Star's in the sky with Blood Diamond

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5-3 約束(3)

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「ちょっと、遠野さん! 机の上、ちょっとどうにかしてもらえません?」
 無機質なベッドの上に備え付けられたテーブルに、所狭しと置かれた機器。遠野の手によりバランスよく配置された機器は、落ちるか落ちないかの絶妙なバランスを保っていた。ベッドサイドのコンセントから伸びたOAタップに、隙間なく差し込まれた機器の電源コード。看護師はそれらを忌々しげに見下ろした。
「いやぁ、ちょっと……。仕事が立て込んでまして」
「遠野さん、あなた今、何故ここにいるんですか?」
「あー……入院?」
「何故、入院してるんですか?」
「えー……怪我したから?」
「どういう怪我か、わかってます?」
「まー……結構、重傷?」
 飄々とした表情で、のらりくらりと答える遠野に、看護師の表情がみるみる変化する。
「じゃあ、何故机の上がこんなことになってるんですかッ!」
「いやぁ、のっぴきならない事情がありまして……」
「安静にしていただくより、のっぴきならない事情なんてありませんッ!」
 本当の爆発というのはこんなことをいうのだろう、と。看護師の剣幕に多少ビビりながら、それでも遠野の手は忙しなくマウスを動かしていた。
「あとちょっと! あとちょっとで片付けるんで! もうちょっと待ってもらえませんか?」
「はぁ?」
「十分! 十分で片付けますんで!」
「はぁ!?」
「じゃあ……五分?」
 看護師のこめかみに、青い筋が浮かんだ。
「安静にしているのがあなたの仕事ですッ! 今すぐ片付けてくださいッ!」
「はいッ! 仰せのとおりにッ!」
 机に広がる機器に素早く手を伸ばすと、遠野は苦笑いしながら全ての電源を落とした。
「ちゃんと休んでいてくださいよ!!」
「はいッ! 仰せのとおりにッ!」
 遠野の大袈裟な声を聞いた看護師は、フンと荒々しく息を吐く。クルッと回れ右をし、背中を怒らせて部屋を出ていった。
 こんなところ、警察庁本庁の奴らに見られたら、あの看護師以上にまた大目玉を食うだろうと。サイバー攻撃を受けサーバーダウンした遠野が、ひたすら謝り倒すその光景を頭の端でリアルに思い浮かべていた。
「また、怒らせたんすか?」
 看護師と入れ替わりで、明るく嫌味のないよく知った声が病室に響き、遠野はバツの悪そう顔をして頭を掻いた。緒方は大きな紙袋を高々と上げる。そして、歯を見せて笑った。
「いつも悪いな、緒方」
「気にしないでください! ってか、起き上がって大丈夫なんすか?」
「あぁ。あの看護師さんが、大袈裟なんだよ」
「本当ですかぁ?」
 病室を出ていった看護師とすれ違った緒方が、微妙な表情をして言う。緒方が困惑気な表情をしてしまうぽど、看護師の怒りは生半可なものではなかったのだな、と。明日納得してしまい、遠野は苦笑いを隠すことができなかった。
「着替えとタオルと……。あと市川さんから、資料を預かってきました」
「おう、サンキューな」
 遠野は看護師の声が遠のいたことを確認し、テーブルの上に置かれた一台のノートパソコンに視線を送る。
本庁あいつらは、大丈夫か?」
「……あぁ、そうっすね」
 声音を落とした遠野の質問。はっきりと端的に返す緒方が、投げかけられたその質問に、いつになく歯切れの悪い返事をした。
「二人は重傷。もう二人は重体。昨夜は意識が戻りました。……あと、一人は」
「……そうか。を失うのは、いくら歳をとってもやっぱり辛いもんだな」
「本庁は情報統制を緩めません。すばるもいなくなってしまったので、このまま、全てをうやむやにして終わらるつもりなんだと思われます」
「仲間が一人亡くなってるっつーのに。冷たいな……本庁は」
 テーブルの上のダークブラウンのノートパソコンを、優しい手つきでそっと撫でる。
「終わらせない……終わらせるかよ、こんな中途半端で」
 呟いた遠野の、強い決意と意志を秘めた言葉。着替えを備え付けの棚に詰め替えながら、緒方はその言葉に黙って耳を傾けていた。
 緒方とて、思うことは遠野となんら変わらない、しかし、その思いを突き通すだけの方法と解決策を、緒方は見いだせないでいた。
 それは遠野も同様に。二人は未だ、正しい活路を見いだせずにいる。
 思いを強くすればするほど、真実にもすばるにも手が届かなくなるような気がして。緒方は、奮い立つやるせ無さを必死に抑えた。無理に笑顔を作って、遠野に向き直る。
「ところで、その資料なんなんですか?」
「あぁ、これか?」
 緒方の問いに、遠野はいつものように飄々とした笑顔を浮かべて答える。
「ちょっと、昔の知識を思い出したくてな」
「昔の知識?」
 遠野は茶封筒の中に手を入れた。取り出した冊子は左上をホッチキスで止められた簡易的なもの。白い表紙には大きく〝保秘〟と書かれていた。
「マル秘……ですか?」
「あぁ、どこまで進展するか分からないけどな。やらないよりはマシだろ」
 茶封筒をノートパソコンの上に置き、遠野は枕をクッションにして背中を壁に預けた。
「何がすばるに繋がるかわからない。なら、可能性の全てを繋げるしかない」
 遠野は白く無機質な天井を仰ぎ見る。そして、深く息を吸った。
「すばるは……無事でしょうか?」
 忽然と消えたすばるの痕跡。警察庁本庁は無理矢理に〝完結〟した事件。いつも前向きな緒方でさえ、つい最悪な事を想像してしまう。その気持ちを吐露した、緒方の素直な言葉。遠野は緒方に同調しつつも、未だ捨てぬ希望を鼓舞するように、力強く返事をした。
「約束を果たしてないんだ。無事にきまってる。無事に決まってんだよ」

