Captive of MARIA

松子

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Case03 スターリングス・オブ・カラミティ

Case03-7

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「……ミっちゃんも、元気だよ。そろそろ帰ってくると思う」
「そう? じゃあちゃっちゃと終わらせちゃお。あの子の好きなお菓子買ってきたんだー」
 切りよく差し掛かった医務室のドアを、蓮司の部屋にしたのと同じように、桜が四度叩く。返る声はなく、二人はそのまま室内に入った。微かに漂う薬品の匂いが鼻につく。

 早速桜は、勝手知ったる様子で、戸棚を物色し始めた。
「先に切るの? 治すの?」
 その後ろで、蓮司が子供のように腰掛けた椅子を回転させる。丸椅子がギィギィと悲鳴を上げた。
「どっちでもいいんだけどー、でも先に切っちゃうと振動で痛いだろうから治すの先かな」
「あった、あった」と桜が取り出したケースは、小さいが重厚感の漂うアタッシェケースに似ていた。医療器具というより工具のような、回転刃のついた道具が顔を出す。

「はい、じゃあ腕出して」
 ギプスカッターを傍らに置き、桜は蓮司の左腕を取った。程なく、二の腕と指先に触れた桜の両手が、ぼんやりと光り始める。
 桜の能力は、怪我や病をたちどころに治すというよりは、本来持つ治癒能力を増幅させると言ったほうが正しい。病巣がはっきりしているものであれば、病気であっても医療技術と併せて外科的に対応出来るが、能力としては、純粋に外傷の治癒を得手とする。
 ヒーリングという言葉のイメージよりは、少し偏った限定的な力だが、切った張ったの世界ではむしろ重宝された。

「がっちり固めてるからどんだけバキバキなのかと思ったら、思いっ切り折られたわけじゃないんだね?」
 次第に腕がじわりと温まっていくのを感じ、蓮司は無意識のうちにほーっと長い息を吐いた。
「――ん。多分ヒビくらいだろって」
「だね。もー、心配性が多いなあ」
 少し呆れたような声のトーンに、蓮司は「だから言ったでしょ」と苦笑した。

「ま、みんな蓮ちゃんのこと大好きだからねえ」
「えー? 頼りないの間違いでしょー?」
 桜の言葉に、蓮司は首をかくんと後ろに反らせた。天井を仰ぎながら、ふてくされたようにぼやく。
「獲物盗られてボコられてセカンドにおんぶされて帰ってくる頭領いるー?」
「ははっ。まあ、菫はちょっと過保護だよねえ」
「でしょー? どんだけ子供扱いしてんだっつー。今日もさー、部屋で大人しくしてろとか言って、自分はどっか行っちゃうしさー」

 蓮司の左腕を覆っていた光が、仄かな熱が、次第に収束していく。
「……情けねー……」
 仰向けのまま、蓮司はぽつりと呟いた。視界には入らなかったが、桜が視線を向けたのが気配で感じられた。
「……まあ、俺がどうでも、親父の決めたことだからね。みんな仕方な――っぶ」
 桜は不意に立ち上がると、蓮司の愚痴を遮るように、その顔面に真上からべしりと平手を落とした。蓋をされた口は、必然、淀みを吐くのを止める。

「なあに? 京ちゃんが決めたことだからみんなキミに従ってるって言いたいの? キミをかわいがるのも、キミを慕うのも全部京ちゃんのため? 菫が言葉通り身を削ってるのだって、蓮ちゃんのためじゃないって言うの?」
 諭すような口調には、だが微かに、感情的な苛立ちも混じっていた。
 蓮司は桜の手首を掴み、顔にかかる手を退けた。顔を合わせられず、戻した視線は正面を通り越して桜の足元にまで落ちる。

「……俺はそんな価値ある人間じゃないよ。親父とは違う」
 我ながら面倒臭いなと、蓮司は自分の吐いた言葉を反芻して思った。だが、一度こぼした言葉は飲み込めない。
 頭上で、桜が嘆息するのが聞こえた。かと思えば、俯く頭頂に先程より強く、手刀が落とされる。
「いった……!」
「そんなのわかってるよ。誰もキミに京ちゃんの代わりなんて求めてないの。蓮ちゃんだから慕ってるんでしょ」
 桜は再び腰を下ろし、「まったくもう」といささか乱暴に蓮司の腕を取り直した。

「――終わったら、お茶でも飲もう」
「ん」
 暗に「話を聞く」と言われていることはわかったが、蓮司にその気はなかった。まるで子供のようだと自覚しながら、蓮司は拗ねたように短くポツリと返した。
 その頭を、今度は優しく、それこそ子供にするように撫で、桜がカッターに手を伸ばした。
 ちょうど、その時。
 二人は示し合わせたように、揃って廊下の側に顔を向けた。
「……騒がしいね?」
「そうだね……」

 蓮司が立ち上がり、様子を伺おうとドアノブを引くと、ちょうど眼前の廊下を走り抜ける敷島の姿があった。
「敷さん! どうしたの?」
 慌てて足を止めた敷島は、蓮司の顔を見て、気まずそうな表情を浮かべた。
「……詳しくはまだですけど、今……」
 思いがけない所から、思いがけないタイミングで姿を現した蓮司に、僅かに言い淀む。 
「……亮介が……血まみれで帰ってきたって――」

 敷島の言葉が終わるのを待たず、蓮司は医務室を飛び出した。桜と敷島、それぞれに呼ばれた気がしたが、振り返ることもせず、廊下を駆ける。
 蓮司は無用となったギプスをつけたまま、階段を勢い良く跳び下りた。一度踊り場に着地し、向きを変えて、今度は階下まで跳躍する。二階にある医務室から玄関へ駆けつけるのは、蓮司にとっては一瞬のことであった。

「亮ちゃんッ!」
 果たして、ぼぼ半身を血で濡らした亮介がそこにいた。両肩をそれぞれ別の団員に支えられ、片足を庇うように歩いてくる。
 俯き加減だったその顔は、蓮司の呼び声に対し、ゆっくりと正面を向いた。
「大将ォ。エラいじゃん、ちゃんとウチにいたんだねえ」
 常と変わらぬその笑みに、「じゃねえでしょ!」と思わず蓮司の声が大きくなる。
「どうしたの、それ⁉ 何があったの⁉」
 蓮司は亮介の血塗れの肩に手を伸ばし、触れるすんでの所でそれを止めた。

「いやあ、柄にもなく正義のヒーローごっこしちゃってね」
 いつものように、冗談めかしたトーンで亮介が答える。失血している亮介より、蓮司の方が余程蒼白な顔をしていた。
「まあ、俺以外無傷だよ。お嬢がガス欠だけどね」
 そう言われて初めて、蓮司は亮介の後ろに目をやった。アカネに支えられながら、浅い呼吸を繰り返すミチの姿がそこにあった。

「ミっちゃん! なん、アカネまで…」
「すみません、状況は私があとで説明します。今はまずお二人を」
「そう、そうだね…。亮ちゃん、今医務室に…」
 アカネにぴしりと返され、蓮司は自分の慌てぶりを知る。桜がいることを伝えようとするが、言い切る前に本人がバタバタと階段を降りてきた。

「ちょっと、ちょっとー。随分無理したみたいじゃない」
「あれ? ドクター来てたの? やったあ」
「やったあ、じゃないよ。もうちょっと自分の身を守るように戦いなよ、もー」
 桜は、へらりと笑う亮介の額を、呆れたように軽く叩いた。亮介と、その両脇を支える団員の隙間から覗くように、後ろの蓮司らを見やる。
「ミーちゃんと、キミも一緒においで。蓮ちゃん、腕そのままで使いにくいだろうけど、ミーちゃん運んであげて」
「うん」

「……蓮司さん、私このまま運びますよ?」
 ギプスの中が既に完治しているとは思いもしなかっただろう。アカネがためらいがちに申し出るが、蓮司は首を小さく横に振った。
「大丈夫。やらせて」
 ミチの華奢な肩を、アカネとは反対側から右腕で支える。体重を少しずつ受け取りながら、蓮司はギプスの左腕をミチの両膝の下に差し入れた。

 ――軽い。

 抱え上げた身体は蓮司の想像以上に軽く、罪悪感を倍増させるには充分だった。

 ――俺が行かせた。

 お姫様抱っこなど、本当ならミチは殴ってでも拒否するに違いない。目を閉じ、されるがままのミチの姿に、蓮司は唇を噛んだ。
 その背に、アカネがそっと触れる。
 蓮司はハッとしたように、小さく「ごめん」と返すと、先を行く桜たちを追った。

「……れ、ん……」
 だが、腕の中から消え入りそうな声がかかり、蓮司はすぐに立ち止まる。視線を下げると、薄っすらと開いた瞼の隙間から、金色の瞳が覗いていた。
「大丈夫? しんどい?」
 声を出すのも辛いのか、はくはくとミチの唇だけが動いた。蓮司は首を傾け、その口元に耳を寄せた。

「……ごめ、なさ……」
 ミチはようやくその一言だけを絞り出すと、すぐに、限界だとばかりに再び瞼を下ろした。
 一瞬見開いた蓮司の目は、即座に、ぎゅっと潰れんばかりに閉じられた。
「……っんでだよ」
 眉間に幾筋もの皺を寄せて項垂れると、蓮司は呻くように呟いた。
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