天道史奈は恋を知らない

瀬口恭介

文字の大きさ
10 / 20

第十話『約束は、簡単にするものではない』

しおりを挟む

 いつものように噂をされながら、校門を出る。
 近くを歩いていく生徒の笑い声が気持ちを落ち着かせてくれた。先程先生とあんな会話をしたのだ、気まずさは過去最高となっている。
 と言っても、この気まずさを感じているのは俺だけなのだが。

「ねえ、お兄ちゃんに何を聞かれていたの?」

 不意に、史奈さんがそんなことを聞いてきた。
 史奈さんと同じく変人な先生。そんな先生を史奈さんが理解していないとは。
 ああ、でも俺も姉貴が何を言うかは想像できない。気になるのも頷ける。

「史奈によろしく、とかですね」
「ふーん。それで、束紗くんはよろしくしてくれるの?」

 史奈さんが覗き込むように顔を近づける。香水は使っていないはずなのに甘い香りが広がる。
 これも何度目だろうか。最初はドキッとしたが、今はもう慣れてしまった。なので、焦りもせず返答することができた。

「まあ、交際していますから。それなりには」
「そっか。それは楽しみだなぁ」

 ニタァっと、およそ美少女のする表情ではない顔をした史奈さんは覗き込むような体勢を止める。
 ここで一旦、会話が途切れてしまう。気が付くと下校中の生徒もいなくなっていた。
 住宅街なので騒音をBGMにすることもできず、再び訪れた気まずさに思わず口が開く。

「史奈さん。何か、俺にやってほしいことあります? 協力しますよ」
「どうしたの? キミらしくないね」

 俺らしくない、か。確かに自分から史奈さんに何かをしようとしたのは初めてかもしれない。
 家デートの時は仕方なく選んだのだ。先生にあんなことを言われたからというのもあるが、今回は本当に自分からだ。

「史奈さんを満足させれば、俺の負担が減るでしょう?」
「ふふっ、私が満足すると思う?」
「…………それは確かに。やっぱりやめときますか」

 この人を満足させることはできないのではないだろうか。
 しかしそんな不可能とも言えることだからこそ、満足させたらどうなるのか。という気持ちになる。きっと、史奈さんを満足させた日は、俺が史奈さんを理解した日だろう。
 少し早足になりながら脳内で思考を巡らせる。

「わあ、待って待って。せっかくだから何か言うこと聞いてよ」
「はあ、何かあるんですか?」

 歩幅を史奈さんに合わせ、質問する。
 ここで思ったのだが普段から史奈さんの言うことは絶対、みたいな雰囲気があったので今更俺が協力的になったところで変わらないのではないだろうか。

「今度、食事に行かない?」
「あれっ、思っていたより普通ですね」

 史奈さんの口から飛び出したのはそんな食事のお誘いだった。
 おかしい、普通過ぎる。何かを狙っているとしか思えない。しかし、食事で何ができるというのか。俺の貧相な想像力では予想すらできない。

「どうかな?」

 悪だくみをしている表情。確定だ。

「……なんかあるんですね。分かりました、行きますよ」

 俺から協力すると言い出したのだ。今更、引くわけにはいかない。
 こういう時くらいは腹をくくる。何が待っていようと、乗り越えてみせよう。この人だって、無理難題は出さないはずだ。

「了解。じゃあその時になったらチャット送るね。あ、今ここで逃げないって約束してね」
「こええ…………わかりました、約束します。これでいいですか?」
「よろしい」

 既に史奈さんの脳内では作戦が決まっているのだろう。
 その食事で何をしてやろうと、今まさに考えているに違いない。
 腹をくくったとは言っても怖いものは怖い。史奈さんなら何をしてもおかしくないので、それがさらに恐怖を倍増させる。
 ああ、失敗したな。約束って言葉が何よりも怖い。

 何はともあれ、こうして俺は史奈さんを満足させるべく食事に呼ばれた。
 この日もバイトはあるので、いつも以上にどんよりとした目のままカフェに向かった。

* * *

「おはようございまーす…………」

 業界では常識となっている朝でも昼でも夜でもおはようございますをキメる。
 最初はなんで昼過ぎなのにおはようなんだよと納得できていなかったが、今ではそれが当然になってしまい深く考えることは無くなってしまった。
 あーでも、これはこれでバイトの始まりって感じで気持ちが引き締まるな。そういう意味もあるのか?

