠ったばかりに危うく玲子を殺すところだった。それをミカンが補ってくれたのだ。これだけは俺の中では事実だ。間違いない。

「もしかして……」
 俺はマスクを抱きかかえるとそこを飛び出し、第一格納庫との隙間にある倉庫へと駆け込んだ。設置されたロッカーを片っ端から開けて中を確認する。

 中に入っていた防護スーツは思っていたとおりすべてバラバラの状態だったが、マスクだけは整列していた。それを声に出して数える。
「1、2、3……」
 数え終わって息を飲んだ。
「人数分ある……ぞ!

 玲子が使用していたマスクを数に加えると、ちょうどクルーの人数分になる。そう、銀龍に装備された防護スーツは一つ足りないので正解なのだ。楓(かえで)が起こしたゴタゴタの時に一つ宇宙へ落として紛失しているのだ。だから現在銀龍では防護スーツが人数分より一つ足りない。つまり玲子が着ていた防護スーツはこの銀龍の物ではない。でも紛れもなくそれは銀龍の物で……。

 目の前のモヤモヤしたモノが急激に晴れ渡っていった。これで自信を持って宣言できる。
「社長! これが時空修正を行なった証拠なんだ。やっぱり行われた。玲子が助かる歴史に俺が書き替えたんだ!」

 急激に足の力が抜けた。
 頭の中に存在する二つの記憶、どちらも真実だ。ということは、やはりあっちの玲子は死んだのだ。

 そっちの世界にも俺はいる。しかも俺だけは助かる。そうなったら俺は……。
 胃袋がきゅっと縮み上がってきた。
 もしかして田吾が医務室に玲子を連れて行った光景のほうが幻かもしれない。
 どちらが真実なのか混沌として来た。ワケが解らなくなって腰が砕け、立っていられずその場に崩れた。

「ほんまかいや?」
 俺の様子を見た社長もロッカーに詰め寄り、中からマスクだけを取り出して通路に並べ始めた。
 最後に玲子が使用していたマスクを俺から奪い取ると最後尾に置き、俺と同じように驚愕する。

「ほんまや。一つ多いがな……」

 有り得ない光景に身を震わせつつ、社長は何度も数えていたが、最後は震え声でこう言った。
「おまはんの言うとおりや。世界が二つに分極化したんや。ほんで玲子は死の淵から生還したんでっせ」

 社長は俺を拝むようにして手を合わせた。
「おおきに、裕輔。ようやってくれた」

 俺は勢いよく頭(かぶり)を振る。
「とんでもない! 俺がスーツのメンテナンスをさぼらなかったら向こうの玲子は死ななかったかも知れないんだ。全部俺が悪い」
  
  
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