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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび
第55話 一対二
しおりを挟む幽霊の指先から“水"が放たれた。このとき、久美子の意識がバロンにのみ向いていたなら、命中していただろう。彼女もまた、身を低くしてかわし、そのまま左手の鞘を振った。
「かわしたか……」
と、バロン。右手の大ナイフで、攻撃を受け止め、言った。今、互いに片膝をついた状態で、鍔迫りあったまま静止している。続けて久美子は右手の雷光を突き入れたが、バロンは飛び退いた。距離が離れる。久美子も敵に正面を向けたまま後退した。
再度、幽霊の手から水が飛んだ。これを跳躍して避けるも、またもバロンが突進してきた。二本の手から繰り出されるナイフ攻撃を退いてかわしながら、久美子は幽霊にも気を使わなければならない。一対二の不利は大きい。何撃目かの後、彼女は後ろを向き、走り出した。すぐそこが、廊下の曲がり角だった。
『にがさないわ、あの女……』
幽霊が言った。バロンも頷き、後を追った。
「うーん、どうするか……?」
そのころ、教室に閉じ込められている隼人は、まだ、悩んでいた。実は、すぐ外で久美子とバロンが戦っているのだが、廊下を仕切っている窓がどす黒く変色しているので見えない。音も聞こえなかった。それも、“なんらか"の力であろう。
彼は、着ているジャンパーの懐に手を入れた。
「あんまり、使いたくないんだけどなぁ……“効く"かどうかも、わかんないし……」
ぶつぶつと、ひとりごとを言った。だが、室内の子供たちが意識を失っている光景を見ると、ぐずぐずしてもいられない。このままでは、被害者が出てしまう。
「よし、決めた!」
隼人が、“それ"を抜こうとした、そのとき……
“がちゃっ……!"
びくともしないはずのドアが音をたて、開いたのである。
「隼人くん、早く出て……急いで!」
声がした。首を傾げながら、入り口へ向かうと、ひとりの少女が立っていた。
「早苗ちゃん……?」
さすがの隼人も驚いた。人外の力で閉ざされていたはずのドアを開けてくれたのは、友村早苗だったのである。
「君は、何故……?」
隼人は訊いた。負の気に包まれた建物内で意識を保っていられることに疑問を感じた。早苗もまた、“幽霊"であることを彼は知らない。
「事情はいいから、早くなさい!天宮先生がピンチなのよ!」
と、早苗。肩で息をしていた。開かずのドアを開けるために、“力"を使ったのかもしれない。
「おっと、そうだ……行かなきゃ……!」
と、走り出そうとした隼人の手を、早苗は掴んだ。
「どうしたの……?」
と、訊いた少年の華奢な体を、少女は抱きしめた。
「隼人くん……あなたは、死んじゃダメよ。まだまだ、たくさん勉強して、人の役に立つ大人になりなさい……」
隼人の背を、ぽんぽんと軽く叩きながら、早苗は言った。背は、彼女のほうが少し高い。
「なぜ、そんなことを言うのさ?おかしいよ、お別れみたいじゃないか」
隼人は言った。
「そうね、おかしいわね……」
と、早苗は笑った。
「さあ、早く行きなさい。あなたには、やるべきことがあるのよ……」
一階の廊下も電気が消えているため、真っ暗闇の中である。バロンと幽霊は、久美子を追って、ここにやって来た。
「逃げ足だけは早いな……」
建物内に響きわたるような声で、バロンは言った。挑発しているのだろうか。
「だが、限界があるぜ。ここは、建物の中だ」
それも挑発か?無論、この男の言うとおりである。狭い塾内で、移動出来る箇所は限られる。出入口は“封鎖"しているので、外に出ることは不可能だ。
『さがさなきゃ……あの女、ころさなきゃ……』
少女の声で物騒なことを幽霊が言った。隠れる場所などないはずだ。トイレがあるが、外に繋がる窓も“力"で閉ざしてある。そこに居れば、かえって袋のネズミだ。
廊下脇に、従業員用の小さな給湯室がある。人が二、三人ほどしか入れない狭いスペースだ。バロンは、そこの気配を伺うようにした。久美子はいない。
「天井にでも、はりついてやがんのか……?」
彼は笑いながら言った。念のため上を向いてみるが、らしき影はない。建物という有限の空間であるが、人ひとりを探そうとすると、やけに広く感じるものである。
適当な間隔で、廊下に数脚、並んでいる長机は、建物内を有効活用するために置かれた物である。壁にぴったりとくっつけてあり、畳まれていない状態でパイプ椅子の座面が下に押しこまれている。子供たちがここに座り、弁当やジュースを広げている姿は、バーニング・ゼミナールではよく見られる光景だ。バロンは、その下を覗いてみた。そのとき、前方が光った。
『きゃああああああああッ……!』
悲鳴をあげたのは幽霊である。彼女は自分の両肩を抱きかかえるようにして、その場にうずくまった。五メートルほど先の長机の下からあらわれた久美子は、そのまま、御神刀、雷光でバロンに斬りつけた。
だが、その刃が届くことはなかった。バロンは超常能力を発動させたのである。“B型"と呼ばれるそれは“障壁展開能力"。久美子の攻撃は光の壁に阻まれた。
応戦したバロンが右手の大ナイフを逆水平に払った。かわした久美子は、どうにか間合いをとった。
「いい攻め方だったぜ……」
と、バロン。仮面の奥にある目がくらんでいるのか、追撃はなかった。不意討ちを嫌う久美子が、自分の主義を曲げてまで敢行した奇襲だったが、失敗した。狭い空間での一対二の勝負とは、それほどまでに不利なものである。
『ころしてやる……ころしてやる……』
幽霊が言った。その表情は長い髪に隠れ見えないが、怒っていることは事実のようだ。さきほどの光は御神刀、雷光を通して発揮された久美子の“返り魔"の力だったが、“一撃"というわけにはいかなかった。かなり力の強い人外だ。
バロン一人ならば、対処も可能である。だが、幽霊がサポートにまわっている現状、意識を剣戟だけに向けるわけにはいかない。そこが大幅に不利な戦況を作り出していた。
「終わりだぜ、天宮久美子……」
バロンは、両手のナイフを構えた。
『バロン……わたしの力、つかって……』
幽霊が言った。彼女がバロンの肩に触れると、奇妙な現象が始まった。次第にその小さな体が吸い込まれてゆく。
(融合……同化……)
久美子は、そんな言葉を思いついた。バロンの中に幽霊が入り込んだのだ。
「こっちには、こういう“戦法"もあるんだよ」
こちら側に大ナイフを向け、バロンが言った。すると、切っ先の周辺が渦を巻いた。
「ほらよ!」
と言う掛け声一閃。刹那、渦が長尺の水刃となり鞭の如くしなった。久美子は、飛び退いて、なんとかかわす。
「いつまで、もつかな?」
と、バロン。何度もナイフを振り回す。久美子は退がりながら射程距離外に逃れようとするも、しなるので見切りにくい。
数撃目が久美子の胸をかすった。ロングコートの中に着ているブラウスが裂け、中から黒いブラジャーが露出した。
「いいねぇ……色っぽいぜ。いつも、そんなエロい下着で男を誘ってんのかよ?」
バロンは下品な笑い声をたてた。以前、戦ったときに彼が、多重変異型気力者……いわゆる“デュアル"に見えた理由はこれだった。幽霊は他者に取り憑くことで、放水の異能力を“貸す"ことができるようである。
「切り刻んでやるぜ……服を全部剥いて、素ッ裸にしてやる……てめぇみてえな、すました女が恥ずかしがる姿を見たいぜ」
言ってバロンが腕を振り上げた。
(最悪でも、相討ちをとらねば……)
久美子は、そう考えた。死は何度も覚悟してきた。退魔の道を、歩み始めたときから……
彼女は御神刀、雷光を片手正眼の位置に構えた。もう一度、返り魔の力を使う気である。人外に取り憑かれている今のバロンならば、それで一時的に動きを止められるかもしれない。もし、敵が耐えきれたなら、刺し違える気だった。そのとき……
「久美子さん、伏せてッ!」
声がした。反射的に身を低くした久美子の数メートル背後からである。銃を構えた隼人とバロンの目が合った。
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