聲は琵琶の音の如く〜川路利良仄聞手記〜

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9-5 鉄血山を覆うて(4)

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「大警視は下がっていてください!」
「いや! おいも行っど!」
「何を馬鹿な事をッ! いいから下がっていてください!」
 刃引きした剣を握る利良の前に、肩を怒らせた藤田五郎が立ちはだかる。
 一寸先から刃同士が擦れる音と悲鳴がこだまし、その刃先がいつ己に降り掛かってくるか分からない。
 それほど混沌とした状況下においても、利良は前に進もうと試みていた。
 目指すは、茂み越しに見え隠れする西郷隆盛。
 和田峠を見渡せる丘の上にいる西郷に、どうしても近づきたかったのだ。
 近づいて、話をせんな! 
 戦いを止むっよう、説得せんな! 
 制止を無視し前進する利良の腕を、藤田は思いっきり掴んだ。そして、勢いに任せて後ろに引っぱる。よろめいた利良の背の高い体を、側にいた数名の邏卒らそつが受け止めた。
「お前等!! 大警視を本営へ連れて行けッ!! 今死なれでもしたらどうしようもない!!」
「なっ……! 御無礼様ごぶれさぁ(※ 失礼)な!! 俺はけしんにゃせんが! こん腕を離さんか!!」
「ちょこまかと動かれると気が散る!! 私の目の届かないところへ!! 早くッ!!」
 羽交い締めにされた腕を振り回し、利良は抵抗した。
 しかし、抵抗虚しく。邏卒等に引き摺られる利良の視界から藤田が徐々に小さくなっていく。利良は堪らず叫んだ。
「藤田殿……! 藤田殿ッ!!」
 剣を構え、突進してくる薩軍の一太刀を正眼で構える藤田には、利良の叫び声は最早届かない。
 砂山を崩す一陣の風のような一瞬が、激闘の和田峠に余韻も残らずにサッと消えていった。

