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第十九話

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✳︎スカイの赤いリンゴと赤い目の男✳︎

「スカイ!! 今日はいいリンゴが入ってるよ!」

日も昇らない、薄暗い市場を数珠つなぎになったランタンが煌々と照らす。
夜の闇が徐々に薄く色味を変え、まだ、一番鶏も鳴かない夜と朝のはざま。
白み出した東の空を、目にうつしてぼんやりと歩いていた俺は。
行きつけの八百屋の親父に声をかけられて、その軒先に並ぶ真っ赤なリンゴに目を奪われた。

……確かに。
色ツヤもよくてパンパンに熟した、真っ赤なリンゴ。
アップルパイにしたらよさそうだな……カレンも喜ぶだろうし……。

いや……なんで、俺?
なんで、カレンのことを真っ先に考えてんだ???


しばらくの間。
ドラコブルトを騒然とさせていた〝ヴァンパイア騒ぎ〟もすっかり落ち着いて。
街も元の活気を取り戻しつつあった。

というのも、ベルガー伯爵という貴族がヴァンパイアの仕業に見せかけて伯爵夫人を殺害したということが明るみになって。
ベルガー伯爵の悪事が次々と露見されると同時に、「ヴァンパイアの噂を流したのも、ベルガー伯爵だ!」というところに騒ぎが着地してしまったんだ。
その結果、ドラコブルトの宿屋にも冒険者がボチボチ戻ってくるようになったし、市場の往来も賑やかになった。

アポロン亭に宿泊しているフィーガンのことも心配だったし、なんとなくざわついていた日常。
そんな日常が元に戻って、一安心したからなのか。

食材の仕入れをしている真っ最中にも関わらず、カレンの喜ぶ顔とか声の感じが真っ先に浮かんで。
思わず手にしたリンゴを買ってしまった……結構、たくさん。
カゴの中から一つリンゴを取り出した俺は、浅くため息をついた。

アップルパイ……か。
〝今日のスペシャルデザート〟にして、たくさん作れば誰かが食うだろ……多分。

そうでなくとも、カレンが……いやいや、だからなんでカレンなんだよッ!!
……俺、どうかしてるぞ???

ドン!

妙な考え事をして市場を歩いていた俺は、通りすがりの人と肩がぶつかって、手にしていたリンゴが滑り落ちた。
ぶつかった人の足元に、赤いリンゴが転がり。
ピカピカに手入れされた長靴の先にコツンとあたる。

「あ!」
「失礼」
「いや……。俺がボーッとしていたから、すみません」

慌てて落ちたリンゴを拾おうと手を伸ばした瞬間、目の前からリンゴが消えた。
白く繊細な指が真っ赤なリンゴを掴むと、僕の鼻先にリンゴが宙を浮いているように差し出される。

「あ……すみません」
「どういたしまして」

形の良い帽子を目深に被ったその人は、腹の底に響くような低い声で言った。
目を上げた、その時。
その人とバシッと目があった。

「……」

思わずゴクリと喉がなる。

真っ赤な……目だ。

この目、どっかで……。

そうだ……フェイレイと同じ目だ。

フェイレイだって、ここまで鮮やかじゃない。

……本当に、手にしたリンゴみたいな……鮮やかな、燃えるような真っ赤な目。

時間にしたらほんの一瞬で。
その人は俺にリンゴを手渡すと帽子に手を添えて、風のようにサッと立ち去って行った。
そしてあっという間に、市場の人混みにその姿がかき消される。

……ん? なんだ?
今の現実かぁ?

一瞬すぎて、それが現実なんだか夢なんだか分からなくなって。
俺は思わず目を擦った。

……最近、色んなことがたてこんでたし、疲れてんのかな、俺……。
そうだ、疲れてんだ俺。

疲れてるから、妙にカレンのことが頭に浮かんでんだ!
そうだ! きっと、そうだ!! 俺、疲れてんだよッ!!

