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業の国
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しおりを挟む凩は糸に引かれた凧のように少年の後を漂った。
街の至る所に色とりどりの小旗がたなびき、何時もはない鳥か花かも分からぬような赤い不思議な飾りのついたランプが昼にも関わらず幾つも店先や出窓に置かれていた。
窓から窓へリボンや吹き流しや垂れ幕が垂らされ、何処かに風鈴や筒鈴が釣られているのか、りんりりんと軽やかな音が響く。
暑さを一瞬忘れさせるような音だった。
祭りの賑わいと喧騒の中に踏み潰されて消えそうなほど、凩は存在が希薄になり、クルスと僅かに繋がっているからこそ消えないのかもしれないと思えてしまう。影のようにひっそりと付き従い、物を言うこともできず、ただ見守るだけ。
クルスの足は迷いなく闘技場へ向かっていた。
どうしてあんな場所が良いのだろうと凩は思わずにはいられないのだが、悲しいかな逆らうこともできずにするすると引かれてついて行く。
近づくにつれ人は多くなり、ぶつからなくては進めないほど混み合っていた。祭りのための出稼ぎなのか普段は見ない雑多な屋台や食べ物の出店も多く肉や菓子を焼く香ばしいにおいが辺りいっぱいに広がっていた。
真っ直ぐには歩けないのに人々はみな愉快げに笑い、祭りの喜びに声を張り上げている。
「さぁさぁ今日一番の見せ場は飢えた猛獣の群れと奴隷戦士の戦いだよ、席は早い者勝ちだよ、良い席から売れて行くよ」
威勢の良い売り子の声が聞こえるが、クルスは食べ物も席を買うつもりはないようだった。
どうしてクルスの歩みがそこへ向かうのか、凩は天井の石柱に腕を巻きつけて行きたくないと暴れてみたが、虚しい抵抗だった。
闘技場で行われている催しでの誰かの叫び、悲鳴が凩の声を代弁するようだった。
クルスはズオルトと七番目と呼ばれた少年がいる場所へと歩いていたのだ。闘技場の外へと抜けてしまうのではないかと歩き、あの厚く緑に覆われた場所にまで辿り着く。表にはあれだけの人が溢れていたのにここは人の気配は無い。
しんと鎮まりかえっていた。
「七番目!」
クルスは声を張り上げた。
「買い物に行こうよ、七番目!!」
返事はない。
「ねぇ、ズオルト、いるんでしょう?七番目と買い物に行かせてよ」
ズオルトが魔法を使うのならば、この声も聞こえているはずとクルスの声は確信に満ちていた。
緑の壁の間から除いた顔は、声を上げたクルスではなくどこかあらぬ方を向いていた。
もしかしたら、闘技場の叫びか何かがここまで届いたのかも知れなかった。
「なんだ。またお前か。俺はここから出られない」
クルスは鏡のようにズオルトを見返した。
「ズオルトは出られないかもしれないけど、七番目は外に行けるでしょう?一年で一番大きなお祭りなんだもの。お世話になった人に何か買うなら今が一番だよ。僕友達いないから歳の近そうな七番目と一緒に行きたいんだけど」
「…七番目は俺の奴隷だ。それにこの喧騒で逃げられても面倒だ」
いつもの自信に溢れた様子ではなく、気怠げにズオルトは言った。眼窩の窪みに何もかもを吸い込んでいきそうな暗さがあり、表情も冴えない。最初に会った時のような役者ぶった気障な素振りも見せず、祭りなのに興味がない陰気な世捨て人のような雰囲気だった。
「七番目は逃げたりしないよ」
割られた岩を継いだ石壁の一つ一つに黒い染みが浮かんで、それまでズオルトが殺した男達の苦悶の顔を押し当てたように見える。それほど重くどんよりとした気に包まれた。
どこから吹き込んだのか、細く頼りない風がそっとクルスの髪を揺らす。
「七番目はあんたの気を晴らす贈り物を選べると思うよ」
ズオルトはゆっくりと瞬きをした。
だらりと垂れ下がった赤黒い髪は時間を経て変色した血の色のように不吉だった。祭りの前に、もう千人も殺してその血を受けたのではないかと思わせるような禍々しさが漂う。
ズオルトは唇を開き、最初は否定する言葉を言おうとしたのだろう。その暗い表情と、奇妙に震えた唇からクルスは推測した。
「…まぁ、良いだろう。戻ってこなければ替わりにお前を縊り殺してやる…」
「祭りの日なのに怖いなぁ、大丈夫だよ」
二人のやりとりをまるで聞いていなかったかのように、緑の壁の間から栗色の髪の頭がひょっこりと現れた。
「あ!」
驚いたように目を丸くして立ち竦む少年の姿。
七番目の姿は、クルスがはっきりと見たわけではないあの白い影の姿に似ている気がした。
「あの…こんにちは?どうしたの?」
不思議そうに首をかしげて、瞳をぱちぱちとさせる様子は無邪気な小動物のようで、その朗らかな笑顔は陰鬱な気をぱっと散らした。
「今日は出かけて良いぞ。こいつと買い物に行ってこい。何か気にいるものを買ってくるといい」
張り付いたような不自然な笑顔で、ズオルトは何かを弾いた。
七番目の手のひらに銀貨が一枚乗った。
「…暗くなる前に帰れよ…」
え、え、と戸惑う七番目を残して男の姿は緑の壁に呑まれるように消えてしまった。
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