 二月に始まった戦は、いつの間にか季節を二つ通り越していた。
 先刻まで気にも止めていなかった蝉の声が、体に纏わりつくほどに響く。八月とはいえ山間やまあいの和田峠(現・宮崎県延岡市)を覆う熱気は、利良の額から汗を滴らせた。
 利良は、ため息を深くく。
 敗走した薩軍の後に残るのは、戦闘の凄まじさを残し赤く染まる大地と、ひしめき合う残留思念。目を覆いたくなるほどの惨状が、利良の胸をきつく締め上げた。
 風が熱を帯び、赤く染まる大地を掠めていく。
 熱風を気にする様子もなく。血の味がするほど奥歯を噛み締めた利良は、薩軍として散らした命無き器一つ一つに手を合わせていた。聞こえない聲を拾うように、その器の顔を確認していく。
 一つの器を確認するたびに、利良の口から漏れるため息。
 安堵からくるのか、後悔からくるのか。
 利良と共に九州入りした藤田五郎は、一連の利良の行動に怪訝な顔をしながら、後ろを歩いていた。居心地悪げに、藤田は指先で頬を掻く。
「誰かを、探していらっしゃるのですか?」
「いや……まぁ、そんな所じゃあさいなぁ」
「大警視」
「ん? 藤田殿、どげんしたか?」
「先刻は、咄嗟とはいえ。大変失礼なことをしました。申し訳ありません」
「気にせんでくいやい。俺が藤田殿なら、同じ事をすっでなぁ」
 藤田の率直な問いと謝罪に、利良は表情を変えずに答えた。
 穏やかな口調とは裏腹の、地面に臥す器を見つめる強い目力。
 利良の行動に、藤田はどことなく違和感を覚えて始めていた。その藤田を尻目に、利良はまた深くため息を吐く。
〝晋祐殿じゃなか--!〟
 一撃必殺の示現流じげんりゅうを武器に、征討軍をも蹴散らしてしていた薩軍抜刀隊。
 しかしそれも、征討軍の圧倒的な兵力には敵わず、九州北部まで拡大していた薩軍は、包囲されるようにその勢力を縮小。じりじりと南下をし始めていた。
「大警視の刀は、何故刃を潰しているのでしょうか?」
 額の汗を拭いながら、藤田は一連の行動を続ける利良に、またポツリと聞いた。
「俺はもう文官じゃっでな」
「文官? 警視庁の大警視である身は、文官なのですか?」
「警察の制度を作り、統制を図る。仕事は既に文官じゃ」
「……では、何故。大警視は、この場にいらっしゃるのですか?」
「どうしてん、守りたかもんがあったでな」
「守りたい者、ですか?」
「刃引きしちょれば、守りたか者に恐怖は与えんじゃろ。それに……」
「それに?」
「剣で解決せんでも、解決が出来でくっことは、沢山ずばっあっでやなぁ」
 和田峠で西郷隆盛は、征討軍を迎え撃つ。
 警視庁の邏卒中心で構成された別働隊との激闘。
 これが、両軍共に最後の鍵となる--。
 そう意識していた西郷も利良も意識していた。
 始めこそ、精鋭部隊・抜刀隊の勢いにより、戦況を優位に進めていた薩軍であったが、圧倒的兵力で征討軍が四方から包囲し攻撃してくる。若き薩摩の精鋭が次々と倒れ、迎撃した薩軍は遂に敗走したのである。
 押され気味であった征討軍をここまで押し上げたのは、利良率いる別働隊の精鋭で構成された抜刀隊。
 歯には歯を、目には目を。
 抜刀隊に抜刀隊をぶつけたのである。 
 「示現流の〝一の太刀〟は受けるな。必ず避けろ」という利良の策は、敵面に功を奏し、攻守の要・最強を誇った薩軍抜刀隊を打破したのだ。
 北上の末、敗走に次ぐ敗走。西郷は、苦渋の決断をした。
 〝薩軍、解軍--〟
 八月十六日のことである。
『我軍の窮迫、此に至る。今日の策は唯一死を奮つて決戦するにあるのみ。此際諸隊にして、降らんとするものは降り、死せんとするものは死し、士の卒となり、卒の士となる。唯其の欲する所に任ぜよ』
 西郷隆盛が解軍の令を出し、利良がその一報を聞いたのは翌十七日。
 解軍令により、投降した薩軍の数十名の若者等によってもたらされたのである。
 戦の終結が頭をぎる。
 しかし、投降した中に西郷をはじめとする薩軍将校は居なかった。利良が情報を収集している間。千人ほどの小さな隊を引き連れた西郷等は一路、鹿児島へと向かっていたのだ。 
 規模の小さな隊の移動は、想像以上に速い。
 今すぐに追いかけても、追いつくことは針の穴を通すほど困難だろう。
 利良は酷く狼狽した。
「このまま、鹿児島で丸く収まってくれたら良かどんなぁ」
--しかし、収まらなかったら。
 利良はこの時、最悪の事態を既に想定していた。
 私学校は既に征討軍が占拠・支配している。
 帰郷した薩軍は、自分達の根幹というべき場所を支配する征討軍に憤りを覚えるはずだ。
 既に多くのものを失った薩軍が、大人しく耐え忍ぶことなどできるはずもない。必ず奪還するだろう。
 そうなれば、全面戦争だ--!!
 利良の愛すべき全てが、壊れ、無くなる。
 二度と帰らない、二度と会えない。失うものが大きすぎる! 利良は机上に広げられた地図をぐしゃりと握りしめた。
「至急じゃ……! 至急! 鹿いかん!!」
「大警視……?」
「電信文書を! 早よ、鹿児島ん班に電信文書を出してくいやい!!」
「大警視、一体どういう事でしょうか?」
「薩軍を決して、鹿児島に入らせたら行かん! 入らせる前に、必ず拘束せぇ! 殺しては……戦ってはいかん! 必ず生きて捕らえッ!!」
 利良のあまりの剣幕に、藤田をはじめとする邏卒等が息をのんだ。
 普段から感情の起伏も見せない穏やかな利良が、狼狽し、声を荒げ、檄を飛ばす。あまりの事に言葉を失う邏卒等に、利良は必死の形相で大きく叫んだ。
「早よ、電信文書を出してくいやい!!」

