古慕麗離子

小目出鯛太郎

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零章 冬の庭

冬の庭3

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 歪み一つない硝子窓の外では風と雪が渦巻いている。
 風に乗る雪の勢いが強すぎて殴り合いをしているように見えた。

 風に色はないから白いのは雪の色で、黒いのは夜空の色で一つ一つを見れば美しいのに混ざり合ってしまうとなんて恐ろしいんだろうとこがらしは思った。

 空にいるのに星が見えない。星を探しているわけではないが、もの寂しい気持ちになる。


 星より眩い千耀燈しゃんでりあが天井からいくつも釣り下がっているが凩の気分は一行に晴れなかった。

 勝手に不融ふゆの屋敷に遊びに来てしまったから、束風たばかぜは怒ったのかもしれない。怒って迎えに来てくれないのかもしれない。あれだけ一人で会ってはいけないし、屋敷に遊びに行ってはいけないと言われていたのに、しかも途中まではその言いつけを覚えていたのに、途中からすっかり忘れて今、凩は不融の屋敷の中にいる。


 目の前には煮苺ゔぁれにえを添えた酪焼すぃるにきや白砂糖を散らした林檎糕しゃるろーとかが綺麗に切り分けられ、不融が言っていた果実飴や真珠麿も綺麗な皿に盛られていた。

 
 こんなに良くしてもらっているのに、帰りたい気持ちになり凩は申しわけなくなる。

「あのねぇ…おれ食べたらまた眠くなっちゃうから食べずに帰るよ」

 本当はどれもみな皿を舐めるまで食べたいけれど、このまま束風がいつ迎えに来るか来ないかと落ち着つかない気持ちでいるよりは、屋敷を出て帰った方が良い気がしてきたのだ。


「ねぇ凩、外を見てごらん。こんな酷い様子の時に帰ったら、海に落ちてわたしでも海の泡になってしまうよ」


 白い外套からゆったりとした白い部屋着に着替えた不融は、こちらまで香りが漂いそうな火酒を片手に椅子で寛いでいた。


 
 火酒の器を傍らに置くと、窓硝子に張り付いていた凩の身体を抱き上げ寝椅子に戻る。

「おれこの座り方やだよ」

 不融の身体を跨ぐように座らされ、凩は唇を尖らせた。この座り方ではどうしても着物の前がはだけてしまう。

「わたしはこの座り方は大好きだけどね、ほらこんなに近い」
 凩の身体を抱き寄せ胸に寄せると凩の黒髪に鼻先を埋めた。

「わたしの屋敷にいても菓子がたくさんあっても、凩の頭のなかはよそごとでいっぱいだねぇ」


「そうだよ、よそごとでいっぱいだよ」
 不融の胸に顔をよせたまま凩は開き直った。 


「よそごとでいっぱいだけど、なんかどんどん忘れっぽくなっていってるみたいなんだよ。薬箪笥みたいなたくさんの引き出しにいっぱいに色々覚えてたんだけど…何を何処にしまったかわかんなくなってくるし。引き出しがいくつあるかもわかんなくなってきてるみたいなんだよ」


 そうかそうかと、不融は愛玩する犬でも撫でるようにわしゃわしゃと凩の髪を乱すように撫でる。

「今日だってさぁ、ここに来ちゃいけないって言われてたの覚えてたのに、来ちゃったし…。引き出しを開けて中身を出したのに、開けっ放しにしてしめる場所が見つからない感じだよ。収まりが悪いよ」

「そうだな、お菓子につられて来てしまったものな」

 凩はぱっと顔を上げた。

「お菓子につられてじゃないよ!不融がひとりで帰るのが寂しいって言ったから送りに来たんだよ」

「はははちゃんと覚えているではないか」
 不融は笑いながら凩の髪をなで続けた。


 忘れるなどというようなことは誰にでもあるのだ。現に私もこの屋敷の主人ではあるが幾つ部屋があるかも何処に何を置いたのかもわからなくなって、皇帝つぁーりの壺や宝飾品もどこにしまったのか隠したのか忘れて、使いの者が右往左往しているのをよく目にするよ。だから気に病むことはない、忘れても気にすることはない、と聞かせながら不融はくすぐるように下から凩の身体を揺らした。

