Captive of MARIA

松子

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Case03 スターリングス・オブ・カラミティ

Case03-4

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 ミチは不機嫌だった。
 いくら蓮司の頼みとはいえ、頻繁に嫌いな男と見回りに行かされることも、その嫌いな男の声と煙草の匂いがずっと後をついてくることも、昨日の乱戦の中、何一つ役に立てなかったことも、蓮司を助けられなかったことも、菫におぶわれて帰宅した蓮司の憔悴した顔も、何もかもが頭を離れず、何もかもが気に入らなかった。
 その上、街は珍しいほどに平和で、何を見て回る必要があるのかと、ザラついた神経は更に逆撫でされた。

「お嬢よー、もうちょいゆっくり歩いてもよくなーい?」
 足早に街中をいく(最早走り抜けるに近いものすらある)ミチの背に、亮介の声がかかる。
 一定の距離を保ったままミチについていく亮介だが、コンパスの差のせいでずいぶんとのんびり歩いているように見えた。

「結構見る人は見てるよー。『燕の見回りも最近テキトーねえ』なんて井戸端会議にかけられちゃうよー」
 ぴくっとミチの動きにぎこちなさが走る。
「そんななったら大将の評判落ちちゃうね?」
 その言葉に、ミチの歩調は徐々に緩められ、やがて十数メートル離れていた二人の距離は、二、三メートルにまで縮んだ。

「……ちゃんとみてる」
 思わず言い訳のように呟いてしまったことを、すぐにミチは後悔する。
 相手をしようがしまいが、亮介が黙るということはそうそうないのだが、今の言葉では立派な会話になってしまう。
「そ? ならよかった。――それにしても」
 案の定、亮介は嬉々として続ける。ぐっと口をへの字に曲げながら、もう反応しまいとミチが心に決めた途端――。

「お嬢は大将のこと大好きだねえ」
 体温が瞬時に上昇したと自認した時には、既にミチは彼我を隔てる空間を飛び越えていた。
 腹の立つことに、目の前に姿を現しても亮介は一つも動じない。振りかぶった小さな拳を、その軽薄な笑みに向けて振り抜くが、大きな左手に簡単に捕らえられてしまう。

 ミチは空いた手ですかさず亮介のその左手首を掴み、そこを支点に、今度は左膝を突き上げた。亮介の鳩尾を狙った膝蹴りは、だがやはり、ぱしりと亮介の右手に収まってしまった。
 隠しもせず舌打ちし、ミチは再び姿を消すと、瞬時に元いた辺りに着地した。

「蹴り、うまくなったねえ。拳もちょっと重くなった」
 埃を払うように両手の平を軽く叩き合わせ、何事もなかったように亮介が口を開く。
「でも、今のだと俺が左手動かしたら終わりだから減点かなあ。能力連発出来るなら止められた時点でこまめに移動した方がいいんだけどー、あ、でも、今俺が掴んでたか……。うーん、まあ、お嬢は小回り利くから、動きは天狼のおチビさん参考にするといいよ。蹴りの精度自体上げるなら、やっぱ大殿に手合わせしてもらうのが一番かな」

 カッとなって出しただけの手をまともに評価される腹立たしさといったらない。ミチはもう一度殴りかかりたいのを必死に堪え、亮介を睨みつけた。
 射殺すような視線を受け、亮介は紫煙と共にニヤリと笑う。
「あとはカッカしてると読まれちゃうから、冷静にね」
 どの口が、とミチが拳を握りしめた時、急速にその熱を冷ます、数発の銃声が轟いた。揃って弾かれたように、乾いた音が尾を引く方向を見やる。

「……お嬢、この辺の地理は?」
「いける」
 亮介は腰のホルスターから銃を一丁だけ抜き、ミチは両手にトンファーを握った。
「たぶん裏の中華屋の通りだろうけど、その辺の屋上からでも特定して行って。俺合わせるから、諸々お嬢に任せんね」
 いくらいけ好かない男でも、この状況で反抗するほどミチも子供ではない。性格に山程難があっても、戦闘スキルが高いことは認めざるを得ない。
 ミチはこくりと頷くと、すっと一息吸い込んで、その場から消えた。