 ✳︎        ✳︎        ✳︎

「剣を握るなんて、どれくらいぶりかなぁ」
 晋祐は、後方支援の詰所から久しぶりに自宅に帰った。
 軽く湯を浴び、汗を流す。
 日も西に傾いた頃の空は、僅かに高く秋を感じさえした。
 こんなにも、穏やかな時間があったことをすっかり忘れていたのか。
 浴衣に袖を通した晋祐は、深く呼吸をすると、床の間に飾ってある日本刀を手にした。
 縁側から庭に降り、晋祐はじわり腰を落とすと、気合いと共に脇差しから一気に斜め上に振り切る。
「そいは、〝二の太刀〟じゃいもすか?」
 久しぶりに顔を合わす晋祐の姿に、キヨは目を細め嬉しそうに笑う。お盆に冷えた麦湯と握り飯をのせて、縁側に腰を下ろした。
「あぁ。実をいうと、二の太刀しかできないんだ」
「え?」
「俺の肩口に、古い傷があるだろう?」
「はい」
「若い頃負傷して、左腕を高く上げられない。一の太刀ができなんだ」
「まぁ! それは痛かろしたなぁ」
 心配そうに眉頭を寄せるキヨに、晋祐は穏やかに笑う。
「痛みはもう、忘れてしまったなぁ。それで親友を守れたんだ。どんな褒美より価値のあるものだと、俺は思っているよ」
「晋祐さぁ……」
「そんな困った顔をするな、キヨ」
「じゃっどんから……心配じゃいもす」
「……」
「もうすぐ西郷様がってきもしたならば、ここは戦になってしもたぁろかい」
 キヨはそういうと、少し膨らんだ下腹部に手を添えた。
「大丈夫だ、キヨ。キヨもお腹の子も、俺が守る。心配なんぞしなくていい」
 キヨの手に自らの手を重ね、言い聞かす言葉は不安に偏る自分の気持ちを無理矢理に奮い立たせる。
 なんとしてでも、生きなければならない。
 生きて、キヨを守り……利良に会わなければ!
 守るために剣を握らねば! 
 キヨの冷たい手の向こう側から伝わる、小さな、とても小さな鼓動。生きることの尊さを肌で感じ、晋祐は浅く息を吐いて決意を固めた。

