“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第45話 “人"としての希望

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 いつの間にそこにいたのか?久美子は気付かなかった。気配を感じさせない早苗。さすが“幽霊"といったところか。 


「随分と、妙な空気ねぇ……」 


 と、早苗。 


「感じるのか?」 


 久美子は訊いた。 


「まぁ、人間じゃなくなったころから、そういう“敏感さ"は身に付いたわ」 


 と、語る早苗が笑った。既に“死人"である彼女。それでも勤勉さは失っていないようだ。ここで真面目に勉強をする姿を見ればわかる。 


「なぜ幽霊になった今でも、勉学に励むのだ?」 


 久美子は訊いた。それは疑問に思っていたことである。 


「しなきゃいけないことだからするのよ。子供は勉強こそが本分なのよ」 


 早苗は答えた。 


 “生きてもいないくせに" 


 などと久美子は言わない。人間だったころの習慣や考え方というものは死後も変わらないものなのかもしれない。幽霊が住まう世界に教養が必要か否かは知らないが、生前と同じような行動をとる姿を想像すると、少し面白いものではある。 


「君はなぜ、総理大臣になりたいのだ?」 


 久美子の質問は続く。その台詞は過去形ではない。今となっては、決して叶わぬ夢であっても…… 


「前にも言ったでしょ?この腐った世の中を正すためよ」 


 と、早苗。 


「あたしが生きていたころのお母さんは苦労したわ。お父さんが早くに死んだから、あたしを育てるため、いくつも仕事を掛け持ちして、朝から晩まで働いて……」 

「それが理由か?」 

「そうよ。手当てを貰っても苦しかったことに変わりはないわ。払うべき税金も医療費だってかかるもの。でもね、お金のことだけじゃないのよ」 


 早苗は一瞬、天井を見上げた。ひょっとしたら、涙を堪えているのかもしれない。 


「同級生たちはみんな、よそよそしくなったわ。“あの子と遊んじゃいけません"って親に言われたのよ。お母さん、いつも夜、遅かったから……」 


 水商売と間違われたのか、と久美子は思った。不憫な目に遭ってきたことは事実のようだ。早苗にかける慰めの言葉など思いつくような女ではない。だから、黙って聞いていた。 


「お母さんとあたしを置いて逝ってしまったお父さんのことは恨んだわ。でも、お母さんは今でも友村姓を名乗っているのね。再婚でもしたらいいのに、なぜかしら……」 


 “まだ、愛しているのではないか?" 


 久美子は、そう考えた。だが、口に出すような女でもない。 


 幽霊となった今でも、早苗は父親には会えていないのだろうか?久美子は、いろいろと想像してみた。誰しもが幽霊になれるわけではないのかもしれない。人間として生まれ変わる者もいるのかもしれない。人外の存在に脅かされているこの世の中であっても、死んだ人間がゆきつく先など誰も知らない。死人に口などないからだ。 


「寂しい思いをしたわ。お母さんと何度も喧嘩した。でも、今は育ててくれたことに感謝しているし、先に死んでしまって申し訳ないとも思っているわ……」 


 語る早苗の目は赤かった。 


「だから、あたしは総理大臣になって、母子家庭が住みやすい法律を作るわ。そう、思ったのよ」 


 もはや実現できぬ夢であることは、わかっているはずである。それでも、なぜか、そのために勉強は続けている。人であったころの希望は、人でなくなったあとも変わらず持ち続けるものなのかもしれない。良く言えばロマンティックであり、悪く言えばどうしようもない。久美子は、そう思った。 


 結局、早苗自身、叶わない夢であることはわかっているのだろう。だが、それでも、かつての自分を捨てられないのだ。久美子の考えは、最終的にその結論で落ち着いた。否定することは出来ないし、否定する資格もない。そもそも、悪いことだとは決めつけられない。


「ところで、隼人くんって何者?彼も、あなたと同じで“気の力"が常人をはるかに上回っているわ。いや、正確に言えば、あなたとは違う性質のようだけど?」


 早苗が訊いてきた。宗教的能力者と超常能力者、共に“気"を駆使する異能者ではあるが、彼女が言うとおり異能学上の性質は異なる。発現する効果自体が全く違う。


 教室のドアが開いた。中から隼人が出てきた。


「いやー、なんか空気重いから出てきちゃったよ」


 ポリポリと頭をかきながら彼は言った。


「あれ!早苗ちゃん、目が赤いよ。勉強のしすぎで寝不足なんじゃない?」

「まったく……」


 早苗は鼻をすすり、溜息をついた。


「掲示版、見たでしょ?テストがあるのよ。呑気にかまえている場合じゃないわ」

「まいったなぁ、抜き打ちテストなんて絶対ヒキョーだよね」

「抜き打ちだからこそ、普段の勉強の成果が試されるわ」

「うーん、たしかに」


 ふたりの子供のやりとりを久美子は黙って聞いていた。何事もおきなければ微笑ましい光景だが、何事かがおきそうな気配なのが現実である。


「まぁ、あたしは日頃から勉強しているから大丈夫だけど、あなたはどうなの、隼人くん?」


 と、早苗。目がつりあがっている。


「フッ、フッフッフ……」


 対する隼人は、不敵に笑った。彼はジャンパーのポケットから一枚の紙切れを取り出した。


「こないだ、“学校"で行われたテストの結果だよ」


 隼人が言う“学校"とは、奈美坂精神病院のことであろう。当然のことだが、身分は隠しているようだ。久美子は、横から覗きこんだ。算数の答案だった。


 (ほう……!)


 そして、まあまあ感心した。隼人にしては良い点数である。


「早苗ちゃんの指導のおかげだよ、感謝感謝」


 得意満面。隼人が言った。


「どれ、見せてみなさい」


 早苗は答案を受け取り、見た。そして、くるくるとそれを丸めた。


 “ぱこん……!"


「いてっ」

「まだまだね」

「き、厳しいなぁ……」

「この程度の問題で、この点数では無条件に褒めることは出来ないわ」


 そう言いながらも、早苗は隼人の柔らかい髪を撫でた。


「でも、努力は認めるわ。頑張りなさい」

「うん……」


 隼人は少し顔を赤くして喜んだ。背丈は早苗のほうがやや高い。


「さぁ、重い空気なんかに負けず、勉強勉強」


 早苗は隼人の細い手を引っ張った。


「わ、待って待って、コケるよ」

「ほら、さっさと行くわよ」


 教室に入ろうと歩きだしたふたりを見て、久美子は思った。早苗が幽霊でなければ、とても良い友人関係だったにちがいない、と……
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