Captive of MARIA

松子

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Case03 スターリングス・オブ・カラミティ

Case03-8

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 事実上無政府地区となっている極東アンダーグラウンドは、現在は三強に実質統治されている。
 どの組織も一言で言えば同じ「盗賊」ではあるが、人的被害を最小限に、時には護衛業も務めるスワロウテイルとは対称的に、殺人鬼集団とまで揶揄されるのがスティグマだ。

 暴力に物を言わせて奪う対象は武器や麻薬などが多く、彼らが動いたあとに死体がないということは皆無に近い。周囲の被害はお構いなしに、是が非でも対象を手に入れようとする輩が依頼するのにはうってつけだが、依頼者本人が命を奪われるというケースも少なくない。
 シンプルに殺人そのものを請負うこともある彼らは、みな身体のどこかに十字のタトゥーを持っていた。

 袴田麻岬はかまだまさきは、スティグマの象徴たる十字が刻まれた左手で頬を支え、タブレット端末を眺めていた。ダイニングテーブルの上には、中身が三分の一ほど残された炭酸水のボトルがある。

 一番街にあるスティグマの拠点には、食事を摂るための部屋が二つあった。麻岬の父である初代頭領が、自分たち親子と団員の食事の場を別にしたがったからである。
 彼の死後、大きな方はそのまま団員用の食堂、親子専用だった部屋は麻岬が一人で食事をとる場所となった。
 用途はほぼ変わっていないが、先代が息子のためにとしつらえた落ち着いた喫茶店風の内装は、ことごとく撤去されていた。

「ま! さ! きー!」
 その専用ダイニングの扉が、ノックもなく勢いよく開かれる。しかし、麻岬の視線はタブレットに落とされたまま、規則的に左右に動くのみだ。
「麻岬ィ! 聞いて聞いて! もぉー最悪!」
 室内には、本来椅子とテーブルは一対しかなかった。だが今では、ターニャがわざわざ持ち込んだ折り畳み椅子が、当然のように部屋の隅に立てかけてある。
 彼女はそれを手に取ると、許可を取るでもなく、さも自然な流れで麻岬の向かいに腰を下ろした。

「スコープ壊されたの! 燕のあのヘラヘラしたやつに! もォー信じらんない! あとなんだっけ、テツ、テツメン……なんとか! あれ絶対麻岬の悪口だし! ホント、思い出しても腹が立つッ!」
「……物は?」
「モノ? この前一緒にとってきたばっかりのだよ。最新式だったのにィ!」
 ターニャは机の上に乗せた拳をわなわなと震わせた。
 まくし立ててはいるが、その両手を天板に叩きつけないあたり、多少遠慮はしているのかもしれない。

 麻岬はようやく、ちらりとターニャに目をやった。それまで目を吊り上げていた彼女は、一瞬きょとんとしたあと、ニッコリと微笑んだ。「聞きたいことはそれじゃない」などと、目顔で告げたところで、通じる相手ではない。麻岬は小さく息を吐いた。

「司は?」
「もう来るんじゃない? そうそう、司ったらコピー二体共壊されてやんの」
「二体共?」
 二人がスワロウテイルの縄張りに入ったことは、当然その指示を出した麻岬も承知している。もちろん交戦は想定内だが、損害が少しばかり予想の範囲を逸脱している。
「燕は誰がいた?」
「えーっとね……」

「ただいまー」
 ターニャが答えきらぬうち、再びダイニングの扉が開かれた。現れた司に、今度はすぐに麻岬が視線をやる。
「ははっ。色々聞きたそうな顔してんね。そんじゃあ、麻岬。いいニュースと悪いニュースどっちから聞く?」
 にやりと口角を上げる司に、麻岬は隠しもせず露骨に苛立った表情を見せた。話が通じている上で迂回されるくらいなら、話が噛み合わない方がまだマシだ。

「わーかってるよ。言いたかっただけだってば」
 麻岬の物言う視線にも慣れたもので、司は軽く肩を竦めると、低い位置で腕を組んだ。
「一つ、お人形奪取は失敗。燕とかち合ったってのは聞いた? 無能ガンマンとお嬢ちゃんに持ってかれた」
「司も一人死んだ」
 ざまはないと言いたげな笑みで、ターニャが一言付け足した。「はいはい、そうね」と適当にあしらって、司は報告を続ける。

「二つ、敵情視察のつもりで別行動してた俺の一人が、戻ってくる前に消された」
 司のコピー体は、間違いなく同一人物ではあるが、具現化している間は別個人として機能する。
 その間の記憶や経験は、コピー体が消滅した時点で司本人のものと統合される。消滅が司の意志であろうとなかろうと、その点に変わりはない。

「いやー、相変わらず強いね」
 司が誰を指しているのか。
 それは彼の浮かべる皮肉めいた笑みから、容易に知れた。麻岬の眉間の皺は、本人も意識せぬうちに幾本増えた。
「……間違いないのか?」
「間違うわけないじゃん。俺戦ってんだし」
「ていうかやられてんだし」
 またも茶々を入れるターニャを、司は慣れた様子で再び受け流した。

「――桜が帰ってきたよ」
 司の口から出た名は、やはり麻岬が予想していた通りのものだった。
 麻岬は、まだ中の残るペットボトルもそのまま、すいと立ち上がった。頬杖をついて気を抜いていたターニャが、慌ててそれに倣う。

 何も言わぬまま横を通り抜ける麻岬に、司はくるりと半身を捻った。
「ねえ。どっちの方が悪いニュース?」
 廊下に足を一歩踏み出した麻岬は、肩越しに僅かに振り返った。長い前髪から覗く目が、鋭く司を睨みつける。
「……決まってるだろう」
「おー、こわ」
 言葉とは裏腹、どこか楽しそうに笑う司を残し、麻岬は歩き出した。ピクニックにでも出掛けるような足取りで、ターニャがそのあとを追う。

「ねえねえねえ。あたしが殺してもいいの?」
「出来るならな」
「でーきーるーよォ。あとになって自分で殺りたかったって言わないでね」
 麻岬は、ふっと鼻で笑った。「ああ」と短く返す口元は、横顔を覗き込むターニャからは、笑みを浮かべているようにも見えただろう。
 だが、影に隠れる焦げ茶の双眸には、暗く淀んだ炎がゆらりと揺らめいていた。



《Case03 end》
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