堕ちる

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堕ちる

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無機質な部屋。

小さな窓には鉄格子。

スチールの冷たい机に、座り心地の悪い椅子が2つ真向かいに配置されている。

入口近くには小さな机と小さな椅子。

蛍光灯の冷たい光が、部屋を照らす。



ドアがガチャリと開いた。


手錠に腰縄、白色の上下スウェットに足元はサンダル。
若い警察官に腰縄を引かれた男は、壁側の椅子に座らせられた。
警察官は、器用に腰縄を椅子に巻きつけると手錠をはずす。
男は静かに、若い警察官に微笑んだ。

とても犯罪を犯したとは思えないくらい、無垢な微笑み。

澄んだ黒い瞳で、警察官を見上げて無邪気に微笑む男に対して、経験値の低い警察官は、一瞬ドキリとして目をそらした。

「準備はいいか?」

ドアの方から低く通る声が、突然、部屋に響く。

「………神崎補佐」

警察官は、不意を突かれて少し上ずった声をだした。
がっちりした体格に鋭い眼光。
自分の動揺をまるで見透かされているように感じて、さらに目が泳ぐ。

「………大丈夫です。神崎補佐」
「ありがとう。もういいよ」
「あの、取調補助者は?」
「あぁ、もうすぐくるよ。あと手錠の鍵、預かっていいかな?」
「………え?でも……」
「大丈夫だよ。留置管理官には話してあるから」
「………わかりました。では、失礼します」

若い警察官は、本能的に背中が冷たくなるのを感じた。
一刻も早くこの場から立ち去りたい、一刻も早く。
ベルトに巻きつけた手錠の鍵を素早くはずすと、震える手で、男の手錠の鍵を手渡した。
生きた心地がしないまま、足早にドアへと向かうと、若い警察官は勢いよくドアを開けた。


再びー。

静寂に包まれる室内。


それをやぶらんばかりに、澄んだ声が響く。

「手錠の鍵なんか預かって、大丈夫なの?」

男は無垢な表情のまま口を開いた。

「お前がそんな心配する立場なのか?……美島壮志」

〝美島壮志〟と呼ばれた男は微笑む。

「やっぱり、そういうつもり?取調補助員もいないし、カメラも止まってるよね?……こんなことしたら怒られるんじゃないの?……僕から何が聞きたいの?」
「色々だよ、美島壮志」
「神崎補佐、だっけ?僕はそんなに話すことなんてないよ」
「そのうち喋りたくなるさ」
そう言うと再び男の手に手錠をはめた。
「これは取調じゃないんだ。お前は真実を語るしかないんだよ」





神崎大輔、K県K署刑事第一課課長補佐、強行犯担当。

小さい頃から勉強もスポーツもできて、将来の可能性も無限に広がっていた彼の選んだ道は、警察官だった。
もともと持っていた才能をいかんなく発揮し、トントン拍子に昇任試験に合格。部下からも慕われ、上司からの覚えもいいし、時折人懐こい破顔一笑を見せ、そのギャップがたまらないと女性職員からの人気も高い。
男女問わず憧れの的だ。
将来を約束されたような、一握りの人間だ。

その彼が、今、禁忌を犯している。

取調の目的以外で、被疑者を取調室に呼び、手錠で拘束。
監視監督用のカメラも切り、外部との接触を一切たった隔離された部屋で、大輔は鋭く壮志を見据える。
バレたら懲戒処分ものだ。
そんなことを知ってか知らずか。
壮志は表情を変えず静かに微笑み、大輔をその澄んだ瞳で見つめ返していた。

「そんな人畜無害な顔して、何人殺ったんだよ?」
「何人かなー?覚えてないよ」

飄々とした壮志の応答に、大輔の眼光がさらに鋭くなる。

「じゃあ、ゆっくり思い出せよ」

大輔は壮志の髪を鷲掴みにすると、顔を無理矢理上げさせた。

「時間はゆっくりあるんだ。いくらでも付き合ってやるよ」
壮志は顔を歪めることなく、相変わらず無垢な表情で、愛おしそうに大輔を見て微笑んだ。






壮志は、特別だった。

小さい頃からその一際美しい容姿で周りから愛されていだった。
しかし、彼の中には物心ついた頃から、他を圧倒するような闇が、その心に宿っていた。

〝ひとのいたそうなかおってドキドキする〟
〝どうしたら、あんなかおをたくさんみられるのかな?〟

可愛い顔からは、想像さえできない残酷な思考。
壮志は、生まれ持ってのサイコパスだったんだ。

はじめは小さい動物。
動物が苦しむ姿は、壮志の心をドキドキさせ、満たしていく。
その心の闇を隠しているつもりはなかったが、周りの人間は誰も壮志を疑うことはなかった。
いつも愛想よく友達とも先生とも接して、穏やかな壮志は誰からも好かれて、そんな表の顔と裏の顔をそのままに、壮志はより美しく成長する。
それに比例するかのように、対象も大きくなっていく。
慎重な壮志は、まずは自分で練習した。

