70 / 79
業の国
69
しおりを挟む汁物が無くなると同時に皿も代車も消えて無くなるのだから、やはりあのズオルトは魔法を使うのだとクルスは思った。あの力が有れば、この国から飢える人をなくせるのにと残念に思う。
クルスは煮炊き場に戻り、小さな素焼きの壺に入った汁物を受けとった。
樵に届ける分だった。
樵のいる牢へ向かうと、彼は背中を壁に預けて座っていた。クルスの置いていった助司祭の青い飾り帯が男の足元に畳んで置いてあった。そのせいで樵の細身の姿は川辺の葦のように見えた。
「…温かい食事を持ってきたんだ」
クルスが声をかけると樵の男はゆっくりと瞬きをした。
「…悲しいことに何もしていなくとも息をしているだけで腹が減ります」
男は相変わらず痩せて、しかし全く生きる力の無かった目には男の思慮が揺らぐ川辺の流れる水面のように見えた。ただクルスがそう見えたように思いたかっただけかもしれない。
「あなたが銀の斧を持って来てから、この銀の斧を看守に賄賂として差し出して逃げようかとか、闘技場でこの斧を思い切り投げ飛ばしたら王に届くかとか、自分の首を落とす事も考えましたが、どれも出来そうにありません。結局こうして背の後ろに隠しています。何も出来ないと思っていても、これを盗られるのが嫌で隠しています。生きているのも辛く、死を考えるのも辛く、どちらにしても何をしていても腹が減るのが辛いです…」
男は立ち上がると食事を出し入れする隙間から、クルスが置いた壺を手に取った。
「今まで誰かの死を願った事はありませんでしたが、王が死ねばと思います。もっと早くに王が死んでいれば良かったのにと思います。そうすれば私の妹も死ぬ事はなく好きな者と一緒になって来年の夏か秋には子供が生まれて私は可愛い甥か姪の顔を見れた事でしょう。王が今死んでくれれば喪に服すため特赦か何かで私達は解放されて自由になれたのにと思います。言っても仕方ありませんが、誰かに言わずにはいられなかった」
男の言葉にクルスは頭を殴られたような衝撃を受けた。
王一人が死ねば、闘技場の中の多くの者はその特赦やらで解放されたというのか?クルス特赦などという言葉を知らなかった。聞いた事も無かった。誰かの生を捻じ曲げたせいで、誰か他の人の人生が狂ったというのか?
クルスの額から一筋の汗が流れた。
「最近死んだ母の言葉を思い出すのです。うちはとても貧しくて惨めな家庭でした。私は力もなく痩せっぽっちで根性も無く、顔もこの通り冴えないし、頭だって良くありません。母にどうして私を産んだのかと聞いたら母は言いました」
樵の男が脈絡もなく話し出した言葉にクルスは引き止められた。
「本当はもっと良い家の子で、何の苦労もせずに生まれる予定だったのに、神様の元にいた貴方は順番を待ちきれずに今のその身体が良いと言ってその身体で無くては嫌だと言って飛び込んだのよ。その身体に入るべき魂を押しのけて、どんな苦労も辛い事も厭いません、その身体が良いのですって言ってね」
樵の言葉を聞いて動きを止めたのは、クルスだけでは無かった。
どうして自分がここに漂っているのか分からぬままでいた凩もまた男の言葉に衝撃を受けていた。ただの親が子供を慰める為だけに言う御伽噺かもしれない。
あやかしと人の生は異なるかもしれない。けれど凩は長く生きた。束風の指を吸って力を貰い、本来ならもっと昔に潰えて消えてしまうはずだったのにずるずると生き汚く永らえた。何をするでも無くただ漂い、世のため人のために何かをした事はない。
少年の元に引き寄せられ、クルスが辛い目に遭うのを見るたびに、心の奥底で薄らと感じた事があった。この少年が負っている苦痛は、本当は自分が負うべきものだったのではないかと。
凩が長らえたせいで狂った歯車が世界の誰かの人生を大きく狂わせてしまっているのではないかという、漠然とした恐怖を樵はずばりと言い当ててしまった。
「あなたを助ける事が出来なくて…」
「いいえ、良いのです。つまらぬ事を言いました」
クルスは泣きそうな顔でその場を走り去った。
凩はクルスの走りに引きずられるように、だが牢の中で佇む葦のような影を胸が潰れるような思いで見た。
樵の言葉は忘れようにも忘れられなかった。
10
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる