ソドムの御子〜my little hope〜

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7th episode ②

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「シド」
「……何? アスラ」
「シド!」
「何?」
「手、力が入って痛い」
「……あ、ごめん」

 思わず、アスラの手を離した。
 気づかなかったけど。
 手が汗ばんで、硬直していて。
 僕の動揺が、顕著に手に現れていたなんて。
 なんとなく、僕はアスラを真っすぐに見ることができなかった。

「シドは、シド!」
「え?」
「真っすぐで、優しくて。シドはシド!」
「……」
「大丈夫だよ。シドにはボクがついてるから!」

 僕の動揺が伝播したのか。
 まさかアスラに、こんなに気を使わせてるなんて思いもよらなかった。
 僕自身が一番煮えきらない、吹っ切ることも受け入れることもできない。
 アスラの〝大丈夫だよ〟って一言が、切羽詰まった余裕のない心に滲みて。広がって、溶けていく。
 その時僕は、自分が邪神であることを告白したアスラの顔を思い出していた。
 泣くのを我慢しているような、アスラの笑顔を。
 きっと、アスラも僕も、同じなんだ。一緒だ、僕たちは。

「……アスラも」
「シド?」
「アスラは、アスラだ。……アスラが何者かなんて関係ない。僕も、ずっとそばにいるよ」
「ボクも」

 アスラが人懐っこい笑顔を浮かべて、小さな時のアスラみたいに僕に腕を回して抱きついてきた。

 ……あったかい。
 やっぱり、アスラはアスラだ。
 このぬくもりは、変わらない。
 
 僕をとりまく環境や僕自身が変化しても、アスラだけは変わらないんだ。
 目を閉じて。アスラの温もりを全身に行き渡らせる。
 そっと目を開けると、僕は仄暗い森の奥に光る物を見つけた。

 ん? 
 あの黒いのって、まさか……!!

「黒柘榴!!」

 静まりかえった森に、僕の声が響いてこだました。

「え!?」
「アスラ、あった!! よかったな!!」

 アスラの手を引いて、僕は黒柘榴の木にかけよる。
 こんなに簡単に、見つかるとは思わなかったけど。
 赤い柘榴より光沢があって、身もはちきれんばかりに熟れている。
 その証拠に、僕たちを誘惑するように、黒柘榴は甘酸っぱい香りを撒き散らしていた。
 強い魅惑的な香り……。
 ラウラは株ごとって言っていたけど、この柘榴は大きくなりすぎてるから、実をもいで種子から植えても悪くはないはず。

 これでアスラの大事なヴァジュラができる! 
 これで……見えなかった僕たちの未来が見える! 

 僕は、その熟した実に手をかけた。

「よしっ! 早くラウラのとこに帰ろうか、アスラ!」
「それはちょっと、ムリかも」

 険しい表情で目に力を入れたアスラは、僕から視線を外して言った。

「え?」
「囲まれた」
「え? どういう……」
「結界が解けちゃったからな。つけられちゃったのかもしれない」

 僕は慌てて振り返る。

「!!」

 仄暗い忌まわしの森に、浮かび上がる白い影が四体。

 ファントム? 
 ゴースト? 
 いや、違う。白いマントだ……。

 神々しいまでの純白のマントが、暗さに慣れた目に眩しいくらいに突き刺さって、僕は思わず目を背けてしまった。

 まさか、こんなところに……。
 アスラに言われるまで、その気配にすら気付かなかったなんて。
 僕が手にする黒柘榴と同じくらい、その存在がはっきりと明るみに出ていない。
 邪教徒の捜索、粛正を司るドーンゲート神都国の監視者達。

 通称〝白燭の番人〟だ。

 なんで、なんで!? 
 こんなところに、コイツらが。

「〝忌まわしの森〟の結界を解いたものは、おまえか!」
一人の騎士が、僕たちに向かって張りのある声で叫んだ。
「……い、あの……わざとじゃ」
「おまえじゃない! 小童の冒険者風情に用はない。そこの魔道士に聞いている!」
「……」
「この忌まわしの森は邪教徒が聖域としている場所だ! その結界をいともたやすく解くとは……何者だ!」

 僕たちを四方からとり囲んだ番人たちは、その間合いをジリジリつめながら、僕たちに近づいてくる。

 まずい。なんとかしなきゃ、僕が……。
 アスラが邪神なんてバレたら。
 大変なことになる……!!

 僕はアスラを隠すように一歩前に出た。

「僕が解いたんだ! こいつは関係ない! 黒柘榴を取りに来ただけなんだ! だから!……だから! そこを通してくれ!」
「シド……もう、遅いよ」

 僕の背後でアスラが静かに呟く。

「コイツら、ボクらを生かしておくつもりはないみたい」
「え!?」

 ラウラが言っていた、〝白燭の番人には気を付けろ〟ってこのことなのか!?

