閻魔公記――六〇日の物語――

サビ抜き

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一章

霧の日(5)

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 海へは、川に沿って行けば三十分程で着く。学校前は広江川、その先は合流する古川こがわと呼ばれる大きな河川に沿って行く。その途中に民家は少なく、数件の古い店舗が並ぶ。
 凛太郎は、何度か通った事のある道を、記憶と照らし合わせ歩いて行く。
 人通り少ない道は、記憶の中と些かの違いもなく、以前のままだった。それは、古い店が、未だに健在しているという事でもあった。
 凛太郎は、営業している近辺の店を訪ね、着物女性について聞いた。最初は少しの抵抗があったが、一度聞いてしまえばすぐに慣れた。
 だが、中々女性についての情報は手に入らなかった。
「……いらっしゃい。何か用かい?」
 凛太郎が羽田商店という店を訪ねると、老齢の女性店主が出迎えた。煙草屋を訪ねる高校生を、女性店主は訝しむ。
「突然すみません。ここら辺で、着物を着た女性を見ませんでしたか?」
「……着物?」
「はい。昔の一般的な着物です。色は薄い紫で、大きな荷物を背負ってました」
「着物に、大きな荷物……」
「はい。見ませんでしたか?」
「……見たよ」
「本当ですか!?」
「あぁ。そっちに……」
 店主は、店の奥の方を指差した。店内からではわかり難かったが、そちらには高台の住宅地へと続く道がある。そちらに行ったという事らしい。
「わかりました。ありがとうございました」
 凛太郎は店主に礼を言うと、急ぎ店を出た。
「――あ、ちょっと……」
 店主が声を掛けようとするが、それよりも先に凛太郎の姿は見えなくなった。
「名前聞いておけば良かったかねぇ?」
 店主は、ポツリと呟く。
「どうかしましたか?」
 その独り言に、店の奥から声が掛かった。
「今、あんたを探してるって人が来たんだよ」
「え? 私をですか?」
 紅音は店主の言葉に、目を丸くして驚いた。
「あぁ。高校生の男の子だったよ」
 『こうこうせい』というものが何かは知らないが、紅音には自分を探す人間に心当たりなどなかった。
 考えられるのは、この地に派遣されている獄卒くらい。だが獄卒がわざわざ紅音を探すというのは、余程の問題が起こった時だけだ。
 もしかしたら地獄で何かあったのかと、紅音の胸中に不安がよぎる。
「知り合いかい?」
「え?」
「男の子さ。誰か知り合いに心当たりはないのかい?」
「いえ……まったく……。この土地に知り合いなんていませんから……」
「そうかい。じゃあもしかして、恋慕かね?」
「え、恋慕って……」
「あんたを追いかけて来たのか、それとも一目惚れでもしたのか。ってことさ。あんたは別嬪べっぴんさんだからね」
「そ、そんな事……」
 顔を真っ赤にする紅音に、店主は愉快そうに笑った。
「男の子なら、多分店の裏の坂道を行ったはずさ。気になるなら追ってみればいい。その男の子が何者なのか、わかるだろうしね」
「……そうですね」
 紅音は大きな荷物を背負うと、深々と店主に頭を下げた。
「休ませて頂いて、本当にありがとうございました。助かりました」
「なぁに気にしないでいいわ。随分と疲れてたみたいだったからね」
 そう言って、店主の女性は皺の深い顔で笑った。
「そうだ。これ、よかったら持って行きな」
 女性店主は、ビニール袋に入れた小さな缶ジュースを紅音に持たせた。
「これは?」
「ジュースだよ。喉乾いたらそれを飲みな」
「ジュース……。えっと、わざわざありがとうございます」
「いいんだよ。何だか、訳ありみたいだしねぇ……」
「え?」
「いや、何でもないさ。こっちの話さ」
「そうですか」
「それより、早く行きな。でないと、男の子がどっか行っちゃうよ?」
