こがらしはしぬことにした

小目出鯛太郎

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業の国

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 こがらしはぴしゃぴしゃと顔を叩き、もう一度聞こえていない少年に詫びてから質素な部屋の窓へと近づいた。
簡素な木枠の外には街らしきものが広がっているが、凩の目がおかしいのか、ガラスが歪んでいるのか、外の景色はぐにゃぐにゃと下手な絵のように歪んでいた。

 異国であるので何処の街かもわからない。
 ガラスに鼻先が着くまでくっついてみたが、やはりわからず凩はくるりとひっくり返った。

 ぬ?

 凩は身動きをやめた。少年と目が合ったような気がしたのだ。

 いや、そんなはずはないよな、気のせいだよなと、そろりそろりと扉の方へと動くと、少年の視線が追ってくる。


「何か、いるだろう?…本当に僕が呼んだ悪魔か?」

『俺は悪魔じゃないよ、風のあやかしだよ』

 答えてみるが、聞こえているようには見えなかった。
 凩はもう一度寝台の上に登ると、涙の跡の残る少年の頬にふぅっと息を吹きかけた。


陽炎かげろうみたいに揺らいでいるよ。やっぱり何かいるんだね?」
 少年が差し伸べた手に、凩は指を乗せてみた。掴まれるが、すり抜ける。

 今度は少年が息を吹きかけ、陽炎のような影を揺るがす。少年の青とも茶色ともつかぬ不思議な色の瞳に雷のように何かが走った。
 凩の身体は、少年の一節の歌声で押されて揺れた。


 あ、この子の声は、そよ風で、薔薇で、舞い散る羽で、頭上に一振りの剣を一本の髪で吊るしたように胸を高鳴らせ、雷のように打ちのめす声だと瞬時に悟った。
 あの暗闇の中で聞いた少年の高い声に、間違いなかった。


 この声のために、僕は僕でなくなってしまった。悲しみに満ちた話声と、歌声はまるで違う。凩の身体は磁石のように引き寄せられ、少年の周りを漂った。
 
 孤児だった少年が教会で死者のために弔いの歌を歌い、その声が見出され、賛美され、劇場に立ち、王の観心を買い引き立てられる。貧しい少年の御伽噺のような立身出世の物語の直中に、凩は顔を突っ込んだようだった。

 ただその出世も少年が望んだものではなく、あらがうことも出来ずに、男の印おのこのしるしをもがれ打ちひしがれている。


 少年の境遇に同情しながら、なぜここに来てしまったのか、凩はわからなかった。


 王の顔を見るまでは。


 王の顔。


 赤銅というよりは燃えるように赤い髪、彫りが深く眼は猛禽のように鋭い威圧感を漂わせる。皮肉気に歪んだ唇だけが、凩の中にある印象を裏切っていた。


 熱波しむん



 似ているだけなのか。この地のあやかしは皆似ていた。人もそうなのか、凩には判断がつかなかった。
 
 熱波しむんが命じて、少年はあんな身体にされてしまったのか?凩はひどく動揺した。




 今凩の前では王のための劇が行われ、劇の内容は凩にはあまり理解できなかったが、醜い悪魔が王によって倒されるようだった。強欲や、色欲と名付けられた悪魔に扮する歌手が歌う。
 どの声も、少年のあの声には遠く及ばない。


 少年は白い翼のような衣装をつけて、舞台のもっとも高い場所の隠しに伏せていた。

 凩には見えた。少年の拳が固く握られているのも見えた。

 七匹の悪魔が現れ、少年が高みに登場し、重唱で悪魔と競い合う。声量、声のきれ、その深み、凩には歌の事はわからなかったが、聴けばそれは誰が聴いても圧倒的な少年の歌声の勝利だった。


 七匹の悪魔を打ち倒した少年の頭上から、花びらがばら撒かれる。
 
 花びらを撒き散らす男の手から花びらを奪い取って、凩も遠くへ飛ばす手伝いをした。


 すごい、この子の歌はすごい。



 観客席に座っている貴族の少女や奥方らしき人々が、胸を押さえて打ち震えるのがわかる気がした。

 だが壇上に立つ少年の顔を覗くと、その顔…その眼がまだ悪魔を倒してはいないと怒りに燃えているのが見て取れた。
 
 少年の紅潮する頬に凩は冷たい息を吹きかける。
 好意でなく、怒りでも頬は赤く染まる。


 王の役に扮さねばならなかった少年の心を思うと、凩は苦い思いでいっぱいになった。
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