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4ー2 跡形もなく(2)
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『いえ、まだ兄は戻ってませんが……何かありましたか?』
電話先の陽哉の声が、心なしか緊張しているように感じられる。勇刀は右手をグッと握りしめた。
「いや、ちょっと急な要件があったもんですから……。もうちょっと、こちらから連絡とってみます。夜分にすみませんでした」
『あの!』
電話を切ろうとしていた矢先、遮るように陽哉が言った。
『何か……何か、あったのなら。教えていただけないですか?』
元来、勇刀は嘘があまり得意ではない。警察官になり、様々な事案を経験・対応していくうちにのらりくらりとかわす方法は身につけてはいた。しかし、こうもストレートに、ましてや顔見知りの陽哉に言われると、過剰に反応した勇刀の呼吸が一瞬止まる。
(遠野係長に悟られるな、って言われたのに……)
極力、穏やかに。明るめの声を意識して、勇刀は口を開いた。
「いや……何でもなくて」
『緒方さん!』
「あったとしても、絶対に大丈夫です」
声音を強めた陽哉。強く非難を含んだその言葉に被せるように、勇刀はハッキリと返した。
「俺を信じてもらえませんか?」
『……』
「俺、市川さんに笑って欲しいんです」
『緒方さん……』
「だから……信じて、もらえませんか? 陽哉さん」
『……』
「お願いします」
『……分かりました』
陽哉の落ち着いた静かな返事に、勇刀はホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます」
胸に詰まったため息を吐き出すと同時に、勇刀は礼を言った。
『僕に兄から連絡があったら、必ずお伝えします』
「よろしくお願いします」
一呼吸置いて。勇刀はスマートフォンの画面を指で触れた。
(陽哉さん、カン……いいなぁ。悟られちまった)
遠野にあれだけ念を押されたにも拘らず、あっさりと市川に関する異常事態を勘繰られた。家族だから、という以上のもの。陽哉が市川を尋常なく心配しているのということが、手にとるように分かる。あんな事件があったら仕方がない、とは思う。勇刀は、陽哉が市川を迎えに来た時の事を思い出していた。
あの眼差し……は? 穏やかで柔らかな視線。一見、物腰が柔らかく人当たりもいい陽哉、しかし、車に乗るほんの一瞬。勇刀に向けられた鋭く冷たい眼差しが脳裏に蘇る。あの時は、気にも止めてなかった。
家族が凄惨な事件の被害者であれば、警察という組織に嫌悪感を抱くのは仕方のない事だ。組織に入ってまだまだ短いながら、そういう現場には幾度もなく立ち会ってきた。勇刀自身、被害者の家族の心境が分かる立場だ。だから、勇刀の胸にズンと響いた。陽哉が言った「お願いします」という言葉の重みが、響いたのだ。
(陽哉さんが信じてくれる、って言ってくれたんだから。一刻も早く市川さんを見つけなきゃな)
勇刀はスマートフォンをポケットに捩じ込むと、一つ深呼吸をしてリフレッシュコーナーへと走った。
「……ドタバタ、うっせぇよ」
「すみません……」
リフレッシュコーナーでは、すでに鑑識作業が始まっていた。勢いよく廊下を走ってきた勇刀は、苦手意識のあるその声に勇刀は大きな身を縮こませる。
その鑑識の男こそ、昼に市川の指掌紋を採取しにきた切田だった。昼間のラフな感じとは異なるその姿に、勇刀は余計に身が引き締まるのを感じた。白いヘアネットの上に帽子を被り、ラテックスの手袋と履物カバーというフル装備。仕事モード全開の切田は、懐中電灯で平行に照らしていた廊下に顔を近づけていた。
「見ろよ」
「はい」
切田に促されて、勇刀は廊下を這い蹲るようにして身をかがめた。廊下は青白い人工的な光を鏡のように何も残さず反射する。ゴミひとつ、埃ひとつとらえない。勇刀は思わず呟いた。
「……綺麗ですね」
「だろ? 不自然なくらい綺麗だろ」
切田が口角を上げて返事をする。
「何かを拭き取った……?」
「正解。何か残ってちゃ拙いものでも、拭いたんだろうな」
