ソドムの御子〜my little hope〜

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15th episode

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「solis!?」

 ウッドゴーレムの雄叫びと、バキバキ音を立てながらその体を燃やす炎の音の間に、僕にだいぶ懐いてくれたドラコニアンを呼ぶ声を聞いた気がした。
 森の向こう側、僕たちを狙っていたドラコニアンが、そこにいる!! 
 苦しそうにもがくウッドゴーレムを尻目に、シャッテが身を低くして、森に向かって唸り声をあげた。

 ガァァァァ――。

 まるで助けを求めるかのように。
 木の幹を連想させるゴツゴツした太い両腕、天を仰ぐような格好で。ウッドゴーレムは、炎に包まれながらゆっくりと動かなくなっていく。
 ウッドゴーレムの断末魔が山脈に反響して僕の鼓膜を震わせて、僕は思わず目を逸らすと、肩で弱々しく呼吸をするアスラを抱きしめた。
 ウッドゴーレムの脅威はなくなった。
 なくなったけど……目前の森の中には、ドラコニアンがいて、矢を構えながらゆっくりと近づいてくる。

「シャッテ! 大丈夫か!?」

 見た目が明らかなくらい、満身創痍のシャッテに声を掛けた。

『……あぁ、これくらい屁でもねぇ』
「シャッテ……」
『シド! おまえの力を出すなよ! 自分たちが絶対的存在の奴らだ! 格好の餌になるぞ!! アスラにも言っとけ!!』
「わ、わかった」

 逆立つ毛並みからもわかるくらい大きく荒い息をしたシャッテは、僕たちとドラコニアンの間合いに入って、深く強く威嚇する。

「おまえたち、何者だ!」

 いまだ燃えさかるウッドゴーレムの炎に照らされ、森の奥から一人の男が現れた。
 古い言葉じゃない。聴き慣れた言葉が、僕の耳の奥を小さく震わせる。ソリスとよく似た服を身にまとい、その耳や首元を小動物と思しき骨で作られた装飾品が幾重にも飾らせていて。
 いかにも、蛮族。いかにも、ドラコニアンなのに。
 ただ他のドラコニアンと圧倒的に、違っていた。比較的小柄ではあるものの、しなやかに鍛え上げられた体から発せられる気迫、もしくは力が。言葉を失うくらい威圧的で眩くて。アスラを抱く手に力が入る。

「Pater!(お父さん!)」

 シャッテの前脚で服を踏まれて、行動を制限されていたソリスは、力一杯体を振ってふりきると、その男に駆け寄り両手を広げた。安堵からかな。ソリスは声を上げて泣きながら、男にしがみついた。
 あ、そっか。ソリスのお父さんなんだ……。
 よかった……。会えてよかったな、ソリス。
 もう、離れたら……ダメだよ。
 その手を離したら、僕みたいに……もう二度と、大好きな家族に会えなくなるんだ。そう安心した瞬間。

 バチン――、と。
 鈍い音が大きく響いて、ソリスが横っ飛びに吹き飛んでいた。
 横っ面を、叩かれ地面に叩きつけられたソリスは、左頬を押さえて泣きながら男を見つめている。

「ソリス!!」

 思わず、ソリスの名を叫んだ!! 
 次の瞬間、ソリスの父が腕を掲げる。途端に、周囲のドラコニアン達が、矢をつがえた弓の弦を引いた。
 真っ直ぐに僕らへ、その切っ先が向けられる。
 キリキリとした微かな弦の音さえも、鮮明に耳が拾う。
 あの手が振り下ろされた時、僕らはあの矢の雨にさらされるんだ。今すぐにでもソリスに駆け寄りたいのに、腕の中の弱ったアスラを手放すこともできず。
 色々想いを巡らせても、結局は僕らをグルリと囲んでいる矢の鋭い切っ先に、一気に現実に引き戻される。
 危機は、まだ終わっていない。
 本来の僕たちの危機は、ウッドゴーレムじゃない。ドラコニアンだったんだ……!! 
 触覚が戻り、鋭く突き刺すように感じる冷たい水と相まって、小さく小刻みに手が震えだす。その僕の手をアスラがそっと握って、僕を見て優しく笑った。
 アスラが笑うと、妙に安心する。
 この笑顔を、この安らぎを。永遠に手に入れたい。
 今みたいに、ほんのわずかな気休めじゃなくて。僕たちを脅かす、すべてのものを排除して。だから……僕たちは、僕は……。こんなところで、立ち止まっているわけにはいかないんだ……!!