 彼女の転移能力は、移動先を明確に思い描けないとうまく機能しない。逆に言えば、自分の庭のように熟知した場所であれば、ある程度自由に行き来出来る。
 せめて縄張りの中くらいは自在に能力を使えるようにと、ミチは普段のトレーニングのついでに、街の隅々まで欠かさず探索していた。八番街の地図など、容易に立体で思い浮かぶ。

 かき消えたミチの姿は、間を置かずビルの屋上に現れた。亮介が当たりをつけた場所はそのすぐ足元にある。耳をすませば、確かに人の争うような声が聞こえた。
 屋上の縁から僅かに身を乗り出して路上の様子を伺うと、裏通りから更に細い路地へ入る角の辺りに、複数の人影がある。
 一人の少女を押さえつけようとする二人の男と、それを傍観する一人の男。その中の二人に、ミチは見覚えがあった。

 一瞬、ミチは躊躇ためらった。
 すぐにでも助けに入るべきか、先に亮介に伝えるべきか。
 合わせるとは言われたものの、下にいる男たちとの戦力差を考えれば、亮介の元へ飛ぶのが先決だろう。
 だが――。

 ガッと鈍い音がした。
 男の手は、少女を殴る目的で振り下ろされたはずだった。しかしその腕は、途中でミチのトンファーに行く手を塞がれていた。
「ぐ、あ?!」
 ミチの突然の出現と、腕に走った衝撃に、男が混乱と痛みの声を上げる。
 その隙に、ミチは背後の少女へ手を伸ばすが、彼女の腕はもう一人の男に掴まれていた。この状態で能力を使えば、男まで転移してしまう。
 ミチは腕を引き、男に向き直った。

「なんなんだ、このガキ」
 男は、空いた手にナイフを持っていた。少女を引き寄せ、刃をミチに突き出す。
 しかしその刃先は、ミチに届くよりも、ミチが叩き落とすよりも早く、音を立てて砕け散った。そのまま、ナイフを握っていた手の甲、前腕と、続けざま血が吹き出す。
「……ッ!」
 顔をしかめた男が、思わず少女の腕を離した。すかさずミチは彼女の腕を掴み、間髪入れず、少女と共に姿を消した。

 咄嗟とっさのことに着地の体勢が整わず、揃って膝をついたミチたちを出迎えたのは、煙草と硝煙の匂いだった。
「お怪我ないすか? お嬢さん方」
 二人の頭上から声が降る。
 ミチは少女の姿に改めて視線をやり、その無事を確認すると、『大丈夫』と『助かった』の代わりに亮介の脚をぱしりと叩いた。

「……ありがとう。ミーちゃん、亮介さん」
「いいえー。久しぶりだね、誘拐未遂」
 味方が現れ、少し胸をなで下ろした様子の少女――数ヶ月前、亮介らがそれこそ「誘拐」してきた少女――アカネは、スカートの裾を払いながら立ち上がった。
 アカネが八番街に来てすぐの頃は、同じような騒ぎが度々起きた。ミチや亮介もよく駆り出されたものだが、アカネの義眼に使われたマリアの汎用性が低いことがわかり、最近では騒ぎもすっかり下火になっていた。

「まさか今頃になって大手のお出ましとはねえ」
 いつもの調子でこぼす亮介だが、いつもの軽口よりは、幾らか声が強張っているようにミチは感じた。
 それもそのはず、ミチにさえ見覚えのある男を、亮介が知らないはずがない。
 小さな少女と無能力者にコケにされ、青筋を立てる男たちの向こうに佇む青年。スワロウテイル、天狼に並ぶ三強の一つ、スティグマの参謀、氷室司ひむろつかさだった。
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