そう言うと、切田は懐中電灯を消した。そして、ジュラルミンの鞄の中から、細長い形状の紫外線ライトと霧吹きを取り出す。
ルミノール試薬だ。
ルミノールと炭酸ナトリウムを混ぜた水溶液に過酸化水素を加えた試薬だ。この試薬を見えない血痕に噴霧すると、血液の成分が反応し、残された血痕が暗所で青白く発光するのだ。これをルミノール反応という。残された微かな血痕にでも反応するため、ルミノール試薬は広く鑑識で使用されている。
切田は試薬の入った霧吹きを、スーッと廊下にまんべんなく吹きかけた。廊下に置いた紫外線ライトのスイッチを入れると、放たれる青い光が廊下一面を照らしだした。
「切田さん!!」
「あぁ」
暗い廊下に青白く浮かび上がる丸い模様。一つ、二つ光るその痕跡は、誰かの残した血痕であることを証明していた。
切田が証拠を採取しようと、ジュラルミンの鞄に手をかけたその時--。
「……なんで!?」
「クソッ……! 塩素系使いやがったな!」
二人が狼狽するそばから、二つの丸い光が途端に輪郭を失っていく。青白い光が廊下を染めるように広がりはじめた。
ルミノールは水には不溶だが、塩基性水溶液には可溶する。手がかりとなる血痕は、犯人によって廊下に塗布された塩基性水溶液によって溶かされてしまったのだ。僅かに残された証拠。やっと手にした僅かな証拠ですら、跡形もなく消えて無くなっていく。
「……なんで、こんなこと」
「犯人のみぞ知る、ってとこだろうな」
「……」
犯人が異様に頭が切れる。犯人に翻弄され、市川に近づいたと思ったら、また遠ざかる。勇刀は唇を噛みしめた。
「今から画像解析すんだろ?」
ジュラルミンの鞄に道具をしまいながら、切田が言った。勇刀は血痕の浮き出ていた場所を睨みつけながら、首を縦に振る。
「何か分かったら連絡くれ、足跡から何から全部試してやる」
「切田さん……」
「俺だってムカついてんだよ。同期を二人も殺されてたまるか」
「……はい!!」
幾分、気持ちが楽になった気がした。陽哉にぶつけられた強い感情の言葉と、目の前で僅かな証拠が潰され、絶望した感情とが。深く重く、勇刀にのしかかっていたのだ。
同じ気持ちの仲間がいる。同じ目的に向かっていると認識するだけで、緊張と重責で強張った心に余裕ができた。
勇刀は切田に深く頭を下げると、再び視線を交わす。その時、切田の目には、晴れやかな顔をした勇刀の姿が映り込んでいた。
暗い室内で、陽哉はテーブルに置かれたスマートフォンを眺めていた。月明かりが室内を照らし、静寂をより一層深いものに変えていく。陽哉のスマートフォンは、夜の静寂を映し込んでいるかのように、黒い画面のまま全く反応しない。陽哉は頭を抱えた。
『俺、市川さんに笑って欲しいんです』
『だから……信じて、もらえませんか? 陽哉さん』
勇刀が電話越しに言った言葉が、陽哉の頭の中で何度も再生される。繰り返される勇刀のその言葉に、陽哉は胸が張り裂けそうになっていた。
(また、雪が苦しんでいたら? また……雪が……)
ただ、兄の無事を。勇刀の連絡を、待つことしかできない自分が情け無い。拳を握りしめ、陽哉はテーブルを叩いた。
ダン--ッ! と、木製の鈍い音が響く。同時に陽哉のスマホが、ガタッと動いた。ふと、その時。カウンターに伏せられた写真立てが目に留まる。陽哉は立ち上がると、その写真立てに手を伸ばした。警察学校に入校したばかりの真新しい警察官の制服に身を包んだ市川と、高校生だった頃の陽哉の写真。何故伏せられたのか、いつからこんな状態だったのかは分からない。市川が目にしたくなかったのか、それとも……。
「はぁ……」
陽哉は心の中の不安をのせてゆっくりと息を吐く。そして、写真をもう一度眺めると、伏せることなく真っ直ぐにカウンターの上にたてた。
写真立てのガラスが、差し込む月明かりを反射する。白く消えて見えなくなる写真の中と市川と自分の姿。陽哉は溝のできた今の二人の関係性を重ね合わせてしまっていた。
「ちょ、ちょちょちょ! 田中主任! 今のところストップ」