 ドクン――。

 心臓に溜まった血が、一気に身体中に行き渡る。
 目が、熱い……。頭が……クラクラする。
 自分が、自分じゃないみたいな感じがして、焼けつくような喉から、信じられないくらい強い声がでた。

「id est ordinem! indiscreta 〝barbara〟 vetus sanguis est fake!? statim release!!(我は命ずる! 未開人と区別がつかぬとは、古の血をもつお前らの目は節穴か!? 今すぐ、解放しろ!!)」

 古い言葉が勝手に、口から零れて。
 何が起こったかわからないうちに、僕は勝手に啖呵をきっていた。
 この額の汗が、一筋流れ落ちる今。
 僕たちは、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。何十本という矢が、その鋭い先端を僕に向かって飛んで、僕の体に突き刺さるのを想像して、思わず生唾を呑み込んだ。
 男の手が、ゆっくりと上がる。思わず、眉間に力がはいった。

「Pudor!(捕らえろ!)」

 古い言葉の号令が。燃え上がるウッドゴーレムの音をかき消すくらい、太く大きく響き渡る。
 その言葉を合図とするかのように。何人かのドラコニアンたちが、ピンとはった弓の弦を一斉に緩め、僕たちを荒い蔓の縄で縛り上げた。
 荒縄が皮膚に食い込んで、ぐったりするアスラが小さく呻き声をあげる。

「ドラーテムの蛮族狩りに遭遇し、ソリスが崖の上から足を滑らせ、雪解けのサンギス湖に転落した。我が息子ながら不甲斐なきこと笑止千万。其方衆もそのような形をしているが、ドラーテムの刺客であろう」

 頬を押さえてゆっくり立ち上がったソリスは、男に近づいて何かを必死に訴えていたけど、男はソリスに一瞥もしないまま僕たちを鋭い眼光で見据えていた。
 誤解、されっぱなしだった。
 シュヴァンツブルクで暮らしていた時も。ウィンディガシュタットの禁忌の森でも。コサクエ関所でも。
 僕ははじめっから悪で、敵で。
 いくら違うといっても、いくら誤解だといっても。僕の言葉は空を漂って、まったく聞き入れてもらえなかったから。
 やっぱり、ここでも僕は悪で、敵で。何を言っても何をしても信じてもらえないのだと。腹の中に鉛のように硬い何かが、落ちていく感じがした。

「俺はこの村の長、クララスだ」

 クララスと名乗った男は、襟元から黒曜石でできた小さなナイフを取り出すと、自分の左手の親指を傷つけ、その血をアスラとシャッテの眉間に軽く当てる。

「これで、森の結界を解いた。連れて行け」
「え!?」

 クララスに素通りされた僕は、思わず声をあげた。
 僕は? 僕はその、それ、やってないよ? 
 僕、入れないんじゃないのか!? ここまできて、アスラと離れ離れになるなんて、嫌だ!

「あぁ、其の方はいらぬだろう」
「へ?」
「めずらしい。其方は結界が効かぬ体質のようだ。そのままでも、どうってことないだろう」
「……」

 結界が効かないって……? なんで……わかるんだ? 
 僕は、ウィンディガシュタットの禁忌の森での出来事を思い出していた。
 僕がフウセンカズラに触れた瞬間、禁忌の森から嵐のような風が僕を包んで、無意識に結界を破壊してしまった。あの時、僕ははじめて魔女の血を感じたんだ。
 誰にも言ってない。アスラにすら、湧き上がり沸騰するように熱くなった体中の〝眠る魔女の血〟のことなんて言っていないのに。
 僕はその時、動揺した感情が図らずとも顔に出てしまっていたのかもしれない。その一部始終を見ていたクララスが、押さえつけられた僕の耳元に顔を近づけ、静かに言い放った。

「そんな顔をしなくてもよい。我々は、竜より授かりし〝力〟がある。おまえの本質を見たにすぎぬ」
「……」

 ラウラ……。
 いくら偽っても、古くからこの大陸に息づく者には敵わないな。
 邪神でも、魔道士でも、錬金術師でも。白き竜が創りし大陸と、ともに生きてきた彼らドラコニアンには、誰も敵わないんだよ。

「ソリスを……救ってくれたこと、感謝する」
「……え?」

 耳元で囁かれたクララスの言葉に僕は驚いて、つい顔を上げてその表情を見た。
 僕とは視線を合わさない、その表情が。
 安堵と苦しさが入り混ざってる、そんな顔をしていて……。僕は、吐く息を飲み込んでしまった。
 クララスは勢いよく立ち上がると、眉間にシワを寄せた険しい表情で怒号した。