✳︎     ✳︎     ✳︎

 遠野の伸ばした手を。
 その手を、どうしても繋ぎたかった。
 肩に走る激痛が、視界や思考、そして力を一瞬で奪っていく。
〝遠野さんッ!〟
 名前を呼びたくても、できない自分が、どうしようもなくもどかしいえ。
〝まだ……一緒に、いたかった〟
 何故、そう伝えなかったのか?
 何故、強がって物分かりの良いフリをしたのか?
 あの手を、離したくは……なかった!!
 それが自分自身の素直な答えであり、真実だったのに。
 自分自身の全てが狭まっていく感覚に争いながら、すばるは遠野の手を必死に握ろうと手を伸ばした。


「Good morning. Did you sleep well?(おはよう。お目覚めかな?)」
 すばるがうっすらと目を開けた先は、一寸先も見えぬほどに暗かった。頭を何かがすっぽりと覆っているような感覚が、今置かれている状況をすばるに伝える。すばるはハッとして身を固くした。
 未だ身体の機能が正常に可動しないすばるの耳に、聞きなれない機械音声が降り注ぐ。驚いて、瞬時に立ちあがろうとしたその時、手足が上手く動かせない事に気づいた。後ろ手に拘束された腕はビクともしない。足首はガッチリと固定具らしきもので縛り上げられている。
 手足の拘束から逃れようと、すばるは咄嗟に身じろいだ。
「Hey. If you move too much, it will hurt, right?(おっと、あまり動くと痛くなっちゃうよ?)」
 すばるを嘲笑うように、抑揚のない言葉。すばるは「Be quiet!(うるさいよ!)」と強く吐き捨てた。
「Don't make me bother you. You suffered a lot of damage.(手間をかけさせるなよ。結構な損害を被ったじゃないか)」
「……」
 強い感情を含んでいるはずの機械音声は、その真意を見せる事ない。それでも、何もできないすばるをジワジワと追い詰めるには十分だった。すばるのひたいに、冷たく気持ちの悪い汗が流れ落ちる。
 頭の隅で、こういう事態をいくらでも想定していたはずであるのに。いざ直面すると、物理的にも心理的にも文字どおり手も足もでない。緊張感で肺が潰されそうになる。すばるは荒くなる呼吸を必死に抑えた。
「Where is that 〝data〟?(あのデータはどこだ?)」
「〝Data〟?」
「Don't play dumb.(とぼけるなよ)」
 機械音声が、急に怒気を含む。声が刃となって、何もできないすばるをさらに追い込んでいく。急激に低下する体温。背中を床に擦り付け、すばるは震え上がる自身の気持ちを懸命に鼓舞した。
「I don't know. I don't know what you're talking about(分からない。あんたが何を言っているのか分からない)」
「Oh, I see(あ、そう)」
 すばるの返事を、機械音声は被せるように短く言い放つ。素気ない言葉。すばるは暗闇で懸命に視線を動かした。
 動けない、そして見えない以上。聴覚を研ぎ澄まし、声音で状況を判断するしかない。すばるは黙って、無機質なその声が響くの待った。
「Then, let's get a job.(じゃあ、お仕事をしてもらおうか)」
 仕事……? 仕事って、何だ!? すばるが思った瞬間、目の前の深い闇が急に明るくひらけた。眩しさに目を強く瞑ったと同時に、こめかみに硬く冷たい物が触れた。
「ッ!?」
 拳銃か!? 一瞬、動揺し停止したすばるの体を引きちぎるように。何者かが胸ぐらを掴み、華奢な体を乱暴に引き摺り上げた。なかなか視力が戻らないすばるを、圧倒的な強い力で、思いどおりにする。抵抗しようにも、拘束された体ですばる自身、どうすることもできなかった。