「でもさぁ、おれ、思うんだよ。顔を忘れちゃったらどうしようって。次に会った時に顔が分からなくて相手の事を忘れちゃったらどうしようって最近すごく不安になるんだよ」

 凩の面を見て、雪に覆われた大地で道に迷ったらこのような顔になるな、と不融は思った。不安と恐れ、進めば良いのかそこで座って待てば良いのかどうすれば良いのか分からぬ迷い。誰かに手を引いて欲しいという言えない甘え。ああもっと、喰うた菓子のようにべたべたと甘えれば良いのにと不融は思った。


「わたしの顔を覚えていたではないか」

 氷雨の顔も、わたしの国の言葉もお前は覚えていたではないか、何がそんなに不安なのだ、何がそんなにお前を不安にさせるのだ。ああ、と不融は嘆息する。凩は此処にある全てを忘れても本当は一向に気にしないのだ。大きな屋敷も価値ある宝石も彼に菓子を作る手も意地悪な子も全て忘れてしまってもこの子はきっと何一つ変わらない。

 
 あっけらかんとお前誰だ?お前の金髪いいなぁ、きらきらした木漏れ日みたいだなぁ。いいなぁと初めて会った時のように言うだろう。


 凩の小さな頭の中は別のあやかしの事で占められている。


「ああぁ、本当にしょうがない奴め。お前が忘れてもわたしが覚えているし、お前の大事な束風たばかぜがお前を忘れるはずがないよ。ああ、でもお前がこのまま忘れてしまったらそのままうちの子にしてしまおうかなぁ。戻ってもこの冬泊まる家も決まってないのだろう?それとも束風の屋敷に呼ばれているのかな?」

 不融の言葉に凩は項垂れた。

「束風の事だから、それは素晴らしいお屋敷だろうねぇ。四方八方を見渡せる天守閣を持った城郭御殿かな。それとも朱塗の神殿に五重の塔かな?向拝柱こうはいばしらにそれは壮麗な竜の彫刻がされているんだってねぇ。竜も良いけれど、四季の花々を彫った欄間らんまというものもあるのだろう?良いものが有れば欲しいと思っているけれど、なかなか目にする機会がなくてねぇ。凩は見に行けて良いねぇ、羨ましいよ」


 凩はますます項垂れ、頭のてっぺんを不融の胸にぐいぐいと押しつけた。


「行ったことないもん、知らない」

 束風の屋敷、そこに呼ばれたことは一度もない。何処にあるのかも知らない。すごく昔に行ってみたいなぁと言って、けんもほろろに断られてからは言い出した事がない。


「何、凩は束風の屋敷に行った事がないのか。お前達は親しい仲だと思っていたが、屋敷に呼ばれぬならそれほどでもなかったのか、ははは、そうかそうか」

 不融は凩に見えぬ事を良いことににやにやと笑った。不融は知っていてわざと言う。

「凩は山神の屋敷にも呼ばれないのかい?不ニふじ喜多きたの山神の所へ束風と遊びには行かないのかい?」


 凩は黙って不融の胸に頭をぶつけ始めた。


 束風が山神の所へ凩を連れて行くはずがなかった。不融はその理由をよく知っている。激しくまぐわい山に夏のための水をもたらす白い衣を着せるのが冬の風の務めだ。そんな場所にひ弱な凩を連れて行けるはずがない。連れて行けば一晩どころか僅かの時間で舐め回されしゃぶり尽くされ喰われてしまうだろう。
 束風は恐らく勤めの内容さえ凩には語っていないだろう。力が弱いために一人では山に登れぬ凩は、山裾やますそで寂しく待っているより他ない。大樹の影や、御堂の下や、廃屋の軒下で灰色の重い空を見上げて、早く雪が積もらないかとこがれているのだろう。

 今日のように、現れたのが不融でなく束風で有ればあの夏の向日葵のような笑顔は萎まなかったのだろう…。そう思うと、冬の冷たい風のくせに、夏の花の笑顔を隠しているとは、小憎らしい奴め、と不融は凩をいじめたくなるのだ。何もかも知っていながらねちねちといじめたくなるのだ。


