こがらしはしぬことにした

小目出鯛太郎

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砂の国

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 声が聞こえた途端、男は両腕を構えた。

 それは慣れた剣術の構えではなかった。手に剣は無く、黒い鋏の籠手がんとれっとが両腕にある。
 肩から指先まで隙間なく甲羅がひとつなぎとなり指を動かすと鋏が小刻みに揺れる。

 もうそれは人の手ではなかった。


 化物ばけものになってしまった。

 この黒い鋏の腕は、男と最後まで戦った黒蠍の物ではないのか。蠍に取り込まれたのか、蠍を取り込んだのか男の身体は本当に人では無いものになってしまった。最後の一人になれば此処を出られると信じて戦ってきたのに…。


 男は油断なく腕を構えたまま、横たわる白い化物を睨み見る。首を切断したにもかかわらずしぶとく生きている。
 寝た振りなどして次は何をするつもりだと警戒したが肩透かしを喰らった。


 本当に寝ている。


 再度土塊つちくれをぶつけても何の反応も無い。足を束縛する鎖のせいで届かないが、アレを殺さねば此処から出られないのかもしれない。殺してやる、必ず殺して此処を出てやる。そうでなければ今までの全てに意味が無くなってしまう。屠ったものにさえ申し訳がたたぬ。


 兜の下の焼けた髪の上を、黒い鎧の下のただれた肌の上を、引き攣る瞼と乾いた眼球の上を何かがゆっくりと這い動く気配がした。

 ここで死んだものが一斉に同じ方を向き、裂け千切れ崩れた姿で、折れ砕けた爪が土に刺さる音まで聞こえそうな死出の行進。男には何も見えなかったがその異様な雰囲気に男は呑まれた。吐き気がする。実際嘔吐えずいたが胃には何もなく、男の口からは嗚咽以外何も溢れない。

 
 あの白い化物は一体何をしたのだ。


 男には糸が見えない。

 細い糸を頼りにここから出ようとする死んだもの達の行列が見えない。

 迫り上がってくる吐き気と怖気に男は鋏を振り回そうとした。

「やめてくれ、もう切らないでくれ。死んだ虫や獣は此処から出て帰りたいだけなんだ」

 
 凩はごろんと転がった。正直まだ起きたくは無い。誰かが引き起こしてくれないと座ることさえ難しいぐらいにだるい。

「皆母や妻や子のもとへ帰りたいんだ。巣や故郷に戻りたいんだ。帰る場所が分からぬものも、此処から、出て行きたいんだ。もう、殺さなくてもいいだろう?」

 化物のくせにこいつは何を言っているのだと自分でも怒りのまま振り上げた腕を男は振るえずにいた。赤い血の替わりに憤怒ふんぬが身体を駆け巡る。だがそれを追うように悲哀と絶望が覆い尽くした。人であった自分よりも目の前の化物の方が、よほど心ある人間のような言葉を話している。


 この細い首を切り、澄んだ眼をえぐり出し、良く回る舌を刈り取る。開いた胸から血と臓腑をすすり、皮を剥いで着込み、温かい心臓を俺の胸に据えれば俺は真っ当な人間に戻れるはずだ。荒唐無稽な考えに支配され、男は震える腕を横たわる白い化物に向かってゆっくりと降ろす。

 待つ人も帰る場所もないのに。何のために俺がここにいると思うのだ、ただ俺を活かそうとして死んだ奴のために、生き残るために屠った無辜むこの命のために、俺は最後の勝ち残る一人にならねば…

 化物の心も僅かに残る人の心も己の行動を正当化しようとしていた。
 蠍の鋏の刃が硬い土を噛む。その黒い腕に白いほっそりとした腕が、伸びた。

「お前が何度切っても、おれは形をとりもどすぞ。いいからすこしじっとしていてくれ」

 優しい声だった。

 糸は決して切れないから、離さずにいけ、争わずにいけ、目の見えぬものの手を引いてやれ、足の無いものをおぶってやれ、背負われたくないものは、這えるなら這っていけ、焦らずゆっくりといけ、脚を引っ張られたのか、その脚は頼りがいがありそうな真に良い脚だ、少しばかりつかまらせてやれ、そして一緒にいけ、喧嘩をせずに仲良くいけ、切った張ったは終わったのだ、動けぬものはおれがくるんでやるからもうすこしまて、糸は決して切れないからそのまま登って明るいところへいくのだ


 ひとつ、またひとつこの汚らわしい場所から去って逝く。

 男には何も見えなかったが、黙ってこうべを垂れて白い化物の声を聞いていた。
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