一方、勇刀は警察本部内に設置された監視カメラの映像を解析していた。全ての映像を集め、帰ってきた捜査員とともにチェックをしていたその時。勇刀は隣の捜査員が握るマウスを、上から掴んだ。手を掴まれた捜査員は、ギョッとして勇刀を見上げる。画面に映る画像は、警察本部の正面玄関。人も疎らで特に変わった様子はない。勇刀は画面を凝視したまま叫んだ。
「五秒! いや、十秒戻してください!」
「お、おう」
勇刀の気迫に押されて、捜査員が慌てた様子でマウスを操作する。
「そこです!」
勇刀の声とともに、画像が止まった。
正面玄関を捉える監視カメラの画像には、両手におかもちを持つ人物が二人、映し出されている。
勇刀はすぐさま、自分のパソコンのキーボードを弾いた。停止している監視カメラの画像が写るパソコンに別の画像が、ポップアップで表示される。
「緒方……これ」
髪の長い、あの人物の画像だ。
「田中主任! 耳を、耳を照合してください!」
勇刀に言われた捜査員は、再びマウスを滑らせた。それもそのはず。おかもちを持つ人物の髪は二人とも短い。どこかの課が夜食を注文したのか、一人はよく見る近所の定食屋の女主人。その女主人にひっついて歩いている一人はキャップを目深に被ったバイトらしき人物。
捜査員が、慣れた手付きで長い髪の人物の耳を範囲指定した。そして、解析のボタンをクリックする。カタカタッとハードディスクが音を立てて、画面中央にプログレスバーが表示された。解析が進むにつれ、プログレスバーの白色の帯が赤色に変わっていく。勇刀は息を殺して、進捗状況を見守っていた。
(あと、十パーセント……七、四……)
乾いた電子音と共に、照合結果が画面にポップアップ表示される。
「……一致!?」
捜査員が、呟いた。
〝解析結果、九十八パーセント一致〟
長い髪のあの人物の耳と、キャップを被った人物の耳が、一致したのだ。
「やっぱり……」
「緒方……お前、耳の形覚えてたのか?」
捜査員が驚きのあまり、目を見開いて緒方に言った。
(糸口が……見つかった!!)
勇刀は捜査員の言葉に頷きもせず、食い入るように画面を見つめた。はじめは跡形もなかったのだ。綻びすらも見つからず、勇刀自身焦っていたのは否めない。しかし、今目の前には……。微かな、市川を救うことができる、小さな小さな糸口がある。勇刀はその糸口に、興奮を覚えざるを得なかった。
電話先の陽哉の声が、心なしか緊張しているように感じられる。勇刀は右手をグッと握りしめた。
「いや、ちょっと急な要件があったもんですから……。もうちょっと、こちらから連絡とってみます。夜分にすみませんでした」
『あの!』
電話を切ろうとしていた矢先、遮るように陽哉が言った。
『何か……何か、あったのなら。教えていただけないですか?』
元来、勇刀は嘘があまり得意ではない。警察官になり、様々な事案を経験・対応していくうちにのらりくらりとかわす方法は身につけてはいた。しかし、こうもストレートに、ましてや顔見知りの陽哉に言われると、過剰に反応した勇刀の呼吸が一瞬止まる。
(遠野係長に悟られるな、って言われたのに……)
極力、穏やかに。明るめの声を意識して、勇刀は口を開いた。
「いや……何でもなくて」
『緒方さん!』
「あったとしても、絶対に大丈夫です」
声音を強めた陽哉。強く非難を含んだその言葉に被せるように、勇刀はハッキリと返した。
「俺を信じてもらえませんか?」
『……』
「俺、市川さんに笑って欲しいんです」
『緒方さん……』
「だから……信じて、もらえませんか? 陽哉さん」
『……』
「お願いします」
『……分かりました』
陽哉の落ち着いた静かな返事に、勇刀はホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます」
胸に詰まったため息を吐き出すと同時に、勇刀は礼を言った。
『僕に兄から連絡があったら、必ずお伝えします』
「よろしくお願いします」
一呼吸置いて。勇刀はスマートフォンの画面を指で触れた。
(陽哉さん、カン……いいなぁ。悟られちまった)
遠野にあれだけ念を押されたにも拘らず、あっさりと市川に関する異常事態を勘繰られた。家族だから、という以上のもの。陽哉が市川を尋常なく心配しているのということが、手にとるように分かる。あんな事件があったら仕方がない、とは思う。勇刀は、陽哉が市川を迎えに来た時の事を思い出していた。
