“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第32話 不安

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 親に手を引かれた入塾希望者たちの行列は表の道路にまで並んでいた。従業員だけでは対応が間に合わないようで、塾長の中久保初美までもが接客に追われている。大繁盛と言って良い状況となっていた。 


「なんか、すごいことになってるね」 


 久美子の横で声がした。目を向けると、リュックを背負った隼人が立っていた。今、到着したのだろう。彼も驚いた様子である。 


 なぜ、こんな事態になったのか?考えられるのは、『非現実ジャーナル』に掲載された幽霊の記事以外に考えられない。それが“宣伝"となったのである。 


 久美子は呆れた。保護者たちは危険と感じないのか?全国区の雑誌で紹介されたという、ただそれだけで、このバーニング・ゼミナールに群がっているのである。我が子が幽霊に取り憑かれたらどうするのか?息子や娘が怪我をしたらどうするのか?そういった恐怖を抱かせないほどに宣伝効果とは抜群なのか?皆はスーパーのチラシやタウン情報誌の記事との区別を感じないのか? 


 市井の人々の危機感のなさを久美子は内心で嘆いた。いや、嘆き以上に不安だった。“人外の存在"がもたらす脅威に世界中の人々がさらされ、被害者が後を絶たない昨今であり、その事実は新聞やテレビで報道もされている。退魔連合会はメディアを通じ、世間に訴えてきた。人ならざるものの危険性を。 


 無論、件の幽霊が、本格的に人々に害をなす存在か否かはわからない。久美子ら退魔士が討伐の対象とする人外と同類である確証もない。だが、それにしても、である。こちらの世界に住まう人間や動物たちとは明らかに違う異質の存在に対する脅威を、いまだ遠い世界の事柄のように思う者がこれほどいるという事実。事故に遭う可能性があっても車に乗り、水難のおそれがあっても海水浴にでかける。ここに並ぶ者たちは、それらと等しい行為と認識しているのだろうか。 


 久美子は首を振った。自分がどれだけ命をかけても、報われないのではないか、と一瞬、思ってしまったのである。だが、それでは退魔士の存在意義など消滅してしまう。キリがなくとも人外と戦い続けるのが宿命である、と心に言い聞かせた。 


「どうしたの、久美子さん?」 


 と、訊いてきた隼人は、自分よりもはるかに小さい。だから、こちらを見上げている。いつもと変わらず無口で、内心を語ってもいないのに、心情の揺れに気づいたのだとすれば、やはり鋭い少年である。いや、ほんの少しでも、表情に出てしまっていたのかもしれない。 










 急激に増加した生徒たち。だが、塾側の対応は早かった。翌日午後、大型のトラックが衝立付きの机を搬入するためバーニング・ゼミナールの脇に停まった。 


「ご苦労様です」 


 と、業者を迎えたのは初美である。生徒たちが通塾して来る前に机の増設を済ませるため、従業員たちも皆、総出となった。全員で事に当たった。 


 教室は一階に二部屋、二階に四部屋ある。部屋を増やすことは出来ないため、机と机の間隔を狭めることで対処することとなった。 


「天宮先生、意外と力あるんですねえ」 


 手伝いにかり出された久美子の姿を見て、ニヤニヤと笑いながらそう言ったのはハンサム講師、元木である。 


「そうね、助かるわ」 


 とは、初美。見ると久美子、数台の机を重ねて抱え、階段を昇降している。当然だ。退魔士である彼女は常人とは鍛え方が違う。業者の男たちも驚いていた。 


 そんな久美子の活躍で、搬入作業はすぐに終わった。業者が帰ったあと、慣れない重労働に疲れたバーニング・ゼミナールの従業員たちは、並べたばかりの机に座り休憩をしている。 


「お疲れ様、おかけで早く済んだわ」 


 部屋の脇に突っ立っている久美子に、そう語りかけ、初美は袋に入ったおにぎりと缶のお茶を差し出した。近所の弁当屋で買って来たものらしい。 


「ツナマヨネーズと辛子明太子でよかったかしら?」 


 と、初美。 


 “出来れば、梅と昆布と、ついでにおかかも……" 


 などと思っても久美子は声に出さない。この女、極めて無口である。頭を下げ、受け取った。 


(“宣伝"のために、雑誌の取材を受けたのか……) 


 従業員たちと談笑している初美を見て、久美子は思った。非現実ジャーナルが、ここバーニング・ゼミナールを特集することで得られる宣伝効果を狙ったのだと考えれば、初美が深夜の塾内に花ノ宮奈津子を引き入れた理由としては納得できる。 


 “似た事例は、いくつもあるのだよ" 


 昨日の夜、所長の村島が久美子に語った。他県の話であるが、テレビの心霊特集番組で、ある英会話教室が紹介された。ポルターガイスト現象に悩まされる経営者の悲痛なインタビューによると、そこはかつて、墓場だったという。 


 結果、その英会話教室の受講生数は飛躍的に増加した。“宣伝"となったのである。怖いもの見たさなのか、それとも、はなっから心霊現象など信じていないのか。集まった人たちの心理をはかることはできないが、一般人にとってメディアに取り上げられる優位性とは、危機意識や安全管理の心得に勝るものなのだろう。もちろん、そういったバラエティ番組は、話術に長けた司会者や、ゲストのお笑いタレントが面白おかしく盛り上げるため、視聴する人々の感覚は、より強く麻痺する。 


 村島は他にも、妖怪が出ると紹介され、大繁盛したレストランや、宇宙人に連れ去られると噂され、経営不振から立ち直ったエステサロンを例にあげた。話を聞き、久美子は呆れもしたが、考えてみれば週末の心霊スポットや廃墟には若者がたむろするではないか。それと同種の現象と考えれば、不思議ではないのかもしれない。人間は“興味"を持つからこそ、豊かな生活をおくることができるのだ。 


 ならば、初美が幽霊の調査を依頼し、久美子を偽りの学習塾講師としてバーニング・ゼミナール内に潜入させた理由とはなんなのか?ひとつは期限が迫っている退魔連合会の商品券を使い切ること。そして、もうひとつは…… 


(“万が一"の保険か……) 


 久美子は、そう考えた。もし、幽霊が危害を加えるような乱暴な存在だった場合、退魔士の力で撃退出来るからである。 


 “それも、あるだろうね。だが、うがった見方をすれば……" 


 という村島の言葉は、久美子の意見を聞いたあとのものである。 


 “もし、被害者が出た場合、我々に責任を押し付けることが出来るから、とも思えるね" 


 決して突飛な考えではない。退魔士が警護対象を守れず、退魔連合会側に対する訴訟沙汰になった前例は、枚挙に暇がない。 


 だが、いち戦士としての久美子の仕事は、目前の事柄を解決することである。バーニング・ゼミナール内に出現した幽霊の調査、場合によっては討伐だ。そして、気にかかることがあった。
 
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