53 / 79
業の国
52
しおりを挟むクルスの暗い顔つきを見て凩は不安になった。ああ言っていたし本当は凄く喉の調子が悪いのではなかろうか?喉を冷やすと良くないので、凩は出来るだけ離れてクルスを見ていた。
あれだけの舞台をやり遂げ、たくさんの寄付を集め、エイダを主役とした演劇の構成を座長らと話し合い、踊りもほぼ変わらない。歌がエイダの持ち歌に変わるだけで奏者も大丈夫だと太鼓判を押す。その後半の大胆な構成と幸せな終わりに皆乗り気になった。
歩くクルスの顔は一寸先も見えない道を行くようだ。疲れているにしても鬱々として墓場の中を歩くような目になっていた。少年が珍しく劇場の裏から馬車に乗り、アディムの家の行き先を告げた時、凩は安堵した。帰れる場所があるのなら、そこに行くべきだと。
馬の低いいななきと共に馬車が止まり揺れる馬車から降りて、クルスは控えめに扉を叩いた。
訪問するにはあまりにも遅すぎる時間である。家の主が寝ていてもおかしくは無い。
クルスは渡された鍵を取り出し、暫し思案し、扉を見つめて暗い足元を見つめて項垂れた。
「…寝ているのを邪魔しては悪いものね…」
とその場を離れニ、三歩歩いた時だった。
どどどどと闘牛が駆けるより重い音が家の中からした。ずばん、と扉が開く。元の場所に立っていれば扉にはね飛ばされたかもしれなかった。
「ぼっちゃん!?」
明かりも無いのにその場に灯が灯ったように凩には見えた。
喜色満面とはこの事で、たたずむクルスの姿を捉えたアディムの心からの喜びの笑顔がその場を照らし出すようだった。
「さぁ、入って入って、おつかれだったでしょうに。うちに来てくれるなんて…食事にされますかい?それともお風呂ですかいねぇ?」
少年の両腕は重りをぶら下げた様に酷く震えていた。その震える腕が躊躇いながらアディムの胴に回される。
「…ただいま」
「…クルス、クルス…よく来て、よく帰って来てくれたねぇ…さ、さ、うちへ入ろう」
そう言って少年の身体をぎゅぅと抱きしめたアディムは、クルスの顔に千も接吻の雨を降らせたい様な顔をしていた。
人の顔つきというものはこんなにも変わるのかと、凩が驚く程だった。
初めて会った時にいやらしい舐め回す様な目で見ていた男と同一人物だとは到底思えぬ表情だった。
クルスはアディムの家に入ると、一つの包みを出した。
「アディム、今日は来てくれてありがとう。でもねこんな高価な物を入れちゃ駄目だよ。家が買えちまうって、座長が目を回してこれは返してきなさいって」
包みの中に入っていたのは、たくさん宝石のついた飾り帯だった。アディムが箱の中に入れた物だった。
「え!?ぼっちゃん。それは本当にあたしの気持ちで…」
「来てくれただけでも嬉しいのに、貰いすぎだよ。アディム本当にありがとう」
抱きつかれたアディムの方が初心な少年の様に顔を赤らめた。
たっぷりと湯を使わせて身体と顔を洗い、柔らかい寝巻きで包まれ、アディムに甲斐甲斐しく世話を焼かれてクルスは寝台に横になった。
そのまま身体が沈んでいきそうに疲れていた。
「…ねぇ、アディム。今日、どうだった?」
「…素晴らしすぎてね、席に座ってから劇場を出るまで一生忘れられないですよ。ぼっちゃんがねぇ、あんなにすごい歌い手だとは…さぁ、今日はもう寝ましょうや。ゆっくり休んでまた明日お話ししましょうねぇ」
アディムの中に欲望が無い訳ではなかった。話したい気持ちもある。だが疲れ切って瞼が落ちそうになっているクルスに無体を働くほど今は獣にはなれなかった。
「…アディム、横に来て、隣にいてよ…」
その声は雷に怯える小さな子供の様だった。
アディムは寝台に上がり、そっとクルスの身体の脇に寄り添い少年が眠るまで宥める様に髪を撫で続けた。
それはとても、静かな夜だった。
10
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる