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腕の中

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「……イレー…ヌ?」

 どうやら私は、彼のすぐ目の前に転移できたようです。

 呼び出したのはアーシュのほうなのに、何をそんなに驚いているの?
 彼は窓辺からこちらを見上げ、私の動きをゆっくりと目で追いかけ……むむ?

(ああっ! また浮かんでるぅ――!)

 足元の遥か下に地面がっ! 私だけまだ外じゃないですか!
 いきなり窓の外に、ぷかぷか浮かぶ神獣が現れれば、それは驚きますよね。
 まずはこの状況を一刻も早く説明しましょう!

『アーシュ! 私飛べるようになりましたっ!』
『……』
『でもまだ姿勢が安定しなくて、気を抜くと落っこちてしまいそう……』

 両腕で重心を取りながら、なんとか直立姿勢を保つように頑張ってみます。
 でも、なかなかコツが掴めません。ぐらぐらしちゃう……。
 
 アーシュの方に近寄りたくても、前に進む方法も分からないし、そもそも、地面への降り方を父様から聞き忘れてしまいました。
 左手に握ったラゴの種を、緊張で握り潰してしまいそう……私の朝ご飯がっ!

『……イレーヌ。こちらに手を伸ばせますか?』

 アーシュが窓枠から身を乗り出し、こちらに右手を差し伸べてきました。
 考えに気を取られている間に、風に流されたのか、先程よりもアーシュが少し小さく感じます。
 彼の表情も声も硬く強張り、射すくめるような真剣な眼差しでこちらを見上げています。そういえば、戻ってからまだ一度もアーシュの笑顔を見ていません。

 ……ここから黙って出たことを、怒っているのでしょうか?
 部屋に戻ったら叱られてしまうのかな? アーシュに怒られるのは悲しいです。
 右手を伸ばすのに、躊躇していると……。

『……イレーヌッ! どうかお願いです。そこは危険ですから、まずは部屋に入りましょう。さあ手を……っ!』

 酷く切迫した様子で、アーシュが語気を強めてきました。
 怒っているというよりも、心配してくれている?

 私はおずおずと、アーシュの方へ右手を伸ばしました。
 彼も窓枠から更に身を乗り出すようにして、右手を伸ばしてくれていますが、私が空中でグラついているせいで、指先が触れそうでなかなか届きません。

 ……あともう少しなのに。
 身体がうまく制御できず、迷惑をかけている自分が情けないです。

 いっそ重心をわざと崩して、落ちた方が早いのかも……。
 そうです。私は頑丈だと父様が言っていました。少しくらいの怪我なら……。

 手を伸ばすのをやめ、地面のほうへ気を取られていると、

『……イレーヌ』
『……』
『……イレーヌ、おいで』

 励ますように、アーシュが初めて、柔らかな笑顔を向けてくれました。
 見慣れた優しい表情に、自然とこちらにも笑みが浮かびます。心が楽になり、吸い寄せられるようにして前へ……進めたっ!

 もう一度右手を伸ばせば、手首がぐいっと強く握られ、

『――ッ!』

 気づいた時には、アーシュを下敷きにして床に転がっていました。
 私を引っぱった勢いで、彼も後ろへ倒れてしまったようです。

『アーシュ! 大丈夫ですか!』
『大丈夫です。イレーヌこそ怪我は? 痛いところは?』
『私は平気です』
『そうですか。……よかった』

 フウウーと、アーシュは大きく息を吐きだしました。
 逞しい胸が、私の顔をのせたまま深く沈み込みます。

『……あなたはまるで小鳥のようだ。羽根のように軽くて、目を離した隙に窓から逃げてしまう』
『ごめんなさい』

 耳に伝わる心拍数と、抱きしめてくる腕の強さが、彼の心配のほどを如実に現していて、申し訳なさでいっぱいになります。本当にごめんなさい。

『……あの……アーシュ。……こんなときになんですが……人間さんの言葉で【ごめんなさい】を教えてください。たぶんこの先、たくさん使うような気がします。いますぐに覚えたいです』
『……ふふっ。そうですね。良い機会なので覚えましょうか。ログーザ語では「ごめんなさい」と発音します。また一文字ずつ真似してみてください』


「ご」
「ご」

「め」
「め」

「ん」
「ん」

「な」
「にゃ?」

「さ」
「ちゃ」

「い」
「い」

「ごめんなさい」
「ごめんにゃ、ちゃい?」


『……完璧ですよ』

 クックックッ……と、細かな笑いの振動が肌に直接伝わってきました。
 なぜそんなに笑っているの?


「……あーちゅ。ごめんにゃ、ちゃい」
「……」

 まずは一番に伝えたい相手に、試してみることにしました。

 褒めるように、優しく何度も頭を撫でられたので……
 ちゃんと言えたようです。
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