聲は琵琶の音の如く〜川路利良仄聞手記〜

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3-1 有馬手記(3)

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「英祐兄、何泣いてんの?」
 リビングのソファに寝そべりながら、ティッシュで目を拭う英祐を、爽子そうこは怪訝な顔で見下ろした。
「目に、ゴミが入ったんだよ」
「がっつり泣いてんじゃんかー」
「うっせぇな。俺は日本の黎明を担う志士の、実に尊いドキュメンタリーに涙を流しているんだよ」
「はぁ?」
 自分の一番上の兄・英祐は、昔から変わっていると思っていた。
 こっぴどく叱られたり、いじめられたりしても、絶対に泣かないくせに。テレビのドキュメンタリーを見ては些細なことで心を奪われ号泣する。
 「そこ、泣くとこ?」と、何度ツッコんだことか。
 進学により、しばらく離れて暮らしていたため、爽子は英祐のをすっかり忘れていた。
 警察官になるはずのいい大人が、家族の目も気にせず泣いている。被害者に寄り添う、いい警察官になれそうだと思う反面、寄り添いすぎて煙たがられるのではないかと僅かに心配になった。              
 これ以上話しかけるのも面倒になってきた爽子は、リビングの隅に置いてある段ボールに目を止めた。
「お母さーん、あれ何?」
 撮り溜めた中華ドラマに目を潤ませた母親は、グシグシと鼻をティッシュで抑えながら振り返る。この二人、似てないけど涙腺は親子だな、と爽子は冷ややかな目で母親と英祐を交互に見た。
「あぁ、有馬のおばあちゃんのよ。形見わけだって」
「形見って……まだ亡くなってないでしょうに」
 ため息混じりに、爽子は呟く。
「古い着物が何着か入ってたから、持ってっていいわよ」
「え? マジ?」
「まぁ……あんたの趣味には合わないかも」
「またまた、そんなぁ」
 軽い返事と足取りで。爽子は互い違いに閉じられた段ボールの蓋を開けた。瞬間、爽子の期待を孕み輝いていた瞳が曇る。
(確かに、合わないかも)
 爽子が段ボール中から取り出したのは、渋い色合いの着物。
 複雑な幾何学模様が折り込まれた、暗い色合いの物が数点。もう少し派手な色味なら、趣味のコスプレに使用できたのだろうが。いかんせん、地味すぎる。眉間に皺を寄せ固まる爽子に、母親は相変わらず鼻をグシグシ言わせて続けた。
「〝大島〟なんだけど、少し傷んじゃってるでしょ?」
「大島?」
「大島紬って言って、いいお値段の着物なのよ」
「ふーん」
「結構いい物だったんだけど小さく仕立ててあるし、保管状態もイマイチだったからねぇ」
 コスプレの小物にはリメイク出来そうだ、と。母親の話を聴きながら、爽子は着物を広げた。その時、コロンと何かが着物からこぼれ落ちる。
「あれ? かんざし?」
 古い簪が乾いた音を響かせて、床の上を転がった。牡丹の花が描かれた薄紅色の玉簪たまかんざし
 だいぶ古いものの、丁寧な装飾が施されているそれは、思わず目を細めてしまうほど、眩い輝きを放っている。この簪を持っていたご先祖様は、よほど大事にしていたのだろう。
 爽子は、キズすら目立たぬ簪を思わず手に取る。そして、リビングの蛍光灯にかざした。
「キレイ……」
「簪……!?」
 それまでソファの上でメソメソ泣いていた英祐が、突然、飛び上がるように立ち上がった。
 ギョッとする爽子をよそに。尋常じゃない速さで近づいてきた英祐は、爽子の手中にある玉簪を食い入るように見つめた。
「……まだ、あったんだ」
 そう呟いた途端、英祐の目が再び涙が滝のように流れ落ちる。
「うわ……何? めっちゃドン引きなんだけど」
「キヨの簪」
「はぁ??? キヨって誰?」
 よく見ると、なんだか目が据わっているようだ。英祐の不可解な挙動に、爽子の胸に芽吹いた不安の種が一気に開花する。
「ちょ……ちょっと! お兄!! 近いッ!!」
「キヨのコスプレをしてくれ!!」
「はぁ!?」
「頼む!! 金は俺が出すから!!」
「だから、キヨって何なのよ!!」
 英祐は無言で古い冊子を、爽子の鼻先に突き出した。更に不可解さに奇怪さを乗じた実兄の行動に、爽子は口角を引き攣らせる。
「これが、なんなのよ!!」
「キヨだ!」
「本でしょ」
「キヨなんだ!」
「……」
 おそらく、爽子自身。英祐がここまで何かにのめり込んだ姿を目の当たりにしたのは、初めてかもしれない。
 何を言っても、どう宥めても。爽子が〝キヨ〟という人物にならなければ、英祐の昂った感情が、どうにもこうにも治らないのではないかという気までした。
 多分、一生。英祐の理想とする〝キヨ〟のコスプレをするまでは。
「わ、わかった! わかったから!」
「本当か!?」
 嬉しさの感情を素直に現した英祐は、更に爽子に顔を近づける。
「ちか……近い! 英祐兄! 近いってば!」
「ありがとう! 爽子!! お前はやっぱりすげぇヤツだ!」
 遥か南からやってきた小さな段ボール。
 この段ボールがもたらしたきっかけが、爽子の一家を巻き込んだ台風の目になろうとは、夢にも思わなかった。
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