「明朝、其方衆の処刑を行う!! 連れて行け!!」



 シニスタラの森の奥深く。
 僕たちは、クララスの〝村〟のとある一室に僕とアスラは押し入れられていた。僕はこういうところに入れられるのは慣れている。
 そう。木の格子で隔離されたここは、村の牢屋だ。
 明日、処刑される身であるにも拘わらず、牢屋にはこばれてきたのは手の込んだ料理で。
 いまだ立ち上がることもできないアスラの口に、小さくしたものを入れた。
 このままだと、明日、アスラは小さくなってるだろうなぁ。
 アスラの頭に手を乗せると、アスラは小さく笑ってスッと目を閉じた。
 ゴツゴツしたものが何もない、平らな床の上に横になって、互いの存在を確認するかのように、アスラとひっついている。僕は牢屋の中にいるにも拘わらず妙に落ち着いていて、小さな牢屋の天井を見つめて、冴えた頭と目が穏やかになるのを待っていた。

 ドラーテム王国――。
 竜の首山脈に囲まれた、首の丘に建つドラーテム王国の王都。
 百年戦争で名をはせた傭兵王・隻眼のシゲイルが王となり統治し、竜の背山脈の鉱山から出る上質な鋼と左翼の森の木材により鍛冶産業が盛んだ。
 武具や鉄器の輸出が大きな産業となっていたけど、平和協定により、それらの産業が圧迫されてきているという。
 あと、まだ僕は見たことがないけど、亜人と言われる人がいるらしい。
 〝力〟がすべての、戦闘民族の王国だ。
 僕は、これからのことや。色んな思いと、色んな経験を反芻しながら。暗闇の中を、焦点が合わないまま見つめていた。

「どうした? シド」

 そんな僕に、アスラが寝返りをうって僕の腕に、アスラの温かな腕が絡まる。

「うん。アスラ、大丈夫か?」
「うん、平気。小さくはなるだろうけど。シドは? 大丈夫?」
「アスラのおかげで助かったよ。ありがとう。……ごめんな、アスラ」
「気にしないで、シド。ボクはシドが無事なら、それでいいよ」
「……」
「どうした?」
「……不安に、なるんだ」
「何が?」
「処刑をされることが怖いんじゃない。いつも、そう。僕の身近な人や愛しい人、優しくしてくれる人はみんな僕から離れて遠くにいってしまう」
「シド……」
「ソリスは……大丈夫かな? カタリーナだって……あんな目に……! アスラだって!!」

 声が、痞える。
 だから、余計に胸も何もかも、苦しくなる。
 アスラの腕が、反対側の僕の腕を回って。僕よりはるかに大きくなったアスラが、僕を抱きしめた。おでこが、アスラの胸板に当たって。僕は、妙に恥ずかしくなってしまった。

「ボクによくこうしてくれたよね、シド」
「小さい時! か、体が……! アスラがまだ小さかった頃だろ?」
「うん。ボク、シドにこうしてもらうのが好きなんだ。あったかいし、シドが側にいるって実感するし。大好きだって、愛しいってうれしくなる。安心するんだ」
「……」

 〝そうだね〟って。声には出さなかったけど、アスラの言っていることは本当で。安心する……。愛しいと、実感する。

「シドのそれ、ちょっと間違ってるかもね」

 暗闇でアスラの顔ははっきり見えないけど、その声音から優しげな笑顔を浮かべていることに間違いはないと、思った。
「どうして?」
「ボクはいなくなってないよ? だから、心配しないで。ボクはずっと、ずっと、シドの側にいるからね」
「……うん。ありがとう、アスラ」

 僕はアスラにおでこをひっつけたまま頷いて、そのままそっと目を閉じた。
 今だけ、アスラに身を委ねてもいいかな。
 甘えたい、ひとり占めにしたい。
 そう思った瞬間、僕の胸にたくさん巣作っていたものが、スッと溶けて……。
 安心した僕は、久しぶりに緊張を手放して、深い眠りに落ちたんだ。

「……はぁ~」

 よく寝た、という満足感と。
 アスラのあたたかさが、暑さに変わったのと。
 僕は、大きく息をついて目を覚ました。予想どおり小さくなってしまったアスラは僕を逃さないようにしっかり腕を回して寝ていて。その腕をすり抜けるようにして、僕はアスラを起こさないように立ち上がる。

 ――シニスタラの森の奥。
 僕たちは今日、ドラコニアンに処刑される。
 小さくなったアスラに一瞬動揺したドラコニアンの兵士は、他のドラコニアンと眉を潜めて、何やら言葉を交わしている。