帰ったら、ちょっと仮眠とろう!
絶対、仮眠とるぞ!!

俺はリンゴをカゴに入れると、これでもかってくらい頭を横に振って。
市場の出口に向かって、足早に歩き出した。


「……カイ……スカイ」


……あぁ? この声、カレンか?

やべぇな、夢の中にまでカレンの声が出てくるなんて。
まだ……まだ、疲れてんのか? 俺。
頭を動かして、目にギュッと力を入れて。
体を反転させると、その幻聴から逃れるように目を開けた。

「おはよう! スカイ」
「うわぁっ!?」

起き抜けの目の前のすぐ、ほんの僅かな距離にカレンの笑顔があって。
俺はガラにもなく取り乱して、叫び声を上げてしまった。
店の椅子を引っ付けて横になっていた俺は、その拍子に椅子から転げ落ちそうになって。
同時に、ガタガタッと。
椅子が石畳の床の上で、乾いた音を上げた。

「……び、びっくりした」
「おはよう」
「な、何んだよ……カレン」
「風邪ひいちゃうわよ、スカイ」
「大丈夫だよッ! な、な、なんか用か?!」
「ええ」
「〝ええ〟って。用があるなら、早く起こしてくれよ……」
「直接、スカイには関係ないのだけど……。どうしてていいか、わからなくて」

そういうとカレンは、蝋封された手紙を俺に差し出した。

「何だ? 客宛ての手紙か? なら客室のメールボックスに……」
「リヒャルトさん宛てなの」
「誰だろうと、やることは一緒だろ」
「それが……」

カレンは、バツが悪そうに苦笑いした。

「リヒャルトさんと……ちょっと約束しちゃって……」
「約束?」
「〝リヒャルトさん宛ての手紙は、だいたい急用だから直接届けてくれ〟って」
「はぁ!?」
「だって、本当に困っていらしたし……。それで、リヒャルトさんに届けようとしたのだけど」
「……いなかったんだろ、部屋に。リヒャルトが」
「そうなの!! さすがだわ、スカイ!! どうして分かったの?」

いや……そこまで言われたらさ。
普通はわかるだろ、それくらい。
そうツッコミたくなったけど、目の前で目をキラキラさせながらニコニコしているカレンに、俺はツッコむ気すら失せてしまった。

「で、俺がリヒャルトに届ければいいのか?」
「えっ!? リヒャルトさんの居場所、わかるの?」

カレンの目がより一層、キラキラと輝きだす。

「まぁ、おおかたは」
「じゃあ、お願いしていい? スカイ!!」
「あぁ。仕込みまでまだ時間はあるし、リヒャルトに届けるだけでいいんだろ?」

俺はそう言って体を大きく伸ばして、カレンから手紙を受け取る。
そして、その手紙の蝋封に妙な既視感を覚えたんだ。

真っ赤な……すごく真っ赤な蝋封。

めずらしいくらい真っ赤な蝋封に、俺は思わず目を閉じた。
夢見心地で記憶している、今朝のあの男の目……なのか?
それとも、カウンターテーブルに山積みになっているリンゴ……なのか?
何の関係もないはずなのに、この三つの〝赤〟が漠然と気になって仕方がなかったんだ、俺は。

「カレン」
「なに? スカイ」
「カウンターのリンゴ、勝手に食うなよ。あとでアップルパイにすんだからな?」
「!? し……失礼ねッ! いくら好きでも、こっそり食べたりなんかしないわ!!」

リンゴみたいに顔を真っ赤にして怒るカレンに、安心した……と言うか。
胸につかえていた気になることとか、ここんとこ溜まっていた疲れみたいなのが、スッと落ちていった感じがした。


ドラコニス大陸のほぼ中央に位置する街、ドラコブルト。
大陸のヘソに位置するこの街は、大陸随一の関所・コサクエ関所にも近く、交通や貿易の要所として大陸中の人々が往来する。
従って、色んな類の人がこの街にいる。
単なる旅行者から……そう、人には言えない職業の人まで。
俺にとっちゃ、リヒャルトはこのどちらにも属さない不思議な感じを漂わせる人だった。

ドラコブルトの市場近くにある小さな仕立て屋。
宿屋にいない時は、大抵いつもリヒャルトはそこにいる。

何故、俺がそんなことを知っているかって?
まぁ、偶然……かな?