〝どこまで刺したら、大丈夫かな?〟
〝長く苦しむ方法を考えなきゃ〟

壮志の腹や手には無数の傷ができていたが、誰も疑う事はなかった。
にっこり微笑んで「そそっかしいから」と言うと、皆が納得する。

………そして、初めての人のターゲットを見つけた。







「お前が高校2年の時か?初めての殺人は?」

大輔は掴んだ壮志の髪を乱暴に離して、向かいの椅子に腰掛けると、かったるそうに机の上に腕を乗せ、額にかかる前髪の下から壮志を睨む。

「そう………そうだね。思い出したよ。子どもはギャーギャーうるさそうだったから、小さな体のおばあちゃんにしたんだよ。僕を呼んでたし」

壮志は遠くを見つめて返答した。

情景を思い出してうっとりしたような表情を浮かべる壮志に、大輔がさらに眼光鋭して口を開く。

「つぎは?」
「つぎ?」
「つぎに殺るまでかなり時間が空いてるじゃないか?大学2年の時だっけ?」
「僕だってそんなに暇じゃないよ。勉強もしなくちゃいけないし、1回目の反省もしなくちゃいけないし」

壮志は大輔を穏やかに見つめて答えた。
その反応を見た大輔は、片方の唇を引き上げ冷ややかなに口元を緩めて笑った。

「勉強熱心なんだな」
「好きなことにはね」
「お前、イケメンじゃないか?対象なんてよりどりみどりだったんだろ?」
「そうでもないよ。神崎補佐ほどじゃない。あなただってよりどりみどりでしょ?」
「つぎはホステス、そのつぎはコンビニアルバイトだった男子高校生、女子大生、マンションの管理人....対象がバラバラなんだよ」

大輔は、壮志のゆったりとした言葉を遮るように言葉を発した。

「お前の基準は何なんだよ」
「わからない?神崎補佐にはわからないかもなー」

壮志は目を細めてニッコリ笑って、そして続ける。

「それで終わりじゃないでしょ?保育士さんに看護士さん、くたびれたおじさんもいたでしょ?」
「………このシリアルキラー……」

大輔は絞り出すように、声をだした。
壮志が何かに感づいたかのように、済んだ瞳を見開いて、大輔を見つめる。
大輔が醸し出す張り詰めた空気と、壮志の纏う無垢な雰囲気と。
混沌としてパワーが入り乱れた取調室の小さな窓から西陽が差し込み、永遠に時が刻まれないのではないかという錯覚に陥る。

「僕は誰にも直せない病気にかかってるんだよ。ところでさ、………なんで保育士さんのところでとまったの?神崎補佐くらい切れる人だったら、全てのターゲットくらい覚えてるんでしょ?」

次の瞬間、大輔の目に深い闇が宿った。

「………何が言いたい?」
「僕はね、〝僕を呼んでる人〟を見つけるのが得意なの。心の中に迷いや絶望があって、僕を求めて〝殺して〟って、呼んでる人」
「そんな都合のいい話があるかっ!」

大輔は机を叩いて、声を荒げた。
その大輔の様子に壮志は、さらにうっとりした瞳で大輔を見つめる。


………心が見透かされてしまいそうに。


見つめる、探り合う………互いの思考を。


「本当だよ。それに神崎補佐が聞きたかったのって、そういうことじゃないの?」

大輔は図星をつかれた。
いつの間にか、主導権が壮志に移って、深い闇に落ちてしまっている感覚に襲われる。

〝惑わされるな………!しっかりしろ、俺!〟

大輔はそっと腕を膝に乗せ、かろうじて理性がとんでしまわないように、爪が食い込むほど手のひらを握りしめた。

「………僕が保育士さんって言ったら、ちょっと目が揺れたよね?保育士さんの話、聞きたい?」

壮志は澄んだ瞳で覗き込むように、大輔を見つめる。
その瞳は純粋で殺人が悪いことではないかのように、さも当たり前かのように笑みを浮かべていた。

………大輔の頭に熱が宿り出す。

「出会ったのはコンビニだったの。彼女はとても疲れた顔してて、思わず声をかけちゃったんだ。はじめはびっくりしてたけど、話すうちに仲良くなったんだよ。そしたらさ、彼女言うんだ。
〝すべてに疲れた、死にたい〟ってね。 
仕事もキツイし、恋人と結婚したいけど家族に反対されて、恋人とも険悪で。だから、僕、手伝ってあげるって言ったんだ」