あの眼差し……は? 穏やかで柔らかな視線。一見、物腰が柔らかく人当たりもいい陽哉、しかし、車に乗るほんの一瞬。勇刀に向けられた鋭く冷たい眼差しが脳裏に蘇る。あの時は、気にも止めてなかった。
家族が凄惨な事件の被害者であれば、警察という組織に嫌悪感を抱くのは仕方のない事だ。組織に入ってまだまだ短いながら、そういう現場には幾度もなく立ち会ってきた。勇刀自身、被害者の家族の心境が分かる立場だ。だから、勇刀の胸にズンと響いた。陽哉が言った「お願いします」という言葉の重みが、響いたのだ。
(陽哉さんが信じてくれる、って言ってくれたんだから。一刻も早く市川さんを見つけなきゃな)
勇刀はスマートフォンをポケットに捩じ込むと、一つ深呼吸をしてリフレッシュコーナーへと走った。
「……ドタバタ、うっせぇよ」
「すみません……」
リフレッシュコーナーでは、すでに鑑識作業が始まっていた。勢いよく廊下を走ってきた勇刀は、苦手意識のあるその声に勇刀は大きな身を縮こませる。
その鑑識の男こそ、昼に市川の指掌紋を採取しにきた切田だった。昼間のラフな感じとは異なるその姿に、勇刀は余計に身が引き締まるのを感じた。白いヘアネットの上に帽子を被り、ラテックスの手袋と履物カバーというフル装備。仕事モード全開の切田は、懐中電灯で平行に照らしていた廊下に顔を近づけていた。
「見ろよ」
「はい」
切田に促されて、勇刀は廊下を這い蹲るようにして身をかがめた。廊下は青白い人工的な光を鏡のように何も残さず反射する。ゴミひとつ、埃ひとつとらえない。勇刀は思わず呟いた。
「……綺麗ですね」
「だろ? 不自然なくらい綺麗だろ」
切田が口角を上げて返事をする。
「何かを拭き取った……?」
「正解。何か残ってちゃ拙いものでも、拭いたんだろうな」
そう言うと、切田は懐中電灯を消した。そして、ジュラルミンの鞄の中から、細長い形状の紫外線ライトと霧吹きを取り出す。
ルミノール試薬だ。
ルミノールと炭酸ナトリウムを混ぜた水溶液に過酸化水素を加えた試薬だ。この試薬を見えない血痕に噴霧すると、血液の成分が反応し、残された血痕が暗所で青白く発光するのだ。これをルミノール反応という。残された微かな血痕にでも反応するため、ルミノール試薬は広く鑑識で使用されている。
切田は試薬の入った霧吹きを、スーッと廊下にまんべんなく吹きかけた。廊下に置いた紫外線ライトのスイッチを入れると、放たれる青い光が廊下一面を照らしだした。
「切田さん!!」
「あぁ」
暗い廊下に青白く浮かび上がる丸い模様。一つ、二つ光るその痕跡は、誰かの残した血痕であることを証明していた。
切田が証拠を採取しようと、ジュラルミンの鞄に手をかけたその時--。
「……なんで!?」
「クソッ……! 塩素系使いやがったな!」
二人が狼狽するそばから、二つの丸い光が途端に輪郭を失っていく。青白い光が廊下を染めるように広がりはじめた。
ルミノールは水には不溶だが、塩基性水溶液には可溶する。手がかりとなる血痕は、犯人によって廊下に塗布された塩基性水溶液によって溶かされてしまったのだ。僅かに残された証拠。やっと手にした僅かな証拠ですら、跡形もなく消えて無くなっていく。
「……なんで、こんなこと」
「犯人のみぞ知る、ってとこだろうな」
「……」
犯人が異様に頭が切れる。犯人に翻弄され、市川に近づいたと思ったら、また遠ざかる。勇刀は唇を噛みしめた。
「今から画像解析すんだろ?」
ジュラルミンの鞄に道具をしまいながら、切田が言った。勇刀は血痕の浮き出ていた場所を睨みつけながら、首を縦に振る。
「何か分かったら連絡くれ、足跡から何から全部試してやる」
「切田さん……」
「俺だってムカついてんだよ。同期を二人も殺されてたまるか」
「……はい!!」
幾分、気持ちが楽になった気がした。陽哉にぶつけられた強い感情の言葉と、目の前で僅かな証拠が潰され、絶望した感情とが。深く重く、勇刀にのしかかっていたのだ。
同じ気持ちの仲間がいる。同じ目的に向かっていると認識するだけで、緊張と重責で強張った心に余裕ができた。
勇刀は切田に深く頭を下げると、再び視線を交わす。その時、切田の目には、晴れやかな顔をした勇刀の姿が映り込んでいた。