今使っているエプロンがだいぶくたびれてきていて、市場の帰りに俺は、なんの気無しにこの仕立て屋を覗いたんだ。
すると、ちょうど紳士物の上着に針を通すリヒャルトと目があってしまって。

……正直、驚いた。
なんていうか、謎……違和感ばっかで。

いつもピリピリしてて、なんだかおっかなくってさ。
よく分からないヤツだったんだ、リヒャルトって。
まさか〝お針子〟をしているなんて、思いもよらなかったから。
ビックリしすぎて固まる俺に、はにかむように小さく笑ったリヒャルトは「知人のところで、たまに手伝ってる」と言った。
それがきっかけで、最近リヒャルトともまぁまぁ話すようになったというワケなんだ。

本日二回目となる、市場への道を。
だいぶ高く遠くなった日の光を浴びながら、俺は手紙を手にかなりゆっくりとした速度で歩いた。

……別に、そう。急がなくてもいいか、なんて。

人の手紙を届けているにも関わらず、そんなことを考えながら歩いて。
あの角を曲がれば、市場の入り口というところで、目の前に急に黒い影が横切った。
避けきれずにぶつかって、俺は不甲斐なくもはじき飛ばされる感じで地面に尻餅をついた。

「……いってぇ!!」
「……すまんっ!!」
「リ……リヒャルト?!」
「スカイ……!!」

俺とぶつかった黒い影の正体はリヒャルトで、今まで見たことがないくらい焦って見えた。

「あの、リヒャルト……手紙」
「ッ!?」

倒れた俺の手の下にある手紙を見て。
リヒャルトは俺の手を払い除けると、取り乱したように手紙を拾った。

「……っく!!」

手紙を乱暴に開くと、その内容に素早く目を通したリヒャルトが小さく声を上げる。
その顔が……。
いつもの不機嫌なリヒャルトでもなく、仕立て屋にいる時の穏やかなリヒャルトでもなく。
怒りとか、苦しみとか……色んな負の感情がごちゃ混ぜになっていた。

……俺だって。
酒場の主人をやって色んなヤツを見てきてるけど。
いつも何かしら悩んでいるフェイレイだって。
ここまで強くて深い……暗い感情が吹き出した顔を見たのは初めてだった。

「……リ……ヒャルト?」
「……タ……ンは?」
「は?」
「シタン……は」
「シタン?」
「宿屋に……いるのか……? シタンは、アポロン亭に……」
「あ? あぁ……。今朝方、ドラゲバームターからシフと帰ってきたけど……」
「クソッ!!」
「あっ!! リヒャルトッ!!」

手紙を乱暴に握りしめたリヒャルトは、アポロン亭とは真逆の方に走り出した。
みるみるその姿が小さくなって……。
呆気にとられた俺は、人の行き交う道のど真ん中に尻餅をついたまま。
その姿を見送ることしかできなかったんだ。






✳︎リアルのリヒャルト✳︎

ドラーテム王国にある小さな小さな村、ウェルダンで私は育った。

ドラコニス大陸の北西部・カプト地方一帯を治める王国・ドラーテム。
国土の多くを、荒野と砂漠が占め、厳しい自然環境の生きる風土から、早い段階で貴族制を廃止し、世襲ではない実力主義で人材登用を行う軍事国家だが……。
先の〝百年戦争〟では、民間人の被害が最も多かった地域だ。
伝説の戦い〝ファングラクリマ砦籠城戦〟の舞台となったラクリマ砦にほど近い。
私が住んでいたところは、荒野と化した大地に突如として現れたオアシスで。
そこで仕立て屋を営んでいた両親と、産まれたばかりの弟と暮していて。
蛮族や少数民族が度々来てはいたけど、それなりに幸せだった。