「あ、はい」
 紅音はもう一度深くお辞儀をし、羽田商店を後にした。そして店の裏に伸びる坂道を、紅音は上り始める。だがその足は、すぐに止まった。
「あれは……」
 紅音の目に留まったのは、ベンチとテーブルがあるだけの小さな公園だった。
 現代の事情を知らなくても、そこが公共の広場であるという事は、紅音にも何となく理解が出来た。
 紅音は公園に入り、ベンチに遠慮気味に腰を下ろす。それからテーブルに、背負っていた行李こうり――竹で編んだ道具箱――を置き、その中から一枚の朱塗りの手鏡を取り出した。
 朱塗りの手鏡は、現世と黄泉を繋ぐ特別な道具。閻魔庁内にある魔鏡通信所と、交信するための物だ。
 紅音は公園の水道へと手鏡を持って行き、ハンドルを回して水を掛ける。先程の羽田商店で、水道の使い方は学んでいた。
 水に触れると、手鏡の表面に波紋が広がる。疑似的に、彼岸と此岸の間にある水面がそこに生まれた。鏡のこちら側が此岸なら、水面の向こう、つまり鏡の先は彼岸だ。
 紅音が鏡を覗き込むと、紫煙を燻らせる、目つきの鋭い女性が映った。
「あい。閻魔庁ですけど何か?」
 不機嫌そうな声で、彼女は煙を吐き出す。彼女はこちらではなく、どこか別の場所を睨んでいた。
「忙しそうですね、紫帆しほ
「あん? 誰だよ、馴れ馴れしく呼びやがって」
「私です。紅音です」
 紅音が名乗ると、少しの沈黙の後、鏡の向こうで紫帆が慌てて煙を払った。紫帆の色白で細い手が、煙の中をブンブンと音を鳴らし動き回る。
「あ、紅音様!? ど、ど、どうして魔鏡通信を!?」
 紫帆は相手が紅音と知ると、ガラリとその態度を変えた。
 その変わり身の早さに、思わず紅音は苦笑した。
「今は人間道に、新王候補を探しに来ているんですよ」
「あ、紅音様が人間道に? それはまた、御苦労様です!」
「いえ。そんな労ってもらう程の事はしてませんよ」
「そんな、御謙遜を……」
「本当ですよ。今朝人間道に着いてから、ずっと道に迷っているだけですから」
「な、慣れない土地なのですから、仕方ありませんよ。そんな事より、誰か紅音様を補佐する獄卒は、そちらにいないのですか?」
「えぇ。あくまで個人での候補者探しですから、獄卒はいませんよ」
「そうなんですか。でも、それじゃあ大変では?」
「えぇ、少々。でも候補者探しなのですから、私に構うよりも、候補者を探して動いてもらった方が良いですよ」
「あぁー、そうか。確かに……」
「でしょ。――それより紫帆。私が地獄を離れてから、何かあったのではないですか?」
「えっ、どうしてそれを!?」
「やっぱりそうでしたか。実は、人間道で私を探している者がいたので、もしかしたら獄卒の方が、何かを伝えに来たのかと思ったのですよ」
「さすが紅音様。御明察です。実は、地獄から何人かの馬鹿野郎共が、違法出獄しやがったんですよ」
「出獄を!?」
「はい。お蔭で、閻魔庁内は大忙しです」
「そうでしたか……」
「あ、紅音様は気にしないでくださいよ? 馬鹿野郎共はこっちで何とかしますから」
「そういう訳にもいきませんよ。おそらくはその違法出獄は、私の出獄の渡し船を追ったのでしょう。私がもっと注意していれば、そんな事にならなかったはずです」
「そんな事ないですって」
「……紫帆、その出獄者の情報を貰えますか?」
「え、紅音様まさか……」
「私も出獄者を探します」
「何言ってるんですか。紅音様は候補者探しがあるじゃないですか」
「候補者探しもありますが、それよりも出獄者探しは急を要します」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「すぐに出獄者の情報を送ってください」
 紅音の言葉に、紫帆は渋々と頷いた。
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