「おっ、束紗おはよ……うわっ、どうした、その目」
「いや、ちょっと色々ありまして」

 カウンター内には店長しかいなかった。夜桜はまだか。
 史奈さんに比べれば、夜桜の相手とか楽勝過ぎて逆に困るくらいだ。何に困ってるんだそれ。
 制服に着替えながら店長と会話する。ここで彼女が、と言ったら色々聞かれて面倒なので知り合いがと言葉を濁した。

「へぇ、食事にねぇ。いたずら好きとはいえ、流石にそこまで酷いことはしないんじゃない?」
「そうだといいんですけどね」

 着替え終わり、更衣室から出る。制服は白いシャツに、黒いエプロンだ。シンプルなので気に入っている。変におしゃれを狙って派手な色にするより断然いい。

「やっぱ似合ってるなぁ」
「そうですかね」

 俺の制服姿を見ると、店長はそう言った。これがいつもの会話だ。
 それにしても、店長は美人だな。スタイルもいいし、優良物件だ。……なんで結婚しないんだろうか。小さい頃から全く老けた気がしないし、もしかしたら店長は不死身なのでは?
 相変わらず客は来ないので、背を伸ばしながら店長との雑談に戻る。このカフェは家と同じくらいの安心感があるから好きだ。

「っはよーございまーっす!」

 しばらくすると、夜桜が出勤してくる。
 少し遅いんじゃ? と思って時間を確認すると、ギリギリ間に合っていた。まあ、間に合ってるしいいか。遅れなきゃいいんだ。

「おはよう、菜沙なずなちゃん」
「おはよう」

 こいつの名前菜沙なのか。覚えておこう。そのネタでいじられたらたまらない。

「あれ、先輩元気なくないですか?」
「俺に元気ある日があんのかよ」
「あーそれもそうですねー」

 興味なさげに俺と会話をする夜桜。こういう時の夜桜は嫌いじゃない、踏み込んでこないからな。
 夜桜は着替えを済ませ、あくびをしながらカウンターに入る。こいつギリギリまで寝てたな?

「そういえば菜沙ちゃん、束紗がね――――」

 コップを拭いていると、店長が夜桜に俺の話をし始めた。先程話した史奈さん……知り合いと食事に行く話だ。
 この会話には混ざらない方がいいかもな。できるだけ距離を置こう。

「それ、天道先輩じゃないですか? 先輩の彼女さんですよ」

 一番最悪の展開になった。

「えっ? はっ!? 彼女!? ちょ、束紗! 詳しく!」

 見たことない顔で驚いている店長に肩を掴まれる。
 痛い痛い痛い、掴む力強くない? 鼻息荒いよ? 顔近いよ? 美人が台無しだよ? なんとなく結婚できない理由分かったよ?

「私と結婚する約束は!?」
「は? なんですかそれ」

 信じられ程冷たい声が夜桜の口から出る。お前そんな低い声出せたのか。怖いぞ。
 いや、そんなことを考えている場合ではない。というか店長と結婚の約束とかした覚えがない。

「落ち着いてください。おい夜桜、なんてことをしてくれたんだ」
「先輩、最低です」
「俺被害者なんだが」

 結局、俺は店長に史奈さんと付き合っていることがバレてしまい、散々いじられることになる。
 何とか説得はしたものの、俺への当たりは強くなった。俺が何をしたというのか。
 その日のバイトは、いつも以上に精神的に疲れるものだった。

 バイトから帰り、史奈さんから食事の誘いが来ていないことを確認して一息つく。
 これから、俺は食事の誘いに怯えながら生活することになるのか。忘れた頃に来るのが一番怖いので、できれば早く誘ってほしいものだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛

ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。 社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。 玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。 そんな二人が恋に落ちる。 廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・ あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。 そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。 二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。   祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。

敏腕SEの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した祭りは、雨の夜に終わりを願う。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...