暗い室内で、陽哉はテーブルに置かれたスマートフォンを眺めていた。月明かりが室内を照らし、静寂をより一層深いものに変えていく。陽哉のスマートフォンは、夜の静寂を映し込んでいるかのように、黒い画面のまま全く反応しない。陽哉は頭を抱えた。
『俺、市川さんに笑って欲しいんです』
『だから……信じて、もらえませんか? 陽哉さん』
勇刀が電話越しに言った言葉が、陽哉の頭の中で何度も再生される。繰り返される勇刀のその言葉に、陽哉は胸が張り裂けそうになっていた。
(また、雪が苦しんでいたら? また……雪が……)
ただ、兄の無事を。勇刀の連絡を、待つことしかできない自分が情け無い。拳を握りしめ、陽哉はテーブルを叩いた。
ダン--ッ! と、木製の鈍い音が響く。同時に陽哉のスマホが、ガタッと動いた。ふと、その時。カウンターに伏せられた写真立てが目に留まる。陽哉は立ち上がると、その写真立てに手を伸ばした。警察学校に入校したばかりの真新しい警察官の制服に身を包んだ市川と、高校生だった頃の陽哉の写真。何故伏せられたのか、いつからこんな状態だったのかは分からない。市川が目にしたくなかったのか、それとも……。
「はぁ……」
陽哉は心の中の不安をのせてゆっくりと息を吐く。そして、写真をもう一度眺めると、伏せることなく真っ直ぐにカウンターの上にたてた。
写真立てのガラスが、差し込む月明かりを反射する。白く消えて見えなくなる写真の中と市川と自分の姿。陽哉は溝のできた今の二人の関係性を重ね合わせてしまっていた。
「ちょ、ちょちょちょ! 田中主任! 今のところストップ」
一方、勇刀は警察本部内に設置された監視カメラの映像を解析していた。全ての映像を集め、帰ってきた捜査員とともにチェックをしていたその時。勇刀は隣の捜査員が握るマウスを、上から掴んだ。手を掴まれた捜査員は、ギョッとして勇刀を見上げる。画面に映る画像は、警察本部の正面玄関。人も疎らで特に変わった様子はない。勇刀は画面を凝視したまま叫んだ。
「五秒! いや、十秒戻してください!」
「お、おう」
勇刀の気迫に押されて、捜査員が慌てた様子でマウスを操作する。
「そこです!」
勇刀の声とともに、画像が止まった。
正面玄関を捉える監視カメラの画像には、両手におかもちを持つ人物が二人、映し出されている。
勇刀はすぐさま、自分のパソコンのキーボードを弾いた。停止している監視カメラの画像が写るパソコンに別の画像が、ポップアップで表示される。
「緒方……これ」
髪の長い、あの人物の画像だ。
「田中主任! 耳を、耳を照合してください!」
勇刀に言われた捜査員は、再びマウスを滑らせた。それもそのはず。おかもちを持つ人物の髪は二人とも短い。どこかの課が夜食を注文したのか、一人はよく見る近所の定食屋の女主人。その女主人にひっついて歩いている一人はキャップを目深に被ったバイトらしき人物。
捜査員が、慣れた手付きで長い髪の人物の耳を範囲指定した。そして、解析のボタンをクリックする。カタカタッとハードディスクが音を立てて、画面中央にプログレスバーが表示された。解析が進むにつれ、プログレスバーの白色の帯が赤色に変わっていく。勇刀は息を殺して、進捗状況を見守っていた。
(あと、十パーセント……七、四……)
乾いた電子音と共に、照合結果が画面にポップアップ表示される。
「……一致!?」
捜査員が、呟いた。
〝解析結果、九十八パーセント一致〟
長い髪のあの人物の耳と、キャップを被った人物の耳が、一致したのだ。
「やっぱり……」
「緒方……お前、耳の形覚えてたのか?」
捜査員が驚きのあまり、目を見開いて緒方に言った。
(糸口が……見つかった!!)
勇刀は捜査員の言葉に頷きもせず、食い入るように画面を見つめた。はじめは跡形もなかったのだ。綻びすらも見つからず、勇刀自身焦っていたのは否めない。しかし、今目の前には……。微かな、市川を救うことができる、小さな小さな糸口がある。勇刀はその糸口に、興奮を覚えざるを得なかった。
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