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第一章 忘却の通り魔編

30.旅立ち

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「ミコ、おはよう」

 階段の音を弾ませながら、シキとネオンはロビーへと降りていく。

「あっ! おはようございます! やっと目が覚めたんですね。良かった~」

 どうやら何日か眠っていたらしい。
 寝起きの回らない頭を使いながら、少しずつあれから何があったか聞く事にした。

「ミコ、あの後どうなった? アイヴィに勝ってから……そうだ、アイヴィは!?」

 ミコは顔を曇らせながら、答えを返した。

「アイヴィさんは……。あの後、気を失ったお二人を連れて宿へ戻りました。サラも弱ってましたので、最低限の治療だけしてその日は終わったのですが……」

 少し言葉を濁らせた後、受付の裏に戻り何かの紙を持ってきた。

「シキさん。これを」

 シキは受け取る。そこにはある書置きが書いてあった。


『シキくん、君ならきっと世界を切り開けるよ』


「これは……!?」

「翌朝アイヴィさんの部屋を訪れたら、この書置きだけが残っていました。アイヴィさんは、どこにもいませんでした……」

 アイヴィは姿を消した。
 彼女の行方は、誰にも分からなくなっていた。

「アイヴィ……!! 私達は、分かり合ったのではなかったのか……!?」

 きっと、シキにも分からなかった事情があるのだろう。
 納得など出来ないが、今はこの事実を受け入れる他なかった。

「……それで、サラは」

「サラは今、冒険者協会に勾留中です。色々とお話をされているようです」

 彼女はと言うと、シキが伝えたように自白したらしい。
 話をしているというあたり、悪い結果にはなっていないと信じたい。

「なるほどな。それで私は、いったい何日ほど眠っていたのだ?」

 ミコにあれから何日経ったのか聞こうとした。その時だった。

「三日だよ」

 ギギ……ッと、宿屋の正面の扉が音を立てて開いた。

「……サラ? サラ!!」

 ミコは驚いた。
 そこには、勾留されていたサラが立っていたのだ。

「全く、あれだけカッコいい事言っておきながら何日も眠ってるんじゃないよ。おかげで戻って来るのが遅れたじゃないか」

「サラ! では話の方は……」

「君の言った通りだったよ。こうなると分かっていたなら、もっと早くするべきだったね」

 話は通じたようだ。
 では、サラの処罰はどうなったのか。

「それで、どのような結果になった?」

「うん、まずは被害者への謝罪だったね。協会立ち合いのもと行ったけど、完治するまで治療していたからそこは不問とされた」

「そうか、それは良かったな」

「合わせて動機の説明をした。それを聞いたら、みんな納得してくれたよ。……ミコ、君のおかげさ」

 そういうと、サラはミコに近づき彼女の頭を撫で回す。

「ちょ、ちょっと、どういう事ですか? 私のおかげって」

「ミコのためなら仕方ないって、みんな言ってくれたんだ。君が精一杯おもてなしをしたおかげだよ」

「そ、そんな……私のおかげなんて……」

どこかむずがゆい様子をしたミコを見て、シキは率直な意見を述べた。

「そういう時は素直に喜べばいい。それで、他には?」

「アイヴィの事は伝えた。みんな驚いてて、それでちょっと揉めたけど……。でも、理解してもらった」

「……そうか」

「話さない訳にはいかないよ」

「それもそうだな。すまない」

「いや……、大丈夫」

 サラの声がほんの少し小さくなった。

 シキに助けられた側としては、例え恨んでいてもほんの少しは気になってしまうのだろう。
 彼女にも、同じように手は差し伸べられたはずだったのだから。

 少しの間静まり返ると、サラは次の話を進めた。

「そして最後に。私、ここの病院辞める事になったから」

「えっ!? サラ、どうしてそんな……。だったらこの街の病院はどうするのですか!?」

「ここを辞めて、正式に師匠の病院で働く事になった。それが、私に課せられた命令さ」

「……なるほど。そうすれば遠出は出来ない。という訳か。良くも悪くも考えられているな」

「まったく、そういうところは手が早いんだよ、あの協会は。ま、師匠が帰ってくるまでの条件付きだけどさ」

「そんな……だったらサラとは、しばらく会えないのでしょうか……」

 寂しそうな目で、ミコはサラを見つめる。
 なんだかんだ言っても、やっぱり二人は仲良しのようだ。

「いや? 仕事が終わったら帰ってくるよ。なんたって私の家はここだからね」

「サラ……!! そういう事は先に言ってくださいよ。もう!」

「ごめんごめん。だからさ、シキ。無理を言っているのは分かっている。でも頼めるのは君だけだ。師匠を探して来てほしい。この世界のどこかにいる彼を。君の手で」

「分かっている。はなからそのつもりさ。それに私は、この世界に眠っている記憶を集める必要がある。だから元々、旅に出る事は考えていた」

 そういいながら、シキはネオンの目を見た。

「…………」

 彼女はこくりと、同意してくれた。

「でしたらシキさん、良ければこれを持って行ってください」

 そういうと、ミコは中央に穴の開いた短剣を取り出した。

大食らいの少身物グラットン・ダガー……。何故これがここに?」

「アイヴィさんに返していいか分からず、私が預かっておりました。しかしアイヴィさんは居なくなってしまったので……」

「……分かった。私が持って行こう」

(それにまだ、アイヴィとは話す事もあるしな)