「そういえば束風とは山神の屋敷で会う時もあるけれど、凩の姿は見た事がなかったねぇ。二人で遠乗りしたり物見遊山に行ったりしないのかい?」


「…だっておれ、そんなやつらしらないし、束風はいつもお勤めで忙しいからおれと遊ぶ暇なんてないんだ」


 凩がふーふーと怒った猫のように息を荒くして頭をぶつけてくるので不融は痛い痛いと胸を押さえた。

「ああ、痛い。凩が乱暴だからひびがはいってしまった。このまま割れてしまってはわたしは死んでしまうかもしれないな…」

「うそつけ」

 嘘なものか、と不融は白い部屋着の胸を少しはだけた。厚みのある胸の下割れ目が続いているのが凩にも見えた。

「…うそだ、そんなはずない」
「凩があんなに乱暴に頭をぶつけるからわたしの身体には下まですっかり罅が入って割れてしまった。ほら、お前の身体と比べたら一目瞭然だ」
  
 不融の手が、凩の帯の下の着物の襟先を引き抜くように押し広げる。小さなへその窪みがあるだけで罅も皺も割れ目もないなめらかな肌があるだけだ。

「…わたしの腹も凩のようだったのに、乱暴にぶつけられて醜く罅割れてしまったな。腹が割れては寿命も縮んだかもしれないなぁ…。あぁ、凩が尻と腿で押し潰すから別の場所もひどく腫れてきたようだ…痛い痛い…」

 不融はわざとらしく痛がりながら、凩の身体に腰を強く擦り付けた。跨って座る凩の尻と足の間にぐりぐりと何かが当たる。誤って太い薪か孟宗竹もうそうちくの上に座ったような感触だ。凩が慌てて腰を浮かすと不融の男印が勢いよくぶるんと跳ねた。


 凩の目が一瞬そこに釘付けとなった。凩のものとはまるで違う。

「凩が壊したのだから、もとのようになおしてくれるね?」
「これはちがう!」

 ちがう、ちがわないと言う間に凩の帯はするりと解かれ、もとよりはだけていた着物は腕を通しただけの姿になり、裸で不融の身体の上に跨っていた。
 
 不融の片腕一本で身体を引き寄せられ、寝椅子の絶妙な角度で身体を起こせなくなった。戸惑い焦る凩の身体を愛撫し、凩の男印にするりと指を絡ませる。

「あっ…あぁぁ」

 凩は逃げようとした。一応逃げようという意思はあったのだ。
 だが不融に男印おのこのしるしを包まれて優しくしごかれると、身体中の糸を操られ、ぴんと張られたようになり、次いで切られたように力が入らなくなった。


 力の入らぬ腕で体を支え、身を捩って文句を言おうとする。不融の唇が近づき、凩の舌が捕らえられ、言葉が奪われる。力の弱いものは強いものに逆らえない。

「さぁここに唇をつけて」
 不融の硬い骨の感触が残る冷たい鎖骨に唇をつける。
「ゆっくり丁寧に舐めるんだ」

 不融に命じられるままに、凩は鎖骨に沿ってゆるゆると舌を滑らせる。


 心の中では、ここには罅は入っていないじゃないかと思いながら、鎖骨の端まで辿り着く。褒美だと言わんばかりに男印を握られ、連なる柔らかな袋の付け根を指で執拗に弄られるとすぐに何も考えられなくなった。

 鎖骨の次は首筋に触れる事を命じられ、噛む事を許された。凩は噛むつもりなど毛頭なかったのだが、男印を執拗にいじられ、焦らされ、我慢に我慢を重ねたが、とうとう反撃せずにはいられなくなった。凩に首筋を噛まれて、不融がうっと声を漏らす。

 不融の目に痛みは欠片もなく、笑っていた。

 悪戯な指がすぐさま凩の印を捕らえて仕返しをする。凩の反撃などほとんど意味がなく鎖骨と首筋に、薄赤い跡を二つ三つ残すことしか出来なかった。

 茹でられ過ぎた菠薐草ほうれんそうのようにぐったりと、不融の上に突っ伏し凩は喘いだ。

 扉が開いたことも気がつかなかった。


 
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