熔鉄

小目出鯛太郎

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 俺はこんなに心の狭い奴だっただろうかと、鉄は実の笑顔から一度目をそらした。

 
 ミノルが微笑みかけていたのは、鉄ではなくて菓子屋の若い男性店員にだった。


 くそ、ケーキ屋の癖になんだよその髪色は、と鉄は心の中で毒づく。
 髪型や髪色で料理の味や腕が決まるわけではないと分かっているが、帽子の下から見える白髪ウルフカットに水色のメッシュは人目を惹いた。
 
 なんだこいつ。食べ物を扱っているんだから髪はしっかり隠しておけ。俺の実にへろへろすんな、とまたしても鉄は心の中で悪態をつくが台詞の全てを口に出すほど鉄も子供ではなかった。

 ガラスのショーケースを前に仏頂面で立つ鉄の姿は宝飾店で強盗する悪人さながらだ。上背もあり横幅もある。通りから覗く人の目からショーケースを隠す衝立のようでもあった。しかしこの場にそれを指摘する者はいない。




「あの、これクリームの配合ちょっと変えてみて甘さを抑えて前より食感を軽くしてみたんす。ほら、あのカスタードクリーム苦手って前に言ってたっしょ?一個おまけしておくんで次の時にでもどうだったか教えてもらえたら…」

 
 実に話しかける年若い菓子職人パティシエは鉄の姿などまるで目に入っておらず、照れくさそうに銀色のトングで菓子を摘んでいる。


「え?あ、うん…あー」

 ミノルが非常に曖昧な返事を返す。



 鉄は知っている。
 実はカスタードではなく生クリーム派だ。しかも生クリームに対して好き嫌いがある。

 甘いケーキのクリームの味などどれも同じだと考えていた鉄はそれからコンビニでケーキを買っていない。
 毎日食べるものではないからこそ、本当に美味しくて喜んでもらえる物を実に食べて欲しかったのだ。




 一緒に暮らし始めたものの、鉄の仕事は二十四時間昼夜関係なく死人が出れば何時でも駆けつける葬儀屋だ。鉄は月曜休みで働いているが社の中では若い、独身、体力があると連勤になりがちだった。
 その分給与には反映されていたが、実と暮らしはじめてから鉄はなるべく休みは取るようにしていた。


 実はというと亡くなった教授の秘書の他にフリーランスの翻訳業を仕事にしていたらしい。
 お互いの生活時間帯はまちまちで、二人共朝出社して夜帰るという形ではないが、仕事で離れている時間が長いと帰った時にべったりした。


 部屋から出ずに巣ごもり状態…というやつである。


 あまり外出したがらない実が珍しく食べたい物があると平日の朝向かった場所が菓子処絹屋だった。
 ビルの裏手の一階にひっそりとあって、しかもショーケースにはあまり物がない。
 下段には贈答用なのかいかにも女性が好きそうなモダンなデザインの菓子缶がいくつか並んでいた。



『本日販売分はございません。ご予約をお願い致します。』
 丁寧な字で書かれた張り紙がしてあり、贈答品で繁盛している店なのかもしれないと鉄は思った。


 そんな場所にこの若者である。外見で人を差別しては行けないと思いながら十代か二十代前半の若い男が目をハートマークにして実を見つめていると良い気がしないのである。


 心の片隅に可愛くてすてきな恋人を見せびらかしたいような気持ちもあるが鉄の性格上それはとても難しかった。


「…そのおまけとやら箱に入れずにここに出してくれ」

「え?」

 実と店員の声が調和はもったが鉄は気にしないことにした。


 店員がとまどった顔のまま木製のプレートに菓子を乗せた。


 鉄は菓子を摘んだ。



 横合いから視線を感じた。
 珍しく実が物欲しそうな顔をしていた。ほんの少しだけ唇が突き出している。鉄は実にベッドでこういう顔をされたら野獣になる自信があった。


 しかし残念ながらここは菓子屋である。

 あーんと言って実に一口齧らせた。残りの菓子を自分の口に押し込む。
 
 シュークリームのような皮はさっくりとして二層になっている上のクリームはしゅわりと軽く、下のクリームは野暮ったいほどもったりしていた。
 しかし噛んで飲み込むとそのもったりとしたクリームのおかげで小さいながら菓子を食べたと云う満足感が湧き上がる。
 最後にほんのりと洋酒が香る。


「あ、うまいなこれ」
 素直に美味いと言ってしまった。


「え。鉄が美味しいとか珍しい…。じゃニ個追加できますか?」



 菓子を白い箱に入れてもらい支払いを済ませ、福笑いのような複雑な表情をした店員に礼を言って二人は店を出た。



「…もう、人前であんなことして」
 そう言った実の薄桃色の唇はちょんと尖っていた。


「あそこ、時々行くから恥ずかしいよ」
 

 鉄は今この場所が明るい日中ではなくて人気のない暗い月夜なら良いのにと思った。そうすれば誰の目をはばかることも無く腕組みをして、尖った実の唇にキスできたのに。


「実が恥ずかしくて行けないなら、俺が行くし。俺は菓子は焼けないけど、今ヤキモチ焼いてんの…」
 鉄は素早く顔を寄せて囁いた。


「え?どうしてやきもちなんか…」


 ほら、と鉄は思った。
 実は自分がどんな顔して笑っているか分かっていないのだ。
 実にはいつも笑顔でいて欲しいけれど、その顔は自分の方を向いていてもらいたいのだ。


「早く帰って食べたい」

 鉄の声に実がふふと無邪気な笑いを見せる。


「気に入った?」
「…実を」


「…もう!鉄ったら…」
 実の肘が鉄の横腹に当たる。



「ううん、肘じゃないのを当ててくれよ」

 直ぐに赤くなる実の耳たぶをつついて鉄は笑った。

 軽口をたたきながら歩く二人の頭上に降り注ぐ陽はやわらかく、鉄はこんな日が明日も明後日も続けば良いなと思ったのだった。

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