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業の国
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しおりを挟む凩は樵の男が言った言葉を思い返した。
『本当はもっと良い家の子で、何の苦労もせずに生まれる予定だったのに、神様の元にいた貴方は順番を待ちきれずに今のその身体が良いと言ってその身体で無くては嫌だと言って飛び込んだのです。その身体に入るべき魂を押しのけて、どんな苦労も辛い事も厭いません、その身体が良いのですっと言って』
この無力な風のあやかしの身体でなければいけない理由。神に会ったこともないし生まれた理由も分からないけれど、この身体にしがみついていた理由は…束風と一緒にいたかったからだ。
指の先が消えるような事がなければ、もしかしたらずっと、もっとずっと長く甘えて、束風が噛んだ指を吸って力を分けてもらっていただろうと思う。
力の無いものはみんな順に消えていったのに、俺だけ蚤のようにしがみついていた。血を吸う蚤そのものだ。
いやいや、と凩は頭を降ってその考えを追い払った。あの樵の男がたまたま気にかかるような物言いをしただけで、この世の真理を言い当てた訳ではないのだ。
クルスから離れられないまま、凩の身体は凧のように引っ張られる。
クルスが疲れた顔でまた汁物の入った壺を受け取った。今度はあの騎士の所へ運ぶつもりなのだろう。
しかしクルスは結局騎士の所へはたどり着けなかった。あの騎士のいる場所へは簡単に行けない事がクルスの頭からすっかり抜け落ちていたのだ。あまりにも色々な事があり過ぎて。
あの時はアディムもクルスも誰かわからぬように女装して、しかもアディムがたくさん付け届けをして『落とされ騎士』と話せるように手配をしてくれたのだった。
しかし下働きのような者が食事を届けることさえ許されないのだろうか。
あの騎士のいる牢はそんなに特別な場所なのだろうか。
「闘技場の奴隷にも、牢にいる虜囚にも食事をお届けしているのですが」
クルスが立っている警備の者に声をかける。
前はそんな警備の者がいる事にさえクルスは気がついていなかった。きっと騎士のことしか考えていなくてあの時は目に入らなかったのだろう。
「この先は決まった者しか入れない。食事や差し入れは一切受け取れないよ」
クルスの差し出した壺は、警備の者にすげなく押し返されてしまった。
「これは、教会のもの達と作ったので決して怪しいものではないのですが…」
「誰が作っても同じことだよ。誰に言われて届けに来たか知らないが、この先は貴人の収監されている牢だよ。闘技場の他の奴隷達とは違う。毒殺でもされちゃぁかなわないからな。さ、それは受け取れないからお帰り。お前にそれを渡した主人にそう伝えなさい」
クルスは男の言葉に混乱した。
騎士の生まれならば、貴族であるかもしれないと云う事は、クルスでも理解できた。しかし、その後に続く言葉が全く理解できなかった。
毒殺。
クルスの頭の片隅にも思い浮かばなかった言葉だった。何故、誰がそんな事を考えると言うのか?
「毒殺だなんてそんな恐ろしい事は決して!毒なんて入っていません!!」
クルスの青褪めた真剣な顔を見て、警備をしていた男は少し表情を変えた。警備の男自身もどういう顔をして良いのか困っているように見えた。
「あのなぁ、坊主。何にも知らないようだから教えてやるが、ここで毒殺なんてのは恐ろしい事でも何でもないんだよ。むしろ、慈悲だ。獣に生きながら引き裂かれて貪り喰われたり、逃げ惑うのを弓や槍で面白半分に突き殺されたり楽な死に方なんてここには無いんだから。しかも死んだ奴らには墓もない。砂の穴にごみのように埋められてそれで終わりだ。そういうのがあんまり哀れだってこっそり毒を送ったりする事もあるんだよ。もうこれ以上言うことはない。帰りなさい」
クルスは静かに肩を押された。
警備の男の顔を見ながら一歩、ニ歩と後ずさった。手から壺が落ちないように持っているのがやっとだった。
そんな終わりを全く想像していなかったクルスは震えながらもと来た道を辿る。しかし歩きながら頭の中は真っ白で何も考える事が出来なかった。
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