壮志が言い終わるか終わらないか。

大輔は壮志の胸ぐらを掴んで椅子ごと壁に叩きつけた。


ガンー。


小さな取調室に、鈍い音が派手に響く。

壮志は叩きつけられた瞬間、苦痛に顔を歪めたが、すぐいつもの微笑みを浮かべる。
そんな暖簾に腕押し状態の壮志に顔を近づけた大輔、怒りに満ちた瞳で睨みつけた。

「………てめぇ!!」
「痛いよー。そんなに興奮しないでよ。神崎祐美さんのお兄さん」
「!!」

言ってはいけない、一言。
聞いてはいけない、一言。

我慢の限界を振り切った大輔は、右の拳をギュッと握り、壮志の顔面に振り下ろした。
再び鈍い音が、部屋に響く。
興奮した大輔は肩で荒々しく息をして、殴られて壮志の口から血が滴り落ちた。

「………ってぇ。………僕は彼女とゆっくり時間を過ごしたんだよ?気絶しない刺し方でゆっくり、ゆっくり。彼女最初は苦しそうだったけど、だんだん穏やかになっちゃって。………僕が見たかったのは、そうじゃなかったんだよね」
「うるさい!!だまれっ!!」

大輔は掴んだ胸ぐらを、そのままの勢いでひっぱり壮志を机に叩きつけた。

壮志の顔が再び苦痛で歪む。

息も上がっているが、やはりすぐ微笑みを浮かべた壮志に対し、大輔の頭の熱は引くことなく、より上昇していった。
目は赤く、それでも歯を食いしばり、必死に崩壊寸前の理性を保っていて、大輔の理性のタガが外れるのも、時間の問題だった。

「こんなことして………。これが一番聞きたかったことでしょ?」

淡々と話す壮志の澄んだ声に、大輔の全身の毛穴が泡立った。

「....ああ、そうだよ。それが一番聞きたかったことだよ。これで思い残すことはないな」

大輔は、目を固く瞑った。

頭の中で、色んな感情と情報を分析するかのように、深く強く。

次に目を開けると今までの怒りが、まるでなかったかのように、いつもの大輔のいつもの鋭い眼光を宿していた。
大輔は背広の中から、拳銃を取り出すと、荒々しく壮志を椅子に座らせ、その綺麗なこめかみに冷たい銃口を押し当てた。

「なんで妹が殺されなければならなかったのか、ずっと自分を責めてた。
必死で勉強して、必死で偉くなった。
必死でお前を探して、必死でお前を捕まえた。
なのに……。
なのに………お前はサイコパスで妹を殺した動機とか、まるで暖簾に腕押しで真実がわからない。こうでもしなきゃ、殺された時の、最後の祐美の真実がわからないと思ってたよ」

壮志は少し肩で息をしていたが、銃口を押し当てられても、動揺することなく大輔を見上げる。

最初から、そうなることを予見していたかのように。
穏やかに、楽しそうに。

「僕にもいつかこういう日がくると思ってたよ。僕が殺した人だけが、苦しむ顔を見せるんじゃなくて、僕を殺そうとする人も苦しい顔をするんじやないかって」

壮志は微笑んだ。

「お前と俺は出会うべくして出会ったってわけだな」
「そういうことだね」
「………覚悟はいいか?」
「いつでも。あなたに殺されるなら本望かも。でも、もうちょっと話をしたかったかな」
「美島………目ぇ、閉じろ」
「わかったよ。………神崎補佐、さよなら。僕、あなたの忘れられない人になった?」
「あぁ、忘れられないよ。………さよなら、美島」

大輔は静かに、指に力をこめた。


パァン


無機質な部屋に、銃声が響く。

部屋の外で、バタバタと足音が鳴り響いて、取調室のドアをガチャガチャ回す音がうるさいくらいに静寂を打ち砕いた。

大輔は、ゆっくり自分のこめかみに銃口を当てた。


〝終わったんだ。祐美、終わったんだよ〟


大輔の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちて………。

そして、ゆっくりと引き金を引いた。


パァン


2回目の銃声が、また………。

乾いた音を署内に響かせて………取調室の時間は永遠に止まってしまった。


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