 アイヴィとは、このままで終わる訳にはいかない。
 シキの旅の目的の一つには、彼女の事も入っていた。

「そうと決まれば、準備をしよう。出発は明日の朝だ」

「ああ!」

「はいっ」

 明日からは、皆が別の道を歩む。

 素晴らしい門出を迎えるために、四人はそれぞれの準備へ移る事にした。


 ────────────────────


 そして、次の日の朝。

「もう、出発するのですね……寂しいです」

「ああ。本当に、世話になったな」

「いえいえこちらこそ、シキさんのおかげでサラの本心が聞けましたし、感謝してもしきれないです」

 頭を掻きながらサラは言葉を返す。

「まいったねこりゃ。でも、うん。シキ、ありがとう。私がここにいるのも、君が立ち塞がってくれたおかげだ」

「私はあくまでミコの力になっただけだ。そうしろと言ったのは、サラ、お前じゃないか」

「……そう、だね。でも、それでもさ、私は君に感謝している。それだけは伝えさせてもらうよ」

「ああ、しっかりと受け取っておく」

 別れの言葉を楽しんでいると、ネオンがもぞもぞと何かしようとしていた。

 それに気づいたシキは、彼女を促す。

「ネオン、渡してやれ」

「…………」

 ゆっくりと、懐から小箱を取り出した。

 そしてそれを、ミコへと手渡す。

「これを……私に?」

 こくり、とネオンは頷く。

「開けさせて頂きますね」

 ミコは丁寧にプレゼント用の包みを剥がす。

 そこに現れたのは。

「これって、羽ペン……? しかもエーテル仕様の!?」

「同じものではないがな」

「そんな、気にしなくていいって言ったじゃないですか。だって、だってあれは事故みたいなものだったんですから……」

「私は良くない。それにネオンも良くないらしい」

 うんうんとネオンも頷いている。

「なに言ってるんですか……もう……。そうだ、お金はどうしたんですか? 買うお金なんて持ってなかったじゃないですか」

「心配するな、自分で稼いだ分だ」

 最初は守ってあげないと路頭に迷いそうなシキであったが、通り魔の一件を経て、彼もまた成長していた。

「強く、なられたのですね。今のシキさんは、初めて出会った時とは見違えるくらい、頼りになる顔つきをしてますよ」

「その言い方は引っかかるところがあるが、まぁ良しとしよう」

「そうだ! シキさん、この羽ペンを使って何か書いてみませんか?」

「ん、何故私が?」

「エーテルが流れるようになったのです。折角ですので」

「……なるほど、確かにな。ではありがたく使わせてもらおう」

「はい! では紙をどこからか……」

 そういいながらミコが受付へ行こうとした時、ネオンはさらに別のものを取り出した。

 それは、シキと刺繍のされた手帳であった。

「私の手帳か。何故お前が持っていたのか知らんが、これに書いてみるか」

 シキは新品の羽ペンを持つ。

 そしてもう片手に持った手帳へと文字を記入した。


『シキ』


 それは、自分の名前だった。

「ちゃんと書けてますね!」

「なんで名前なのさ。子どもじゃあるまいし」

「う、うるさいぞ! まだ続きがあるのだ!!」

 覗き込もうとする二人を避けながら、シキは手帳にこれまでの出来事を書き込んだ。

 二度と忘れてはならない。大切な記憶を。

「ふむ、こんなものだろう」

「見せてくれてもいいじゃないか!」

「そうですよ!」

 仲良く二人に迫られながら、シキは抵抗する。

「日記などそうそう人に見せるものではない! 全く、デリカシーというものを知らんのかお前達は」

「知らないなぁ。ミコ知ってる?」

「私も知らないですねぇ」

 にやにやしながら二人は適当な事を話した。

「ほら、もう書いたからこれは返す」

 シキは借りていた羽ペンを返そうとした。
 だが、ミコはそれを断った。

「これからも日記をつける事はあるでしょう。だったらそれはシキさんが持って行ってください」

「何を言う。これは壊した羽ペンの詫びだと言ったはずだ」

「だから、私達との思い出として持って行って欲しいのです。それに……」

 ミコは少しだけ間を空けた。

「羽ペンは、おじいちゃんが帰ってきた時、また買ってもらおうと思います。ですから、シキさん。どうか私の祖父、ミストラルをお願いします」

ぺこりと、真剣な表情でミコはお願いをする。

「任せておけ!」

 シキは堂々と返事を返した。

 必ず、その約束を果たすために。

 再び彼女ら三人の幸せを取り戻すために、シキとネオンは今、旅立つ。

「シキさーん! ネオンさーん! 最後に一つだけーーー!!」

 宿屋を出てもう見えなくなるその直前に、ミコはシキ達を呼び止めた。

「あなた達の帰る場所は、ちゃんとここにあります!! だから、行ってらっしゃいませ!!」

 シキとネオンは目を見合わせた。

「…………」

 こくりと、ネオンは受け入れるように頷く。

 フフッ、とシキは思わず笑みを零す。


「行ってくる!!」


 二人の旅は、始まったばかりだ。

 忘却の通り魔編 終わり。
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