それが……あの日を境に一変する。

あの日、大陸の西に沈む日の向こう側から。
煌びやかな衣装を身に纏った一団が村にやってきた。
……どこかの異国の、まるで神様が遣わしたような、美しい一団。

でもそれは、神様の遣いでもなんでもなかった。
夕陽に照らされた鋭い刃が、村人を襲う。
私は小さな弟を抱いて、村の中央にある小さな祠に走った。

「リヒャルト! 早く行け!」
「大丈夫よ! 母さんも必ず行くから!」

両親の声が交互に響いて、私はその声を背に受けて走った。

きっと……後ろから……ついてきてるはず……。
二人とも……二人とも……。

真っ直ぐ、振り返らずに。
ドーンゲート神都国が遠路遥々この不毛の地に建立した祠。
ここは、何人たりとも近づけない神聖な場所。

……もう、安心だ。
その入り口について安心した私は、腕の中で気持ち良さげに眠る弟を抱き直して振り返った。

……いない? なんで? 
父さんも、母さんも……なんで、いないんだ……?

ドクン、と。

心臓が脈打って、今走ってきたばかりの道から目が逸らせなくなってしまったんだ。
小さな弟を抱えて、祠の片隅で……長い、長い夜を一睡もすることなく。
私は朝を迎えた。
空が白み出すと、祠には私たちの他に何人かの村の人たちがいて。
私と弟のように、身を寄せ合って震えていて。
正気を失った目で、ぼんやりと空を眺めていた。

……静かで、すごく……静かで。
私は弟をギュッと抱きしめ、祠の外に一歩踏み出した。

目を覚ました弟が、小さな青い瞳をパッチリと見開くと私を真っ直ぐに見つめる。
その小さな命を胸に抱き、私は眼前に広がる光景に息をすることすらできなかった。

一面、血の海。
村の家々は無残にも壊され、略奪の限りを尽くされて。
小さな幸せの象徴だったこの村が、一晩で変わり果てていた。

……獣人が、こわい?
アンデッドが……恐ろしい?

……違う、違うだろ。
一番恐ろしくて怖いのは……人だ。

人……なんだよッ!!
あんなに着飾って、あんなに裕福そうで……それなのに……それなのに。

……私たちのような、ささやかな幸せだけを守って生きる、弱い人を……ッ!!

家に向かって歩く途中、両親の遺体を見た。
母さんを庇うようにその上に覆い被さる父さん……折り重なるように、そしてピクリとも動かず。
この時私の心の中に初めて、何ともいえない感情が芽生えた。

奪われるのは……もう、イヤだッ!!

アイツらから……アイツらからッ、奪ってやる!!

全部、全部……全部奪ってやるッ!!

この命がある限り、弟を……クレメルを守るために……!!


〝……期限は、明朝。
シタン=フェルディナント=クラウゼヴィッツとその従者を抹殺せよ。
さもなくば、唯一、血を分けた貴殿の愛しき弟を縛り首とする。
なおこの手紙の内容については、最終宣告とする〟


スカイが私に届けた手紙の内容が、グルグルと頭の中を駆け巡る。

確かに……一度、失敗した。
地下迷宮ドラゲバームターで仕留め損なって、通常の仕事より時間がかかっていたことは否めない。

……機会を、伺っていただけなんだッ!
いけすかない錬金術師が邪魔をして、ヴァンパイア騒ぎが起こって。
標的を抹殺することを、諦めていたわけじゃないッ!!

なのに、なんで!! なんでクレメルを……っ!!

とにかく、話を聞きたかった! 話を聞いて欲しかった!
だから、私は……なりふり構わず。
手紙の差し出し主に会うために。
ヴァンパイアの噂だけで騒然となった平和なドラコブルトの街を走ったんだ!
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