 目の前の番人が背中に手を伸ばし、携えた武器を構えた。
 太陽のように放射状に金属が鋭く外に飛び出した、モーニングスターと呼ばれるドーンゲートの教えを象徴とする神聖なるその武器の先端が、ゆっくりと僕たちに向けられる。
 この、緊迫感……。
 ディミトリスの兵士とは比べものにならないくらいの空気が、僕の全身から冷たい汗を吹き出させた。

「黒衣の魔道士……シュヴァンツブルクの一件もおまえか?」
「だとしたら?」
「違う! 違うんだ!」
「小童、黙れ!」
「は、話を聞いてくれ! お願いだから!」
「ムダだよ、聞く耳なんてもつ気はない」
「でも……!」

 本当に、話を聞いて欲しかった。
 僕たちは、何もしない! 
 だから、僕たちを見逃して! 
 さもないと……!

「〝忌まわしの森に入る者は、何人たりとも許されぬ。例えその者が王であろうとも、聖職者であろうとも、たちまちその身を引き裂かれ業火に焼かれる〟」
「黙れ! 邪教徒!!」
「うるさい、蝋燭だな。……言葉どおりにしてやるよ!」

 アスラの静かな声は、忌まわしの森の空気を漂ってゆっくりと深く響く。
 口角をあげて笑うと、両手を胸の前で組んだ。

 だめだ!! アスラ!!

「やめ……やめろ! アスラ!! やめろっ!!」

 番人たちのモーニングスターが、唸りを上げて空気を切り裂く。
ガツンッ。と、アスラの目前の空中で四つのモーニングスターが止まった。
 まるで、何か見えない壁にぶつかるように。

「おのれ……」

 アスラが、ゆっくりと手を四人の番人たちにかざした。
 次の瞬間、紫の閃光がアスラの手から放たれる。
 番人たちは、瞬時に手を重ねて身構えた。
 放たれた閃光は番人たちの前で歪められ、あらぬ方向へと飛散して周囲の木々を切り倒す。
 僕はただ、その場にうずくまることしかできなかった。

「へぇ! 指輪にマジックシールドを付加してるんだ。やるじゃん」
「貴様……! それほどの魔法を、無詠唱で!?」
「何者だ!?」
「ディミトリスのところの役立たず達とは違うってわけだ」
「やはり貴様が……!」
「知られたからには生きては返せないね」

 と、同時に。
 目の前で爆発したかのような紫色の閃光が忌まわしの森に広がり、僕の視覚は一瞬で奪われた。
 ビリビリとしだ感覚が体を包んで、吹き飛ばされそうになる。
 ディミトリスの屋敷でサイクロプスを倒したあの時の、何倍何十倍という圧力が体にかかって、僕はたまらず膝をついてしまった。
 番人達も、手をかざし何かを詠唱している。

 これが……魔法の戦い!? 

 アスラ! だめだ!

「アスラーッ!!」

 ドゥン――!!

 足元の地面がめくり上がり、その力が放射状に作用する。
 目を焼き切るような紫色の光と鼓膜を貫く爆破音が、忌まわしの森全体を震わせるように鳴り響いた。
 短い、夢のような感覚。

 アスラ……。黒柘榴の実は手に入れたんだ。
 アスラ、帰ろう……。
 ラウラが待っている。待っているんだ!!

 アスラ!!

 僕は眩んだ目を開けた。

「……!!」

 仄暗い森から幾分時間が経過した暗闇の森が、僕の目に飛び込んでくる。
 忌まわしの森の朽ちた樹木が、小さな炎を宿してその燻りを次第に大きくしていくから、僕の周りはいやに明るく鮮明に捉えることができた。
 白燭の番人が微動だにせず、モーニングスターを構えたまま立ち尽くしている。
 ただ一つ、さっきとまるで違う状況だということは、視覚から直接伝わる情景で理解できていた。

 番人の体が……裂かれている。

 頭から真っ二つに、鳩尾まで……本当に一瞬だったんだろう。

 いつその身が裂かれたのかわからない一瞬のうちに、僕たちを四方から囲んでいた四人すべての番人が絶命していた。

 純白のマントが、その裂け目から徐々に朱に染め上げてられていく。

「うわぁっ!!」

 急に恐怖心と嫌悪感が僕を押しつぶしてきて、僕は尻餅をつくように地面に倒れた。

〝例えその者が王であろうとも、聖職者であろうとも、たちまちその身を引き裂かれ――〟

 ラウラが紡いだ言葉どおりになっている……!

 ア……アスラは……!? 
 アスラはどこに行ったんだ!? 

 白燭の番人を一撃でこんな状態にしたんだ。アスラだって無事じゃ済まないはず……!

「アスラッ! アスラーッ!!」

 ありったけの力と喉を酷使して、火が回らない忌まわしの森のさきまで声が届くように、僕は叫びつづけた。
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