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2.猫みたいな男友達

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 体験授業に来た一之瀬くんは中学三年生だった。私の10歳年下かぁ、なんて考えながら声をかける。

「じゃあ授業ブースに案内するね」
「すみません、ここのスリッパ使っても大丈夫ですか?」
「あ、ごめんね、気づかなくて。使って大丈夫だよ」
「ありがとうございます」

 一之瀬くんの学校は隣の地区の星南中学で、この塾には知っている子がいないようだった。そのためか少し緊張しているように見えた。

「じゃあ早速始めようか!」
「よろしくお願いします」

 体験授業は英語だったので、ちょうど期末テストの範囲にもなっているであろう分詞をやることにした。学校でも習っているはずだから、ざっと説明をしたあとは早速問題集を解いていってもらった。

 一之瀬くんは、あごくらいまで伸びている髪の毛を耳にかけて問題を解き始めた。その耳にかける仕草がなんだか色っぽいなぁとか、首も腕も細くて中3の男子ってこんなに華奢だったっけなぁとか考えていたら、なんだかそんなことを考えている自分がすごく気持ち悪く感じられた。私はすぐに頭を切り替えた。

「先生できました!」
「じゃあ早速丸つけしていくね」

 他の生徒にもするように、丸をつけながら軽く学校のことも聞いてみた。

「一之瀬くんは部活入ってるの?」
「バスケ部に入ってます。スタメンとベンチを行ったり来たりだけど……」

 なるほどバスケ部か、と思った。なんとなくバスケ部の子は手足がすらっとしてて色白の子が多いイメージだったから、妙に納得してしまった。

「バスケ部かぁー! かっこいいね!!」
「先生はもしかして学生の頃、バレー部でした?」
「え、なんで分かったの!?」
「なんとなくです♪」

 え、可愛……ゴホン。この子はもしかしたら天然の人たらしかもしれないな……と思った。私のこういう読みは大抵当たるのだ。

 その後も説明して、問題を解いて、丸をつけながら談笑して、を繰り返していたらあっという間に80分の授業が終わった。
 体験授業が終わり、私は一之瀬くんを玄関まで見送りに行った。

「じゃあ今日の復習も家でしてみてね。部活もスタメン取れるように頑張ってねー! さようなら」
「ありがとうございました、さようなら」

 別に何があった訳ではないけれど、私は無性に走り出したい気分になった。今日の担当の授業は終わったし、さっさと荷物をまとめて帰ろうとしていたら、丸山先生が声をかけてきた。

「体験授業の一之瀬くん、どうでした?」
「すごく素直な子で教えやすかったですよ」

 今声をかけられたくなかった、となぜか思ってしまった。何か嫌なことを言われた訳じゃないけれど、今丸山先生と会話することで何かが上書きされる気がしたのだ。

「それじゃあ気をつけて行ってきてください。またごはんが終わったら連絡してくださいね」

 あ、忘れてた……このあとごはんの約束があるんだった……。

「はい、じゃあまた夜連絡しますね」


 そうして待ち合わせの居酒屋にやってきた。学生も多いチェーン店の居酒屋だ。私は待ち合わせ相手を見つけたので声をかける。

「戸田っち! ごめん、お待たせ!」
「俺も今来たところだから大丈夫」

 今大半の人が「え、男!?」って心の中で思ったでしょう? まだまだ驚くのは早いよ。なんてったって戸田っちは私が大学4年間片思いしていた相手なのだから。でも、それだけ。告った告られたもないし、もちろん男女の関係もない。今は好きって気持ちはないけど、ずっと好きだった人だからか、今もキラキラして見える。でも、本当にそれだけ。

 こうして月に一回くらい戸田っちとは卒業してからもサシで飲みに行っていた。

「河本、もしかして仕事終わってそのまま来てくれたかんじ?」
「今日授業多くてそのまま来ちゃった! テスト前だから追加授業取る子が多くてねー」
「忙しいのにすまん」
「いい息抜きになるからむしろ誘ってくれてありがたいよー」
「良かった」

 戸田っちはそう言うと柔らかく微笑んだ。喉の奥がギュンとなった。私はこの戸田っちの笑顔に弱いのだ。

 戸田っちとの出会いは大学の同好会。大学1年の春の歓迎コンパで、始まったばかりなのにすごく帰りたそうな人がいた。それが戸田っちだった。
 その後も戸田っちは、旅行同好会なのに旅行にはなかなか来ないし、飲み会にも滅多に顔を出さなかった。だけど、ごくたまに集まりに顔を出したら、戸田っちの周りには人が集まった。不思議な人だなぁと見ていたら、気づいたら好きになっていた。
 好きになってからの私の行動は早かった。こまめにメッセージ送ったり、ごはんに誘ったり、そうするうちに少しずつ戸田っちも私に心を開いてくれるようになった。
 でも、私の「戸田っちを異性として好き」っていう気持ちを感じると距離を取られた。
 距離が縮まったかと思ったら急に離れて行って、そんなのを大学4年間ずっと繰り返していたら、さすがに私も戸田っちが好きかどうか分からなくなった。

「戸田っちってさ、猫みたいだよね」
「え、なんで?」
「絶対前世猫だよ」
「だとしたら河本は犬だな」
「なんでなんで?」
「誰にでもしっぽ振るから」
「ちょ、なにそれ! 誰にでもは振らないよ!」

 あ……まずい、戸田っちにしかしっぽ振らないよって意味に捉えられたかな……? チラッと戸田っちの方を見ると、

「じゃあ河本も猫だな」

とニヤリと笑われた。また好意を見せたら離れて行ってしまうと思ってヒヤッとした。

 ん? 離れて行ったら嫌なのか? さすがに恋愛感情ではなく、友情だよね……?
 好きって気持ちが分からなくなってから、自分の気持ちを上手く形容する言葉も分からなくなった。
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