「離せッ! 離せよッ!」
「Shut up!(黙れ!)」
 機械音声が、怒りを爆発させる。力任せに引き摺られ、すばるは、小さな袖付きの椅子の上に叩きつけられた。こめかみにつきつくられていた冷たい物。すばるを引き摺る何者かは、間髪入れずに、すばるの後頭部にそれを素早く移動した。目の前の机に頭がぶつかるほど、強く頭を押し付ける。
「ッ痛ぇ!! 何すんだよ!!」
「If you don't return mine data, work that much.(データを返さないなら、仕事をしなくちゃな)」
「なんだよ、仕事って!!」
 椅子から立ち上がることもできなければ、抵抗することもかなわない。怒りと擬かしさ沸き上がり、すばるは強い口調で叫んだ。
「Within 5 minutes, withdraw $10 million from 〝Teito Bank〟(五分以内に、帝都銀行から一千万ドルを引き出せ)」
「はぁ!? 何言って……!」
 顔を上げて抵抗するすばるの目の前に、小さなノートパソコンが置かれていた。画面に視線を送った刹那、すばるの頭が氷のように冷たくなる。
「本気……かよ!」
「Let's see what you can do.(お手並み拝見、といったところかな)」
「やるわけ……ないだろッ!!」
「I'll do it, you(やるよ、君は)」
 機械音声は、さも楽しそうに言った。そう言った矢先、目の前のノートパソコンが勝手に起動する。ハッキングされた監視カメラの映像。映し出された見覚えのあるその映像に、すばるは息が止まるほど驚愕した。
「まさか……!」
「If you don't want your friends to be scraped up, there's only one thing you have to do.(アイツらを木っ端微塵にされたくなかったら、やるべきことは一つだろう)」
 単調で嬉しげな機械音声と重なる、F県警察本部の庁舎の映像。すばるの脳裏に刻まれた忌まわしいトラウマが激しくダブる。すばるの残した唯一の約束の在処まで無くなる、それはすばるには耐えきれないことだった。
「クソッ!!」
「Do. or Do not. What will you do?(やるか。やらないか。どうする?)」
 ガツン! ガツン! すばるは、頭を机にぶつけた。鈍い音が何回も響き、何者かが慌ててすばるの髪を掴んで引き上げる。
「What are you going to do now?(さぁ、どうする?)」
「……分かったよ。やりゃ、いいんだろ」
「Clever(利口だ)」
「手……解けよ」
 すばるはパソコンを睨みつけるように言った。
乱暴に拘束具を切られたすばるは、手首をさすりながらキーボードに手を伸ばした。
「Let's see what you can do.(お手並み拝見、だ)」
「……うるせぇよ」
 ノートパソコンの画面に浮かぶ、小さなポップアップウィンドウ。そこには黒い輪郭を揺らす人物が、すばるを見つめている。すばるは下唇を強く噛んで、再び画面を睨んだ。
「On your marks. Ready. Go!(位置について、レディ・ゴー)」
「いちいちうるさい! 黙れよ、ステラッ!!」
 声を荒げたすばるは、怒りに任せてキーボードを押下した。カタカタと不自然なくらい大きな音を立てたパソコンは、その液晶画面にポップアップウィンドウを次々と起動させる。ウィンドウに埋もれる黒い人影。嬉々として、画面越しのすばるを見つめていた。
 そう、その人影こそ。ブラッド・ダイアモンドの〝ステラ〟なのだ--。
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