「気味悪い、って」
「アスラ!?」

 いつの間にか目を覚ましていたアスラの声に、僕は振り返った。

「〝小さくなるなんて、呪われているに違いない。村長に知らせろ〟だって」
淡々と、兵士の言っていることを言葉にして、アスラはイタズラっ子のように笑った。僕はその小さくなったその体を抱き上げる。

「アスラ!!」
「シド?」
「アスラは何もするな……! 力を使ったらダメだからな! いいな!?」
「使いたくても、ムリだよ。この体じゃさ」
「アスラ……!」 

 何とか、しなくては……! 
 僕が何とかしなくては、いけないんだ。

 兵士に冷たいサンギス湖の水をかけられた僕とアスラは、後ろ手に縛られて牢屋の外に連れ出された。
 その先には、僕たち以上によく眠れた感が漂うシャッテに声をかけられた。

『よく寝たって顔してるぞ? こんな状態なのに』
「うん。シャッテもよく眠れただろ?」
『まぁな』
「怪我の方は大丈夫?」
『当たり前だ。俺を誰だと思ってる』

 全身を左右に振って。首輪をつけられたシャッテはその銀色の毛並みを波打たせた。村のあちらこちらから湯気があがり、ドラコニアンの声も次第に大きくなって、活気が溢れてくる。僕たちの処刑を見ようと、あちらこちらから人が集まり、あっという間に賑やかになった。
 なんら、変わらないじゃないか。
 ドラコニアンも、僕たちも。
 家族がいて、些細な衝突はあるだろうけど、明るい笑い声が響いて、それが集まって大きな幸せの模様を織りなす。
 どうして、かな……。
 なんで、ドラーテム王国は蛮族狩りなんてするんだろう。
 顔を拭いてあげた視線の先には、ソリスが元気に笑ってクララスの後をついてまわる姿があった。
 よかった。ソリスのあんな笑顔を見られただけでも、僕の心は内側から満たされるんだ。

 フッ――と。
 朝日と地面の間に、何か影が横切った。
 大きな影だな。
 シエニスタの森には、白き竜の魔力で大きくなった鳥でもいるんだろう。
 そう思って、頭を上げたその時だった。
 木々の間に現れた影は、高い放物線を描き、だんだん僕たちに近づいてくる。逆光で、形をはっきりと捉えることができないまま、僕は空から落ちてきたモノを着地するまで見送ってしまった。

 ドサッ――。

「キャーッ!!」

 地面にぶつかる地味な音と、それに反応した幼いドラコニアンの悲鳴。
 僕が鳥だと思い込んでいたのは、ボロボロに傷付けられ、変わり果てた姿となった若いドラコニアンだった。
 おそらく、村の周辺を警戒していた若いドラコニアンなのだろう。たくさんの動物の牙でできた腰巻が、衝撃でバラバラと解けてあたりに散らばっていく。

「蛮族狩りだーッ!!」

 誰かがそう叫んだのを機に、逃げ惑う子どもや、慌てふためく大人たちで、平和だったドラコニアンの村が一気に騒然とした。
 目の前で起こっていることが、現実味を帯びない。
 穏やかな朝と、騒然とした今と、あまりにも違いすぎて。
 頭が心が、ついていかなかったんだ。
 僕たちについていた兵士が、槍を構えて一斉に森の方へ走り出して、僕は地面に転がってしまった。

『シド!! アスラを!!』
「わ、わかった!!」

 その時、拘束されていた腕が急に自由になり、振り返ると、黒曜石のナイフを握りしめたソリスがいた。

「ソリス……!!」
「ut evadere!(逃げて!)」

 不安そうに瞳を揺らすソリスが、小さな声で叫んだ。
 その後では村のドラコニアンが逃げ惑い、金属のぶつかる音が無数に鳴り響く。
 ソリスは手際良く僕たちの縄を切り離すと、アスラに向かって何かを話し出した。

「北に遺跡がある。そこに身を隠せって、言ってる」
「でも……!」

 ソリスは僕のにっこり笑うと、僕の額にその小さな手をかざした。

「Gratias tibi. Draconis protegit (助けてくれて、ありがとう。竜のご加護がありますように」
『シド! 早くしろ! 囲まれているぞ!!』

 シャッテが、全身の毛を逆立て叫んで、その声に僕は、無言でうなずいた。
 風のように走り出すシャッテを先頭に、僕たちはシニスタラの森の、道なき道を走り出したんだ。背中にソリスの視線を感じながら……。
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