 解軍後、和田峠から移動した西郷隆盛らの軍は、小林から最短経路である加治木(現・鹿児島県姶良市加治木町)へ隊を進めていた。しかし、利良からの電信文書を受け取っていた征討軍は要所で南進を阻止。鹿児島湾から重富に上陸した別働隊により、薩軍は鹿児島への最短経路を阻まれてしまった。
 西郷隆盛を有する本隊は、西側への迂回を余儀なくされたのだ。ところがその中の一人が征討軍の包囲を上手くすり抜ける。そして一足早く。晋祐等、後方支援隊に西郷等が帰郷する旨の伝令がなされたのだ。
 後方支援に使用していた小屋を秘密裏に破壊した晋祐等は、西郷の帰還を今か今かと待っていたのである。晋祐等だけではない。西郷隆盛を鹿児島の雄とする住民も、同様に帰還を待ち望んでいた。
 明治十年九月一日。
 帰郷した薩軍将・辺見十郎太が先陣を切って、私学校へ奇襲をかけた。
 守護していた征討軍は、この奇襲により不覚にも私学校を奪取されてしまう。
 城山を中心に布陣した薩軍は、鹿児島を支配していた征討軍を次々と制圧したのだ。
 征討軍の支配に不満を募らせいた住民も薩軍に協力。このまま薩軍有利で、鹿児島での決戦は進むかと思われた。
 しかし、そこでは終わらない。
 征討軍には圧倒的な兵力があった。
 瞬く間に形勢を逆転し、徐々に勢力を盛り返す。一週間とかからずして、征討軍は城山の包囲を完成させたのだ。
「残りのスナイドル銃を全部持って行け!」
「弾薬がなかが!」
「弾薬はない!! 作るしかない!」
「何でんで! 鉛でん何でん、溶かして型にめっじかんな!!」
「そいじゃ間に合わん!! すぐ出来でくっ方法を考えんかッ!!」
 周囲を包囲された私学校では、あちこちから怒号が飛び交っていた。
 後方支援の晋祐等は、枯渇した弾丸を作成するために、私学校中を東奔西走する。鉛以外の鉄や銀も集め回った。
 僅かな弾丸を土に埋め込み型をとり、そこに溶かした鉛を流し込む。一つ一つの完成に恐ろしく手間が掛かるその技法は、一刻を争う戦に従事する各将校から、激しく反感を買った。しまいには、筒に合わせた棒状の金属を叩き折って弾丸を作ることになったのだが。
 粗悪極まりない弾丸に、命中率などあるはずもない。
 晋祐は、弾丸を作りながら思っていた。
 この戦には、勝てない--と。
 薩軍には黎明はこない。
 鹿児島の未来は、もうすぐ終わってしまうのだと。
 自分の未来が終わったとしても。未来をつなぐために。それでも、剣を握り守らなくてはならない。溶けた鉛の赤い色を見つめていると、利良の顔が薄らと重なった。晋祐は頬を両手で叩き、邪念を払うように気合を入れる。
「利良殿……黎明は頼んだぞ」
 征討軍は徐々に方位を狭めていき、九月十九日頃には、一触即発の最終局面を迎えていた。

 ✳︎     ✳︎     ✳︎

 一方、同日未明。
 利良は藤田五郎と共に鹿児島に入る。
 薩軍が征討軍の包囲をすり抜けることは、利良も粗方想像はしていたものの。こんなにも早く突破するとは思っていなかった。
 日中夜、山を越え川を渡る。
 驚異的な速さで鹿児島入りした利良は、征討軍本営の隅で体を休めていた。
 暗闇の中、輪郭が浮かび上がる桜島をじっと見つめる。
 一方、桜島とは反対側にある薩軍の本陣がある城山は、戦の真っ最中とは思えぬほど、赤々と燃える松明がほんのりと明るく照していた。切羽詰まった状況とは裏腹な暖かな明かりが、鹿児島の街を浮かび上がらせる。利良は、目を細めポツリと呟いた。
「遠くからの景色は、全然いっちゃんかわらんどなぁ……」
「覚悟はできていますか?」
「え?」
「西郷殿を……鹿児島を潰す、覚悟はできていますか?」
 静かに、しかし強い口調で。藤田五郎は言った。
 急な質問に一瞬口をつぐんだ利良だったが、体の強張りを取るように穏やかな笑顔を浮かべる。
「げんねかこっじゃっどん(※ 恥ずかしいことだが)、まだ覚悟はできちょらんなぁなぁ」
 板の上にごろんと寝転がり、小さく瞬く星を見上げながら利良は続けた。
「潰す……じゃなかなぁ」
「じゃない?」
「時代を終わらせる、次の黎明に進んじけるように。終わらせもんそ」
 次の黎明こそ、晋祐殿を連れっじく!!
 こげな所で終わらすっことなんど、あいもんか!!
 利良は拳を握りしめて、目を閉じた。
 黎明の終わりを悟る晋祐と。
 新しい黎明を模索する利良と。
 手からするりと抜け落ちた黎明。南から始まった小さな燻りはやがて大きな乱となり、日本を揺るがす大きな戦となった。
 戦が最終局面に達する。晋祐と利良、二人の運命が時代の歯車に飲まれ、大きく動こうとしていた。
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